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初歩のエレクトロニクス製作集 [ラヂオ]

 校長先生と若奥様の一人息子のKちゃんが、昨年から電子工作に目覚めたらしい。ロボットの工作キットなんかを、一生懸命に組み立てているようだ。若奥様は教育熱心だから、早速、どこかから子供向けの電子工作の通信教育を探して来て息子に与えている。しかし息子の方は、テキストよりも実践(つまり工作)の方が面白いらしく、動作原理にはまだあまり興味が行かないようだ。

 しかし、それでいいのだと思う。少なくとも、子供が技術の入り口に立つのは、動くものに実際に触ったときなのだ。「なんだろう」「なんで動くんだろう」と興味を持って、そこから知識が身についてくる。

 また、昔のことを思い出してしまった。

 僕が電子工作に夢中になったいきさつは、過去の記事に書いたとおりである。興味のある人は、「ラヂオ」というカテゴリーをクリックすると関連記事が読めるので参照されたし。まあ、そういうわけで(話の続き(笑))小学校の6年生のとき、ゲルマラジオには挫折したが、その後も電子工作にはずっと興味を持ち続けた。そして、そんなある日、本屋で見つけた本を親にねだって買ってもらったのだった。

 「図解・初歩のエレクトロニクス製作集」。著者は泉弘志(いずみひろし)さんと言って、その世界では有名な人だった。「その世界」というのは、「初歩のラジオ」の世界である。当時、誠文堂新光社から出版されていた月刊誌「初歩のラジオ」の製作記事のレギュラー執筆者だった。この人の書く記事はイラストが豊富で、小中学生レベルの、電子工作に興味を持ち始めたばかりの人にとって、非常に親切な内容だった。僕が買ってもらったこの本は、「初歩のラジオ」の掲載記事から、よい記事を選んで単行本にまとめたような本だった。

 この本の製作記事の中から2つ(注)を選んで作ったのを覚えている。1つ目はブザー、2つ目はサイレンだった。どちらもきちんと動作した。単純な工作でも、うまくいけば嬉しいものだ。部品は例によってS電子部品商会で買い揃えた。秋葉原に行かなくても、隣町にそういう店があったというのは、今思えばかなりラッキーだったと思う。ない地域の人は雑誌の広告をみて通販で買うしかなかっただろう。

(注)2つというのは少ないと思われるかも知れない。しかし、あくまでも「この本で」2つという意味である。電子工作はそれ以来、この年になってもまだやっている。

 2つで終わったのには理由があった。まず電子工作をするには部品代がかかる。そのへんに落ちているものを組み合わせて出来るものではないのだ。しかし子供の道楽のために、そうそうお金をだしてくれる親はいない。電子工作を「勉強」と捉えれば、若奥様のように息子のために通信教育まで用意してくれるような理解ある親になる。しかし、うちの親は僕の工作を単なるガラクタいじりだと捉えていた。それも仕方ない。当時僕がやっていたのは電子工作だけではなかった。つまり電子工作は、数あるガラクタの中のひとつに過ぎなかったのである。

 それともう一つ。回路図を見て部品を揃えて半田付けすれば、目的の物ができることがわかってしまい、「自分のやっていることは単なる半田付け作業だ。回路の意味がわからなければ意味がない」と思い始めたのである。「意味がない」というのは、いささか言い過ぎである。半田付け作業をして完成の喜びを味わうことは、すなわちその道のスタートラインに立つことであり、それがなければ次もない。「意味がない」と感じたのは、次の段階に進みたいという気持ちの表れだったのだと思う。

 この本は、暇さえあれば眺めていたし、開きながら工作をしていたので、半田のヤニの染みがついたり、焦げ目がついたり、リード線の屑を噛み込んだりして、しまいには、ぼろぼろになってしまった。そこまで使われれば著者は本望ではないだろうか。いつ手放したのかは記憶がないが、古雑誌と一緒に古紙回収に出してしまったのだろう。いつの間にか無くなっていた。しかし、つい最近、ひょんなことから、ネットの古本屋で同じ本を見つけて、通販で入手することができた。懐かしい昔の友人に再会したような気分だった。

