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笠ヶ岳に登る(4) [登山]

 翌朝(8月7日)、早朝4時半頃に山小屋を出て20分で山頂に着いた。まずは記念撮影。
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頂上には立派な祠がある。
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 日の出までの間、頂上ではみんなこんな感じでそのときを待っている。
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 5時10分頃、ちょうど槍ヶ岳の左側(北側)から日が昇ってきた。もちろん季節によって、日が出る位置は変化するはずである。計画的にこうなったわけではなく、偶然であるが、この記事を読んでいる方で、こういう写真に興味のある方は、「8月7日に笠ヶ岳から日の出を見るとこうなる」、と覚えておいて損はないと思う。
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 このシリーズの冒頭で、新田次郎の「槍ヶ岳開山」に触れた。あくまでも「小説では」、という前提での話であるが、播隆は僧侶になる前は米問屋の番頭だった。この米問屋が、飢饉に端を発した百姓の打ち壊しに襲われた。混乱の中で播隆は、自分の妻を誤って殺してしまう。そしてそれを苦にして出家したということになっている。

 播隆は、師匠や村人に乞われて、40年前に開山した笠ヶ岳を復興した。そしてその頂上に、亡くなった妻が阿弥陀如来に化身して降臨し、槍ヶ岳の方向に飛んで行って消えた。播隆はこれを見て、槍ヶ岳を開山しようと決意する。

 ・・・あくまでも「小説では」そうなっている。実際の播隆の伝記では、そのようなドラマチックな話はないけれども、笠ヶ岳を復興したことと、槍ヶ岳に初登頂したことは確実な史実のようだ。(注1)この小説を読んで、笠ヶ岳から槍ヶ岳を見てみたいとずっと思っていた。
(つづく)

***
(注1)参考文献・・・穂苅三寿雄・穂苅貞雄「槍ヶ岳開山 播隆」大修館書店
 この本には、播隆の生い立ちをはじめとして、新田次郎が「槍ヶ岳開山」を執筆するにあたり、著者の穂苅氏のところに取材に来たことや、小説が史実と多くの点で異なっており、ある寺院が新田氏に抗議したことなどが書かれている。

 小説を史実と同じに書かなければならないという厳密なルールはない。そんなルールがあれば歴史小説は書けなくなる。でも史実に取材して小説を書く場合は、どこが史実でどこが創作なのか、特に重要なポイントについては出版社が解説を加えて欲しいと思う。

 この小説の中で播隆が妻を誤って殺したということは、最初から最後まで一貫して播隆が苦悩する重大なテーマになっている。だから読者にとっては強く印象に残り、史実であると誤認しやすい。これが史実として広まれば、身内の寺院にとっては、「虚偽によって偉大な人物の名誉を傷つけた」ということにもなる。

 この設定は、「小説なのだから創作に決まっているだろう」と簡単に片づけられない重さがあると僕は思う。



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