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三浦マラソン2013 [マラソン]

 3月3日に三浦マラソンがあり、例年通り参加した。ずいぶんと記事のアップが遅れてしまったが、今年は非常に手ごたえがあったので、是非記録を残さねばならない。

 最初に結果を書いてしまおう。出場したクラスはハーフマラソン、今年はネットタイムで2時間13分だった。昨年は2時間14分だったので1分更新しただけである。つまり記録ではほとんど変わっていない。しかし数字に表れない部分がある。体力的には自分の記録は2時間8分だと思っている。

 以下にレースの経緯を簡単に書いてみる。三浦のハーフのスタートは9時37分。ヨーイドンの合図がなる。この合図のあと3分後にスタートのゲートをくぐった。公式タイムは9時37分から計測が始まるが、僕のネットタイムは9時40分から計測が始まったことになる。

 さて、3㎞地点に三浦霊園という公園墓地があり、ランナーはそこのトイレを使える。毎年冷えるので、ここで小用を足すことにしている。例年はすぐに用が終わるのだが、今年は運悪く行列ができていた。ここで5分のタイムロス。予想外の事態である。

 ハーフマラソンの制限時間は2時間20分。僕の昨年のタイムは2時間14分。6分しか余裕が無かったのだ。つまり昨年と同じスピードで走れたとしても、5分ロスがあれば余裕は1分しかない。ぎりぎりである。しかも昨年は公式タイムとネットタイムの差が1分以内だったのに、今年は3分も差がある。つまり、それだけゲートが早く閉まってしまうことになる。これはまずいことになった。

 このエリアは登り坂になっていて、トイレが終わってコースに戻ると、ランナーはまばらで、ほとんどの人が死にそうにトボトボ歩いている。よくよく考えてみると、制限時間ぎりぎりでゴールする僕よりも5分遅れて走っている人たちである。しかもスタートしてわずか3㎞の位置で5分遅れているのである。僕みたいな遅いのが言うのもなんだけど、この人たち、出るクラスを考え直した方がいいのではなかろうか? 物事には順序というものがある。

 ・・・いや。人のことより自分のことである。遅れを取り戻さなければならない。とにかく、持てる力を振り絞ってすっ飛ばした。太宰治の小説「走れメロス」の、あのメロスの気持ちが1%くらいわかったような気がした。あの邪悪な王と約束した時間までにとにかくゴールしなければならないのだ。

 城ケ島を過ぎて折り返し、しばらく走ったところにハーフの中間地点がある。そこに時計があって表示は1時間10分。制限時間が2時間20分だから、距離的にも時間的にもド真ん中にいることになる。少しは挽回したようだ。あとは全く同じペースで走ることができれば制限時間にギリギリで間に合う。

 僕の走る速さは10㎞の場合で1時間。つまり1㎞あたり6分である。このペースをラストまで保ちたい。「あと○km」という表示がでたら、それに6を掛ければかかる時間がわかるから、後半は表示が出るたびにこの計算をした。残り5kmのところ、つまり残り30分のところで時間内に完走できることを確信した。遅れをどうにかこうにか挽回できたのだ。これは嬉しかった。

 結果、ネットタイムは2時間13分。ここからロスタイムの5分を引いたら、2時間8分ということになる。冒頭に「体力的には、自分の記録は2時間8分」と書いたのはそういう意味である。

 「いやいや公式記録がすべてだよ。もっと自分に厳しくならないといかん」という向きもあろうかと思う。しかしハーフマラソンで2時間をオーバーする人というのは有り体に言ってしまえば制限時間ぎりぎりの「遅い人」であり、人とタイムを競うようなレベルではないし、ましてや僕がランニングを始めたのは健康のためだから、これを勝負事にしようなどとは微塵も思わない。記録証に書かれた数字はあくまでも参考として、それよりも自分の健康と向き合い、自分の体力の推移を分析したいと思う。よって記録証の数字にこだわるつもりはない。

 今年の大会は昨年に比べて、他にも大いなる進歩があった。昨年はレース開始直後から膝が痛み始め、終わったときには松葉杖が欲しいくらい歩くのに難儀したが、今年は練習のときから膝の痛みは全くなかった。たぶん、昨年酷く傷めた部分が恢復し、それと同時に補強されたのだと思う。それからもう一つ、ランニング中に補給をしなくて済んだ。昨年は、17km地点で動けなくなり、エネルギーゼリーを飲んだ。今年もその用意はしておいたが、幸い動けなくなるということはなく、補給なしのままゴールまで走れた。

 と言うわけで、記録証には「2時間13分」としか書かれていないが、「本当は2時間8分」「膝の痛みなし」「エネルギー補給なし」という進歩のおまけつき。結果には大満足している。来年もまた出たいと思う。

