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平家物語を読みたい(17) 平家滅亡 [読書]

 最後に壇ノ浦の合戦のあとを含め、平家一族(注1)がどうなったかまとめてみた。ただ人数が多いので、清盛の子供、孫あたりに絞る。

 まず長男の重盛と次男の基盛は父親よりも先に亡くなっている。重盛の長男の維盛は都落ちの最中に屋島を抜け出して滝口入道を訪ね熊野で入水した。(これは「維盛と滝口入道」のところで紹介)その息子の六代(注2)は、壇ノ浦が終わった時点で8歳だった。

 嫡系中の嫡系であったが幼かったので、女房たちが文覚(頼朝に蜂起を勧めた僧)に助けを求めた。文覚は鎌倉まで行き頼朝に六代の助命を嘆願し、結果、助けられた。頼朝の立場としては文覚にも義理があったし、また平治の乱のときに、清盛に殺されるところを重盛に助けられた恩があったので、その孫を助けた形になった(注3)。

 その後、六代は出家して仏道修行に励んでいたが、20年ほどたって(時は鎌倉時代)文覚が不祥事を起こしたときに連座責任で30歳を過ぎたころに殺された。この人が死んだ時点で、清盛の子孫の男系が完全に滅びたことになる。

 三男の宗盛。二人の兄が早く亡くなってしまったので、嫡男として一族を率いる立場になったが、この人は元々そういう方面に向いていない人で、平家物語では、かなりカッコ悪い役回りになっている。そもそも義仲が京に攻め寄せたときに、戦いもせずに都落ちを決めたというのが、すでにカッコ悪い。

 さらに壇ノ浦では、みんなが入水するから自分も入水しようか、と迷っていたので、見ていた近くの侍がイライラして海にドボンと突き落とした。これを見た息子の清宗も一緒に飛び込んだ。ところが親子そろって泳ぎが得意だったため死にきれず、清宗は「父上が沈んだらあとを追う」と思い、宗盛は「息子が沈んだらあとを追う」と思い、互いに様子を見て浮いていたら、源氏に助けられてしまった。

 義経は宗盛親子を捕虜として鎌倉に連行した。その道中で宗盛は義経に「なんとか助けてくれ」と命乞いをしている。義経は「鎌倉殿は情け深い方だから島流しくらいで助かるだろう」などと慰めたが「たとえ流されるのが蝦夷地であっても生きていたいものだ」などと言ったという。武士としては、かなり情けない部類の人ではないだろうか。まあ情けないとは言っても一応、平家の総大将である。結局、宗盛親子は、頼朝に面会したあと、京に戻される途中の近江の国(滋賀県)の篠原というところで斬首された。

 四男の知盛は、壇ノ浦で最後まで戦って入水。五男の重衡は一の谷で捕虜になり頼朝の指図で伊豆に軟禁されていたが、壇ノ浦のあと奈良焼き討ちの責めを負い、奈良に連行されて斬首された。(このシリーズの「重衡と千手前」で紹介)

 最後に建礼門院徳子。壇ノ浦では安徳天皇(=自分の子供)と一緒に入水したが、源氏方に助けられ捕虜になった。その後、他の生き残った女房たちとともに出家して、大原の寂光院という庵に住んで、一族の菩提を弔いつつ天寿を全うしたという。平家物語は全12巻であるが、そのあとに1巻だけ番外編のような位置づけで、灌頂巻(かんぢょうのまき)(注4)というのがあって、ここにそのいきさつが書かれている。

 壇ノ浦が終わって1年ほど経ったある日、後白河院が寂光院を前触れもなく訪ねた。このときに建礼門院が自分の人生を六道輪廻(注5)になぞらえて語るシーンが興味深い。清盛の娘として高倉天皇に嫁ぎ、皆にかしずかれて暮らしていた頃は極楽のようだった。義仲に攻められて都落ちをしたときは人間界の怨憎会苦、愛別離苦を経験した。大宰府を追われ海上を彷徨い、真水が飲めなくて苦しんだときは餓鬼道とはこういうものかと思ったし、その後の瀬戸内の戦は修羅の世界、壇ノ浦でみなが次々に斬られ入水するところは地獄とはこういうところかと思ったという。

 平家物語の最後は、この寂光庵の尼僧たちがみな往生を遂げたところで終わっている。荒々しい戦や戦後処理が終わり、ラストは穏やかな、涅槃寂静を思わせるシーンで終わる。ハッピーエンドではないけれども、この終わり方は上手で、爽やかだなと思った。

***
 長いこと書いてきた「平家物語を読みたい」のシリーズはこれにて終了する。小学館の「日本古典文学全集」のシリーズは、大変勉強しやすい本だった。この本のおかげで古典を読む楽しさを十分に味わうことができたと思っている。勉強会に誘ってくれた姉にも感謝。(記事を読んでくださった皆さんも、ありがとうございました)

 ・・・ついでに。2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まっている。今日の時点で2回が放送され大変面白い。伊豆に流されていた源頼朝が蜂起し、平家を滅ぼして鎌倉幕府を開き、そのあと北条氏が受け継いで・・・という話になっていくらしい。平家方から見ると壇ノ浦=滅亡であるが、源氏方からみると、まだ夢の途中である。

 源平の争乱と明治維新は以前から大河ドラマでは何度も取り上げられている。やっぱり大革命というのはドラマの宝庫なのだろう。(おわり)

***
(注1)「平氏」という言葉は、桓武天皇から臣籍降下して「平(たいら)」という姓を名乗る一群の人々を指すが、「平家」といった場合は慣例的に平清盛の一族を指すのだそうだ。これは今回初めて知った。

(注2)平正盛(清盛の祖父)から数えて六代目だから六代というのだそうだが、なぜそこから数えるのか不明。いずれにしても名前はあるらしいが、平家物語では一貫して六代と呼ばれているので、ここでもそう呼ぶ。

(注3)平治の乱のときに頼朝は13歳くらいだった。本来ならば清盛に殺されるところを、池禅尼(清盛の継母)が助命を嘆願、清盛の弟の頼盛と長男の重盛が代わる代わる清盛の説得に当たり、結果、助命されて伊豆に流されたという経緯があり、頼朝は、頼盛と重盛には恩義を感じていた。

(注4)灌頂(かんぢょう)・・・仏教の言葉で、頭に水を灌ぐ儀式を表す言葉で、仏道修行の最後の仕上げにこれをやるらしいが、平家物語では、建礼門院の晩年を修行の最終段階に見立ててこのようなタイトルになっているらしい。

(注5)六道輪廻・・・仏教の人生観。極楽、地獄、人間、修羅、餓鬼、畜生の六つの世界があって、人間は死んでも転生(生まれ変わり)して、この六つの世界をめぐるという思想。例えば、人間界で無駄に動物を殺した人にはバチが当たって、来世は畜生道(動物の世界)に落ちる、などという考え方。

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青い森のヨッチン

前の記事でも触れましたが平家物語のアニマが始まりました。
毎週欠かさずに観る予定なのでひぐらしさんの記事も改めて読み返してみたいと思っています。
大河といい今年はこの時代が注目される年ですね
by 青い森のヨッチン (2022-01-25 12:53) 

ひぐらし

ヨッチンさん。アニメの平家物語(フジテレビ)、私も見てみることにしました。深夜アニメ枠で古典を扱うとは思ってもみませんでした。最初、パロディかと思いましたが、検索して調べてみたら結構ちゃんとやるみたいですね。知人にも教えてあげようと思います。
by ひぐらし (2022-01-26 12:58) 

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