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奥穂高岳に登る(6)【前穂から上高地まで】 [登山]

 標高3090ⅿの前穂から2216ⅿの岳沢小屋まで、重太郎新道を一気に下った。涸沢ヒュッテのあるところが2309ⅿだから、ほぼその高度まで下ったことになる。岳沢小屋についたのは13時30分頃で、この頃から雨が降り始めた。正午頃から雨になるという予報は当たった。でも、朝6時頃から曇るという予報は良い方向に外れ、良く晴れてくれた。この点は幸運だったと思う。
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 岳沢小屋では水を補給し、雨具の支度をした。小屋にあった掲示には、翌日8月8日は大雨のため動きが取れなくなるから本日中に下山するように、との勧告があった。最初の計画では、ここで一泊する予定だったが、穂高岳山荘に予報が貼り出された時点で、その宿泊は無駄になるとわかっていた。

 前穂高岳登山道をひたすら下った。この道は長く感じた。疲れている上に、下の方に上高地が見えているのになかなか着かない。(ここを下山に使った人は口を揃えて同じことを言うようだ)下の写真は天然クーラーと言われるところ。風穴があってここから冷たい風が吹き出している。
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 雨に濡れながら上高地に着いたのは、16時30分ころ。ここでひとつ驚いたことがあった。上高地には、槍ヶ岳を源流とする梓川(あずさがわ)という川が流れている。岳沢から上高地に近づくと、梓川の支流の小さな橋がいくつかあってこれを渡るのだが、どの橋から川をみても増水しているのに水が非常に澄んでいるのである。

 大雨で川が増水したとき、その川はだいたい濁流になる、というのが普通の人の認識だろう。普段澄んだ流れであっても、増水したときは話が別である。しかし梓川は澄んだままだった。まるでプールの水がそのまま川に流れ込んだようだった。支流はもちろん、梓川の本流も透明度抜群のまま増水していた。

 どうしてあれほど澄んだ流れになるのだろうと考えてみたが、結局、川の上流が岩ばかりで、泥の微粒子がほとんどないことを物語っているのではないだろうか。しかも上高地は標高1500ⅿくらいの高地にある。泥の影響がでるのはもっと下流の方で、ここは我々が生活している麓の町とは、環境が全く違うのだろう。

 上高地に下り、そこから、沢渡の駐車場までタクシーで行き、そこから先は、車で松本インターから中央高速で帰る、という予定だった。しかし、あの台風5号の影響で、中央高速の一部が通行止めになっており、そこから一般道に下りなくてはならなくなった。他の車もみんな同じことをすることになり、20号線が大渋滞。なんとか自宅についたのは、翌日の明け方4:30頃だった。
(つづく)

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奥穂高岳に登る(5)【奥穂から前穂まで】 [登山]

 奥穂の山頂から吊尾根を通って紀美子平へ向かう。”○○平”という名称から、岩稜の中にちょっと広いところがあるのだと想像していたが、全然そんな広い所ではない。でも登山者はみな、ここにリュックを置いて、前穂の山頂を往復する。
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 “紀美子平”の“紀美子”というのは、今田重太郎氏の娘の名前で、重太郎新道を拓いているときに、この場所にテントを張り、当時5歳だった紀美子を寝かせていたことからそう呼ばれるようになったという。(よく落ちなかったもんだな)

 我々もここにリュックを置いて、前穂の山頂へ向かった。山頂には、人がいたので、3人の写真を撮ってもらった。ここの山頂は、ある程度の広さがあって、奥穂の山頂よりも快適だった。

 紀美子平から山頂を見上げる。
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 前穂の山頂から、奥穂を見る。
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 奥穂をバックに。
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 下の方には横尾山荘と吊り橋が見える。
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 前穂から紀美子平に戻り、ここを出発したのは、10時半頃。ここから先は、重太郎新道をひたすら下って岳沢小屋まで行く。実は僕は、この道は、高度のあまり変わらない尾根だと思っていた。なんの根拠もなく、地図を見てなんとなくそう思い込んでいたのだが、大間違い。岩稜の急降下で、簡単に言えばザイテングラートを下っているような感じの道だった。