***
【メモ】
■今年の練習は3回。
2月3日 通しで走れず。タイムは3時間以上
2月10日 上に同じ。
2月24日 通しで走れたがタイムは2時間35分(信号待ち等含む)

■10km/h(つまり1 kmあたり6分)のスピードを一定に保つことができれば、ハーフマラソン21.1 kmでは、2時間6分で走れる。

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市原高滝湖マラソン [マラソン]

 2013年1月12日、市原高滝湖マラソンの10kmのレースに参加した。昨年にひきつづき今回は2回目になる。この大会は毎年1月の第2土曜日が大会にあてられているようだ。ということは正月休みに千葉の実家に帰省し、休みが終わって自宅に戻り、その週末にまた千葉に帰省するというあわただしいことをやらなければならない。どうせなら正月休みの間に開催してくれないかな、なんて思ったりする。

 2回目だからコースは慣れたものである。今年のタイムは60分44秒。ちなみに一緒に出た姉は56分。相変わらず姉の方が元気である。

 健康のために走っているのだから、あまりタイムを気にするつもりもないのだが、ひとつ大事なことを忘れていた。3月に三浦のハーフに出る。これの制限時間は2時間20分である。昨年のタイムは2時間14分、けっこうギリギリだった。

 ハーフの時間制限を考えると、10㎞で60分というのはちょっと遅い。なぜなら、ずっとこのペースで走れないからである。後半に疲労して遅くなることを考慮しないといけない。これから3月に向けてちょっと短縮しておかないとまずい。体のリズムが時速10キロに固定されて慣れてしまうと、それより速く走るのは難しい。

***
 レースが終わったあと、姉の家で、なんと甥(大学3年、就職活動中)が足をマッサージしてくれた。えらい気持ちがいい。どこでこんな技を覚えたのかと聞くと、腰を痛めて整骨院に通っているときに覚えたのだという。前の記事で書いた姪の件といい、今回の甥の件といい、大人になったものだ。(そりゃこっちだって年をとるわな)

 下は、記録証。
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関東マスターズロード選手権 [マラソン]

 6月10日、毎年恒例の関東マスターズロード選手権の10kmのレースに参加した。今年はスランプの影響もあり、一回も練習しないまま本番を迎えることになった。でも、なぜか本番が近づくにつれてだんだん、「なんとか行けるんじゃないか」という気がしてきた。何の根拠もない自信であるが、どうせ出るのなら、プラスに考えた方がいい。

 ところが、当日の朝になって、不吉なことが立て続けに起こった。まず、机の上に置いたコップに手を引っ掛けてしまい、これが床に落ちて割れた。凶兆である。こんなことを気に病むのは、自分がベストを尽くしていない証拠である。さらに、出かける間際になって、普段ランニングで履いている靴が無くなっていることに気づいた。どこに行ったんだろう。ゴールデンウイークに一回走った。それっきり走っていない。これだって普段走っている人であれば有り得ない失態である。もう電車に間に合わない。結局、コンバースで走ることにした。

 このレースは皇居を1周5kmを2周して10km走るレースである。5kmのレースもあるが、僕は毎年10kmに出ることにしている。さて、全く練習しないで参加した結果どうなったか。一週目のラップは31分だった。これはいつものペースとあまり変わらない。ところが、2周目で完璧にバテた。なんと、歩いてしまった。10kmのレースで歩いたことなど無かったのに。しかも靴が悪くて、やはり足の裏が痛い。

 結局タイムは65分。最下位だった。関東マスターズでビリになるのは二回目である。しかし出るべくして出た結果である。ちなみに一緒に参加した校長先生の若奥様は上位に入賞。立派なものだ。(若奥様と大会に出たのは1年ぶり)

 考えたこと。まず体力面。体重が増えても減っても、練習をしてもしなくても、どういうわけかタイムは1時間ちょっとで、あまり変化がない。今回、ものすごく悪い記録になるかと思ったが、それほどでもなかった。途中歩いても、チンタラ走ってもあまり記録が変わらないということは、僕が走るペースというのは、何か、体重とか筋力とか体力などといったもの以外の部分で決まっているような気がする。例えば、体の中にランニングのリズムを刻む体内時計のようなものがあって、それがリズムを決めているのではないか。

 次に精神面。大会に出る以上は、ベストを尽くして練習すべきだと思うが、今回のようにスランプで練習できなくても、体調さえ良ければ、諦めずに出るべきだと思った。出れば得るものはある。一番大きなものは「また頑張らなきゃ」という気分になれること。大会そのものから根性を注入してもらえるのだ。

