ンジャメナしりとり [日本語]
子供の遊びで「しりとり」ってのがあって、誰しも一度くらいはやったことがあると思う。僕の甥が幼い頃、しりとりが大好きで、僕が帰省するとよく「おじちゃん、しりとりやろう」とせがまれたが、最近は中学生になり、そういうこともなくなった。
しりとりというのは、そもそも、ボキャブラリーの貧困な子供がやるから面白いのであって、大人がやるといつまでたっても終わらない。しかも勝っても大して嬉しくもなく、負けても大して悔しくもなく、所詮は子供の遊びなのである。
「おじちゃん、しりとりやろう。僕から行くよ。『しりとり』 はい、次おじちゃん」
「りす」
「すいか」
「かまきり」
・・・・・・・・・
以下延々と続くのが従来のしりとりであった。
しりとりのルールで、「ん」が最後についた言葉を言ったら負け、というのがあって、これは日本語の単語の中で、「ん」が最初につく言葉がなく、ゲーム続行不可能になるからであるが、これを悪用するとゲームを速攻で終わらせることができる。「ん」のつく言葉を、さっさと言ってしまえばよいのである。
「おじちゃん、しりとりやろう。僕から行くよ。『しりとり』 はい、次おじちゃん」
「リンパ腺」
これで、面倒な遊びは終わりである。しかしこれでは、子供に対してあまりにも冷たい。たまにこういうこともやったが、甥は不服そうな顔をしていた。(笑)
さて、アフリカのチャド共和国の首都で「ンジャメナ」というところがある。アフリカの言葉にはまったく知識がないが、独特の発音をする言葉なのだろう。この言葉をしりとりで使ってよいものとするとどうなるか。
「おじちゃん、しりとりやろう。僕から行くよ。『しりとり』 はい、次おじちゃん」
「リンカーン」
「ンジャメナ」
「ナポレオン」
「・・・」
同じ言葉は二回使えないからここで、ゲームオーバー。つまり、まず、「ん」のつく言葉を最初に言って、リーチをかける。次に、「な」で始まって「ん」で終わる言葉でたたみかければ、勝ちになる。このパターンでは、みんな慣れていないから、そう簡単に言葉が見つからない可能性がある。「ん」で終わる言葉を意識的に言うのは結構むずかしいと思う。従来型の延々と続くしりとりに比べれば、大人も多少は頭を使うので、そこそこ楽しめるのではないだろうか。飽きてきたら、「ん」で始まる言葉を入れ替えてみる。「んが!」とか「んげ!」とか「んなろう!」とか意味のない言葉でよいから無理矢理作って、使ってよい言葉の中に入れてみたら・・・。
ゴールデンウイークに帰省したとき、小学生の姪にせがまれたらやってみようかな。(子供と遊ぶときは、大人も本気で遊ぶのが何よりの愛情、そのための方法を考えるのは大人の役割なんだろうな、などと子供のいない立場で想像したりする)
仰げば尊し [日本語]
卒業式のシーズンも終わってしまったけど、先日、テレビで「仰げば尊し」を久しぶりに聞いた。
仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば
互いに睦みし 日頃の恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て名をあげ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば
朝夕なれにし 学びの窓
蛍のともしび つむ白雪
忘るるまぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
小学校時代、音楽の授業は嫌いだった。好きでもない歌を歌わされるのが嫌だったのだ。でも、卒業式で歌ったこの歌は大好きだった。小学生には難しい詩だと思うし、当時自分が良く理解していたとは思えないが、詩とメロディの切なさは感じ取っていた。美しい日本語に美しいメロディ。名曲だと思う。独唱には向いていない。合唱で映える歌だと思う。最近はこの歌を歌わない学校が増えているのだとか。なぜだろう。不思議だ。
優等生もワルも、卒業式のときはみんな神妙にしていた。「身を立て名をあげ やよ励めよ」。今の自分はどうなんだろう、なんて考えてしまう。たまにこんな歌を思い出してみるのもいいものだ。
(注)この歌、8分の6拍子。七五調かと思ったら八六調。なるほど。