 吊尾根にしても、重太郎新道にしても、そうそう簡単なルートではないし高度感があって結構怖い。でも、足元に集中しながら、長いこと歩いていると、恐怖感が薄れたり、全く無くなったりしていることがある。これは今回の山行での新しい発見だった。

 そもそも、なぜ高いと怖いのかと言えば、それは「落ちて死ぬことを想像するから怖い」のであって、その逆を考えれば「何も想像しなければ怖くない」ということである。

 危険な場所を歩くときは、もちろん落ちないように足元に集中する。命がかかっているから、リラックスした気分で出来ることではない。集中力が極限まで高まる。そうすると自分がそこから落下するイメージが頭の中から完全に消滅してしまうのである。そして「何も想像しなければ怖くない」という境地に至る。仏教でいうところの「涅槃」に似ていないだろうか。
(つづく)

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奥穂高岳に登る(4)【白出のコルから奥穂まで】 [登山]

 8月7日の朝はよく晴れた。山荘のある白出のコルは南北方向に延びた鞍部で、東側の展望が大変良い。穂高岳山荘の石畳のテラスには石の柵が作られていて、登山者が遠くを展望するときの安全が考慮されている。
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 白出のコルの東側は涸沢カールの凹みなので近くに視界を遮るものがほとんどない。ここから日の出を見ると、東側の常念岳のシルエットが重なって見える。しかも明けの明星(金星)のおまけ付き。この星はご来光を待つひと時を美しく演出してくれる。
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 5時45分、山荘を出発。小屋の脇の絶壁を登る。写真を撮っている余裕はほとんどない。上の方でひと息ついて、来た方を振り返ると、山荘の赤い屋根とヘリポート、その向こうにすぐ隣の涸沢岳、ずっと向こうの方に槍ヶ岳、右側に北穂の双峰が見える。
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 西の方には、昨年登った笠ヶ岳。
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 視界が開けたところで、西穂に向かう尾根が見え、ここにあの有名なジャンダルムという岩が見える。もう見るからに恐ろしい。
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 頑張って登り・・・
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 奥穂高岳の頂上に、6時30分に到着。写真は頂上の祠。これが穂高神社の ”嶺宮”(みねみや)である。ここには登ろうと思えば登れるが、僕は神域に足を踏み入れるのに抵抗があり、やめておいた。
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 こちらは360°の風景案内板。
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 我々3人が山頂についたとき、他に登山者が誰もおらず、(つまりシャッター押してもらう人がおらず)残念ながら3人揃った写真は撮れなかった。
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 さて、次は吊尾根を通って、前穂高岳へ向かう。
(つづく)
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奥穂高岳に登る(3)【涸沢から白出のコルまで】 [登山]

 下の写真は、涸沢ヒュッテから、涸沢岳を見上げたもの。ちょうど雲が晴れて、頂上が見えている。右側の尖った部分が涸沢槍(からさわやり)、頂上の左側に白出(しらだし)のコルがあり、そこから下の方に”ザイテングラート”と呼ばれる岩稜が伸びている。
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 雪渓を越えて涸沢カールを登る。カールとは氷河に削られた地形をそう呼ぶらしい。ここに氷河があったのは2万年も前なのだそうだ。山の地形には凸も凹もあるが、カールというのは巨大な凹である。こういう所を歩いていると、やっぱり自然の大きさ、人間の小ささを実感する。
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 下の写真は、ザイテングラートを少し離れたところから見たもの。ちょっと拡大すると人が歩いているのが見える。
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 ザイテングラートとはドイツ語で、 ”支稜線、支尾根”、と言った意味らしい。実際にどんなところかというと、写真からわかるように、涸沢カールの上の方の斜面にモヒカン頭のようにモッコリ盛り上がった場所があって、ここが岩稜になっている。手足をかけるところがたくさんあって登りやすいから、ここに登山道が付けられたのだろう。ただ、ひと息ついて写真を撮れるような余裕も場所もほとんどなく、かなり体力を消耗した。
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 ここを登り切ると、白出(しらだし)のコル。涸沢岳と奥穂高岳の間にある鞍部で、穂高岳山荘はここに作られている。大正13年、穂高の案内人だった今田重太郎氏が、仕事を通じて穂高の稜線に避難小屋が必要であることを痛感し、この場所に「穂高小屋」という小さな小屋を作ったのが始まりなのだそうだ。生涯を穂高に捧げた偉人。この人のことは今回、穂高に登って初めて知った。
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 やっぱりこの場所(白出のコル)に小屋があるのとないのでは大違いだと思う。登山者が休息宿泊できるのはもちろんだが、奥穂の山頂付近で事故が起こったときに、負傷者を収容することもできるし、しかも小屋のすぐ隣にヘリポートがあって、救助ヘリが着陸できるようになっている。どんな分野でもそうだが、「世の中で初めてやる」というのは偉大なことなのだ。