***
 大会が終わったあと、若奥様のたっての希望により、大久保のコリアンタウンに行き、韓国料理を食べた。新大久保の駅の近くに、韓国料理の店がたくさんあるという話は噂に聞いていた。行ってみたら、まるで横浜中華街の韓国版みたいになっていた。すごいもんだ。サムギョプサルという肉料理をたらふく食べた。旨かった。この料理、行く前は、カルビのようないわゆる朝鮮焼肉の一種だと思っていたが、そうではなかった。もっと食材が多様で、豪華で、しかも庶民的。食べたことの無い人は、是非一度食べてみることをお勧めしたい。

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三浦マラソン(3) [マラソン]

つづき)

【感想、膝の症状など】
 昔の記事を調べたところ、現在のように生活にランニングを取り入れたのは、2009年の10月だった。当時は、ランニングとは全く無縁な生活をしていて、最初はわずか5分走ることも出来なかった。

 最初に出たレースは2010年三浦の10kmだった。この頃10km走るということは僕にとってはものすごいことに思えた。しかし現在ではさほどの大事ではなくなっている。これは「速く走れる」という意味ではなく、「精神的な重圧がなく普通のこととして出来る」という意味である。(ただし一般的な10kmレースの制限時間が70分程度だからこのように言えるのであって、これが50分だったら話は別である)

 この最初のレースの後、「一年後にハーフを走ろう」という目標を立て、1年後に実際に出たが、10分オーバーに涙を飲んだ。今年、ようやく2年越しの目標を達成した。

 「10km走れたらハーフを走れたのと同じだよ」と言う人が結構いる。かなりいい加減な話だと思う。何の根拠もない。とりあえず僕の場合、1年目はこれは当てはまらなかった。たぶん10kmを必死で走っているうちはハーフは走れないのだ。「10kmなんか普通だ」と思えたときにハーフが走れるようになった。ならばハーフを必死で走っているうちはフルは走れないのだろう。「ハーフなんか普通だ」と思えたとき、フルがようやく走れるのかも知れない。

 ところで、今回ハーフを完走して、新たな課題が浮上した。膝の弱さである。この痛み、実は経験がないわけではない。軽いのは今までもあった。しかし、こんなにひどいのは初めてだった。今回は練習と本番の合計で、一週間おきにハーフの距離を3回走った。そして膝への負荷が練習のときから蓄積し、ちょうど本番で限界が来た格好になった。

 ここでちょっと、今回経験した膝の痛みの症状をまとめてみる。いわゆる「ランナー膝」というものらしい。太ももから膝の外側に繋がっている筋肉のオーバーワークが原因だそうだ。確かに膝の外側に痛みの中心がある。

0) 練習時 
 21kmを初めて走った翌日、軽い痛みがあったが1日で終わった。2回目の練習の後は痛みの回復に2日かかった。

1)大会当日から翌日
 当日は、走り始めてすぐに痛みが始まった。ランニング終了時は立っているのがやっとだった。帰宅したあとで寒気がしたので体温を測ったら37℃程度の微熱があった。翌日は下記の通り。
・階段の下り: 痛くて左膝を曲げられない。右も同様だが痛みが比較的軽いので、右足に頼って下る。手すりが必要。
・階段の上り: 下りと同様に左膝を曲げられず右足に頼る。ただし下りのときほど深刻ではない。痛みに耐えながら両足を使うことはできる。手すりが必要。
・通常の歩行: 左膝は棒のように伸ばしたまま。右足に頼って歩く。

2)2日目
 痛みはだいぶ引いた。 レース直後の痛みを10としたときに右足は2、左足は6くらい。快方に向かっていることははっきり自覚できたが、今後のため、何が起こっているのかを知りたかったので病院で診察を受けた。結果、レントゲン写真では異常が見当たらないと言われた。「軟骨が磨り減っている」と言われるのが怖かったが安心した。あとは一般的な「ランナー膝」の知識とだいたい同じことを言われた。

3)3日目~4日目
 通常の歩行も階段の昇降も全く問題無いレベルになった。左に痛みがかすかに残っている。

4)5日目
 完治した。

*****
 さあ、回復したのはいいが、補強しておかないと、また同じことが起こるはずである。それでは次のステップ(フルマラソン)に進めない。補強には自分の年齢を考慮してじっくり取り組もうと思う。膝を距離に慣らしていかなければならない。慎重に慎重に。

 下の写真はオールスポーツで公開された写真。ちょっと高いけど注文してしまった。初めてハーフを完走した記念に。

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(おわり)
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三浦マラソン(2) [マラソン]

(つづき)
【レース】
 自宅を7時に出発し、京急の三浦海岸駅に8:33に到着した。支度をし、荷物を会場にある有料の預かり所に預けた。無料の荷物置き場(地元の小学校の体育館)もあって、こちらは昨年使ったが、男子用は会場からだいぶ離れた場所にあって、使い勝手があまりよくない。有料であっても浜辺にあるほうがいい。ちなみに女子用は会場の比較的近くにあって、こちらはさほど問題はなさそうである。ハーフのスタートは9:37。花火が鳴った。スペシャルゲストの高橋尚子さんがDJのやぐらの上から「頑張ってね~~」と激励してくれている。それだけでなんか楽しい気分になってきた。

