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自分の体の弱点の話 [生活と健康]

(写真は、昨年の12月に行った、高指山(たかざすやま)側から見た山中湖と富士山)
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「最近ブログの更新がないじゃありませんか。楽しみにしてるんですよ」と、会社の後輩に言われた。僕のブログの更新を楽しみにしてくれる人は、さほど多くはないと認識しているが、それでもたまにこういうことを言ってくれる人がいると嬉しいものだ。

 久しぶりなので、数少ない愛読者へ向けて近況報告したい。実は昨年2017年の暮れあたりから不調になっていた。なぜか僕は毎年冬になると、気分的にふさぎ込み、また思考力が衰えるという性質がある。2014年末に人生初のうつになって休職したのも、この季節だった。実はあの前にも多少の落ち込みがあったし、あの後も毎年、多少その傾向はあったのだが、今シーズンは、いつもの弱いのよりちょっと程度が強いなと思っていた。

 2014年のその時は、治療の初期段階で冬眠状態に入り、家でひたすら眠った。また2015年の夏、会社に復帰するときに、復職支援プログラムを受けて、身体、思考、感情が三位一体であることを学んだ。体が疲れているときは、誰でも体を休めようと思いつくが、思考力が低下したときも、やはり体を休ませることが治療になるということである。

 だから今回も同じだと考えて睡眠を多くとろうと思い、会社から家に戻ったら、晩酌をして8時くらいに寝てしまうようにした。それをずっと続けていたら、だんだん頭が冴えてきて、今は回復に向かっている。やっぱりこのやり方でいいのだと思った。

***
 長いこと自分の体と付き合っていると、定期的にトラブルを起こす弱点が幾つかあることが見えてくるもので、僕の場合は次の4つである。

1)低血圧
 昔は「脳貧血」という言葉があったが、この言葉は最近は使われないようだ。最近は「起立性低血圧」というらしい。簡単にいうと、血圧が低下して脳に血液が回らなくなって、ブラックアウトして昏倒する。朝礼のように比較的長時間、起立姿勢を続けたときとか、寝た状態から急に立ち上がったときなどにこれが起こる。立ち眩みのひどいものと言っていいと思う。僕はこの体質と幼稚園時代からずっと付き合い続けている。もうベテランだからかなりの確率で防ぐことができる。

2)ぎっくり腰
 高校のときに柔道部で背負い投げを失敗して腰を痛め、それ以来、数年に1回くらいの周期でこれに襲われる。もう何度も経験して、起こりそうな気配がわかるようになった。嵌り合ったものが少し抜けかかっているような感触を腰に感じるのである。最近では少しでも痛いと思ったらさっさと会社を休むようにしている。早期に休めば簡単に治る。

3)尿管結石
 このブログに2回ほど書いた。2回とも右側の尿管(腎臓と膀胱の間)。ここに石がひっかかって尿を堰き止めて痛む。痛いときは尿意を全く感じなくなるのが特徴。逆に言うと、尿意を感じるようになったら、それは石が外れたということで、ここで痛みも無くなる。しかも自分の場合、この痛みは座薬で抑えられるレベルであることがわかっている。いつ来るかは予測できないが、傾向を知っているので怖さはあまりない。

4)うつ (毎年冬になると起こる軽いもの)
 うつなんて書くと、結構深刻な印象がある。はなはだしい場合は人生を悲観して死にたくなる人もいる。しかし僕の場合はそうはならない。ただ単純に思考力が落ちて、やる気を失う。2014年の年末にお医者さんに聞いた話では、脳の神経伝達物質の機能低下が原因だという。原因は科学的に解明されている。これが冬になると起こるというのは、僕の体の性質なのだろう。(対策は上述した通り)

***
 ・・・と、まあそんなわけで、おそらく読者のみなさんも含めて、人間誰しもきっとそれなりに弱点を抱えていて、それと上手に付き合いながら、生きているのだろう。結論らしいものは何もないけど、最近、元気になってきたので、また何か書いてみようかと思っている次第。ではまた。


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リワークプログラム体験記(3) [生活と健康]

(つづき)

 リワークプログラムのカリキュラムの中に「ボディワーク」という科目があった。一言で言えば軽い体操である。心の病になれば、運動不足にもなりがちである。しかも、感情、思考、身体は三位一体。だから体に良いことをしなければならない。ということで、じっくり時間をかけてストレッチをするわけだが、そのときに重要視していたのが脱力や呼吸。僕が今まで経験して来たスポーツは、筋力を駆使して、正確な動きをする、というようなものばかりだったので、この経験は新鮮だった。