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 回路図を改めて見てみる。今は小学生の頃と違って、それなりに勉強した後だから、当時わからなかった回路の意味も、それなりにわかる。なるほど、そういうことだったのか。なんて一人で納得したりする。誰かに「これはこういうことだったんだよ」、なんて説明したくなる。泉さんが何を考えて小中学生向けにこの回路を設計したのか、意図がある程度汲めるようになっている自分がいる。そして当時の時代背景も伝わってくる。例えば・・・

◆ハートレー発振回路が結構な頻度で出てくるが、その理由は、それがスーパーヘテロダイン式のラジオの局部発振や中間周波増幅回路と同じ形だから、いずれ子供達がラジオの回路を学ぶときの布石を打ってくれているのではないか、とか。(事実、これを見てから6石スーパーの回路図を見ると、そんなに難しくなさそうに見えてくる。すごい。これぞ入門者教育の神髄というものだろう)

◆音声を発生する発振回路に、NPNとPNPのトランジスタを1個ずつ組み合わせた弛張発振回路がいくつも登場する。たぶん、スピーカーを鳴らす回路としては、これが一番部品点数が少なくて、子供の懐に負担のかからないものなんだろうな、とか。

◆発光デバイスとしてネオン管が多用されているのは、当時はLEDの輝度が弱くて照明に使えないレベルだったからなんだろうな、とか。

◆配線に蛇の目基板(ユニバーサル基板)を使わず、ラグ板を使っているのは、真空管ラジオの立体配線の名残なのではないか、とか。いや。待てよ。当時そもそも蛇の目基板ってあったんだろうか、とか。

 この本に載っている27種類の回路の動作原理を、全て完璧に理解して説明できるようになるには、結構な量の知識が必要になりそうだ。そう考えると初心者向けの本でもあなどれない。昔と違った意味で、この本をもう一度、丁寧におさらいしてみようと思った。そうすることで自分の知識の棚卸しにもなる。

***

 それから、著者の泉弘志氏(1927~2003)について書いておきたい。この人は入門者を育てることが大切だという強いポリシーをもち、昭和23年に「初歩のラジオ」に製作記事を書き始め、同誌が休刊になったあとは「子供の科学」に活躍の場を移し、平成11年まで、実に50年の長きに渡って入門者のための記事を書き続けた人だった。平成15年に逝去。今、僕くらいの年齢の人の中には、この人の記事で電子工作に目覚めて、エンジニアになった人が、相当たくさんいるに違いない。
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ラジオにまつわる思い出話(3) [ラヂオ]

 先に書いた記事「ラジオにまつわる思い出話(1)」、「同(2)」で、小学校6年生のとき、ゲルマラジオをきっかけにして電子工作にハマッた話を書いた。これでおしまいの予定だったのだが、ちょっと欲が出てしまい、もうちょっと詳しく書きたくなってしまった。例の、家の近くのT無線で、ラジオキットを売っていたのである。T無線はよく行く店だったから、ラジオに目覚める前も、それを見ていたはずである。にも関わらず、それまで目に留まらなかったのは、そのときは興味がなかったからだろう。

 家電の店でラジオキットを売っているなんていう光景は、最近ではお目にかかることはまずない。そもそも、ラジオを自分で組み立てようという人がいない。今、ラジオキットを買おうと思ったら秋葉原あたりに行かないと手に入らない。でも昔は、そこそこ、やる人がいたんだろうね。僕の記憶では、T無線の、そのショーケースの中には何種類かのトランジスタラジオのキットがディスプレイされていた。(「Ace」というブランドがついていた。このメーカー、まだあるんだろうか)

 ラジオに目覚めてしまったひぐらし少年にとって、このディスプレイは、非常に「目に毒」なものだった。僕は、その後も、何かと買い物があって、T無線に良く通っていた(買うものは、相変わらず電線とか電池とか、そんな安いものばかりだった)が、このショーケースの中のラジオキットが、欲しくて欲しくてたまらず、行くたびに、これをチラ見してはため息をついていた。そして、ついに、お小遣いをはたいて、その一番小さな1石(2石だったかな)のラジオキットを買うことになった。T無線の親父は、僕がいつもより高い買い物をしているというのに、相変わらず無愛想だった。(だからお前の娘なんか狙ってねえっつうの)