 走り始めてすぐに左膝に違和感を感じた。練習のときは、走り終わったあとに来た痛みが、今回は、走っている真っ最中に来てしまった。このあと、次第に右膝も痛み始めた。8km地点の城ヶ島大橋。昨年は良く晴れていて、ここからの海の眺めは素晴らしかったが、今回は天気が悪くて残念。城ヶ島には和太鼓の演奏団がいて、ドンドコドンドコ太鼓をたたいて、ランナーを励ましてくれる。なお練習のときは、エネルギー補給(バナナ)をしたのは折り返し地点だったが、本番の折り返し地点(城ヶ島の中にある)は停止できるような場所ではなく、出来なかった。とりあえず補給せずに、そのまま行けるところまで行こうと思った。

 城ヶ島を出て橋を渡ったあたりに中間地点があり、ここにスタートからのタイムが表示されている。僕が通過した時、タイムは1時間04分だった。だいたい、いつもと同じペースだ。今回は運悪く、走っている最中に電池切れで時計が止まってしまって、自分のペースがわからず、ちょっと不安だったが、時計があろうがなかろうがランニングってのは毎回だいたい同じタイムになるらしい。(だから時計は要らないという話にはならないが)

 17km地点。昨年、ランニングが止まってしまった地点である。疲労がピークになったので、用意しておいたゼリーで腹ごしらえをした。そしたら効果てきめん! まるでポパイがほうれんそうを食ったように急に元気になってしまった。♪ ポパイ、ザ、セ~ラ~マ~ン!♪ アニメのあの音楽が頭の中に鳴り響いて、自分でおかしくなった。(しかし、あの音楽を知っている人も、もう少ないかも知れないな)

 補給が終わってランニングを再開した途端に、膝に激痛を感じた。これはもう、あまりもたないかも知れない。膝に抱えた爆弾は、この次に止まったら爆発すると思って走った。(以前、そんなパニック映画があったような) とにかく、ここから先は前進あるのみ。必死に腕を振って足を動かした。

 沿道の人が、「もうすぐゴールだよ~」と励ましてくれる。これはありがたい。息が上がってしまってお礼が言えないのがもどかしい。ゴール地点ではQちゃんがハイタッチで出迎えてくれた。感動。タイムは2時間14分。昨年と比べたらこのうれしさは天国と地獄である。ちなみに姉は2分遅れて2時間16分でゴールした。

 ゴールしたあと、2時間20分の制限時間が過ぎたあとで何がおこるのか、気になったのでずっとDJに耳を傾けていた。時間になったら、DJは「みなさん、お疲れ様でした、どうもありがとうございました」と挨拶し、ゲストのQちゃんもそのように挨拶し、まるでラジオの番組が終わるように大会が終わったのだった。ああ無情。(いや、そんなこと言っちゃいけないよね。道路の封鎖を解除しなければならないんだから)

 下の写真は完走証。
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(つづく)
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三浦マラソン(1) [マラソン]

 2012年3月4日。今年も三浦マラソンの季節がやってきた。(正式な大会名は「第30回2012三浦国際市民マラソン」)。昨年は甥と一緒にハーフを走り、制限時間を10分オーバーして悔しい思いをした。同じことを2年連続でするわけにはいかないと思っていた。そして参加した結果、大きな成果を得ると同時に、大きな課題を抱えることになった。今後のため、練習から順を追って経緯を綴ることにした。

【練習】
 2012年2月5日に練習開始。1月14日の高滝湖マラソンから3週間のブランクがある。まずは10km。実はいつものコースを2周して20km走るつもりだったが、1周で断念。こういうコースだと、1周したところでどうしても甘えが出てやめてしまうので、そうならないように10.5kmで折り返して帰ってくるコースを新しく設けることにした。グーグルの地図で、自宅から藤沢橋、遊行寺経由で東海道を北上し戸塚警察署付近まで行くと、片道10.5kmになることがわかったので、これを往復する。

 翌週2月19日に2回目の練習。新しく作ったコースで、5kmごとに給水し、折り返し地点でエネルギー補給のためにバナナを食べた。タイムは2時間23分。惜しい。3分オーバーだ。翌日、膝の痛みが来たが、1日で回復した。さらに翌週、2月26日、前回と同じことをして、タイムは2時間20分ちょうどだった。練習はこれでおしまい。前週よりも足の痛みが強く出て、治るのに2日かかった。