 さてボディワークでマット(20㎜くらいの厚さのスポンジマット)を使って運動しているうちに、体操部時代を思い出し、でんぐり返しやら倒立やらをやりたくなってしまった。それでT村さんに相談したところ、I井さん(メンタルヘルスデイケア責任者)の立ち会いがあれば、やっていいということになった。

 最初に自分で決めた朝の活動内容(自習)は、8時半にTHPに着いたらすぐに着替えて準備運動とストレッチと筋トレをじっくりやるというものだった。しかしI井さんが立ち会ってくれるようになってからは、筋トレの部分を、小学校のマット運動のような内容に変えた。

 最初は、体が鈍って、しかも固くなってしまって、ほとんど動けない状態だった。前転はできるが後転ができない。首が固くなって、前に曲がらないから、身体を丸めることができず、後ろに転がらないのである。これには自分でも驚いてしまった。

 それでもまあ1か月ちょっと、I井さんが熱心に付き合ってくれたおかげで、初歩的な技は結構できるようになった。会社に復帰する少し前に、自分のやった成果を動画に撮ったものを、ちょっとだけお見せする。倒立前転の3連写真。

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 この活動を通じて、昔やっていたような体操の真似事を、教室に通って、少しずつでもいいから、やりたいな、なんてまた考えるようになってしまった。年を取っても取ったなりにやれば良いのだから。でも、そのためには、まず体重を減らさなきゃ。(笑)

(おわり)


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リワークプログラム体験記(2) [生活と健康]

(つづき)
 職場復帰するに当たっては、病気の再発を防がなければいけないわけで、そのためには自分が病気にかかった原因を調べなければならない。体の病気であれば医師が血液の成分を調べたり、レントゲン写真を撮ったりなど、いろいろなデータを集めて診断する。しかし心の病気の場合、原因を可視化しにくい。医師は患者に質問をして帰ってきた答えで病気を判断する。

 ならば医師まかせにせず、自分が主体的に考えてみることも大いに意味がある。ただし「考えられるならば」、の話であって、症状が重ければ、考えること自体が無理な話である。

 というわけで、認知行動研究会の考察の一環で、環境分析や自己分析をした。自分がうつ病になるにあたり、ストレス環境たる職場がどのように影響したか、また自分の物事の認知の仕方が、どのように影響したかを、じっくり考えて報告書にまとめた。

 分析の全体をここに書くことは控えるが、分析の過程で1つだけ、自分の事ながら非常に興味深い事柄に気付いたので、それを紹介したい。僕は、人から仕事を頼まれると嫌とは言えず、なんでもかんでも引き受けてしまう傾向がある。そのため、極端な場合、自分が本来抱えている仕事が中断しっぱなしになり、長いこと停滞してしまうこともある。

 なぜそのようなサブパーソナリティが形成されたのか。原因を、自分の幼少期にまで遡って考えていたときに、あるテレビ番組に思い当たった。昭和42年から放送されていた特撮の「ジャイアントロボ」という番組である。当時4歳だった僕は、毎週この番組を楽しみに観ていた。

 ビッグファイアー星から来たBF団という悪者が地球征服のために、巨大なロボットを作った。このロボットは最初に話しかけた人の命令だけを聞くように作られていた。地球防衛組織「ユニコーン」の大作という少年が、BF団に拉致されたときに、このジャイアントロボに話しかけ、以後、ジャイアントロボは大作の命令だけを聞くようになってしまい、結果、地球防衛のために働くことになる。

 BF団は、さまざまな怪獣を作って地球に送り込み、そのたびに大作がジャイアントロボを操って怪獣を倒すという筋書きが毎週続いた。さてその最終回、BF団の親玉のギロチン帝王との戦いになった。ギロチン帝王は、体が危険な物質でできていて、地球上では倒せない。そこでジャイアントロボはギロチン帝王を抱きかかえて宇宙空間に飛び出した。

 ジャイアントロボは、大作の「戻ってこい」という命令を聞かなかった。自分の仕える主人の命令に初めて背いたのだった。そして宇宙空間をひたすら飛び続け、最後に自ら隕石に激突してギロチン帝王もろとも爆死した。当時5歳だった僕は、この壮絶な最期に強い衝撃を受けた。テレビを見て泣いたのはこのときが初めてだったと思う。

