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ラジオ音響技能検定試験の話(2) [ラヂオ]

(つづき)
 下の写真は、当時僕が愛読していた「模型とラジオ」という雑誌である。これはずっと保管していたものではなく、古書店で入手したもの。こういう雑誌もだんだん入手しにくくなっているが、探せばあるものだ。
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 写真に写っているのは1975年8月号と1976年1月号で、後者は記事に記憶がある。なつかしい。ただ記事の話はさておき、今お見せしたいのは、1975年当時のラジオ教育研究所の広告である。この当時、ラジオ工学講座、オーディオ講座、アマチュア無線講座、という3つの通信講座があったようだ。
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 少年の心をくすぐるような文が書いてある。

「今やエレクトロニクスの時代。このエレクトロニクスの基礎がラジオ技術だ。ラ研の「ラジオ工学講座」ならわかりやすい教材と、一流の先生方の指導で、初心者のキミでも、短期間にラジオの基礎から、組立、修理技術まで、確実にマスターでき、自作もできます。カッコイイ技術者の「ライセンス」技能検定資格も取れるゾ!!」

「★手作りラジオは、ガールフレンドへのプレゼントになったり、キミの部屋を飾るアクセサリーになったり、ワイドに活躍してくれます。サァ、キミもさっそく作れ!!」

・・・まあガールフレンドへのプレゼントにはなるかも知れないが、あんまり喜びそうもないし、ラジオがインテリアになるとしたら骨董品であろう。なんでもかんでも少年の心を引こうとする必死さが面白い。

 この広告の見開きの上のノドの部分には、案内書の申し込みハガキがついていたはずだが、切り取られている。つまりこの本の前のオーナーの少年が案内書を請求したということである。そんな事が読み取れるのも古書の面白さである。僕も当時、このハガキを使って案内書を請求した。ラジオ工学講座の受講料は、当時のお金で21000円だった。

 受講したかったのだが、そういう金額が、そう簡単に出てくる家庭ではなかった。ねだったところで出してもらえるわけがないと思い、言い出さないまま受講はあきらめた。(同じ頃に同じ値段の天体望遠鏡を買ってもらったばかりだったし)ちなみにこの金額を覚えているのは、その案内書を何度も取り出して眺めていたからである。

 案内書には、受講終了生の声として「小さな電気店を開業。アフターサービス万全と、結構繁盛しています」などと書かれてあった。当時は、このことに何の疑問も持たなかったが、歴史を知った今なら、この案内書の意味するところがわかる。この通信講座ができた終戦直後の時代背景がそこに残っていたのである。(この案内書、捨ててしまったけど、とっておけばよかった)

 実際のところ、終戦の1945年と、そこから30年も経った1975年では状況が異なっていた。終戦直後、生きることに必死だった人々は、ラジオの販売や修理を生活の手段にしようとした。しかし1975年頃は、生活は豊かになり、技術も真空管の時代からトランジスタの時代へ移行した。電子機器の故障はほとんど起こらなくなり、ラジオの修理が儲かるビジネスだった時代はすでに過去のものになっていた。

 ラジオ作りが「生活の手段」から、「技術的な趣味」になったことは、別段悲しむべきことではない。むしろ、そこから入門して日本の電子産業に貢献する技術者がたくさん育ったことは喜ばしいことである。ただ、ラジオ教育研究所が設立された経緯や、その時代と自分が興味をもった時代とのズレを知ってしまい、今、何とも言えない感慨を覚えている。

 僕は1975年当時、電気店を開業する夢をもっていたわけではない。純粋に技術的な好奇心で勉強したいと思っていた。特に魅力的に感じていたのが、上の広告の中の、「カッコイイ技術者のライセンス、技能検定資格も取れるゾ!!」というところだった。
(つづく)

***
(参考) ラジオ教育研究所は、現在「ユーキャン」として、幅広く通信教育ビジネスを続けている。(沿革に興味のある方はWIKIを参照) ユーキャンのサイトで、現在の電気関係の通信教育を調べてみたところ、電験三種が69000円、第二種電気工事士が63000円。1975年当時のラジオ技術講座も今の時代の金額にしたら、このくらいの値段だったのかな、と思ったりする。


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