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地図で遊ぶ [登山]

(まだ、山の話題が続きます)

 先日、いつもの山仲間から、塔ノ岳に登る企画に誘われた。実行の日は6月21日だった。先日も書いたように、今、地形図の読み方を勉強中である。誘われたコースはGWの雨の日に行ったコースと半分は一致する。でも、地形図と比較したら、さぞかし面白かろうと思って、参加することにした。

 コースは、ヤビツ峠⇒二ノ塔⇒三ノ塔⇒塔ノ岳⇒大倉。前回は、塔ノ岳からさらに北上して丹沢山で一泊したが、今回は日帰り。事前にこのエリアの地形図を買って等高線に沿って塗り絵をやってみた。なんだかこういう作業って、小学校の社会科の授業のときにやったっけなあ、と懐かしかった。しかも、小学校のときは、先生にやれと言われてやっていただけだったが、今回は自分が実際に行くルートだけあって、えらく熱中した。完成(未完成?)したのが、下図。(クリックで拡大できます)

地図.jpg

 (なお、登山道に赤い線をつけてあるが、行者ケ岳のところ、間違って引いてしまった。詳細は省くが、もし同じことをやろうとする人がいたら、登山道は登山地図を信用して入念にチェックすべきと考える)

 1/25000地形図ってのは、登山道に関しては、かなりいい加減だ。いい加減という言い方は、言い過ぎかも知れないが、情報が古いのかも知れない。昭文社の1/50000登山地図と食い違いがある部分については、登山地図の方を信用することにした。なにしろ評判のよい地図だから。

 塗り絵をすると、山の形がくっきり浮かびあがり、凹凸が見えてくる。登山道がどんな地形に沿って作られているかが見える。しかも、その傾斜が等高線の粗密で大体わかる。あとは自分のイメージと実際の地形を、現地で比較しようと思った。

 さて、その週は前日からひどい雨で、天気予報も一日中雨だという。早くも前日に「中止」の連絡が来た。でも、前回5月に行ったときも雨だったし、せっかく作った地図もある。中止になったらひとりで行こうと思っていた。
 ところが、夜が明けて「こりゃあ、いくらなんでも降り過ぎだ」というくらいのざあざあ降り。これでは最初から遭難しているようなものだと思い、結局断念した。

 翌週、6月28日。天気予報ははやり思わしくない。でも、前の週に比べたら遥かにマシである。だから出かけることにした。梅雨の天気とはまあそんなものだと思う。

 さて、今回、目的地は塔の岳だったが、特に印象に残ったのは、三ノ塔だった。まずは、三ノ塔を示す木の柱。前回は雨で遠景が何も写らなかったが、今回は富士山の山頂が雲からぽっかりと覗いている。こういう場所だったんだ。

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 三ノ塔から西側を見下ろしたところに、小さな小屋が見える。なんだろうと思って地図で確認したら、これは烏尾山荘だった。しかも、その向こうには、これから塔ノ岳に続いている、これから歩く予定の峰々がず~っと連なっているのが見えるのだ。地図と実際に見える景色が一致しているのは当然といえば当然なのだが、これを実際に確認すると、実に愉快、というか快感で、「へえ~~~、確かにそうなってる!」と感心してしまうのだった。

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 三ノ塔を過ぎて、前回ご挨拶したお地蔵さんに再会。

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 ここからしばらく長い下りが続く。烏尾山荘に近くなって、三ノ塔を振り返った。三の塔のてっぺんは、南北に長い形をしていて、西側(つまり烏尾山荘側)からみると平坦に見える。しかも、ここからズームで撮った写真に、あのお地蔵さんが、ちょこんと写っているのだ。これも愉快だった。

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(クリックで拡大します↓)
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 塔ノ岳の山頂に着く少し前から、雨がポツリポツリと降り始めた。やっぱり僕は雨男のようだ。しかし、すぐにレインスーツを着る気にはなれなかった。僕は普通の人に比べて、たいそうな暑がり屋で、5月頃から真夏と同じ服装(Tシャツ、Yシャツまたはポロシャツ1枚)になり、10月頃まで同じ格好で通勤する。実に1年の半分はシャツ1枚なのである。むしろ、このくらいの雨なら、火照った体を冷ますのにちょうどよい。

