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笠ヶ岳に登る(1) [登山]

 昨年の夏に槍ヶ岳に登り、遠くに見えた笠ヶ岳が非常に印象に残った。その後に読んだ新田次郎の「槍ヶ岳開山」で、念仏僧の播隆(ばんりゅう)上人が、笠ヶ岳に登り、そこから槍ヶ岳をみてこれを開山する決心をしたいきさつが書かれていた。もちろん小説だから、これが史実そのものとは限らないとは思う。でもこのときから、いつか笠ヶ岳から槍ヶ岳を見てみたいと思っていた。

 今年の8月の山行の幹事は、僕だったので、そういう事情から笠ヶ岳を企画した。参加者は、昨年の槍ヶ岳と全く同じメンバー(Nさん、Iさん、姉、僕)になった。

 少し話がそれるが、昔から「飛騨高山(ひだ・たかやま)」という言葉を観光旅行の名所としてよく聞いていた。子供の頃は、これが一体どの辺にあるのか全く知らなかったし、興味もなかったが、今回の山行を企画していたときに、笠ヶ岳が岐阜県高山市にあることを知った。ここにきてようやく、子供の頃から聞いていた「飛騨高山」というのが岐阜県高山市であることに気付いた。

 僕だけかもしれないが、どうも、地名を聞いたときにそれが何県何市にあるのだろうということが気になってしようがない。でも大自然は、人間が県だの市だのという行政区域を作るよりも遥かな昔からあったわけで、どの区分に属するかを考えるのは、一つの生活習慣であって、本来はさほど大事なことではないのだと思う。
 
 さてまず初日、車で新穂高温泉まで。「新」なんて名前についているから、最近作られた温泉街なのかと思いきや、意外に古くからあるらしい。温泉であると同時に、北アルプス登山の入り口になっている。ここからは、新穂高ロープウエイというのが出ていて、西穂高岳のかなり上の方まで登ることができる。

コースは、
初日(8月6日)新穂高温泉⇒鏡平山荘
2日目(8月7日)鏡平山荘⇒笠ヶ岳山荘
3日目(8月8日)笠ヶ岳登頂⇒(笠新道経由)⇒新穂高温泉

↓新穂高温泉の観光案内所。ここから橋を渡って登山道に入る。
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↓ここは笠新道の分岐。新穂高から笠ヶ岳に登る人はこの道を使う人が多いらしいが、今回は、登りはちょっと遠回りする。
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 初日は、昼の2時くらいに鏡平山荘に着く予定だったが、Iさんが熱中症気味になってしまいペースダウン。無理もない。標高が1000m以上あるとは思えない暑さで、普段我々が町にいるのと同じくらいだった。元気な人でもぐったりする。しかもIさんは早朝4時に車を出してくれたせいであまり眠っていないようだった。

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 鏡平山荘についたのは、夜7時半頃。
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(つづく)
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槍ヶ岳に登る(3) [登山]

 下山は、新穂高温泉の方に下りた。この道は、ただひたすら、岩のゴロゴロした道が続き、身体の鈍っていた僕にはきつい道だった。最後の方は生まれたての小鹿状態。下の写真は、モモに力が入らなくなってしまい、階段を後ろ向きに下りているところ。
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***********
(おまけ)
1.印象に残った景色
 常念岳と笠ヶ岳。特に笠ヶ岳の方は、時代劇に出てくる役人の陣笠にそっくりである。
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2.播隆の話
 槍ヶ岳を開山したのは江戸時代の播隆(ばんりゅう)という念仏僧だったそうだ。そのいきさつを題材にした小説で新田次郎の「槍ヶ岳開山」というのがある。家に帰ってから、ゆっくり読んでみた。それで、物語の面白さは、それはそれとしてあるのだが、僕が特に印象に残ったのは、播隆が、槍ヶ岳に安全のための鎖をかけようと奔走したところだった。江戸時代に、このような動きがあったということに、ちょっと驚いてしまった。

 現代の技術で作る鎖は大量生産で簡単にできるのに対し、江戸時代は、鍛冶職人が一個一個、輪をつなげて行くような作り方をしていたと思う。ものすごい費用がかかったはず。大名などの資産家がそれにお金を出そうという動機は投機などではなく、一重に信仰の力である。