 下の写真は穂高岳山荘のすぐ隣にある、奥穂の山頂に向かう最初の難所。
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 我々が山荘に到着して、間もなく夕立が降り始めた。山の天気は変わりやすい。翌日8月7日はいよいよ、奥穂高岳と前穂高岳に登頂する。山小屋に掲示された翌日の天気予報では未明は晴れ、朝6時に晴れから曇りに変わり、正午頃、曇りから雨に変わるという。好天を祈った。
(つづく)

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奥穂高岳に登る(2)【上高地から涸沢まで】 [登山]

 8月5日(1日目)早朝5時、Iさんが車で、僕を拾い、そのまま八王子へ。6:30八王子でNさんと合流し、中央高速に乗る。松本で高速を降りて、沢渡の駐車場で車を止める。そこからタクシーで、上高地バスターミナルまで。上高地には、個人用の駐車場は無いので、企画する人は注意が必要である。

 上高地から歩いて、横尾山荘に着いたのは、15時頃だった。
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 実は横尾山荘は、予約しようとした7月31日の時点で満室で、予約できなかった。ただし、予約なしで入っても宿泊を断ることはないと言っていたので、飛び込みの扱いで止めてもらった。部屋も、布団が一人にひとつ確保された。しかも2食付きで、ごはんもおいしかった。建物も綺麗で、しかも風呂付き。この山小屋は素晴らしい。

 山荘の前に吊り橋があり、ここから穂高方面に登って行く。この方向が穂高なのだが、真ん前には、屏風の頭という岩山があって、視界を遮っている。左の方にちょっとだけ前穂の頂上がのぞいている。
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 夜中に、ぎっくり腰のような魔女の一撃を感じ、先行きが不安になったが、幸いにして出発までに本格的な痛みが無かったので、二人の先輩方に相談し、涸沢までとにかく行って様子を見ることにした。

 5時50分に出発。腰の調子は悪くない。リュックのウエストバンドがちょうどよい具合にコルセットのような役割をしてくれているようだ。

 この写真は、涸沢ヒュッテに着く前に撮ったものだが、この時点ですでに、白出のコルにある穂高岳山荘が見えている。ただし、残念ながら涸沢岳も、奥穂高岳も山頂は雲に覆われて見えない。
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 これは涸沢ヒュッテのテラスから、北穂の方向を見たもの。やはり雲が多くて山頂は見えない。
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(つづく)
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奥穂高岳に登る(1)【プロローグ】 [登山]

 僕の入っている山岳会の夏の山行は、ここ4年連続で北アルプスになっている。(注1)
2013年 剱岳 
2014年 薬師岳
2015年 槍ヶ岳
2016年 笠ヶ岳

 今年は昨年に引き続いて僕が幹事になったので、前から行きたかった奥穂高岳を企画した。参加者はNさん、Iさん、僕の3人。毎年参加していた姉は、今年は都合がつかず残念ながら不参加になった。

 登山の実行計画は、
8月5日(土)上高地⇒横尾山荘
8月6日(日)横尾山荘⇒穂高岳山荘
8月7日(月)穂高岳山荘⇒奥穂⇒前穂⇒岳沢小屋
8月8日(火)岳沢小屋⇒上高地

