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禁煙プログラム終了 [生活と健康]

 すでに書いたとおり9月2日にタバコをやめた。そして12月2日で3ヶ月になった。通常、専門家による禁煙のプログラムというのは3ヶ月くらいかけてやるのだそうだ。僕はニコレットという禁煙補助剤を使って禁煙し、幸いにして無事に軌道に乗り、いつの間にか3ヶ月を乗り切っていた。自分としては大成功だったと思っている。ここに終了宣言をしたいと思う。「応援してくださったみなさん、ありがとうございました」

 禁煙の道のりを山登りに喩えてみる場合、最初はすごい急勾配で、頂上に近づくに従ってなだらかになる山を想像するとわかりやすい。最初の急勾配は自力で登れない。多くの人がここで挫折する。だから、ここで禁煙補助剤やお医者さんのお世話になる。ここを過ぎてしまったら、あとは自力で登れるようになる。今ようやく頂上に着いたが、この山、下りるときは、最初に急勾配があって、一気に下まで滑落しそうな気がする。苦労して登った山なんだから、ずっと頂上に居ようと思う。

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 さて禁煙して、自分にどんなことが起こったかを書いて終わりにしたいが、実は、体に起こった変化については、前の「丹沢湖マラソン」の記事に書いた通りである。幸いにしてタバコを吸っていたとき、そしてやめたあと、どちらも、ランニングなどという体に適度な負荷がかかることをしている。だから変化がよくわかった。レースの成績は振るわなかったが、体が軽くなったことだけははっきり自覚できた。詳細は下記URLを参照。
丹沢湖マラソン
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03

 そういうわけなので、今回の記事では心理面に絞ってお話をする。実は自分がタバコを吸っていたときに深層心理に何を抱えていたのか、タバコをやめたことによって、明らかになってしまった。

 禁煙をスタートして、1ヶ月ほど経ったある日、会議のために別の事業所に外出したときのことである。会議が長引いたので途中で休憩をした。そのとき、同じ会議に出席していたKさんという人が喫煙所でタバコを吸っていた。そこで、その人に自分が禁煙に取り組んでいる最中であることを話し「Kさんもやってみませんか。きっといいことありますよ」と勧誘してみたのだ。ところが「僕はやめるつもりはありませんから」と、あっさり断られてしまった。

 反応が意外だったので、一瞬「あれ?」っと思ったが、よく考えてみたら「タバコをやめるつもりはない」というのは僕自身が昔からいつも言っていたことだった。

 僕は酒を飲むことは飲むが、毎日晩酌をする習慣はない。酒は「飲まずにいられる」のである。これと同じことがタバコでもできないものかとずっと思っていた。つまり、タバコを吸うまいと思ったら、何日でも吸わずにいることができる。そして酒と同じように、たまに吸う。そういうことが出来たら理想的だと思っていた。実際に出来る人はいるらしい。しかし僕の場合は結局出来なかった。

 「タバコは百害あって一利なし」とよく言われる。そして、その言葉の意味を一番身に染みて感じているのは喫煙者である。タバコを吸いすぎて喉が痛いとか、息が苦しいとか、そういったことを自分の体で実際に感じるのだから、タバコを吸ったことのない人よりもよほどよくわかっているのである。「ならばやめればよいではないか」とタバコを吸わない人は言うだろう。問題は正にここにある。

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 タバコを吸う人に対して「タバコは体に良くないからやめた方がいいよ」と言うのは、病気で歩けない人に対して「車椅子に乗ってるより、立って歩いた方が速いよ」と言うようなものである。車椅子に乗っている人は、病気、怪我など何かの理由があって、やむを得ずそうしているのだ。本人の好みや意思で乗っているのではない。これと同じようにタバコを吸っている人は、ニコチン中毒という病気のため、吸わずにはいられないから吸っているのである。

 「いやいや、美味しいから吸っているんだよ」という面もあることはある。しかし美味しさ100%で吸うのであれば、過去に僕が思い描いていた理想状態「タバコを吸うまいと思ったら、何日でも吸わずにいることができる」が実現できるはずなので、これはもはや中毒ではなく嗜好である。何も問題はない。

 再度書く。喫煙者は、自分の意志でタバコを吸っているのではなく、禁断症状を抑えるために仕方なしに吸っている。そうしなければならない体になってしまっているのである。タバコを吸わない人は多くの場合それを知らず本人の嗜好だと思っている。だから「やめろ」という言葉が出てくる。また吸う人自身も自分が病気であることを自覚していなかった。今まではそういう時代だったのだ。実際、禁煙外来が健康保険で受診できるようになるまでには、政治家やお役人が、中毒だ、嗜好だ、と随分議論したようだ。

 僕は若い頃からタバコを吸い続けて来たが、健康に悪いことはわかっているし、周囲から「やめたほうがいいよ」「やめなよ」「やめなさい」・・と何度も言われてきたので、それなりに、やめようと努力したことはあった。しかし、そのたびに失敗した。そして失敗の原因が、自分の意思の弱さであると思い込んだ。大の男が「自分は意思の弱い人間なんだ」と認めることは結構辛いものである。だから「そうではない」と周囲にアピールするために「俺はタバコをやめる意思はない」と言うようになったのである。それは自分のプライドを傷つけようとする人(注1)に対する精一杯の抵抗だった。おそらく上記のKさんも同じ気持ちを抱えているのだと思う。