 自分を犠牲にして人を助けることは日本人にとって美徳であり、日本のテレビドラマには、このようなストーリーが多かったと思う。僕は幼い頃から、このような考え方に深く感動する傾向があり、多大な影響を受けて育った。

 人から物事を頼まれて、それを引き受けようとするとき、僕の心の深いところで、この自己犠牲の精神が倫理観として働いているように思う。仕事をなんでもかんでも引き受けてしまえば、自分の負荷が増大し、自分の仕事が遅れる。会社組織にとって必ずしも良いことにはならないのだが、しかし良いか悪いかは別として、とにかく、自分には、そのように考える傾向があるのである。

 なお、このような「自己犠牲」のサブパーソナリティを持っていたとしても、それはうつ病に直結しない。つまり仕事が滞留する人が必ず病気になるわけではない。仕事が滞留していても、呑気にしていられるなら、うつ病になどなるはずがない。(度の過ぎた呑気はクビになるだろうから、それはそれで問題だが)僕の病気の原因と再発防止策は、このサブパーソナリティとは、少し離れたところにあった(と自分では結論づけた)。

 ただ、自分のサブパーソナリティをつぶさに点検した結果、見つかったいくつか要素の中で、この自己犠牲の精神のルーツが一番面白かったので、この記事に書かせてもらった次第である。

 下の写真は、子供の頃に買ってもらった、「怪獣怪人大百科」からの抜粋。

(つづく)

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リワークプログラム体験記(1) [生活と健康]

 2015年4月8日、会社の産業医と上司と面談をし、自分の心境を話した。「5月から復職したいと思っているが、急に100%の勤務になるのは自信がない、最初の一週間は、午前中のみ、次の週は3時までとか、段階的に時間を増やしていって、1か月くらいで通常勤務に戻るようなやり方はできないだろうか」

 すると産業医から、「会社の仕組みとして、そのような段階的なやり方はない。もしも不安ならリワークプログラムというのを受けてみたらどうか」と言われた。

 リワークプログラムというのは、心の病のために働けなくなった人が、再び仕事をすることができるようにリハビリをしてくれるプログラムのことである。紹介されたのは、THPメディカルクリニックというところで、藤沢駅のすぐ近くにあって、僕が徒歩通勤するときの経路の途中にある。

 電話して4月14日に面談。僕の担当は精神保健福祉士のT村さんという女性。滝川クリステルによく似た美人である。(注1) 面談の結果、4月20日、21日で体験参加し、正式なスタートは、5月の連休明けからということになった。

 カリキュラムはさまざまに用意されているが、その中で自分にとって特に有意義だったものは下記の通り。

1)認知行動研究会
日常生活や職場で起こる出来事を自分がどのように認知するかを自己分析する。(講義および、参加者の分析の発表、ディスカッション)

2) 就労セミナー
職場をストレス環境と捉え、リハビリ施設を療養環境とし、療養環境からストレス環境へ戻るときに、起こりがちなことを説明。それにどのように対処していけばよいかを考える。(講義)

3) ボディワーク
脱力と柔軟性を重要視した、体をリラックスさせる運動。通常のスポーツと考え方が全く違う。非常に新鮮だった。

4) フリーの時間
 正式なカリキュラムは10時から14時45分の間の時間帯で行うが、実際の職場に出勤することを模して、参加者は8時30分に来て17時に帰るということができる。(活動環境をその時間帯で解放してくれる)参加者はその時間、それぞれの課題に取り組む。僕は、朝は体操、夕方は簡単な機械設計の練習をしていた。

(つづく)

*********
(注1)後日、「T村さん、滝川クリステルに似てるって、人から言われたことありませんか?」と聞いてみたところ、「聖徳太子の肖像画の両脇にいる子供に似てると言われたことならある」と変な謙遜をしつつ、たいそう喜んでいた。

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帯状疱疹と虫刺されを区別する方法 [生活と健康]

 2009年の夏に帯状疱疹(たいじょうほうしん)という病気にかかった。
(参考URL)
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2009-09-15

 帯状疱疹は通常、腹部のベルトを巻くあたりに、帯のように発疹ができるもので、この形態から「帯状~」と呼ばれるらしいが、同じウイルスが原因で起こる病気はいろいろあって、角膜ヘルペスとか、口唇ヘルペスとかあるらしい。僕の場合は、珍しく、右の二の腕に出た。右に出た人は、再発する場合も右半身に出るという傾向があるらしい。