 一般公道の練習は信号待ちがある。これは避けられない。信号待ちをすればそれがタイムロスになる。その状況で、2時間20分ちょうどである。ならば、これが無ければもっと速くなるかというと、どうなんだろう。信号待ちは適度に休憩を取っていることにもなるのだ。これが無くなったときに、吉と出るのか凶と出るのか。それはやってみないとわからない。

【前日】
 一緒に参加する姉が前日泊のために来訪。夕食をとって早めに就寝。姉は熟睡できたそうだが、僕はどういうわけかなかなか寝付けなかった。一晩中、浅い眠りのままだった。しかも1時間に1回、トイレに起きる、いわゆる頻尿状態。緊張しているせいなのか。興奮しているのか。自分でもさっぱりわからなかった。
(つづく)
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高滝湖マラソン [マラソン]

 今年の正月は例年の通り実家に帰って過ごしたけど、帰って早々に風邪を引いてしまった。体調がいまいちだったので、あまり運動もせず、ほとんど家の中に閉じこもって過ごした。ただ、マスターした料理の成果発表はした。酢豚、エビチリ、麻婆豆腐、回鍋肉の4種類。結構、評判良かった。

*****

 さて、1月14日、新年早々に今年一回目のマラソン大会があった。千葉県市原市の高滝湖マラソンである。これは、やる気まんまんの姉に誘われたもの。
 結果は姉が56分、僕は59分だった。前回の丹沢湖マラソンに比べて、姉は記録を2分更新した。僕は3分更新し、しかもついに1時間を切った。めでたいめでたい。

 実は練習は、一週間前に3km走っただけだった。最近、寒いから外に出る気が起きない。すごい情けない。マラソンなんて暑い季節に体を動かすのがきついから、むしろ冬に向いた競技じゃないか。冬になったらなったで寒いから嫌だってそれはないだろうと思う。この怠けっぷりには自分でも呆れる。

 ただ・・・。それにしても前回よりも3分もタイムを短縮できたってのは何なんだろう。特別に頑張ったわけでもないのに。やっぱりタバコをやめたせいで心肺機能が少しずつ向上しているのだろうか。思い当たる節は、そこしかないのだが。

 大会の風景。
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 以下、断片的に感想を。

◆マラソン大会も何回も参加していると、良い大会だと感じるときと、そうでもないときがあることに気づかされる。僕が良い大会だと思うのは、荷物の管理をきちんとしてくれる大会である。誰でも出入り自由な場所を荷物置き場に決めて、「ここに置いて下さい」という大会は、泥棒に盗られそうで嫌なのだ。貴重品はどこの大会でも預かってくれる。しかし貴重品だけでなく、すべての荷物をきちんと預かって欲しいと思う。今回の高滝湖マラソンは、荷物預かり所がきちんとしていた。

◆毎回、マラソン大会には、スポーツ大会専門の写真屋さんが来ている。そして選手の写真を撮って、ネットで公開し、気に入った写真があったら購入できるシステムがある。実は以前、一度買ったこともある。しかし気に入った写真があることは、あまりない。もう年を食って自分の走る姿がかっこよく写らないのだ。次回からサングラスをかけて、顔を隠そうと思う。


 下の写真は記録証。
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丹沢湖マラソン [マラソン]

 11月27日に丹沢湖マラソンに参加した。正式な大会名は、 「~がんばれ東北!東日本大震災復興応援イベント~第33回丹沢湖マラソン」である。丹沢湖といえば、西丹沢の山に登りにいくとき、バスで何度か通ったことがあったが、そこでこういうイベントがあったとは知らなかった。ちなみにこの大会を捜してきて誘ったのは、うちの姉である。クラスは10 km。エントリーしたのは9月の最初の頃、つまり禁煙スタートと同じ頃だった。だから「もしかして禁煙に成功したら、いままでよりもいいタイムが出るかも」と、ちょっと楽しみにしていた。

ところが、禁煙スタートと同時に、歯肉炎になって、治療に1ヵ月もかかり、その後、尿管結石になったりして、マラソンの練習どころではなくなってしまった。そしてモチベーションが全く上がらないまま、11月になってしまった。練習しないとさすがにやばい。今回のレースのために初めて練習したのは、11月13日だった。

 タバコを吸っていた頃でも、体が慣れていれば、10kmを60分程度で走れるようにはなっていた。ただし、今回のように5ヶ月も時間が開いたとき(=体が鈍っているとき)は少し状況が異なる。喫煙時は、最初の5分でバテていた。しかもなぜか足首が集中的に疲労する傾向があった。それに対してこのたびはどうだったかというと・・・。