 このルートの場合、普通は3日で回るのが標準的な日程だと思うが、笠ヶ岳のときのメンバーの疲労を考えて、今回は登山地図の標準時間の1.5倍を標準時間に設定した。

 ただし(先に書いてしまうが)結局8月7日で頑張って下山した。その原因は8月に入って間もなく発生した台風5号で、8月8日の予報が非常に悪かったせいである。この台風は非常に風変りな台風で、奄美大島あたりでずっと停滞していてなかなか動かない。山小屋を予約した7月31日あたりから、ずっと安曇野、松本の天気と「山の天気」の穂高岳のサイトをチェックし続けた。その心配のせいか、胃を悪くして食欲不振になり、おまけになぜか腰まで痛くなってきて、体調が最悪になってしまった。

 8月4日の予報で、クライマックスの3日目(8月7日)の予報が良かったので、幹事から「予定通り実行」を宣言した。しかし、不安の残る決断になった。
(つづく)

****
(注1)
下記は過去の山行記事のURL。参考まで。(どの記事も連載ものになっているが、最初の記事のみ)

2013年 剱岳
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2013-08-28
2014年 薬師岳
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2014-08-04
2015年 槍ヶ岳
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2015-12-31
2016年 笠ヶ岳
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2016-09-11

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笠ヶ岳に登る(5) [登山]

 朝食を済ませて、6時に下山開始。振り返ってみると、笠ヶ岳は朝日を正面から浴びて、きれいな色を出している。形も実に美しい。
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 槍・穂高連峰は、今回の山行中、ずっと見えていて、いくつも写真を撮ったが、その中で一番よく撮れたものを載せる。

↓ 槍ケ岳、大喰岳、中岳
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↓中岳、南岳
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↓大キレット、北穂高岳
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↓北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳
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↓奥穂高岳、明神岳、西穂高岳
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↓明神岳、西穂高岳
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 この連峰、いつか縦走してみたいと思う。

 槍ヶ岳は、どこから見てもそれとわかるような特徴のある形をしている。その形は、人に恐れや畏れを抱かせるに十分である。そこから少し離れた西側にある笠ヶ岳は、槍ほどの厳しさは感じないまでも、同じ3000メートル級であり、槍ヶ岳を眺めればほぼ同じ高さにある。笠ヶ岳から槍ヶ岳を眺めたら、現代であれば、槍に登りたいと思うし、昔、未踏峰であった時代であれば、なんとか登れるんじゃないか、というような気がすると思う。播隆上人も、そんな気持ちだったのではなかろうか。

 しかも昔は、その上に宗教的な動機が重なった。つまり高い山の上に阿弥陀如来とか大日如来が降臨すると信じられていたから、人々は槍ヶ岳に登ることに憧れを持ったと思う。そのような時代の「空気」、その土地の「空気」というものがあって、槍ヶ岳開山ということになったのだろう。まあこれはあくまでも僕の想像である。周囲の働きかけによるものもあったろうし、播隆自身の意志もあったろう。とにかく前人未到の地に足を踏み入れるというのは命がけの行為であり、成し遂げたことは偉大だと思う。

 そういうわけで、気になっていたことが一つ、めでたくクリアになった。下の写真は、鏡平山荘と笠ヶ岳山荘で買った記念バッジ。
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(おわり)


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笠ヶ岳に登る(4) [登山]

 翌朝(8月7日)、早朝4時半頃に山小屋を出て20分で山頂に着いた。まずは記念撮影。
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頂上には立派な祠がある。
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 日の出までの間、頂上ではみんなこんな感じでそのときを待っている。
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 5時10分頃、ちょうど槍ヶ岳の左側(北側)から日が昇ってきた。もちろん季節によって、日が出る位置は変化するはずである。計画的にこうなったわけではなく、偶然であるが、この記事を読んでいる方で、こういう写真に興味のある方は、「8月7日に笠ヶ岳から日の出を見るとこうなる」、と覚えておいて損はないと思う。
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 このシリーズの冒頭で、新田次郎の「槍ヶ岳開山」に触れた。あくまでも「小説では」、という前提での話であるが、播隆は僧侶になる前は米問屋の番頭だった。この米問屋が、飢饉に端を発した百姓の打ち壊しに襲われた。混乱の中で播隆は、自分の妻を誤って殺してしまう。そしてそれを苦にして出家したということになっている。