 さてさて。喜び勇んで家に帰り、半田ゴテを握り、わくわくしながら組み立てた。完成してスイッチオン。をををををを! 聞こえる聞こえる! すごいすごい! 感動した。なんだろう。自分で設計した回路でもない。その回路を理解して組み立てたわけでもない。ただ単に半田付け作業をしただけなのに、「自分で組み立てたラジオが鳴る」という事実が、ものすごいことのように思えた。あまりの感動に、それからしばらく、ず~~とそのラジオを聴いていた。

 このラジオで聞いた歌謡曲で、忘れられないものがある。ちょうどその当時(1975年)にヒットしていた、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」。この歌は遠距離恋愛をするカップルの手紙のやり取りを歌にしたもので、1番から4番までがちゃんとしたストーリーになっている。4番でついに別れが来る。それまでどんなプレゼントも、(プレゼントよりもあなたと一緒にいたいと言って)喜ばなかった その女性が、最後の手紙に書いた一言と言ったら・・・。

 この歌をフルコーラス聴いたとき、恋愛したこともない小学校6年生の僕が、ジ~~~ンと感動してしまい、しばらく余韻に浸って動けなくなってしまった。そのとき季節は冬で、コタツの中にもぐって聴いていた。赤い光の中で歌詞の内容を何度も反芻した。以後、僕は自分の青春時代の大半を彼女の歌と共に過ごすことになった。今でも、自分で組み立てた小さなラジオと「木綿のハンカチーフ」は思い出のセットになっている。(歌詞は文末に)

 ところでラジオの番組というものは大抵の場合、スタジオの中で、放送する人が1人か、多くて3人くらいで進行する。このへんはテレビと大分事情が違う。音楽を流す場合も生演奏なんかまず無くて、レコードとかCDとか、録音された音源を再生して放送するだけである。映像がないから、テレビに比べて伝送されてくる情報の量は圧倒的に少ない。それにも関わらず、視覚が使えない分、聴覚が冴え、パーソナリティーの話す言葉の一言一言が耳に染み渡り、テレビよりも強く印象に残る。これはラジオのもつ不思議な魅力だと思う。

 近頃では、ラジオの放送が、スマートフォンのような情報端末を使って聴けるようになっているのだという。このサービスのことを「ラジコ」というのだそうだ。「ラジオ」に対して「ラジコ」。かわいいネーミングである。技術の進歩は結構なことだと思う。しかし願わくは、従来からあるラジオ放送は無くさないでいて欲しいと思う。だって、ラジオを自作する楽しみが無くなってしまうではないか。

 技術的な理由としては、「情報伝達の媒体は複数あった方がよい」とか「媒体はできるだけ単純な方がよい」とか、いろいろあるだろうが、僕個人の事情は大部分がノスタルジアであり、昔からあるものを残したいという極めて保守的なものである。アナログ人間にとっては、コンピュータとは中身がわからないまま使うだけの、完全なブラックボックスである。からくりがわからないものはいじれない。いじれないものはつまらない。アナログ人間の楽しみが無くならないことを祈りたい。

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【おまけ】
完璧に記憶している歌詞(笑) 内容のよさもさることながら、起承転結のお手本のような詩だと思う。

木綿のハンカチーフ (松本隆作詞)

恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かう列車で
華やいだ街で 君への贈り物 さがす さがすつもりだ
いいえ あなた 私は欲しいものはないのよ
ただ都会の絵の具に染まらないで帰って
染まらないで帰って

恋人よ 半年が過ぎ 会えないが泣かないでくれ
都会で流行りの指輪を贈るよ 君に 君に似合うはずだ
いいえ 星のダイヤも 海に眠る真珠も
きっとあなたのキスほど きらめくはずないもの 
きらめくはずないもの

恋人よ 今も素顔で口紅もつけないままか
見間違うような スーツ着た僕の 写真 写真を見てくれ
いいえ 草に寝転ぶあなたが好きだったの
でも、木枯らしのビル街 体に気をつけてね
体に気をつけてね

恋人よ 君を忘れて変わってく僕を許して
毎日愉快に過ごす街角 僕は 僕は帰れない
あなた 最後のわがまま 贈り物をねだるわ
ねえ 涙ふく木綿の ハンカチーフ下さい
ハンカチーフ下さい
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アンテナを作る [ラヂオ]

