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ひぐらしの中学生日記(6) [雑文]

【エピソード6】学帽とセーラー服

 IA子は、今でこそ、このクラスで一番付き合いのある友達になっているが、最初の頃は、さほど親しいわけではなかった。親しくなった後も遊び仲間になることはなかった。彼女は僕が学級委員長をやっていたときに副委員長だった。つまり学級会の司会を僕がやって、議事を板書したりノートしたりするのが彼女だったわけで、クラスの雑用係を一緒にやっていただけのような気がする。例によって中3の夏以前は記憶がほとんどない。

 彼女とよく話をするようになったのは中3の冬頃だった。僕が同じクラスのある女の子とヘンテコな喧嘩をしたとき、IA子が仲裁をしてくれたのだった。向こうに行っては話を聞き、こっちに来ては話を聞き、両方の話し合いの場を設け、というふうに、まるでプロの交渉人のようなオーソドックスな手順を踏んで、一生懸命に関係の修復を図ってくれた。当時の彼女は僕なんかよりもずっと大人だったように思う。こういう問題解決のプロセスを通して、僕は彼女に対して信頼感を持つようになった。遊び仲間ではなかったが、真面目な話や深刻な話は彼女が「担当」してくれていた。

 当時、僕は他のクラスに好きな女の子がいた。そしてそのことは誰にも話せず秘密にしていた。ところが彼女は、やたら勘が鋭くて、よく話をするようになったら、そのことがたちまちバレてしまった。要するに弱みを握られてしまったことになる。信頼できる友人であると同時に、すぐに人の心理を読み取ってしまう油断できない存在でもあった。信頼できるけど油断できない。こんなややこしい感情を持つのは、結局、僕が未熟だったからにすぎないと今は思う。過剰に警戒するのは臆病者の証である。今のように彼女に全幅の信頼を置くようになったのは、中学校を卒業したずっと後だった。

 卒業の日、学ランの第2ボタンは体操部の後輩の女の子にあげた。僕を慕う可愛い後輩が1学年下にいて、その子が卒業式の日に、僕の教室までわざわざ花束を持って来てくれた。そのときに第2ボタンをねだられたのだった。そのあとでボタンは、誰にともなく全部あげてしまい、無くなってしまった。だからIA子には、記念に僕が被っていた学帽をあげた。IA子はセーラー服の胸当てをくれた。「これあげる。」と言われたときは鼻血が出そうになった。

 セーラー服の胸当てというものは、彼女の胸(心臓=ハート)の部分にずっと有ったものである。この部分が外れる構造になっていることを、このとき初めて知った。要するに女の子にとっては、学ランの第2ボタンと同じ意味を込めることができる。しかし、そのことに気づいたのは、後の話である。もらった時はガキだったから、ハートというよりも、むしろ下着でも貰ったような錯覚をおこしてしまい、そっちの意味でドキドキしてしまった。豚に真珠とはこのことである。

 中学校を卒業して、僕とIA子は、千葉市内の別の高校に通うことになったが、通学経路がほとんど同じであったにもかかわらず、あまり会うことはなかった。高校を卒業した年に2 回目の同窓会があったときに一緒に幹事をした。このとき彼女には恋人がいた。おそらく女性として、人生で一番綺麗で輝いていた時期だったのではないかと思う。一方で僕は浪人生、おそらく人生で一番勉強に集中していた時期だった。そのときはもう、それぞれが別の人生を歩み始めていた。

 ところで、別の人生を歩み始めていたのは、IA子だけではなかった。この2回目の同窓会では、クラスのみんなは、高校を卒業して就職組は就職し、進学組は進学し、みな進路を決めて生き生きしていた。僕だけが、通うべき学校も決まらず浪人していた。宴会のあとで、みんなでK先生のところに車で押しかけ、その足で外房の海までドライブしたが、みんなが盛り上がっている中で、自分だけが取り残されたような気がして、内心落ち込み、強い劣等感に苛まれていた。

*     *     *

 つい先日の同窓会で、IA子とTF子が、僕がいまだに独身なのを心配して、このまま爺さんになって寝たきりになったら、地元に帰ることを条件に、介護してあげると冗談まじりに言ってくれた。嬉しいことであるが、逆に、これと同じことをたとえ冗談でも僕が言えるか、と考えるとはなはだ疑問である。夫を支え、子供を生んで育て、余裕が出来たら自分も働き、というふうに、自分以外の人のために生きてきた人間にはそれなりの「器の大きさ」というものがある。介護してあげるというのは、冗談ではあっても、こうした器の大きさからごく自然に発想したものではなかろうか。当時から大人っぽかったIA子は言うに及ばず、相変わらずおもちゃみたいな童顔のまんまのTF子だって精神的には僕よりもずっと大人になっているのだ。

 女の子だけではない。男だって、僕みたいに結婚に失敗したのもいるが、ちゃんと再婚して家族のために生きている。そんなの普通だという人もあるだろう。でも彼らは僕と同じ年に生まれ、同じ中学校を同じ日に卒業した。つまり同じ年に人生をスタートして、途中まで同じペースで歩いていた。だからこそ、彼らに会うと、道が分かれたあとの自分の遅れを痛感するのである。

 ただ、2回目の同窓会のときに彼らに対して感じた劣等感は、いつのまにか尊敬に変わっていた。仲間に対して劣等感をもつ。仲間を尊敬する。同じものに対して全く逆の感情をもつ。どちらをもつのかは自分の心理状態に依存するが、どちらが幸せかは誰の目から見ても明らかである。いいことに気づかせてもらった。

 次回の同窓会はK先生が古稀を迎える3年後に決まった。それまで先生が元気でいてくれること、そして我々生徒の側も、また元気で再会出来ることを願わずにはいられない。

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 以上で「ひぐらしの中学生日記」のシリーズは終わりです。ご精読ありがとうございました。
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