 播隆は、師匠や村人に乞われて、40年前に開山した笠ヶ岳を復興した。そしてその頂上に、亡くなった妻が阿弥陀如来に化身して降臨し、槍ヶ岳の方向に飛んで行って消えた。播隆はこれを見て、槍ヶ岳を開山しようと決意する。

 ・・・あくまでも「小説では」そうなっている。実際の播隆の伝記では、そのようなドラマチックな話はないけれども、笠ヶ岳を復興したことと、槍ヶ岳に初登頂したことは確実な史実のようだ。(注1)この小説を読んで、笠ヶ岳から槍ヶ岳を見てみたいとずっと思っていた。
(つづく)

***
(注1)参考文献・・・穂苅三寿雄・穂苅貞雄「槍ヶ岳開山 播隆」大修館書店
 この本には、播隆の生い立ちをはじめとして、新田次郎が「槍ヶ岳開山」を執筆するにあたり、著者の穂苅氏のところに取材に来たことや、小説が史実と多くの点で異なっており、ある寺院が新田氏に抗議したことなどが書かれている。

 小説を史実と同じに書かなければならないという厳密なルールはない。そんなルールがあれば歴史小説は書けなくなる。でも史実に取材して小説を書く場合は、どこが史実でどこが創作なのか、特に重要なポイントについては出版社が解説を加えて欲しいと思う。

 この小説の中で播隆が妻を誤って殺したということは、最初から最後まで一貫して播隆が苦悩する重大なテーマになっている。だから読者にとっては強く印象に残り、史実であると誤認しやすい。これが史実として広まれば、身内の寺院にとっては、「虚偽によって偉大な人物の名誉を傷つけた」ということにもなる。

 この設定は、「小説なのだから創作に決まっているだろう」と簡単に片づけられない重さがあると僕は思う。



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笠ヶ岳に登る(3) [登山]

 弓折岳と抜戸岳の間に、秩父平というところがあって、開けた土地に雪解けの水が流れている。水汲みのために休憩。
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 ここからまた一段高い尾根にあがる。尾根を見上げると、前を歩いているパーティが小さく見える。こういう景色も結構好きだ。大自然に比べると人間なんて本当に小さいな、なんて思ったりする。
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 尾根に上がると展望が良くなるかと思ったが、ちょうどお昼頃で、雲が上がって来てしまい、山並みはすっかり隠れてしまった。残念。
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 しばらく歩き、抜戸岳を過ぎたところでようやく、笠ヶ岳が見えてきた。ひと安心。
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 途中で雷鳥の親子に出会った。ヒナはすぐに逃げてしまったが、親の方は登山者が近づいても怖がらず、平気で砂浴びをしている。
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 テント場を脇に見てようやく笠ヶ岳山荘に到着。下の写真は左が笠ヶ岳の頂上、右側の建物が笠ヶ岳山荘である。
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 山荘に到着したのは5時半頃で、みんな疲れていたので、山頂に登るのは翌朝にすることにした。


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笠ヶ岳に登る(2) [登山]

 鏡平山荘で一泊した翌日の早朝、まだ夜が明ける前、星がきれいだとみんなが言うので、外に出てみた。ちょうどオリオン座が登ってくる頃だった。オリオン座は冬の星座として知られているが、この時期は明け方にようやく上ってくる。それにしても、山で見る星というのはすごいものだ。一つ一つの星が何やら電気仕掛けで光っているような錯覚にとらわれる。変な話だが、普段都会で暮らしていると、星が明るく見えることが、それほど異様に感じるのだ。

↓翌朝、山小屋の窓から見えた槍穂高連峰。今回のルートは、すべて西側から眺める形になるから、夜明けは、逆光になり、シルエットだけになる。
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↓鏡平山荘を7時に出発し、弓折岳に登る。
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↓弓折岳。進んでいく方向に道がずっと伸びている、こういう風景は好きだ。
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↓来た道を見下ろすと、鏡平山荘と鏡池が見える。向こう側に槍が見える。
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↓弓折乗越に上がり、そこから大ノマ岳の方向を望む。ここからはまだ、笠ヶ岳は見えない。
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