 さて、この写真は一体何でしょう。(以前、このブログに一度登場したものですが、今回は「応用編」です)
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*********

 静電遮蔽(せいでんしゃへい)と呼ばれる物理現象がある。一般に電界は、導体の内部に入っていくことができない。この性質を利用して、限定した領域で電波を遮断することができるのである。静電遮蔽が完全に機能するかどうかは、使用した導体の形状(たとえば金網だったら目の細かさとか)や、電波の強さにも関係があるから、なんでもかんでも一電波を遮断できると断言するわけにはいかないが、あくまでも一般論としてそうなのだ。

 静電遮蔽は、有害なノイズから機器を保護するとき、機器を金網で覆ってしまうとか、銅線からノイズが発生するのを抑制するために、アルミホイルで包んでしまうなど、いろいろと応用される。しかし逆に、電波が入って来て欲しいところに入って来ないという現象も引き起こす。例えば、マンションの構造には鉄骨の骨組みがある。そのせいで部屋には、中波のAM放送が入ってこない。他の電波帯は、くわしく調べたことはないが、多分同様のことがおこるだろう。

 マンションの室内で中波ラジオの電波を良好に受信しようと思ったら、窓際のぎりぎりにラジオを置くか、またはバルコニーにアンテナを張って、信号を室内に導く必要がある。先日作った6石スーパーだって例外ではない。電波がないところに、どんな高性能なラジオを置いたって鳴ってはくれないのである。

 そこでこのたび、静電遮蔽されたマンションの室内でも6石スーパーを聴けるようにアンテナを作ってみた。これは近い将来、ゲルマラジオを鳴らすための布石でもある。

■実験1
 バルコニーの横幅一杯に銅線を張ってみた。長さは6mくらい。これを室内に導いて、ラジオの回りに銅線をグルグル巻きにして、内部のバーアンテナと磁気結合させる。このやり方で放送は拾うが、どういうわけか海外の放送(中国語や韓国語)が飛び込んでくる。しかも、ぴ~~~ とか、きゅい~~~~~ とかノイズが非常に多い。

■実験2
 上記で横に張った銅線を、垂直に立ててみた。長さは2.5mくらい。結果は実験1と、ほぼ同じ。

■実験3
 ループアンテナ。1辺1mの正方形の枠に、エナメル線を16回巻き付けたコイルをアンテナに使う。このループアンテナは6年くらい前に手作りしたもの。(実はその時もゲルマラジオにチャレンジして失敗し、6年間も納戸で眠っていた)
 結果的に、このアンテナが一番うまく行った。関東の中波放送を非常によく拾ってくれる。

 そんなわけで、実験1と実験2のストレートアンテナは、これ以上追求するのはやめて、以後、ループアンテナで行くことにした。下の写真がそのループアンテナ。
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 マンションのベランダには、隣戸との間に仕切り板がある。この仕切りは、非常時に破って移動できるようになっている。つまり、ここに物を置いてはいけないルールになっているのだ。だから、いずれは高い位置に移動しないといけない。ちなみにこの仕切り板は、一部にアルミが使われているが、アルミの比透磁率は、真空とほぼ同じ1なので、無視していいようだ。

 さて、信号線をを同軸ケーブルで室内に導いて、ラジオの中のバーアンテナと磁気結合させる。丸いものを捜したら、以前買ったウサギの蚊遣り器を見つけたので、これにコイルを巻いて、中にラジオを入れてみた。
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 室内でウンともスンとも言わないラジオが、この蚊遣り器の中にいれると、まるで切れていたスイッチをオンにしたかのように、面白いくらいデカイ音で聞こえるようになった。大満足の結果だった。しかもノイズはほとんど拾わず、音質は良好である。
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 なお、よく聞こえる位置は他にもある。だいたい下の写真のような3つの位置で音は最大になる。
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 ゲルマラジオでは、感度が低くてわからなかったが、6石スーパーのような感度の高いラジオを使うことによって、バルコニーには確かに電波があることを確認でき、しかも、それを自分の作った仕掛けで、電波の入り込めないマンションの室内に引っ張り込むことに成功した。「風をとらえた」ようで快感である。
 なお、ゲルマラジオを使って、上記の3種類のアンテナを試したが、やっぱり鳴ってくれなかった。次回は、引っ張り込んだ電波(高周波)を増幅してみる。