 東側から塔ノ岳の山頂を望む。建物は、尊仏山荘。↓  ああ、もう少しだ。

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 前回は雨が降っていてこういう景色も見えなかった。(見えていたとしても、見ている余裕はなかった)

 山頂では、前回(僕一人だった)と違って人がたくさんいて賑やかだった。晴れていたらもっとたくさんいるんだろうな。

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 いつものようにアルファ米をお湯で戻して、今日は中華丼を食べた。でも、出来上がる前に雨は本降り。昼食が終わった頃にようやく、雨のために体が冷えてきたので、ここでようやくレインスーツを着た。ちょうどよい暖かさだ。さて、下山である。この時点で13時30分。

 大倉尾根をひたすら下る。この尾根は「バカ尾根」と呼ばれているそうだ。単純だから? ずいぶんと言葉が悪いではないか。しかし歩いて30分くらい経って、あまりのつまらなさに、「このバカ尾根が!」と怒鳴ってやりたくなった。確かにバカと言いたくなる気持ちがわかる。でも、みんなにバカバカと言われる尾根でも、通る人がいるのだから、尾根も人も、どっちもどっちではないだろうか。

 まあ、とにかく道は単調だし、体調もすこぶる好調で、暑さも感じない。雨とはいっても快適だったので、無休憩、無給水にチャレンジすることにした。15時30分に大倉のバス停に着くまで、一回も休まず、一回も水を飲まなかったが、さほど辛くはなかった。また、いつもは下りで膝の痛みを感じるのだが、今回はそれもなかった。僕の膝も少しずつ強くなっているようだ。(ただし、次の日は筋肉痛がひどかった)

 もしかしたら、この大倉尾根は、登りに使った場合、富士山の予行演習としては非常によいのではないかと思う。というのは、大倉と塔ノ岳の標高差が約1200m、富士5合目河口湖口(標高2300m)から頂上(標高3700m)までの標高差は1400m、しかも単調な登りである。よく似ているのだ。ただ大倉尾根は高山病の心配がない。だから体力のチェックには好適である。

          *     *     *

 さて、今回考えたこと。三ノ塔から塔ノ岳に続く尾根筋を見たときに、原始時代の原野が思い浮かんだ。「前人未到」という言葉が当てはまる地域は、地球上にはもうほとんど無いのだろう。その昔、人間は平地に村落を作って暮らし、山に出かけるのは、狩猟、採集の時だけだったはずである。「お爺さんは山へ芝刈りに・・・」というやつだ。

 別な話では、ヘンゼルとグレーテルが森に入ったときに、道に迷わないように、パンくずを道に落とした、なんてのもある。要するに道標なんて無かった。手付かずの自然は恐ろしい。昔の人にとって山や森は、生活に必要な物資を調達するためにやむを得ず行く危険な場所で、遊びのために好き好んで入るなど、酔狂以外の何者でもなかったはずだ。

 登山道とは、こういう時代に少しずつ切り開かれたものなのだと思う。「このルートがよい」と定まるまでは、たくさんの人が遭難して命を落としたに違いない。(霊魂の存在を信じるなら山なんて幽霊だらけだろう) とにかく、そういう先人がいたから、我々は山を道楽として楽しむことができる。切り開いた先人に感謝しなければならないと思った。

 同じ場所を歩いても、その時によって、感じることが変わる。山って面白いな、と思う。

【蛇足】
 最近はメタボ解消のために毎日片道1時間歩いて通勤している。梅雨に入ってからは、雨の日に歩くことも多くなった。会社の同僚に「雨の日に、よくそんなに歩くね」と言われる。しかし、雨の日の山をレインスーツを着て、7kgの荷を背負って数時間歩くことに慣れてしまうと、きれいに舗装された平坦な道を、傘をさして1kgにも満たない軽い荷を背負って1時間歩くことなど、全く苦にならなくなるものだ。こういう心境の変化は今までは全く起こらなかった。
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