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太田裕美さんのこと [雑文]

(この記事は敬愛する歌手の太田裕美さんに関するものですが、文中の敬称は省略させていただきます)

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 正月に千葉の実家に帰省したときに、姪が面白いことをしてくれた。動画サイトを使ったイントロクイズ。しかも「太田裕美限定」である。携帯電話で「太田裕美」というキーワードで検索をかけ、リストされた楽曲を、ひとつひとつ再生し、僕に音だけ聴かせる。それについて僕が曲名を答えるというもの。おそらく正解率は9割を超えていたと思う。楽しかった。

 僕が若い頃に太田裕美に熱中したことは、姪には話したことがある。姪はそのことを承知した上で、こういうことをしてくれたわけである。人間誰しも、自分が熱中したことを語りたいものだが、それにしても、よくぞこういう遊びを考えてくれた。姪が幼い頃は、帰省すると、しりとりだのかくれんぼだのと幼稚な遊びにばかりつき合わされたが、今では、すっかり成長し今年はもう高校を卒業する。ついには僕が遊んでもらうようになってしまった。感無量である。

 さて、イントロクイズをやっている最中に、家族の中の誰かに、「太田裕美のどこがそんなに好きだったのか」と聞かれた。「太田裕美」という一人の歌手だけに着目した場合は、声が好きだったと答える。特にこの人の20歳くらいの頃の声は、美しすぎて譬えようがない。僕の耳で聞いて、この声を超える歌手は、いまだに現れていない。しかし、そうは言っても声が好きだの、顔が好きだのと言うのは、好きになった歌手に対しては、誰でも抱く感情だろう。別に珍しくもない話になってしまう。

 この問いかけに対しては、太田裕美という歌手が歌っていた歌とか、アルバムとかの特徴を話した方が、より客観的な説明ができるように思う。このブログを立ち上げて以来、いつかはこんな「太田裕美」論みたいなことを書きたいと思っていた。

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 一つの例として1975年に発売された「短編集」というアルバムを挙げてみたい。発表されたのは、あの名曲「木綿のハンカチーフ」が出るよりも少し前のことになる。下の写真は僕が昔買ったLPレコード。
01.jpg

 1曲目に「白い封筒」という歌がある。伴奏はアコースティックギターのみの素朴なもので、好きになった男の人に初めて手紙を書く内容になっている。感情を抑えた歌い方ではあるが、内側で静かに燃える情熱を感じる歌である。

「白い封筒」
初めての手紙をあなたに書きます
白い便箋にペン先が震えて
読み直すと出すのが怖くなりそうだから・・
好きですと一言書けたならいいのに
書けないままに文字をならべてます
どうぞ言葉にならない気持ち 読んで下さい
初めての愛を封筒につめます
あなたの名前を宛名に書きました
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 ここから物語が始まる。この手紙で二人の距離は一気に縮まり、2曲目から、4曲目まで幸せいっぱいの歌が続く。ところが5曲目くらいからだんだんすれちがいに苦しむような悲しい歌に変化してゆき、最後の12曲目でついに別れが来る。曲名は「青い封筒」。最初の「白い封筒」と全く同じメロディだがアレンジをガラッと変えて、泣きたくなるほど悲しい歌に仕上がっている。

「青い封筒」
さよならの手紙は鉛筆で書きます
ブルーのインクだと思い出が残るし
鉛筆ならいつか薄れて消えそうだから
お返事も電話もいりません 今日から
優しい声や 文字が目に触れたら
また悲しみ繰り返しそう そんな気がして
最後の愛を封筒につめます
ポストに入れたらあなたを忘れます
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 伴奏はピアノのみ。アレンジでこうも雰囲気が変わるものかと感心する。しかも表現力がすごい。後半の一番盛り上がる部分の「また悲しみ繰り返しそう そんな気がして」のところなんか涙声で歌っている。ただでさえ綺麗な声なのに、こんな涙声を聞かされ、純情だったひぐらし少年はコロッとやられてしまった。しかも、それだけにとどまらず、まるで自分が太田裕美をフッてしまったかのように錯覚し、「ああ僕はなんて可哀相なことをしてしまったんだろう」なんて、思わないまでも、それに近い感情をもっていたことを、今ここで正直に告白する。(バカだよね)