 下の写真は播隆が籠って念仏を唱えたと言う、播隆窟という洞穴。
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3.おみやげ
槍ヶ岳山荘で、例によって記念のバッジを買った。
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 それから、てぬぐいが気に入ったので買っちゃった。「槍はココロのふるさと」。(山小屋もなかなかの商人だよね)
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槍ヶ岳に登る(2) [登山]

 槍ヶ岳の肩の部分(槍ヶ岳山荘のあるところ)にようやく上がった。ここから見下ろすと、すぐ近くに赤い屋根の殺生ヒュッテ、少し遠くに、これまた赤い屋根の、2012年に泊まったヒュッテ大槍が見える。あのときは、雲に隠れてほとんどなにも見えなかった。改めて見て、「こんなに近くにいたんだなあ」、と不思議な気持ちになった。あの時は、槍の穂が本当に遠く感じた。
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 さて、ここから穂先アタック。
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 登頂成功!! リベンジ成る。
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 山頂はさほど広くないので、あまり長居はできない。下りないと次の人が登れない。記念写真を撮ったらさっさと下山である。あわただしいが、狭いので、長居して快適な場所でもない。眺めは最高だけど。

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 下から見上げると、登山道はこんな感じ。天気が良かったせいもあってか、だいぶ混んでいた。
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 登頂を祝って乾杯。
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槍ヶ岳に登る(1) [登山]

 3年前の2012年7月に、姉と一緒に、燕岳から東鎌尾根を通って、槍ヶ岳に登る計画を立てたことがあった。しかし、このときは天候が悪く、途中まで行って断念。夜、ヒュッテ大槍から見た槍の穂が、人を寄せ付けない恐ろしい山に見えた。

 さて今年2015年。病気でずっと会社を休んだが、7月から復帰した。そして8月、念願の槍ヶ岳リベンジの機会がやってきた。

 メンバーは、剱岳のときと同じ、Nさん、Iさん、姉、そして僕の4人である。上高地から槍沢経由で登る。このコースは2012年の下山のときに使ったコースで、すでに書いているので、上高地の辺りは省略して、比較的高い所について書くことにする。

(注)本音を言うと、健康状態に問題があって、机に向かって書き物をするのがしんどい。槍ヶ岳リベンジの記録はずっと書こう書こうと思っていて、どんどん時間が過ぎて、とうとう年末になってしまった。でも今年起こったことの中でもかなり大きな出来事だったので、これだけは、どうしても書いておきたかった。

 初日は、槍沢ヒュッテに宿泊。

 さて翌日。ここからだんだん、道が険しくなってくる。
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 上の写真のてっぺん(槍の穂の先端)を望遠で拡大すると、梯子が見える。
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苗場山に登る(3) [登山]

 下山は、霜が溶けていることを期待したが、ちょっと甘かった。やはり、もう季節が季節なだけに、気温が上がらず、霜が残っており、慎重に降りた。駐車場に戻ったのは、16:00。
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 下山のときに、Tmさんが、この地方の名物の「へぎそば」の話をしてくれた。つなぎに海藻を使ったそばで、新潟でそばと言えばへぎそばを指すのだそうだ。下山したあとは温泉に入る予定だったが、時間的な制約から、予定を変更。そば屋を見つけてそこに入った。ところが残念ながらその店にはへぎそばはなく、普通のそばを食べて帰った。
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 帰りの高速道路のサービスエリアで、姉がへぎそばを見つけて買ってくれた。(最近、姉は、僕のブログのネタを勝手に探すようになった。ありがたいやら面白いやら)で、それを家で食べてみたのだが、残念ながら、僕の馬鹿舌では、普通のそばとの味の違いがわからなかった。
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 ところで、帰りの車の中でTmさんが、「弟さんも正式なメンバーになったらどうか」と勧誘してくれた。入会には、会員2名の推薦が必要というルールがあって、TmさんとNさんが推薦人になってくれるというので、正式メンバーに入れてもらうことにした。これは僕の登山趣味における大きな変化である。

下は、苗場山の山頂の山小屋で買った記念バッジ。
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苗場山に登る(2) [登山]

