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平家物語を読みたい(13) 維盛と滝口入道 [読書]

 明治27年(1894年)に発表された、高山樗牛の「滝口入道」(注1)という小説がある。この小説、平家物語を題材にしたもので、一ノ谷の合戦のあと、維盛(=重盛の子=清盛の孫)が屋島を抜け出して、高野山に登るいきさつが書かれているのだが、これが平家物語よりも面白い。だからここの話は、小説の方で紹介したい。ただ平家物語とはちょっと違う部分はあるので、そこは注記を入れることで明らかにする。(注2)

***
■平家全盛の時代、ある花見の宴のときに、建礼門院(注3)に仕える横笛という女房が舞を披露した。重盛に仕える武士の斎藤時頼は、その美しさに一目惚れし、恋文攻勢が始まった。しかし横笛に恋する男がもう一人いて、横笛のところにいた老婆を買収して斎藤時頼の悪い噂を流し、横笛を自分の方に振り向かせようと画策していた。横笛は二人の男性から同時に言い寄られ、為す術を知らず、結局時頼に返事を書くことはなかった。(注4)

■しかも時頼は父親から身分違いの恋を強く反対された。「好きでもない人と結婚するつもりもないが、親に背くこともできない」と悩んだ末、時頼は出家してしまった。横笛は、自分が何もできずに時頼が出家してしまったことを知り、自分の仕打ちを悔やんだ。そして時頼が嵯峨の往生院というところで修行しているという噂を聞き、一人でそこを訪ねた。しかし時頼は人違いだ、と横笛を追い返してしまった。(注5)

■その後、時頼(=滝口入道)は、巡錫(注6)の途中で、休ませてもらった民家の老婆から、偶然にも横笛の消息を知らされることになった。その月の初めに、近くの草庵に美しい尼僧が住み着いた。村人たちは、尼僧は俗名を横笛といい恋に破れて出家したらしい、と噂した。思い患うことがあったのか、尼僧は程なく帰らぬ人となった。村人たちは草庵の傍らにその人を埋葬したという。滝口はこの話を聞いて落涙し、墓を訪れ、横笛の冥福を祈った。(注7)

■時は流れ、重盛、清盛は世を去った。頼朝が挙兵し、義仲が都へ侵攻。平家は都を追われた。維盛は一ノ谷の合戦のあと、付き人の足助二郎重景(あすけじろうしげかげ)とともに屋島を抜け出し、そのとき高野山にいた滝口入道を訪ねた。そして、出家をして姿を変えて都に戻って妻子に会いたいと言った。滝口は生前の重盛から「これから平家は衰退していく。維盛は頼りないからお前が支えてやってくれ」と言われたことを思いだした。(注8)

■その夜、維盛の付き人の重景が滝口の部屋に来て、昔のことを懺悔した。滝口が横笛に恋していたときに、横笛のところにいた老婆を買収して滝口の悪い噂を流し、横笛を自分の方に振り向かせようと画策していた男は重景であった。「貴殿を出家に追い込んだのも、横笛を死なせてしまったのも、元をたどればみな自分のせいである。許して欲しい」と詫びた。滝口は、このことは感づいていたし、何事も過ぎた昔は、恨みもなく喜びもなしと言い、水に流した。(注9)

■滝口は重盛の遺言、維盛の名誉を思い、翌朝、維盛を諫めた。「武士ならば、たとえ負け戦でも、敵に最後の一矢を報いて討ち死にするのが道であろうに、平家の嫡流が、こともあろうに自分だけ逃げ出すとは何事か。すぐにでも屋島に戻って一門と運命を共にすべし」(注10)維盛は返す言葉もなく、翌日、滝口が外出している間に高野山を下りて、和歌の浦で重景とともに入水した。滝口入道は、これを知り、後を追うように切腹した。(注11)

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・・・というストーリーなんだが、どうだろう。僕としては自信を持って人に勧めたい本である。(まあ全部語ってしまったあとで勧めるのも何だが)文語体を読むのにいささか苦労するが、美しい日本語なので時間をかけて読む価値はある。なお僕がこの小説で一番心を打たれたのは、滝口が横笛の墓参りをしたときの描写だった。ここは小説をそのまま引用して紹介したい。嗚呼、諸行無常。

 「滝口入道、横笛が墓に来て見れば、墓とは名のみ、小高く盛りし土饅頭の上に一片の卒塔婆を立てしのみ。里人の手向けしにや、半ば枯れし野菊の花の倒れあるも哀れなり。辺りは断草離々として跡を着くべき道ありとも覚えず、荒れすさぶ夜々の嵐に、ある程の木々の葉吹き落とされて、山は面痩せ、森は骨立ちて目もあてられぬ悲惨の風景、聞きしに増りて哀れなり。ああ是れぞ横笛が最後の住家よと思へば、流石の滝口入道も法衣の袖を絞りあへず、世にありし時は花の如き艶やかなる乙女なりしが、一旦無常の嵐に誘はれては、いづれ逃れぬ古墳の主かや。 ・・・」


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(注1)滝口入道(たきぐちにゅうどう)・・・帝の住む清涼殿(せいりょうでん)を警護する武士の詰め所が、水路の落口の近くにあったことから、警護の武士は滝口武者と呼ばれていた。主人公の斎藤時頼は滝口武者であったことから斎藤滝口時頼と呼ばれていた。この人が出家して滝口入道と呼ばれるようになった。
(注2)ネタバレになってしまうが、だいぶ古い小説で、あらすじを紹介するくらいは許されるだろう。かつては岩波、新潮、角川から文庫本が出ていたが、今はすべて絶版で、古書でしか手に入らない。なおこれから入手しようとする人がいたら角川を薦める。挿絵が入っていて雰囲気が良いし、また難解な言葉の注釈がその言葉のページに載っている。(新潮は巻末に一括。岩波は注釈がない)
(注3)建礼門院・・・清盛の娘。高倉天皇に嫁いで安徳天皇を生んだ。結果、清盛は天皇の祖父ということになる。
(注4)花見の宴、第三者の裏工作などは高山樗牛の創作。平家物語では時頼と横笛は登場したときにすでに恋仲になっている。
(注5)平家物語では、時頼が、恋仲になっていた横笛を一方的に捨てることになっていて、あまりの冷酷さに違和感を覚えるが、小説では、恋仲になる前に時頼が相手にされず失恋したことになっていて、横笛の方にある程度の過失を設定している。
(注6)巡錫(じゅんしゃく)・・・僧侶が各地を回って人々を教化すること。
(注7)平家物語では、滝口は、自分が出家したあとで横笛も出家したことを知り、一度は文(歌)を交わしたりなどしている。しかし小説の方では「横笛が出家していた」という事実を知ったとき横笛はすでに亡くなっていた。その方が物語の演出としてはドラマチックだ。
(注8)平家物語では、生前の重盛と斎藤時頼が話をするシーンはなく、また維盛は出家して熊野三山に参拝して入水したいと考えていて、滝口入道はこれらすべてを手助けしている。
(注9)この懺悔も、平家物語にはない高山樗牛の創作である。横笛の話と維盛の話は平家物語では、無関係のエピソードになっているが、付き人の重景をこういう悪役に仕立てることで、二つのエピソードが上手く結びついている。
(注10)諫めるシーンは小説の創作である。高山樗牛には「滝口は入水の手助けなんかしていないで維盛をこう諭すべき」という思いがあったのではないか。
(注11)平家物語では、維盛の入水のあとの滝口の消息は書かれていない。


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