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平家物語を読みたい(3)保元の乱・平治の乱(パート2) [読書]

2012年放送のNHK大河ドラマ「平清盛」の解説本(NHK大河ドラマーストーリー)。
全50回の内、平治の乱が終わるのが第28回。最終回(第50回)では清盛が死に、壇の浦の合戦まで一気に終了。
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(つづき)(平家物語が始まる前段階の保元の乱、平治の乱について整理中)

 さて、可愛くない子供に天皇の位を譲った鳥羽上皇は、璋子(たまこ)の他に、エロくない、ちゃんとした奥さん(得子(なりこ)=美福門院)をもらい、この人が子供を産んだ。当然ながら鳥羽上皇は自分の本当の子供が可愛いから帝にしたい。だから崇徳天皇に譲位を迫った。結果、崇徳天皇は崇徳上皇(院)になり、可愛い子供は近衛天皇として即位した。ところがその後、近衛天皇は眼病が元で早世してしまう。子供がいなかったので、ここで後継者争いが起こった。

 実は皇族の後継者争いだけではなく、摂関家(藤原家)の争いもあってこれが皇族と絡み合っていて、もっともっと複雑である。(藤原忠実+頼長 VS藤原忠通) でも長くなるので、ここでは省略する。(注1)

 さて皇族の争いに戻ると、まず崇徳上皇は自分の子供を帝にしたい。でも鳥羽上皇は崇徳上皇が嫌いだから、そうさせない。鳥羽上皇は近臣らといろいろ画策し、自分の第四皇子の、流行り歌(今様)が大好きで、フラフラ遊んでいたやつをとりあえず即位させた。これが後白河天皇である。(注2)

 結果として、崇徳上皇と後白河天皇の間に対立が起こり、これが周囲の公家や武士を巻き込んでいった。そして1156年、鳥羽上皇が亡くなったときに双方が武力衝突。後白河天皇側の勝ちとなった。1日であっと言う間に終わったというのがすごいところである。負けた崇徳上皇は讃岐に流された。これを保元の乱という。このとき源義朝と平清盛は後白河天皇の側についていた。

 保元の乱の結果、信西(しんぜい)という僧侶が実質的な権力を握った。信西は後白河天皇擁立を裏で画策した人物の一人で、戦後処理だの内裏の新築だのと敏腕を振るった。そうすると今度はそれに割を食う人が出てきて、彼らの恨みを買うようになった。こうして“反信西”の雰囲気が次第に醸成され、やがて信西殺害計画が持ち上がる。

 後白河天皇は、譲位して後白河上皇になった。上皇が重用した公家で藤原信頼(のぶより)という人がいて、この人が1159年、源義朝と組んで兵を挙げ、信西を襲った。信西はこの動きを事前に察知して逃亡したが、結局追い詰められて自害した。

 信西が襲われたとき、平清盛は熊野詣(注3)に出かけていて留守だった。つまり信西殺害は清盛の留守の隙を意図的に突く計画だったということである。清盛は信西側だったから、京に戻ってすぐ反撃にでた。信頼は殺され、源義朝は逃げる途中で殺された。これが平治の乱である。

 結局どちらの乱も武士の力で一気に片付いたというのが重要な所である。ここへきて武士の存在感が一気に高まったと言われている。しかも源義朝の三男の源頼朝、妾の常盤御前、その子供の義経、これらみんな、本来なら殺されるところだったが、清盛が殺さなかった。

 まず頼朝は、清盛の義母の池禅尼(いけのぜんに)が「家盛の幼い頃によく似ている」と言って助命を嘆願。清盛はこれに折れて、頼朝を伊豆に流した。それから常盤御前は美人だった(注4)ので、清盛がエロガッパぶりを遺憾なく発揮して愛人にした。常盤は子供の命を救うためにそうせざるを得なかった。これで義経(当時は乳飲み子)も助かった。

 素人の僕から見て、平治の乱の結果として、武士、特に平家が頭角を現したというのは確かに有ると思うのだが、それに加えて、この源氏の一族の助命という部分もかなり重要であると思われる。何しろ頼朝は成長して平家打倒のリーダーになり、義経は壇ノ浦で平家一門にトドメを刺すことになるのだから。いよいよ平家時代到来というとき、同時に滅亡の布石が打たれている。出来すぎたドラマだ。
(つづく)

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(注1)興味のある方は「保安元年の政変」で検索されたし。

(注2)後白河天皇・・・この人は最初はアホかと思われていたらしいが、後に源頼朝から「日本一の大天狗」と評されるような策謀家だった。この人をテーマにして小説が一冊書ける(井上靖「後白河院」)くらいだから、そりゃあまあいろいろ有ったということだろう。

(注3)熊野詣(くまのもうで)・・・院政の時代、京の都では熊野信仰が流行ったそうで、都の人々は天皇も公家も武士もみんな参拝に出かけたらしい。紀伊半島の南にあるから都から往復するにはそれなりの日数がかかる。地図上で測ると、京都~熊野は、直線距離にして東京~静岡くらいの距離がある。

(注4)常盤御前(ときわごぜん)・・・もとは九条院(近衛天皇の中宮)に仕える雑仕女(ぞうしめ)だった。九条院が都の中から選んだ千人の美女の中でもっとも美しかったという。現代で言うなら、国民的美少女コンテストでグランプリを取るレベルではないだろうかと想像する。2012年の大河ドラマ「平清盛」で常盤御前を演じた武井咲は、まさにその国民的美少女コンテストの出身だそうだ。でも常盤だけでなく、大河ドラマにでてくる女優ってそのクラスの人ばっかり。

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