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ラジオ音響技能検定試験の話(1) [ラヂオ]

 先日11月9日に、ラジオ音響技能検定試験というのを受けてきた。「そもそも、これがどんな試験なのか」とか、「なぜ受験したか」を書こうと思ったのだが、そのための調べものをしていたら、面白い発見があったので、それを合わせて書いてみたいと思う。

 まずは歴史から。1926年に元号が昭和に変わった。その直前、1923年(大正12年)には関東大震災が起こったし、直後の1929年には世界恐慌が始まった。1931年に満州事変、1937年に盧溝橋事件から日中戦争、1941年の真珠湾攻撃から太平洋戦争が始り1945年(昭和20年)に終戦。昭和の始めの頃は、不幸な出来事が立て続けに起こった、暗い時代だった。

 日本でラジオ放送が始まったのは1925年(大正14年)だった。しかし「ぜいたくは敵だ」とか「欲しがりません 勝つまでは」などと言っていた時代にあっては、一般家庭の中にラジオが浸透する状況ではなかったのではないだろうか。

 ラジオの受信機が日本で急速に普及し始めたのは、終戦後だったようだ。娯楽番組やニュースはもちろん、尋ね人のコーナーなんかもあったという。つまり出征したまま戻って来ない兵士や、戻って来たのに家族が焼け出されて見つからない人など、戦後の混乱の中でたくさんいたと思う。そうした行方不明者へ向けて、ラジオを使ってメッセージを送りたい人がたくさんいたのだろう。

 言うまでもないが、テレビやインターネットは、この当時は無く、電波を使ったマスメディアはラジオだけだった。だから人々はみんなラジオを欲しがった。現代人がスマホを欲しがるのよりも、もっとずっと切実な需要だったのではないかと思う。しかしメーカーが作るラジオは高価だったし、当時は真空管式だったから故障も多かった。

 その結果、自分で部品を買って、ラジオを組み立てて、それを売ったり修理したりするラジオアマチュアがたくさん現れた。それがこの時代のニーズだった。アマチュアからプロの電気屋(ラジオ屋)になった人もたくさんいただろう。(僕はこの時代に生きていたら、きっとこの仕事をしていたと思う)

 そして、ラジオの部品の供給基地が秋葉原だったわけである。最初は露天商の集まりだったが、やがて今でもあるラジオセンター、ラジオガァデン、ラジオデパートといった商店街に整理されていった。もうそのネーミングからして、全くそのまんまである。つまりそこを端から端まで歩けば、ラジオをつくるための部品が一式手に入ったのである。

 このような時代背景があって、終戦から2年経った1947年、ラジオ教育研究所という法人が設立された。そしてアマチュアのラジオ技術者を養成する通信講座を開講した。この講座は1948年の認定以来、長年にわたって、ラジオ技術の唯一の文部省(当時)認定通信教育であり、毎年数千人が学んでいたという。

 僕が小学校6年生のとき(1975年)に雑誌の広告で知った、ラジオ教育研究所の通信講座がまさにこれだった。(つづく)

***
(参考文献)
この時代のラジオの歴史は、下記に詳しい。
・「ラジオの歴史 ~工作の文化と電子工業のあゆみ~」高橋雄造 法政大学出版局
・「エレクトロニクスの100年」下村隆一 誠文堂新光社 
・「秋葉原、内田ラジオでございます」内田久子 廣済堂出版

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