 まず初回の練習、11月13日。ペースは遅いが60分継続して走れ、しかも足首の疲労は起こらなかった。しかも帰宅した後、以前だったら家について、そのまま「あ~しんど!」と横になり、そのまま眠りこけ、そのあと何もやる気が起きなかった。今回は、そのまま風呂に入り、その後、買い物に出かけるという元気さ。やっぱり禁煙の効果はすごいなあ、と思った。

 次に2回目の練習、11月23日(祭日)。前回の結果に気を良くし、すっかり油断してしまい、ロクに準備運動もせずに走り始めたら、いきなり、足首が痛み始め、3kmしか走れなかった。「おかしいな。今回もいけると思ったのに・・・」どうしてこうなったのか原因不明。1回目とのあまりの違いに、ちょっとショックを受けた。

 そして3回目の練習、11月26日(大会の前日)、足首の痛みもなんとか治った。この日は6km走って終わりにした。明日のために体力を温存しておかないといけない。調子は悪くなかった。前日は姉が泊まりに来た。姉の手料理をつまみに乾杯し、早めに就寝。

 さて当日。小田急線で新松田まで行き、専用バスで会場まで。僕はやる気満々。一方、姉は「思うように練習できなかった」「制限時間内に完走できればいいや」「ひぐちゃんのあとについていく」などとネガティブ発言を連発している。ところがフタを開けてみたら・・・。僕は62分。姉は58分。自分の記録も変わらないが、姉の方が速いという現実も全く従来と同じである。(笑) 下の写真は、走り終えたあと、近くの人に頼んで撮ってもらったもの。姉の顔の赤さに注目。よほど頑張っったんだろうなと思った。

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 それで、1つ悟ったことは、「禁煙をしたからと言って速く走れるようにはならない」と言うこと。喫煙者と非喫煙者の心肺機能には、おそらく大きな差があると思うが、僕の場合、タバコをやめてわずか3ヶ月である。28年間タバコを吸い続けて、最近3ヶ月やめただけで、飛躍的に心肺機能が向上するのか。そんな上手い話はないと考えた方が自然だろう。

 もう1つ、マラソンは、心肺機能だけでやるものではないということ。例えば筋力。僕はランニングを始めて以来、ずっと同じ走り方をしている。その習慣によって体の各所の筋力が決まっている。速く走ろうと思ったら、それなりの練習をしてそれなりの筋力をつけなければ速くはなれないということである。さらに精神力。過去の記事で書いたように、僕は子供の頃から脳貧血持ちなので、長距離走に対して本能的な恐怖心がある。例えばラストスパートをしようと思っても、脳貧血を起こす恐怖感があるから、ほんの一瞬でも無理をしようとすることに対して、非常に抵抗を感じるのだ。筋力も精神力も、禁煙とは無関係のところにあった。

 そういうわけで、禁煙に過度に期待した今回の大会は、「記録が従来と全く変わらない」というほろ苦い結果に終わった。ただ、5ヶ月のブランクがあって、事前に3回しか練習をせず、しかもその3回とも10km走っていない状態で本番に臨み、それで従来と同じタイムを出せた。タバコを吸っていた頃だったら、こんなことは無理だったと思う。
 さらに言うなら練習時の気軽さがある。タバコを吸っていた頃は、ランニングに出かけると思っただけで気がズ~ンと重かった。でも、やめてからは散歩に出かけるように気楽である。体力に余裕があるからこういう心境になれるのだと思う。

 つまり、記録(数字)には現れていないが、禁煙が自分の体力の向上に十分に寄与していることを、今回の大会とその練習で体感できたことになる。これは非常に大きな収穫だった。

下は記録証。
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関東マスターズロード選手権大会 [マラソン]

 2011年6月19日、昨年にひきづつき皇居の関東マスターズロード選手権大会(10kmのクラス)に出場した。

 3月の三浦国際マラソンでハーフを走って、制限時間をオーバーし、いろいろと考え事をし、さあ頑張らなきゃ、と奮起した、その矢先に東日本大震災が起こった。それ以来、どうも練習する気が起きないまま、時間が経ってしまった。

 この大会にエントリーしたのは、震災の10日後だった。でもなんか練習する気が起こらない。要は震災のニュースや計画停電なんかに注意が行ってしまい、走る気になれないのである。「被災した人たちが大変な思いをしているのに走っている場合か?」という気持ちもあった。5月に入ってようやく練習を再開したが、。鈍ってしまった体は、なかなか戻らない。10km続けて走れなくなってしまった。そして大会の前日まで、この状態が続いたのである。三浦マラソンのときはなんと17kmまで連続で走れたのに。

 一緒に出場するのは、昨年と同様、僕の通う語学学校の校長先生の若奥様である。前日に校長先生が「ひぐらしさん、明日は大会ですね。頑張って下さいね」と激励してくれた。しかし今回は全く自信がない。そして若奥様も同じような問題を抱えていた。

