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平家物語を読みたい(8)以仁王の乱 [読書]

(勉強会も半分が終わり、今、前半の振り返りを書いています)

以仁王.jpg

 平家の支配に不満を抱く人の中から、源三位頼政(げんさんみよりまさ)という人が、以仁王(もちひとおう)という人に謀反をもちかけた。以仁王は、後白河院の息子で、高倉天皇の兄にあたる人である。高倉天皇に嫁いだ清盛の娘の徳子(建礼門院)が子供を生み、この子供が安徳天皇として即位した時点で、天皇になる道を完全に断たれてしまったという、知名度はあるが権威の無い人だった。

 頼政は朝廷に仕える身で、かつては平家とも良好な関係にあった。しかし清盛の息子(宗盛)から、自分の息子(仲綱)がある辱めを受けたため、これの報復のために以仁王に謀反を持ちかけた、ということになっている。実際はそんな単純な理由だけとは思えないが、ようするに引き金はなんだっていいのであり、世の中全体がそのような空気になっていて、いつ誰が挙兵してもおかしくない状況になっていたのだろう。

 以仁王は、頼政の勧めに従って全国各地の源氏に令旨を出し、挙兵を呼びかけた。その中には、平治の乱で伊豆に流されていた源頼朝も、それから木曽の義仲も、そして陸奥にいた義経も含まれていた。

 さて以仁王の、この挙兵の計画は、初期の段階でばれてしまう。清盛は以仁王をとらえるべく検非違使(現在の警察に相当)を差し向ける。これを察知した以仁王は三井寺(注1)に逃れた。以仁王の味方の侍達も三井寺に集まった。三井寺の僧侶たちは、延暦寺と奈良の興福寺に対して支援を求めたが、延暦時は回答を保留。よい返事は興福寺からしか得られなかった。

 三井寺軍は、清盛の邸宅を夜襲する計画を立てたが、内輪の中に平家側の人間がいて足を引っ張り失敗に終わった。そして平家側の反撃の準備が整う前に、南の興福寺に合流する必要があると判断し、移動を開始した。奈良に向かう途中に宇治川があり、その南側に平等院がある。以仁王の疲労が激しく、平等院で休息をとることにしたが、ここで平家に追いつかれてしまった。

 三井寺軍は宇治橋を壊し、北から攻め込む平家を食い止めた。川の北と南で矢の打ち合いが起こった。しかし多勢に無勢で、やがて平家軍は水かさの増した川を馬でギリギリ渡り、平等院に攻め込んだ。頼政はここで命運尽きて自刃。(注2)以仁王は味方が食い止めている間に先に興福寺に向けて出発したが、光明山というところで平家に追いつかれ、討たれてしまった。このとき興福寺の軍勢は、以仁王に合流するために、あと5kmのところまで来ていたという。ああ、もう少しだったのに・・・

 こんな感じであらすじを書いてしまうと、さらっと終わった感じになってしまうが、実際の本を読んでいると、本当に手に汗握るような攻防が描かれていてハラハラする。この迫力は本当にすごい。琵琶法師の語りに夢中になって聞き入る昔の人々の様子が目に浮かぶようだ。

***
(注1)三井寺(みいでら)とは通称で、正式な名称は園城寺(おんじょうじ)。比叡山延暦寺の末寺。平家物語には、三井寺と園城寺の両方の記述があるがこの記事では三井寺に統一する。琵琶湖の南、大津の近くにある。
(注2)平等院の近くに頼政の墓がある。


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