 僕が若い頃、だいたい1980~1990年くらいの頃だったと思うが、スキーが若者の間で大流行した。テレビでも芸能人のスキー大会の企画がよくあり、そのときによく使われていたのが苗場スキー場だった。プリンスホテルが運営するスキー場で、おしゃれなスキー場として、特に女性に人気があったようだ。ちなみに僕はこのスキー場で滑ったことはない。なぜかというと人気がありすぎたから。どうせ混んでいるに決まっているので行かなかった。

 まあ、そういうわけなので、苗場山の企画を聞いたときに、最初に思い浮かべたのは、苗場スキー場だった。実際に地図を見ると、スキー場のある苗場プリンスホテルの近辺と苗場山の山頂はかなり離れている。そのことも、今回初めて知った。

 登山口からスタートしてすぐ、登山道にかなり霜が降りていることに気付いた。勾配の緩いところならさほど問題ないが、急になってくると、滑りそうで怖い。特に7合目から8合目あたりは、岩登りが多く、難しかった。

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 坪場と言うところで視界が開けた。上の方には尾瀬ヶ原のような、広い湿原が広がっている。湿原と言うのは、湖沼が浅くなって陸地になっていく過程の途中に現れるプロセスなのだそうで、だとしたら山頂に近いところがこうなっているのは不思議な気がするが、まあ、ここにあまり深入りするのはやめておこう。

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 ここから先は木道を歩く。尾瀬ヶ原もそうだった。湿原に木道を作らなければ、人は容易に近づけなくなるけれども、それでも敢えて近づく人がいれば、自然破壊につながるし、事故も起こる。結局木道を作るのが一番の対策ということなのだろう。

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 頂上についたのは12時半頃。

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苗場山に登る(1) [登山]

 何度か書いた話ではあるが、僕は自分の登山の最初を、2009年5月の丹沢であると位置づけている。それは主に自分の意識上の問題としてそのように決めているわけだが、それ以前に山に登った経験がないわけではなかった。2008年7月に姉に誘われて、尾瀬の燧ケ岳(ひうちがたけ)に登ったことがあった。今から6年前のことになる。

 ちなみに2008年時点で、このブログはすでにスタートしていたが、このときのことは、書かなかった。当時の自分にとって登山はさほど大きな意味をもつイベントではなかったということだと思う。

 さて、このたび登った苗場山は、6年前に登った尾瀬に似た雰囲気のところだった。詳細は追って書く。例によって姉の所属する山岳会の定例山行に便乗させてもらった。同行したのは、昨年の剱岳のときに一緒だったNさん、それから今回初めて会った、この山岳会の創設者のTmさん、それから姉、僕の4人である。

 10月18日の早朝、埼玉の鶴ヶ島で待ち合わせ。車に乗って関越自動車道で、上越方面へ向かう。苗場山は、位置的には谷川岳の近くにある。高速道路を塩沢石打ICで降り、353号線を通って、小赤沢3合目の登山口へ。ただし353号線は途中で通行止めがあり、迂回路を通った。こういうとき、スマホの地図機能は便利だ。(注1)

下の写真は、小赤沢3合目の登山口。ここの標高は1310m。晴れてはいたが、気温は体感で5℃くらい。予想以上に寒かった。8:30登山届を出し、出発。
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(注1)
余談。僕は今(2014年11月現在)スマホを所持していない。いまどき珍しいと良く言われる。携帯電話が普及し始めた頃もそうで、「えっ まだ携帯電話持ってないの?」なんてよく言われたものである。自分の性分が保守的なところもあって、そうなってしまうのだが、最近、世の中がスマホの存在を前提にして変化しているような気配を感じている。例えば、従来型の携帯電話では、もう鉄道の路線検索(ヤフー)ができなくなってしまった。「このサービスは終了しました」だと。こうなってくると、いくら保守的な性格でも、自分が世の中に合わせて変化していかざるを得ない。今「どれにしようかな」と考えているところ。

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薬師岳に登る(4) [登山]