 彼女の場合、どちらかというとランニング中毒で、走らずにはいられない体になっている。湘南国際マラソンではフルを完走した人なのである。僕なんかと鍛え方のレベルが違う。しかし震災の直後から放射能が気になって走れなくなってしまった。その状態が1ヶ月くらいつづき、体がすっかり鈍ってしまったらしい。

 当日、受付で渡された選手名簿にこんなことが書いてある。

当日のヘルスチェック10ポイント

1 熱はないか。
2 体はだるくないか。
3 昨夜の睡眠は十分か。
4 食欲はあるか。
5 下痢はしてないか。
6 頭痛や腰痛はないか。
7 関節の痛みはないか。
8 過労はないか。
9 前日のスポーツの疲労は残ってないか。
10 今日のレースに参加する意欲は十分か。

 一つでも問題があれば、出場を取りやめてください、と書かれている。二人とも健康状態には問題ない。しかし唯一、10番のメンタルな部分に大きな問題を抱えている。全く自信がないのである。とはいえ、ここまで来て、やめる手はないだろう。

 10時、僕の走るクラスのスタート。苦しかったけど、今日でようやく体が戻ったらしい。記録は60分ちょうど、今年はビリッケツを免れた。さしたる事件もなかったが、ひとり面白い人を発見。走り出して10分程度で、もうへたばって歩いている。相当なメタボ体形。この人のタイムは70分くらいだったようだ。想像するに、やっぱり健康のために走り始めたのだろう。練習不足でもなんでも、とにかく大会に出場することは偉いことだ。目標がなければ体を鍛えようと思わないからね。

ゴールするひぐらし。↓
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 12時、若奥様のクラスのスタート。昨年は、1周目のラップが25分だったので、そのくらいの時間にカメラを構えていたのに、なかなか現れない。おかしいな、と思っていたら、30分頃にようやく現れた。こちらも相当調子が悪いらしい。ゴールのタイムは57分。昨年は51分で上位入賞した人が、なんと僕と同じレベルまで落ちぶれてショックを受けている。聞けば、途中、周囲に走る人の気配が全くなくなってしまい、「たぶんビリだ、せめてひぐらしさんのタイムに負けないように走ろう」と思って頑張ったそうである。彼女にとって、ひぐらしのタイムは、どうやら「下回ってはならない最低のライン」らしい。

ゴールしてがっくりとうなだれる若奥様。↓
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 帰りは、横浜の中華街で、若奥様の友達のKちゃんと合流し、飲茶の店でご苦労さん会をした。おいしかった。

 おまけの写真。↓ 皇居のお濠を泳ぐ亀。
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三浦国際市民マラソン [マラソン]

3月6日、三浦国際市民マラソンのハーフマラソン(約21.1km)に参加した。前の週の2月27日の藤沢市民マラソンで、16km走った。このとき好調だったので、「ハーフマラソン(21.1km)も何とか行けそうだ」と思った。ところが、これが大間違い。制限時間をオーバーしてかろうじてゴールした。つまりタイムなし。普段、このブログは成し遂げたことばかり書いているが、このたびは失敗談を書かなければならなくなった。

 今回は、甥(姉の息子)と一緒に走る。彼は現在、短大の1年生、今、春休みで暇である。昨年、椎間板ヘルニアを患い、そのとき医者から「筋肉なさすぎ。運動して体を鍛えなさい」と言われたらしい。それ以来、ジムに通ったり、ジョギングをしたりして体を鍛えている。最近では、ハーフマラソンくらいの距離を普通に走れるようになっているという。

 甥は前日、僕の家に泊まり、当日は一緒に出かけた。京浜急行の三浦海岸駅に8時30分に到着。近所の小学校に荷物置き場と更衣室が設けられており、そこで着替えてスタート地点へ向かう。9時37分スタート。制限時間は、ハーフマラソンの場合、2時間20分だから、11時57分までにゴールしなけれなならない。自己申告タイム2時間20分のところに甥と一緒に並んだ。ドンドンドンと、スタートの花火がなった。

 コースは、海岸から山の方に入って、城ヶ島まで行き、少し違うルートを通ってスタート地点に戻る。アップダウンの厳しいコースである。それでも10kmを過ぎた時点で65分、いつもと同じペースである。このペースを守ることができれば、20kmで130分。21.1kmなら、ぎりぎりでゴールインできる。でも考えが甘かった。17kmを過ぎたあたりで、急に体が鉛のように重くなり、ちっとも前に進まなくなった。腕を振って無理矢理足を動かしていたが、しまいにはそれもできなくなり、ついにランニングを維持できなくなり止まってしまった。以後、歩く、走るを繰り返したが、残りわずか4.1kmの道のりが、これほど、長く感じられるとは思わなかった。

