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平家物語を読みたい(16) 決戦!壇ノ浦 [読書]

 さて、屋島の合戦が終わったあと、平家一族は、彦島に逃げ込んだ。ここは、本州の最西端である。
屋島と彦島.jpg

 壇ノ浦の合戦の前、平家を取り巻く環境がどうなっていたのかをちょっと整理してみた。というのは、屋島が終わったあと、近くの有力者たちの寝返りが結構起きていて、壇ノ浦のとき、実際はもう放っておいても負けるような状態になっていたのだ。

 まず九州。義仲に京を攻められて都落ちをしたときに、平家一族は一旦太宰府に入ろうとしたが、地元の侍がすべて源氏方についていて追い出されてしまい、居場所がなくなった結果、屋島に落ち着いたという経緯があった。

 つぎに熊野権現の別当、湛増(注1)。この人はもともと平清盛と良好な関係にあったが、戦況が源氏に有利になり、リーダーとして源氏につくか、平家につくかの判断を迫られた。平家物語には書かれていないが、源氏と平家、双方から味方につくように迫られていたようで、中立という選択肢はなかったようだ。湛増は戦の行方を闘鶏で占い、源氏につくことにしたという。平家にとっては神に見放されたも同じである。

 それから、四国の有力武将たち。伊予の武将、河野通信(こうのみちのぶ)、この人はもともと源氏方だった。彦島に対して四国のこの位置に味方がいるというのは源氏方にとってはかなり有利だったのではないか。

 また四国の最大勢力の田口家は平家方であったが、屋島のあと、義経の部下の説得工作により田口教能(たぐちのりよし)が投降。総勢3000騎が源氏方につくことになった。そして極めつけが、田口重能(たぐちしげよし)。この人は田口教能の父親で、壇ノ浦の合戦の直前、息子が源氏方についたことを知り、合戦の最中に寝返り、勝敗を決定つけることになる。

 ・・・という四面楚歌の状態である。こういう場合、現代人ならば、おそらくほとんどの人が「もう無駄な殺生はやめ、平和的な説得工作に徹した方がいいのではないか」と考えるだろうし、実際そういう考えもあったらしい(注2)が、当時の武士の使命感が「敵と戦って首を取り、勝って報償をもらうこと」なので、何もせずに静観するということは、結局できなかったのではないか。これは僕の想像である。

 さて源氏が瀬戸内海側、つまり東側から彦島に攻め込もうとすれば、関門海峡を通る必要がある。屋島が終わって1ヶ月後の3月。壇ノ浦(現在、関門橋が架かっている当たり)で平家軍と源氏軍が激突することになった。
彦島B.jpg

 壇ノ浦の合戦は、海戦である。双方が船に乗って矢の打ち合いや船に飛び乗っての斬り合いをする。大将や身分の高い人たちは、唐船と呼ばれる高級な船に乗っていて、侍達はいわゆる兵船に乗るのが普通だったようだ。ところが、このとき平家方には唐船と兵船を入れ替える作戦があった。身分の高い人達を兵船に乗せ、唐船の方に侍を乗せる。すると源氏方は唐船の方を攻めてくるだろうから、そこを挟み撃ちにしようというものだった。

 ところが、この計略は失敗に終わった。というのは先に書いた、田口重能が、平家方として参戦しながら、合戦の最中に寝返って源氏につき、身分の高い人達が乗っている兵船を攻撃したので、源氏方に計略がバレてしまい、平家方は劣勢に陥った。

 壇ノ浦の合戦では、勇ましい話はあまり無いようで、どちらかというと平家一族の悲壮な死に方の描写が目立つ。とくに悲壮極まるのが、わずか8歳の幼帝、安徳天皇の入水である。時子(清盛の未亡人)が「我が身は女であっても敵の手にかかって死ぬつもりはない。帝のお供に参る。志のある者はあとに続きなさい」と女房たちに呼びかけ、「波の下にも都がございます」と帝を慰めて、曲玉と草薙剣を携えて帝とともに入水した。(注3)

 たくさんの人が入水し、ほとんどの人が死んだ。しかし建礼門院と総大将の宗盛を含む80人ほど(注5)が源氏方に助けられ捕虜になったという。三種の神器のうち八咫鏡と曲玉は入れ物が海面に浮いて見つかったが、草薙の剣は海底に沈んでしまった。源氏方が近くの海女を動員して必死で捜索したが見つからなかったという。(注4)この合戦をもって、平家はほぼ全滅し、源氏方の勝ちとなった。このあと戦後処理につづく。

 YouTubeのまんが日本昔話の公式サイトに「耳なし芳一」の話がアップされているので紹介する。壇ノ浦の合戦で死んだ平家の人々の亡霊が、芳一の琵琶の弾き語りを聞きに来る話。
下記URL。
https://youtu.be/vGxf8jgB7ds

***
(注1)熊野権現。この時代、熊野詣(もうで)が非常に流行した。清盛も重盛も詣でたし、維盛も屋島を抜け出して高野山に滝口入道を訪ねたときに熊野にも詣でている。また鹿ヶ谷の陰謀で鬼界が島に流された3人のうち俊寛を除いた2人も島に熊野権現を勧進して帰郷を祈願している。別当というのは宮司のリーダー。湛増(たんぞう)とは(わかりにくいが)人名である。
(注2)壇ノ浦の前に、京の都で後白河院と摂関家がそのような話し合いをしていたらしい。
(注3)安徳天皇は歴代の天皇の中で、戦乱が原因で亡くなった唯一の天皇である。
(注4)現在の草薙の剣は、伊勢神宮から献上されたものだいう。(Wiki情報)
(注5)平家物語の記述によると、武将38人、女房43人とある。

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青い森のヨッチン

アニメの平家物語ももうすぐ放送開始です。
けっこう期待しています。

by 青い森のヨッチン (2022-01-16 17:30) 

ひぐらし

ヨッチンさん。アニメの平家物語なんてあったんですね。初めて知りました。HPでチェックしてみました。結構面白そうですねえ。現代の作家がアレンジしているようですが、それはそれで、時代の感覚として楽しみなことです。
by ひぐらし (2022-01-16 17:42) 

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