 翌朝27日は天気が非常に悪くなった。最近の天気予報の的中精度はすごい。山小屋の窓から薬師岳方面を見てもなにも見えない。昨日のTさんの判断は正しかった。
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 朝食を済ませて6時に山小屋を出発。ひどい雨に打たれつつ、すれちがう登りの人たちに対して、ひそかに変な優越感を感じながら、ただひたすら歩いた。
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 9時に登山口の折立に到着。
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 近くにあった温泉に入り、ゆっくりしている間に雨が上がった。昼食には、「たら汁」のお店に入った。たら汁というのは、越中料理の一つで、今回初めて知った。もともとは富山のたら漁の漁師の家で食べていた料理だそうで、たらをブツ切りにして、丸ごと味噌で煮込むシンプルなものである。四人前が鍋に入ってドーンと豪快に出てくる。旨かった。
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 これは太郎平小屋で買った、薬師岳のバッジ。
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(おわり)


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【蛇足】
 この写真は初日の登りの時、太郎平小屋に着く前に、登山道から北の方に見えた剱岳である。最初の記事に載せ忘れてしまったので、ここに載せておく。昨年登ったときに見た姿と同じ姿が遠くに小さく見えていた。一度登った山がまた見えるとなんとなく嬉しい気持ちになるのは、縁のあった人に久しぶりに会ったような気がするからかも知れない。
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薬師岳に登る(3) [登山]

 14:30、頂上に到着。足がだるくてどうなることかと思ったが、なんとか無事に着いてよかった。
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 遠く西の方には、有峰湖が見える。
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 薬師岳の山頂には、祠があって、薬師如来が祀られている。これは立山の阿弥陀信仰とは少し系統の違う信仰らしい。まあ山岳信仰という意味では同じようなもので、その違いを詳細に詮索するつもりは今のところない。とにかく共通するのは、まず山を神として崇める思想が古代から日本にあって、そこへ仏教が習合したということである。
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 アクリル板が切り抜いてあって、御賽銭が入れられるようになっている。僕もお参りした。
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 中には薬師如来が祀られている。でも、石仏もたくさんあって、どれが薬師如来なのかわからない。たぶん、金色の一番立派な像がそれだろうけど、奈良の薬師寺の薬師如来像とはだいぶちがう。また、どういうわけかキューピー人形(写真の左下)まであって、しかも顔がちょっと怖い。
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 下の写真は、下山のときに見上げた祠。山の頂上は、風雨にモロに晒される場所である。こんな厳しい環境に祠があれば、過去には飛ばされてしまったことが何度もあったと思う。(実際、昨年登った剱岳の祠は、僕らが登ったときは無くなっていた)そういうものをきちんと維持していくのは、地味ではあるが実に努力を要する仕事だと思う。地元のボランティアがやっているのだろうか。富山県の行政の仕事なのだろうか。いずれにせよ頭の下がる思いがする。また、こういう文化を大切にする心を、同じ日本人として(少し大袈裟かも知れないが)誇りに思う。
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 下山して太郎平小屋についたのは、17:00を少し回っていた。
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 夕食の前、ビールで乾杯。太郎平小屋は食事もよく、部屋も大部屋ではなく、4人部屋に入れてくれて快適だった。
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薬師岳に登る(2) [登山]

 太郎平小屋にチェックインし、預けられる荷物を預けて身軽にした。さて出発。

 これは、太郎平小屋側から、薬師岳方面を見上げたところ。ここからはほぼ直線である。木道が遠くまで繋がっている景色はお伽話みたいで好きだ。(そう言えば、尾瀬もこんなだったっけ)
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 キャンプ場を過ぎたあたりから沢登りになる。この辺から、どういうわけか、足が上がらなくなって来た。ももを引き上げる筋肉が異常に疲労している。仕方がないのでズボンのモモの辺りを手で掴んで無理やり引っ張り上げながら歩いた。モモの疲労は頂上に着くまで終わらなかった。
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 雪渓を渡る。
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 高山植物が綺麗に咲いていた。
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 薬師岳小屋に到着。
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 頂上の少し手前に避難小屋がある。でも屋根がない。横風は防ぐことはできるが、上からの雨や雪は防ぐことができない。何の役に立つのだろうと思った。でもそれは晴れているときの発想であって、嵐や吹雪のときはこんな簡単なものでも、きっと人の命を救うことがあるのだろうと思う。
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 下の写真は、この避難小屋付近から採った180°くらいのパノラマ。グーグルで写真を公開すると、こんなものを自動的に作ってくれるから面白い。(クリックで拡大できます)
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 避難小屋のところに荷物をデポして、身軽になって頂上まで。あともう少しだ。
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