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奥穂高岳に登る(5)【奥穂から前穂まで】 [登山]

 奥穂の山頂から吊尾根を通って紀美子平へ向かう。”○○平”という名称から、岩稜の中にちょっと広いところがあるのだと想像していたが、全然そんな広い所ではない。でも登山者はみな、ここにリュックを置いて、前穂の山頂を往復する。
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 “紀美子平”の“紀美子”というのは、今田重太郎氏の娘の名前で、重太郎新道を拓いているときに、この場所にテントを張り、当時5歳だった紀美子を寝かせていたことからそう呼ばれるようになったという。(よく落ちなかったもんだな)

 我々もここにリュックを置いて、前穂の山頂へ向かった。山頂には、人がいたので、3人の写真を撮ってもらった。ここの山頂は、ある程度の広さがあって、奥穂の山頂よりも快適だった。

 紀美子平から山頂を見上げる。
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 前穂の山頂から、奥穂を見る。
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 奥穂をバックに。
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 下の方には横尾山荘と吊り橋が見える。
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 前穂から紀美子平に戻り、ここを出発したのは、10時半頃。ここから先は、重太郎新道をひたすら下って岳沢小屋まで行く。実は僕は、この道は、高度のあまり変わらない尾根だと思っていた。なんの根拠もなく、地図を見てなんとなくそう思い込んでいたのだが、大間違い。岩稜の急降下で、簡単に言えばザイテングラートを下っているような感じの道だった。

 吊尾根にしても、重太郎新道にしても、そうそう簡単なルートではないし高度感があって結構怖い。でも、足元に集中しながら、長いこと歩いていると、恐怖感が薄れたり、全く無くなったりしていることがある。これは今回の山行での新しい発見だった。

 そもそも、なぜ高いと怖いのかと言えば、それは「落ちて死ぬことを想像するから怖い」のであって、その逆を考えれば「何も想像しなければ怖くない」ということである。

 危険な場所を歩くときは、もちろん落ちないように足元に集中する。命がかかっているから、リラックスした気分で出来ることではない。集中力が極限まで高まる。そうすると自分がそこから落下するイメージが頭の中から完全に消滅してしまうのである。そして「何も想像しなければ怖くない」という境地に至る。仏教でいうところの「涅槃」に似ていないだろうか。
(つづく)

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