 さて、先日、6月の末に、右腕に赤い発疹が出ているのを見つけた。最初は、虫刺されだと信じて疑わず、痒いから普通に掻いていたら、腫れが酷くなってしまった。そのときに帯状疱疹のことを思い出した。「そういえば、以前、これやったんだよな・・・」と思い、上のURLの記事を再度見たというわけである。「5年ぶりに再発したということか」と思い、前回と同じ皮膚科クリニックに行ってみた。

 診断は、ただの虫刺されだった。なにか拍子抜けしたような気分だったが、お医者さんと話して新しいことを学んでしまった。それは「虫刺されは点、帯状疱疹は面」ということ。痒みのある赤い腫れが出来たとしても、それが一点だけであれば、虫刺されだと考えてよい。帯状疱疹は、水泡がある程度広い範囲にできるもので、一点だけということはまずないのだそうだ。2009年に罹ったときも確かにそうだった。このときは、2センチ四方くらいの広がりをもった発疹が、2か所できていたのだった。いや~、勉強になった。

 ブログも長く続けていると、自分の昔の症状を調べることができるので、役にたつものだ。今回のことも将来のためにメモしておくことにした。


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感染性腸炎 [生活と健康]

 僕のブログにはたまに病気の記事を載せることがあるが、実際のところ帯状疱疹とか尿管結石の記事なんかは、かなりのアクセス数がある。つまり同じような病気、悩みを抱えている人が多いということだろう。僕自身も時折、自分の過去の症状を思い出すために過去の記事を読みかえしたりすることがある。何かの病気にかかったときに、症状や治療を記録しておくことは大切なことなのだと思う。ということで、今回も書いておくことにした。「感染性腸炎」というもの。

***
 4月4日(木)の朝、普通に目を覚ました。いつもの通りトイレに行く。下痢をしていて排便は二回。しかし普段より食欲旺盛で朝食はいつもより量を多く食べた。7時15分に家を出て、徒歩で会社に向かう。片道1時間の徒歩通勤だが、歩き始めてすぐに喉の渇きに耐えられず、自販機でジュースを2本も買って飲んだ。こんなことは普段なら無いことである。つまりこの時点で体がすでにおかしかったのだ。

 8時15分、会社につき、8時30分に普段通りに仕事を始めた。しかしその直後から、ミゾオチから下の方に鈍痛が広がり、耐えきれなくなった。これじゃとても仕事に集中できない。幸いにして今日は重要な会議などはない。こんな時は休みをとるチャンスだ。上司に事情を説明して休みにしてもらった。

 とはいうものの腹痛がひどくてすぐに帰宅する気力が湧かない。会社の健康管理室に行き、いつも世話になっている看護師さんに症状を説明し、仕事は休むがすぐに帰れないので一休みさせて欲しい、たぶん眠ると思うので1時間くらい過ぎたら起こしてくれと頼んだ。

 体温は9時の時点で36.1℃。平熱である。10時30分に起こしてもらい、体温を測ったら37.5℃。さっきよりも上がっている。少し寒気も感じる。この様子では、遅かれ早かれ熱が上がりすぎて動けなくなる。そうならないうちに早めに会社を出て、病院に行った方がいいということになった。

 看護師さんにタクシーを呼んでもらい、すぐに帰宅。自宅近くの行きつけの病院に行き、内科を受診した。診察を待っているとき、体温を測ったら38.1℃。着々と上昇中である。しかも喉が渇いてしかたがないので、診察前にしていいことなのかどうかわからなかったが、売店でペットボトルの水を買って飲んだ。幸いにして吐き気はない。

 診察室で朝からの症状を一通り説明した。先生は、僕をベッドの上にあおむけに寝かせて、腹を押されたり、指先で叩いて音を聴いたりした。こういう、いかにも内科的な診療を受けたのは久しぶりだった。先生は「お腹がだいぶ張っていますね」と言った。確かにガスがたまって脹れているような感じがある。先生はこの時点で概ね見当はついていたと思われる。血液検査とレントゲン撮影をし、検査結果が出るまで点滴をしながら休ませてくれることになった。

 15時に先生が検査の結果を知らせてくれた。診断は「感染性腸炎」。何に感染したかまでは明らかではないが、自分の心当たりは前日に食べた鮭の刺身か、またはマナ板の汚れくらいだ。このとき体温は38.8℃。さらに上昇中である。薬の処方は腸の調子を整える薬、胃炎の薬。それから、熱が万一40℃以上に上がったときのための座薬(解熱鎮痛剤)だった。