 「高周波増幅をやってしまったら、もはやゲルマラジオではない、そんなの邪道だ」という考え方もあるだろう。僕も一瞬そう思った。でも難しいところに一足飛びで行こうとするよりも、小さな目標をひとつひとつクリアした方がいいと思う。今は「何がどのくらい足りないのか」を調べて明らかにするのが先決だろう。(電波云々よりも、そもそもゲルマラジオそのものに問題があるのかも知れないし)
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ラジオにまつわる思い出話(2) [ラヂオ]

(つづき)
 さて、宝の山に来てしまったひぐらし少年は、目をキラキラと輝かせながら、店のおじさんに声をかけた。「すいません。鉱石検波器ってありますか」 するとおじさんは答えた。「今は鉱石検波器って無いんだよ。ゲルマニウムダイオードを使ってもらってる」 このときは、この「ゲルマニウムダイオード」という言葉の意味が全くわからなかったが、何しろ代わりに使えるなら、それはそれで収穫である。「じゃあ、それ下さい」 おじさんは、引き出しから、一本の細長い部品を取り出して、皿の上に置いた。

 「それから、コンデンサってありますか」 するとおじさんは答えた。「はい。何ピコくらいかな」 何ピコ? また新しい言葉が出てきたぞ。僕が「わかりません」というと、「そう言われても、ここにあるの、全部コンデンサだよ」と言って棚を指差した。どうやら、コンデンサという一つの商品があるのではなく、何かサイズのようなものがあって、それを指定しないと買えないらしい。図書室にあった本には、コンデンサとしか書いてなかったのだ。

 おじさんは面倒くさくなったらしく、僕が本からメモしてきた回路図を覗き込んだ。
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すると、「ああ、要するにゲルマラジオだね」と言って、必要な部品を揃えてくれた。アンテナとの結合コンデンサ100pF、バーアンテナ、バリコン、ダイオード、出力段の抵抗500kΩ、それから、イヤホン。短い時間だったけど、非常に刺激を受けた。

 さて、喜び勇んで家に帰り、わくわくしながら部品を半田付けして組んでみた。結果は? ・・・・ラジオは鳴らなかった。ああ、がっかり。今にして思う。ゲルマラジオというのは、アンテナをきちんと張らないと鳴らないのだ。電池を使わないのだから、電波のエネルギーだけでイヤホンを鳴らす。だから、よほど、要領よく電波を受けないと動作してくれないのである。僕がつけたアンテナはリード線を1mくらい出しただけ。それを家の中でちょっと高く掲げただけ。あれで鳴るわけがない。

 実を言うと、ゲルマラジオを鳴らすには、裏技のような方法がある。家庭用のAC100Vのコンセントの片方にゲルマラジオのアンテナ端子を突っ込んでしまうのである。そうすると、その先には送電線が繋がっているから、これがアンテナの代わりをしてくれる。この方法により、このゲルマラジオはかすかに鳴った。しかし僕は、あくまでも本の中で解説してあるように、アンテナを自分で張って受信したかったのである。ただ、現実には、それをやろうとすると、ある程度の広いスペースや高い棹が必要で、そういうものを建てるのは、子供一人の力で出来るようなことではなかった。

 初心者向けの電子工作の本には、必ずゲルマラジオが載っているが、今の僕が考えるに、これは、初心者や何も知らない子供がやるような簡単なものではないと思う。これは「やってはいけない」という意味ではない。「難し過ぎて楽しめない」のである。仮に鳴ったとしてもそれは運が良かったか、または偶然であって、鳴るべくして鳴ったものではない。回路が単純でコストが安いということは、必ずしも技術的に簡単であることを意味しない。その証拠に、その後、しばらくしてから取り組んだ1石のトランジスタラジオは、何も知らなくても、ちゃんと鳴ってくれた。僕が今までに組んだ回路で動作しなかったのは、このゲルマラジオだけだったのである。