 ゴールしたのは、12時07分。タイムは2時間30分。制限時間を10分もオーバーしてしまった。参加賞のTシャツと三浦大根をもらった。完走証は、もらえたことはもらえたが、タイムと順位は印刷されない。順位は、6343人中0位と書いてある。ちなみに、甥のタイムは、2時間2分。なかなかやるじゃないか。ガキの頃から運動神経が鈍く、勉強もできなかったが、ようやく偉大な叔父を超えたか。なんてね。

 ところで、時間オーバーなんかしたことのないエリート達は、制限時間が過ぎたら何が起こるのか知らないだろう。だから教えてあげよう。まず計測がストップされ、ゴールのゲートが片付けられてしまう。僕が到着したときは、そこにあるはずの場所にゲートがなかった。せっかくゴールしても、みんな、まるっきり無視で、忙しく片付けの作業をしている。それから、「収容車」というのが出動し、遅れているランナーの収容に向かう。しかし、この「収容車」というネーミングはいかがなものか。なんだか、身柄をどこかの強制収容所に送られて、「このノロマめが!」とか言われて、鞭を100発くらい浴びそうである。

 ああ無情。しかし、マラソン大会は公道を封鎖して行うイベントである。大会の運営に携わる人の立場からすれば、一部の遅いランナーのために、道路をいつまでも占拠しておくわけにはいかない。時間が過ぎたら、交通規制を解除しなければならないのだから、この措置は止むを得ないのだ。

 人はショックを受けると、いろいろと考えごとをするものである。何がいけなかったんだろう。僕はこれから何をすればいいんだろう。そもそも、自分は、ハーフを走れる実力があったのかという、根本的な疑問がある。一週間前の藤沢市民マラソンのときの感触では、16kmでも結構余裕があったから、20kmも何とか行けそうだと思ったのだが、今回は、17kmで限界が来た。つまり、結構余裕があったのではなく、1kmしか余裕がなかったことになる。しかも限界は突然来て、走れなくなった。

 だいたいにおいて、練習計画が甘かった。昨年の三浦マラソンで10kmに出たあと、「来年はハーフを走る」という目標を立てた。時間は1年あったのだ。にも関わらず、20kmを一度も走ったことがなかった。(1回だけトライアルはしたが、失敗してそれっきり) これでは問題点なんか把握できるわけがない。都合のいいように(問題がないように)思い込んでしまう。結果は10分オーバー。これは早期から把握していれば解決できる問題だったんじゃないだろうか。トップランナーが自己ベストを10分縮めるのは、至難の業だと思うが、僕みたいなビリッケツランナーだったら十分に伸び代があると思うのである。

s=vt を使って、試しにあれこれ計算してみる。
21.1km÷2hr30min=21.1km÷2.5hr=8.44km/hr ⇒ 0.118h/km=7.1min/km
21.1km÷2hr20min=21.1km÷2.333hr=9.04km/hr ⇒ 0.110h/km=6.6min/km
 
 つまり、ハーフマラソンを2時間30分で走ることと、2時間20分で走ることの違いは、1kmあたりを7.1分で走るのか、6.6分で走るのかの違いである。時間にして10分の違いは、わずかな差のように錯覚するが、速さの観点に置き換えると、結構な違いになる。計算は省略するが、今回制限時間ぎりぎりでゴールインしたランナーと僕の速さを比較すると、1km走っただけで、67mもの差がついてしまうほどの違いがある。しかも長距離を走れば疲労し、疲労すれば速さは必ず落ちる。(←これ重要) 

 要するに、平均で10km/hr(6min/km)を保つためには、最初は、もっと速くなければならないことになる。まして三浦のようなアップダウンのきついコースでは、疲労はさらに激しい。いままでタイムに無頓着だったが、これから先、ステップアップして、ゆくゆくはフルマラソンにチャレンジしようとするなら、タイムにもこだわらないといけないようだ。

 惨めな思いをしたが、そのかわり新しい目標ができた。まず最初の目標は、10kmの距離を10km/hr(6min/km)を切る速さで走れるようになること。次に、そこから継続して20kmを歩かずに走り続けられるようになること。さらに、夏までに20kmを2時間以内で走れるようになること。いままで、マラソンはさほど頭を使わないものだと思っていたけれども、「疲労といかに戦うか」について知恵を絞らないといけないものだということが今更のようにわかってきた。「制限時間」というものは、交通規制絡みの事情もあるが、ひとつの「面白さ」でもある。いい刺激になった。わかってくると、なんでも面白いね。

【余談】
 甥の横顔を電車の中で見たとき、ドキッとした。目元が僕にそっくりである。こんなに似てたんだ。この子が赤ん坊の頃、親戚たちが「ひぐちゃんの赤ん坊の頃にそっくりだ」と言っていたのを思い出した。
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