 夕方、薬を飲むためにお粥を作ったが、スプーン一杯程度しか食べられなかった。腹痛と発熱に加えて、頭痛が加わり、結構つらかった。眠いのに眠れず、一晩中うとうとしながら、毛布にくるまっていた。

 翌日4月5日(金)。熱と頭痛は引いたが下痢は収まらず。ただし激しい下痢ではなく、3~4時間程度の周期である。食欲は全くなし。しかし食後3回の薬を飲まなければならないし、そもそも絶食が続いたら餓死してしまう。果物の缶詰なら食べられるような気がしたので、コンビニに行って、桃とかみかんとかパイナップルとかの缶詰を買い込み、これを食べながら薬を飲んだ。こういう状況になると、自分の料理が信用できない。店で売っているパンとか缶詰とかカップ麺なんかの方が圧倒的に安全に見えてくる。

 翌週の8日から仕事に復帰したが、それからしばらくの間、胃液が上がってくるような不快感と、一日2~3回の下痢が続いた。お医者さんの薬の処方は1週間だったが、今日11日でちょうど1週間、ようやくこの症状が無くなった。この一週間の間は自炊するのがこわくなってしまい、外食生活に戻ってしまったが、また自炊に戻ろう。

 先にも書いたが、今回の病気の原因は、自分の心当たりとしては前日に食べた鮭の刺身か、普段使っているマナ板をよく洗っていなかったかくらいしか心当たりがない。実はよくわからないのだ。ただ、いずれにしても、はっきり言えるのは、自炊をやろうと思ったら衛生管理をきちんとやらないとこんなことになるということ。油断大敵。

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胃カメラとお粥 [生活と健康]

先週の日曜に、初めて作った冷やし中華が、あまりにも美味しくて、日曜だけで4杯も食べ、酒をのみ、コーヒーを飲み・・・とやっていたら、体調をおかしくしてしまった。月曜は、気分があまりにも悪かったので、午前中だけで仕事を切り上げ、午後、病院に行ったら、胃の内視鏡検査をしましょうといわれた。同時に胃の薬を処方された。

 食欲が大幅に減退し、胃の部分が微かに痛かったので、確かに胃を悪くしていたと思う。まあ、あれだけの暴飲暴食をすればそうもなるわな。

 でも、金曜に胃を内視鏡で検査して、特に異常はみつからなかった。内視鏡で見えるほどの悪い病気は無かったということである。検査後に食欲も湧いてきた。良かった。病は気から。これで僕のスランプも底を打ったことにしよう。

 ちなみに食欲がなかったときに作ったお粥が、結構おいしかったのでレシピを紹介する。

水 300cc (沸騰させる)
丸鶏ガラスープ(味の素)小さじ2 (入れる)
ご飯 1杯分 1分煮る
卵 1個 溶いて回し入れる (かき混ぜない。固まるまで1分放置) 
この分量なら塩は不要(塩味はガラスープの味で十分)

食べる直前に胡椒を少々。
胡椒の代わりに五香粉を振ると中華風のお粥になる。←これお勧め。

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********
(参考)
2012年6月1日 胃カメラのメモ
いきつけの某病院の場合
胃カメラは大の苦手なので、次回の覚悟のために書いておく。朝の歯磨きのときに、嘔吐感を感じる人は胃カメラの検査でも嘔吐反射が強めにでるとのこと。僕はこのタイプであることが過去の経験でわかっているので、予約のときに鎮静剤を使う方法にしてもらった。興味のある人は、ネットで「胃カメラ、嘔吐反射」で検索されたし。

受付
処置室に入る。
点滴スタート (ブドウ糖?)
途中で、呼ばれる。
胃の泡を消す薬を飲む。
喉の麻酔薬ゼリーを舌の上に載せる。3分で吐き出す。
(この時点ですでに気分が悪い)
処置室へ。横になる。
マウスピースを噛む。ここでオエッとなる。(麻酔なんか効きやしない)
医師が、点滴に、鎮静剤を注入する。意識がなくなる。
胃カメラ検査。
検査後、別のベッドに移動。1時間眠る。
帰宅

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禁煙のその後 [生活と健康]

