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奥穂高岳に登る(3)【涸沢から白出のコルまで】 [登山]

 下の写真は、涸沢ヒュッテから、涸沢岳を見上げたもの。ちょうど雲が晴れて、頂上が見えている。右側の尖った部分が涸沢槍(からさわやり)、頂上の左側に白出(しらだし)のコルがあり、そこから下の方に”ザイテングラート”と呼ばれる岩稜が伸びている。
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 雪渓を越えて涸沢カールを登る。カールとは氷河に削られた地形をそう呼ぶらしい。ここに氷河があったのは2万年も前なのだそうだ。山の地形には凸も凹もあるが、カールというのは巨大な凹である。こういう所を歩いていると、やっぱり自然の大きさ、人間の小ささを実感する。
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 下の写真は、ザイテングラートを少し離れたところから見たもの。ちょっと拡大すると人が歩いているのが見える。
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 ザイテングラートとはドイツ語で、 ”支稜線、支尾根”、と言った意味らしい。実際にどんなところかというと、写真からわかるように、涸沢カールの上の方の斜面にモヒカン頭のようにモッコリ盛り上がった場所があって、ここが岩稜になっている。手足をかけるところがたくさんあって登りやすいから、ここに登山道が付けられたのだろう。ただ、ひと息ついて写真を撮れるような余裕も場所もほとんどなく、かなり体力を消耗した。
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 ここを登り切ると、白出(しらだし)のコル。涸沢岳と奥穂高岳の間にある鞍部で、穂高岳山荘はここに作られている。大正13年、穂高の案内人だった今田重太郎氏が、仕事を通じて穂高の稜線に避難小屋が必要であることを痛感し、この場所に「穂高小屋」という小さな小屋を作ったのが始まりなのだそうだ。生涯を穂高に捧げた偉人。この人のことは今回、穂高に登って初めて知った。
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 やっぱりこの場所(白出のコル)に小屋があるのとないのでは大違いだと思う。登山者が休息宿泊できるのはもちろんだが、奥穂の山頂付近で事故が起こったときに、負傷者を収容することもできるし、しかも小屋のすぐ隣にヘリポートがあって、救助ヘリが着陸できるようになっている。どんな分野でもそうだが、「世の中で初めてやる」というのは偉大なことなのだ。

 下の写真は穂高岳山荘のすぐ隣にある、奥穂の山頂に向かう最初の難所。
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 我々が山荘に到着して、間もなく夕立が降り始めた。山の天気は変わりやすい。翌日8月7日はいよいよ、奥穂高岳と前穂高岳に登頂する。山小屋に掲示された翌日の天気予報では未明は晴れ、朝6時に晴れから曇りに変わり、正午頃、曇りから雨に変わるという。好天を祈った。
(つづく)

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