(注1)自分のプライドを傷つけようとする人・・・何度も何度も失敗すると心の中に劣等感が芽生え、たとえ自分の体を気遣ってくれる人でも自分を攻撃する敵に見えてくる。

 喫煙歴が長く、「俺はやめないぞ」と頑固に吸い続ける人は、おそらく、この辺の深層心理に相当複雑なものを抱え込んでいて、一筋縄ではいかないようになっている。「やめろ」と言われて「はい、わかりました」などと素直に言えないのである。(言ったところで、どうせまた失敗して笑われる) でも、喫煙=中毒=病気ということに気づけば、「治療」を受けることには素直に従えるはずだし、周囲の人の言葉も「やめろ」ではなく「いい薬があるよ」とか「あの病院は評判いいよ」となるはずなのである。その言い方なら救いがある。なぜなら、喫煙者が「意志薄弱」の劣等感に苛まれずに済むからである。治療の情報は「禁煙補助剤」「禁煙外来」というキーワードで検索すれば、たくさんヒットする。

●誰かのタバコをやめさせたい方へ
 愛する夫、恋人、息子、誰でもいい、とにかく、その人の健康を心から心配して、タバコをやめて欲しいと思っている方は、治療方法をさりげなく教えてあげることをお勧めする。あくまでもさりげなくである。喫煙者は何度も攻撃に晒されているから、自分を守るための鎧を着込んでいる。だから、それを脱がさないといけないのだ。イソップの「北風と太陽」の寓話がこれほど当てはまる例もめずらしい。「タバコをやめて」などと、何百回言ったところで、この問題は決して解決しない。(これは、おそらく言った本人が一番わかっていると思う)

●自分がタバコをやめたい方へ
 僕の拙い体験談、よかったらお読みください。(下記URLです)

タバコをやめてみる(1)
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-09-06

タバコをやめてみる(2)
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-09-07

タバコをやめてみる(3)
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-09-08

タバコをやめてみる(4)
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-09-10

禁煙成功、その後
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-09-15


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くるみ

禁煙プログラム無事終了、おめでとうございます。
愛着とかこだわりというものは、それがポジティブなものであれネガティブなものであれ『自己防衛』であることが多いものですね。
by くるみ (2011-12-05 21:09) 

ひぐらし

くるみさん、ありがとうございます。今回発覚した自分の深層心理については、本当に自分で意識していなかっただけに、精神分析って面白いもんだなって思いました。喫煙していたころは無意識に隠していた本心が、やめた途端に他人の思考回路になって、ようやく露呈するなんて。自分の精神でも、自分でコントロールできない部分があるんですね。


by ひぐらし (2011-12-06 20:19) 

やまけん

禁煙おめでとうございます。
私は喫煙経験が一度も無いものですが、たばこをやめられないのは病気である事十分理解できました。
しかし現在もですが喫煙者のマナーについてどう思われますか?
道には吸い殻がまだまだあり、人とすれ違うときに火を外に向けて全く配慮しない、喫煙席を通らないと禁煙席にいけない飲食店など。
喫煙しないものからすると病気でやめられないなら喫煙ルームでのみすって欲しいと思うのも事実です。
長文すみません。
by やまけん (2011-12-09 09:40) 

ひぐらし

やまけんさん、こんにちは。コメントありがとうございます。喫煙者のマナーについて、基本的に同じ考えです。道に吸殻を捨てるとか、人とすれ違うときに火を外に向けたままとか、喫煙していた僕から見ても困った人だと思います。「病気でやめられないなら、禁煙ルームでのみ吸って欲しい」というのも理に叶っていると思います。ただし、喫煙席を通らないと禁煙席にいけない飲食店については、自分が喫煙者であったせいか、そういう構造になっていることに気づいたことがありませんでした。

 40年ほど前、僕が子供の頃、お医者さんが、診察室でタバコを吸いながら子供を診察していました。30年ほど前、僕が高校生の頃、駅の立ち食いそば屋の婆さんが、くわえタバコでそばを作っていました。25年ほど前、僕が会社に就職した頃、喫煙者は自分の机に灰皿を置いて、喫煙しながら仕事をしていました。会議室も同じ。現代の感覚では信じられないような状況がたくさんありましたが、そういう時代でした。

 20年くらい前から、嫌煙権が叫ばれるようになり、世の中が急速に禁煙に向かい始めましたが、これはおそらく社会のリーダー(行政でも、会社組織でも)達の中に喫煙者が減ってきたからだと思います。

 マナー違反については不愉快な気持ち、お察しします。私も吸わない人に不愉快な思いをさせたことが多々あり、今では申し訳なかったと思っています。ただ、これから先、おそらくタバコは社会からどんどん無くなっていくと思います。20年前、会社に分煙ブースができ、現在では喫煙所そのものが撤去されてしまいました。私鉄もJRも喫煙所はなくなってしまいました。路上喫煙を禁じている自治体もあります。いずれ「禁煙法」というのができて、喫煙が法律で禁止されてしまうのではないか、なんて思ったりもするのですよ。
by ひぐらし (2011-12-09 19:59) 

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