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 太田裕美のレコードは、シングルとLPが別に作られていた。普通の歌手が、LPを出すとその中に、同時期に歌っていたシングルを含めるのが普通だったと思うが、この人の場合は、必ずしもそうではなかった。

 一枚のアルバムがひとつの作品であり、そこには企画意図があった。従って、その中に含まれる曲はすべて、その意図に沿って作られたものだった。この意図とは別に作られたシングルは、アルバムには入れられなかったのである。(製作者に聞いたわけではないが、そう感じた)こういう作り手のこだわりは、「かぐや姫」に代表されるような「フォーク」と呼ばれていた分野に近いものだったと思う。そういう意味で、太田裕美はいわゆるアイドル歌手ではなかった。

 最近の傾向はいざ知らず、少なくとも当時のアイドル歌手のLPレコードは、(そうたくさん聞いたわけではないけれども)単に複数の曲が集まっていただけの印象しかない。まあそれでも売れたということはファンが楽曲よりも歌手の外見をより重視していたということだから、アルバムの曲の構成よりも、レコードに付属するポスター等にお金をかけていたのだろう。それはそれでひとつのショービジネスであり、否定するものではない。実際僕だってそういう歌手を好む傾向は確かにあった。(誰とは言わないが)

 脱線してしまった。話を戻す。上記の「短編集」の例のように、太田裕美のアルバムは一枚一枚が、それぞれ独特の雰囲気をもち、1枚聞き終わると1冊の小説を読み終えたような気持ちに浸ることができた。しかも悲しい歌、切ない歌が多く、聞くたびに感情を揺さぶられた。昨日気づかなかった歌詞の意味に今日気づいたなんてこともあった。高校生の頃の僕は完全に中毒になっていて、彼女の歌を聴かない日はほとんどなかった。先日、姪がイントロクイズをやってくれたとき、正解率が9割以上だったと書いたが、そんな状態だったのだから本当はもっと高くてもよいくらいである。(正解できなかったのは度忘れ)

 体で覚えたものは忘れない。おそらく10年後に同じようにイントロクイズをやったとしても忘れてはいないだろうと思う。歌詞の穴埋め問題かなんかをやったとしても9割は正解できそうな気がする。上記の「白い封筒」「青い封筒」の歌詞は、どちらも最初は何も見ずに記憶だけで書いてみたが、「ブルーのインク」のところを「青いインク」と間違えただけだった。(惜しい! でも意味は合ってるじゃないか 笑)

***
 ということで最初の問いかけに戻る。「太田裕美という歌手のどこが好きだったか」と言う問いかけにはあまり意味がない。単に顔が可愛いとか声が綺麗だとか言った、表面的な魅力だけの歌手ではなかったし、そもそも歌手一人の問題でもない。僕は詞や曲を含めて、作り上げられた世界すべてに心酔していた。太田裕美はその物語を表現する人であり、かつそれを表現しきれる実力を備えた歌手だったのである。

 もしかしたら「映画を見る人が物語に感情移入してしまうのと同じ状態だった」というのが一番わかりやすい説明かも知れない。例えばスタジオジブリの映画が大好きで、そればかり何度も繰り返して観る人というのは、声優の声が素敵だからとか絵が綺麗だからという、表面的な理由だけで見ているのではない。物語の世界に酔いしれているのである。そういう人は、しまいにはセリフの一つ一つまで覚えてしまうだろう。当時の僕がまさにその状態だった。

 一人の歌手をプロデュースして売り出すということは一大プロジェクトであり、その歌手が売れたとか、ある曲がヒットしたというのは、それに携わる人の総合力が発揮された結果である。太田裕美という歌手の名前は、今でも確かに歌謡界に刻まれている。すごいプロジェクトだったんだろうなあと改めて思う。

 嗚呼。こうやって書いていると、語りたいことが後から後から湧いて出て来てキリがない。じっと我慢して、今回はこの辺で終わりにしよう。



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