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セスナ150(3) [キット]

胴体の骨組みがやっと完成したので、ご報告。

 ところで、この模型を作っていて思い出したことがある。子供の頃デパートで、この手の模型をお袋にねだって買ってもらったことがあったのだ。バルサではなくて、発泡スチロールでできた部品を組んで飛ばすやつで、子供すぎて自分では作れなかったので、それを親父に作ってもらった。僕が選んだのは、P-51ムスタング。太平洋戦争のときのアメリカ軍の戦闘機だった。

 買ってきたものを親父が見て、一言。「お父さんたちは、これにさんざん苦しめられたんだ」 そのときは、親父が何を恨み言を言ってるのか、理解できなかった。親父はぶつくさ言いながらも、組み立てて飛ばしてくれた。

 そういえば、お袋からも同じような話を聞いた。祖母が畑仕事をしていたとき、米軍の戦闘機が飛んできた。祖母は子供(母の弟、つまり僕の叔父)を自分の下に隠すように抱いてとうもろこし畑の中にじっと伏せて、飛び去るのを待ったそうだ。

 戦争を知らない子供である僕と、実際に戦争時代を生きた親父の世代では、模型に対する感情も違うものなんだと思う。我々の世代にとって、戦争というのは遠い昔の出来事だから、その模型はあくまでも模型である。しかし、昭和8年生まれの親父は違う。その飛行機が実際に自分の頭上を飛んできて、今にも撃ち殺されそうな恐怖感を味わった憎むべき相手なのだ。その飛行機の模型を自分の息子が買ってきて、それを自分に組み立ててくれと頼むとは何たることだろう、と思ったに違いない。
 
 そのあと、小学生時代、僕は、飛行機のプラモデルにのめりこんでいくことになったのだが、旧日本軍の戦闘機ばかりを選んで作っていた。それはひとつには、米軍の飛行機は悪である、というイメージが、この一件で出来上がってしまったこと。それから、日本軍の飛行機を作ると親父が結構機嫌がよかったのだ。陸軍の「隼」を作ったときなんか、親父は上機嫌で「加藤隼戦闘隊」を歌っていた。


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