 わかりやすい喩えをするなら、エンジンのついた飛行機で空を飛ぶことと、エンジンのないグライダーで空を飛ぶことの違いに似ているように思う。エンジンのついた飛行機は、風なんか無くたってエンジン吹かして滑走し、昇降舵を上げれば離陸して飛べる。しかし、グライダーは車でひっぱって空に浮いたところで、風をきちんと読まないと飛んでいられない。

 トランジスタのような増幅素子をもったラジオは、アンテナが拾った微弱な電波を、まるで拡声器のように、でっかく増幅してくれる。しかし、ゲルマラジオは増幅素子をもたないから、アンテナでいかに電波をうまく捉えるかが、鳴るか鳴らないかを左右する。ゲルマラジオを鳴らそうとする人にとっての電波は、グライダーを操縦する人にとっての風と同じくらい大切で、かつ難しい、読みの経験が必要なものなのではないだろうか。当時の僕には、電波に関する知識など全くなかったし、それをキャッチする技術ももちろん無かった。

 ・・・なんてね。まあ、この比喩が適切かどうはさておき、この経験以後、僕は電子工作にのめり込み、回路の意味はよくわからないまま、とにかく部品を半田付けするとブザーだのサイレンだのイルミネーションだのと、いろいろなものが出来上がるのが楽しくて楽しくて、隣町のS電子部品商会に足しげく通うことになった。そして、店の人との会話を通して、いろいろと勉強させてもらった。やがて、この店は僕が中学生の頃に千葉市内に移転し、高校生の頃に無くなってしまった。これもやはり時代の流れだったのかも知れない。しかし、この店から僕が得た刺激は大きかった。

 その後、高校生の頃の物理で、静電気や電流の初歩を学び、大学(専攻は機械工学)の教養課程でさらに、電磁気学や回路理論を学び、昔わからないまま組んでいた回路の意味が、だんだんわかるようになってきた。会社に入ってからは機械設計のエンジニアになり、電気の専門家にはならなかったが、その後も電子工作は結構好きで、たまに関係する本を読んだりしている。会社の仲間の中にも、「昔はラジオ少年」が結構見つかるもので、彼らと勉強会をやったりもした。回路の動作が数式できちんと記述でき、これを使って、回路定数を自分で計算して決定する(回路を自分で設計する)快感を味わった。

 前の記事に書いた通り、今回、久しぶりにラジオを作って思った。あの少年時代、初めて作って鳴らなかったゲルマラジオを何とか鳴らすことは出来ないものか・・・。 あのとき鳴らなかった悔しさが、心の中で満たされないまま、大きな穴になって、そのまま残っていることに気づいてしまったのである。今の自分の知識と技術をもってすれば、35年前の忘れ物を取り戻すことができるのではないか。そんな気がしてならない。

 ただ、これは今すぐにこのブログで成果発表は出来ないな、とも思う。そんなに簡単ではないと思うから。ゲルマラジオで関東のAM6局、すべて手製のアンテナで受信できたときに、この夢は実現する。それが出来たら、次は鉱石ラジオかな。(笑)
(おわり)
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ラジオにまつわる思い出話(1) [ラヂオ]

 最近ではあまり流行らないようだが、僕が子供の頃は、電子工作に夢中になる少年が少なからずいた。そういう少年たちは昔を振り返って「俺は昔ラジオ少年だったんだよ」なんて言う。この場合のラジオというのは、放送を聴くためのいわゆる「ラジオ」という機器を指しているのではなくて、「電子工作」の意味なのだが、その対象がラジオになることが多かったので、そのように表現するのである。

 秋葉原には、「○○ラジオ」「ラジオデパート」など、「ラジオ」という名前の店がたくさんある。同様に「○○無線」という店もかなり多い。戦後の復興の中から、秋葉原という電気街が出来た頃は、無線通信技術が時代の最先端技術だった。そしてラジオとはそれを象徴するものだったのである。ちょうど今の情報技術(IT)とコンピュータの関係に似ている。こうした店の名前が、この時代の名残であることは明らかである。

