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源氏物語を読みたい(2) [読書]

 「あさきゆめみし」を読んで気づいた時代のギャップの中で、もっとも重大と思われること、それは、「平安時代は医療が未発達で、人が病気で簡単に死ぬ」という厳しい現実だった。(注1)現代では、病気にかかったときは、病院に行けばお医者さんがいて、いろいろ調べて治療してくれる。しかし平安時代では、病気の治療イコール祈祷であった。僧侶を呼んで御仏に祈ることしか方法がなかったのである。そんなことで病気が治るわけがない。少なくとも現代人の我々はそう承知している。

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 主人公の光源氏を生んだ桐壺の更衣という人は、もともとそんなに健康な人では無かった。そこへ加えて、帝の寵愛を一身にうけたことから、周囲の女御・更衣の反感を買って陰湿なイジメに遭い、ストレスから病気になってしまった。その病名がなんなのかはわからないが、とにかく光源氏が三歳のときに死んでしまった。

 ちなみに女御とか更衣というのは、帝の夜の相手をする女性である。帝のお后候補になる人だから大臣の娘など地位の高い女性達であり、いわゆる市井の娼婦などとは違う。こういう人達を後宮に何人も住まわせて、帝が順番に回って夜の営みをするということが行われていた。なぜこういう制度があったかというと、それは端的に言えば、人が簡単に死ぬからだと言ってよいと思う。

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 こんな時代では、乳幼児の死亡率だって非常に高かったと思う。帝のお后が一人の場合、その人に子供が出来ないかも知れないし、お后が子供を産む前に死んでしまうかも知れない。生んだとしてもその子供がすぐに死んでしまうかもしれない。そうなれば皇統が途絶えてしまう。皇室はこれを恐れ、強大な権力を背景にお后候補(女御・更衣)を何人も持って、子供をたくさん産ませたのだろう。

 言ってみれば、人海戦術によるバックアップ体制を構築(注3)しているわけで、現代の我々の感覚からすれば、考えられないことである。(注2)しかし医療が発達していない時代において皇室がその血を絶やさないためには、とにかく子供の人数を稼ぐしか方法がなかったのだろう。以前の僕は、ただ単に昔の権力者が肉欲丸出しの助平だからこういうことをするのだと思っていた。もちろんそれもあったとは思う。が、そうそう単純ではないことが良くわかった。

(つづく)

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(注1)人生50年、なんて言われていた時代があった。これは40代、50代になると、現代で言うところの成人病(生活習慣病)にかかり、医療が未発達の頃はこれに抗う術がなかったということなのだろう。昔の人が今に比べて早婚だったというのも、これで説明がつく。子供が作れる体になったらさっさと作っておかないと、あっという間に寿命が尽きてしまうのだから。

(注2)現代では医療も避妊の技術も発達して計画的な出産が出来るようになっているし、子供は天からの授かりものだから、という考えが広く定着し、子供のいない夫婦でも円満に生活している。ただし少子高齢化が進行するということも、国家的な問題として浮上している。平安時代と現代を比較することで改めて見えてくることもあって興味深い。

(注3)帝が一人の更衣だけを寵愛することは、この趣旨に鑑みても宜しくないことは明らかである。


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