SSブログ

滝の白糸(3) [読書]

■再会
 さて、莫大な収入をその身一つで費やす白糸の生活が一変したきっかけは、欣也との再会であった。ある日、白糸は、興業を終えて、夜、金沢の河原を散歩しているとき、偶然、欣弥と再会した。欣也は、馬に白糸を乗せて走った一件で、馬車会社を解雇されて失業中で、金沢まで仕事を探しに来ていたのだった。
 再会を喜ぶ二人。欣也は身の上話を白糸に語った。欣也は元、法科の書生であり、未だ学問に対する情熱を捨てていなかった。これを知った白糸は、意外なことを口にする。

*************
 「ぢゃ、貴方、御出なさいな、ねえ、東京へさ。もし、腹を立っちゃいけませんよ、失礼だが、私が仕送ってあげようぢゃありませんか。」
 深沈なる御者の魂も、この時踊るばかりにゆらめきぬ。渠は驚くよりむしろ呆れたり。呆れるよりむしろおののきたるなり。渠は色を変へて、この美しき魔性の物を睨めたりけり。(中略)花顔柳腰の人、そもそも爾は狐狸か、変化か、魔性か。
 「何だって?」
 「何だってとは?」
 「どういふわけで?」
 「わけも何もありはしない。ただお前様に仕送りがして見たいのさ」
 「酔興な!」と、御者はその愚に唾するが如くひとりごちぬ。
**************

 欣也は白糸の意外な申し出に戸惑ったが、「貴方が立派な人物になるのを見たい」という白糸の熱心さに押され、結局、その好意に甘えることにした。何か恩返しをさせて欲しいという欣也に対し、言った白糸の言葉がいじらしい。

***************
 白糸は鬢のおくれを掻き上げて、幾分のはずかしさを紛らわさむとせり。御者は月に向へる美人の姿の輝くばかりなるを打ちまもりつつ、固唾を飲みてその語るを待てり。白糸は始に口ごもりたりしが、直に心を定めたる気色にて、
 「生娘のように恥ずかしがることもない、いい婆のくせにさ。私の望みというのはね、お前様に可愛がってもらひたいの。」
 「ええ!」と御者は鋭く叫びぬ。
 「あれ、そんな怖い顔をしなくったっていいじゃありませんか。何もおかみさんにしてくれといふんぢゃなし、唯、他人らしくなく、生涯親類のようにして暮らしたいといふんでさね。」
 御者は遅疑せず、渠の語るを追ひて潔く答へぬ。
 「よろしい。決してもう他人ではない。」
 涼しき眼と凛々しき眼とは、無量の意を含めて相合へり。渠らは無言の数秒の間に、不能語、不可説なる至微至妙の霊語を交へたりき。渠らが十年語りて尽くすべからざる心底のほうばくは実にこの瞬息において神会黙契されけるなり。
*******************

 見つめ合う男と女。十年かかっても語り尽くせぬ心を瞬時に通わせた。まさに運命の瞬間であり、この小説の中で、もっともおとぎ話的で美しい部分である。

 次回、悲劇的大事件が起こる。


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 3

くるみ

度々失礼します(*__)
頑張っている人を応援したい、手助けしたい、というのは、多分男女問わずそういった思いを持つものなのかもしれませんね。
この場合は、それだけではない『何か』も、内側で温められていた。。。だけに救われるような。。。でも結果を知ると切ないような。。。
by くるみ (2006-03-30 23:26) 

くるみ

追記
逆プロポーズではないトコロが、そそられますね。
『距離感』というものをいつも想うのだけど、このふたりの距離感や信頼感が、惹き合い続けるにはちょうどよいのかなぁ~と思いました。
絆、を感じますね。
by くるみ (2006-03-30 23:36) 

ひぐらし

逆プロポーズでないトコロ、当時の感覚としては進んでいたのではないかと思います。また泉鏡花が、当時の時代感覚に反したそういう設定(ヒロインのキャラにあわせた設定)を意図的に作ったのでしょう。昔の社会には、結婚という形に対するこだわりが相当あったと思うので。
 距離感、うん、確かに大事かもね。何年も付き合ってたくせに、結婚した途端に別れる人もいますからね。
by ひぐらし (2006-03-31 20:59) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

滝の白糸(2)滝の白糸(4) ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。