 さて、僕が小学校6年生の頃のことだから、今からもう35年前のことになる。当時、僕の通っていた小学校は、1学年でクラスの数が3クラスだった。しかし、だんだん人口が増えてきて、僕らよりも下の学年から1学年が4クラスに増えた。学校には教室が足らなくなり、やがて新しい建物ができたのだが、それが完成する前の暫定策として、僕らが6年生になったとき、なんと学校の図書室を潰して僕ら6年3組の教室にあてた。もともと図書室だったから教室には本がたくさんある。それまで本など全く読まなかった僕が、本に目覚めたのはこのときである。

 最も興味を引いたのは天文と電気だった。天文の話は別の機会にでもすることにして、今は、電気関係の話に限定する。子供向けの科学の本に、「鉱石ラジオ」というのが載っていて、ごく簡単な回路を組むと、ラジオが聞こえることが書いてある。しかも電池が要らない。すごい! 本当か? 僕は確かめてみたくなり、その本に載っている回路を、部品を買って組んでみようと思い立った。

 コンデンサ、バリコン、鉱石検波器。こういうのってどこに売っているんだろう。街の電気屋さんしか思い浮かばない。家のすぐ近くに「T無線」という小さな電気屋さんがあった。ここは普通の家電屋さんだったが、豆電球とか電池とかも売ってたから、工作をするときによく行く店だった。しかも同級生の女の子の家だった。

 店のおばさんはこの女の子のお母さんで、僕が行くと、やたら愛想が良く、僕をかわいがってくれた。しかし、おじさんの方はやたら無愛想で、いつも「何しに来た」と言いたげな顔をしている。いつも電池や豆電球みたいな、安いものしか買わないからだろうか。いや、それとも「うちの娘に近づくんじゃねえぞ」と威圧していたのだろうか。僕にはその気はなかったんだけど。

 さて、T無線に行ってみたが、その手の部品はなかった。だから、街で一番大きな電気屋さんに行ってみることにした。ここには大手の家電専門店の「朝日無線」があった。(のちの「ラオックス」の前身)しかし、大手とは言え、やはり所詮は家電製品を売る店であって、部品などおいてあるはずはなかった。

 ところが、である。この朝日無線の兄ちゃんが、貴重な情報を提供してくれた。「そういう部品が欲しいなら、S電子部品商会に行けばおいてあるはずだ」という。それはどこにあるのかと聞くと隣町だった。

 隣町は電車でひと駅行ったところである。僕はその町まで一人で行き、商店街のあちこちで、「S電子部品商会はどこか」と聞いて回り、ようやく場所を突き止めた。小学生にしては、結構な行動力だったと思う。思い立ったら一人で突っ走る現在の性格は、この頃すでに形成されていたようだ。

 その店に行ってみた。小さな店だった。「掘っ立て小屋」という表現がぴったりである。中に入ると、ベークライト(注1)の匂いがプンプンする。狭い店の中に電子部品が所狭しと並んでいる。「すごい!」 初めてみる電子部品の集まりが、まるで宝の山のように見えたのを覚えている。(つづく)


(注1)ベークライト
 熱硬化性プラスチックの一種 。鼻を近づけると、かすかにホルマリンの匂いがする。電子部品の配線のときには、半田付けの熱がかかるが、このプラスチックは熱をかけても溶けないので、昔から配線板に多用されてきた。最近では、ガラスエポキシに変わっている場合が多いが、安価なものは今でもベークライトである。
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ラジオの寄付 [ラヂオ]

 湘南キット研究所の設立目的は、最初は「世の中のありとあらゆるキットを遊び倒そう」というものだった。対象の中には当然、ラジオキットも入っていたし、しいたけの栽培キットだって考えていたのである。しかし、設立の当初から、いきなりプラモデルばかりになり、さらにここ最近はアウトドアに凝りだした。所長の僕でさえ、設立の目的をすっかり忘れていた。それでも、この研究所では所長が務まるのである。(所長しかいないので)

 ところで、この震災に絡む停電騒動を機会に、当研究所始まって以来、初のラジオキットを作ることになった。さらに、それを聴いていたとき、文化放送とニッポン放送が合同で、「東日本大震災被災地にラジオを送ろう」というキャンペーンをやっていることを偶然知った。当研究所は純粋に自己満足の研究所であるが、このようなご時勢なので、所長のひぐらしとしては、たまには、世のため人のためになることをしようと考え、このキャンペーンに参加するべく、ストックしていた6石スーパーラジオ(注1)のキットを組み立てて寄付することにした。

(注1)6石スーパーラジオ
 トランジスタ(増幅素子)を6つ(=6石)使用したラジオ。「スーパー」とはスーパーヘテロダインという回路の形式を省略してそのように呼ぶ。少なくとも「すごいラジオ」という意味ではないので、誤解なきよう。

 このキットは6年前に科学教材社の通販で買ったもの。4月2日、土曜日の日中、組み立てに取り掛かった。
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 細かい部品を心を込めて半田付けして行く。
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 スーパーヘテロダインは配線が終わったあとで調整が必要だ。まず局部発振コイルのコアと、バリコンのトリマを回して選局の目盛りを合わせる。次に中間周波トランスのコアを回して、最大感度を拾い出す。一応、NHK第一、NHK第二、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、ラジオ日本を受信できることを確認。でもラジオ日本は小さかったな。
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 よし。完成!
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 翌日、4月3日、念のため東京の都心で受信状態を確認することにした。場所は皇居。ここなら静かで、車の音はほとんど聞こえない。桜田門の裏側に入って、上記の6局が全て普通に受信できることを確認した。東北に行けば地元の放送を聴くことになるんだろう。でもNHK第一だけは、災害のときの情報源としてかなり重要だよね。高齢者でも楽しめる娯楽番組がたくさんあるし。こういうところは、さすがに国営放送だ。
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 そして浜松町の文化放送本社へ。駅のすぐそばだ。ビルにはあの歌が書いてある。「ぶんかほ~そ~、ぶんかほ~そ~ ジェイオーキューアール!」
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 ドアをあけると、すぐそこにラジオの受付があって、職員が忙しそうに、集まったラジオを梱包していた。(お疲れ様です) 被災者あてのメッセージを書いて、ラジオを手渡した。僕が精魂込めて組み立てたラジオだよ。中古じゃないよ。ただ単に買って来たラジオでもないよ・・・なんて、そこの職員に言ってみたかった。被災者が受け取って、それを聴いて楽しんでいるところを想像して満足する。これってやっぱり自己満足かな。
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 なお、キットは2台あったので、両方作ったが、1台は研究用に手元に置いてある。何を研究するか? それは、ほら、いろいろあるじゃん。受信状態とか。
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ラジオキットで遊ぶ [ラヂオ]

 計画停電の騒ぎは、この所、お休みモードに突入しているが、始まったばかりの頃は、テレビで震災情報が聞けなくなるのが不安で、古いラジオを引っ張りだして聴いていた。昔使っていたラジカセを引っ張りだして来たが、これがデカすぎて、どうも使いにくい。なら、あれを作ってみるか。

 あれというのは、以前、秋葉原で衝動買いしたラジオキットである。デザインが面白くて買ってみたが、いつでも作れると思って放置していた。これ↓
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 組み立ててみた。部品を半田付けすれば、出来てしまうからさほど難しいものではない。でも、こういうの作るのって面白いんだよね。電子工作って昔から大好きだったんだ。配線終了↓。
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 土台に組んでみたら・・・。予想外の形状が出来上がった。なんと後ろ側はむき出しだった。何か騙されたような気分(笑)↓。
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 おぼっちゃまくんに出てきた、「びんぼっちゃま」の家を思い出してしまった。(みんな知らないかな)

 さて、マンションというのは、鉄筋でできているから、基本的に電波が入ってこない。だから、ラジオは窓際でないと聞こえない。しかも、時間帯によって電波の状況が変わるので、ある局が夜は聞こえるのに、昼間は聞こえないということがある。

 なんとかNHK第1、NHK第2、TBS、ニッポン放送、文化放送、ラジオニッポンを捜しだした。TBSラジオは昼間は聞こえるのに、夜は非常に受信しにくい。文化放送は夜も昼もかすかにしか聞こえない。それから、面白いのは、中国の北京放送局の日本語放送が夜になると非常によく聞こえるということである。これは初めて聴いた。
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 文化放送とニッポン放送では、「被災地にラジオを送ろう」というキャンペーンをやっているそうな。ちょっと参加してみるかな。他にもラジオのキットが2つあるのだ。
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