 昨年の9月にタバコをやめてから、7ヶ月が過ぎた。それで、会社の仕事仲間と飲む機会があったときなど、その話題になったとき、結構な頻度で聞かれる質問がある。「今でも禁煙は続いているのですか」

 この質問をする人は、僕がこの7ヶ月の間ずっと我慢してきたのだと思っているらしい。それは誤解である。同じ誤解をしている人のために、これを解きたいと思って一筆書くことにした。

 昨年の9月の記事を読んでもらえればわかる(⇒カテゴリー「生活と健康」)通り、僕はニコレットという禁煙補助剤(ガム)でタバコをやめた。この薬は「タバコを吸いたくなくなる薬」ではなく、ニコチンが体から抜けるときにおこる離脱症状(いわゆる禁断症状)を緩和する薬である。だからちょっとだけ根性が必要である。僕の経験では3日目に離脱症状のピークが来て、一週間で薬が不要になった。

 それから7ヶ月経った今、どうなっているかというと、普段の生活では、自分が昔、喫煙者であったことを忘れている。(注1) 速い話、体からニコチンが抜けてしまって、それを必要としない体になったら、もう我慢をする必要がないのである。

 離脱症状を耐えたときは大変だったし、乗り切ったときは非常に充実感を感じた。この方法を広めたいと思って、タバコを吸う人に語るようにしている。でも、そのあと7ヶ月吸わなかったというのは、大変でもなんでもない、普通のことなのである。つまり体質が変わった(中毒ではなくなった)後なので、我慢しているわけではない。吸わない人になったのだから吸わないのが当たり前なのである。

 僕の言いたいこと、わかってくれるかなあ。
(「我慢している」ならば、それは「中毒が治っていない」ということなのです)

***
(注1)ごく稀に、1ヶ月に一回くらい、吸いたいと感じることがあるが、それは一瞬(3秒くらい)で通り過ぎてしまう。なぜこうなるのかわからない。とにかく稀にこうなる。以前の吸いたい気持ちが100であったとすると、今は0.01くらいである。ほぼゼロではあるが完全なゼロではないのだ。それがちょっと悔しい。
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禁煙プログラム終了 [生活と健康]

 すでに書いたとおり9月2日にタバコをやめた。そして12月2日で3ヶ月になった。通常、専門家による禁煙のプログラムというのは3ヶ月くらいかけてやるのだそうだ。僕はニコレットという禁煙補助剤を使って禁煙し、幸いにして無事に軌道に乗り、いつの間にか3ヶ月を乗り切っていた。自分としては大成功だったと思っている。ここに終了宣言をしたいと思う。「応援してくださったみなさん、ありがとうございました」

 禁煙の道のりを山登りに喩えてみる場合、最初はすごい急勾配で、頂上に近づくに従ってなだらかになる山を想像するとわかりやすい。最初の急勾配は自力で登れない。多くの人がここで挫折する。だから、ここで禁煙補助剤やお医者さんのお世話になる。ここを過ぎてしまったら、あとは自力で登れるようになる。今ようやく頂上に着いたが、この山、下りるときは、最初に急勾配があって、一気に下まで滑落しそうな気がする。苦労して登った山なんだから、ずっと頂上に居ようと思う。

*****
 さて禁煙して、自分にどんなことが起こったかを書いて終わりにしたいが、実は、体に起こった変化については、前の「丹沢湖マラソン」の記事に書いた通りである。幸いにしてタバコを吸っていたとき、そしてやめたあと、どちらも、ランニングなどという体に適度な負荷がかかることをしている。だから変化がよくわかった。レースの成績は振るわなかったが、体が軽くなったことだけははっきり自覚できた。詳細は下記URLを参照。
丹沢湖マラソン
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-12-03

 そういうわけなので、今回の記事では心理面に絞ってお話をする。実は自分がタバコを吸っていたときに深層心理に何を抱えていたのか、タバコをやめたことによって、明らかになってしまった。

 禁煙をスタートして、1ヶ月ほど経ったある日、会議のために別の事業所に外出したときのことである。会議が長引いたので途中で休憩をした。そのとき、同じ会議に出席していたKさんという人が喫煙所でタバコを吸っていた。そこで、その人に自分が禁煙に取り組んでいる最中であることを話し「Kさんもやってみませんか。きっといいことありますよ」と勧誘してみたのだ。ところが「僕はやめるつもりはありませんから」と、あっさり断られてしまった。

 反応が意外だったので、一瞬「あれ?」っと思ったが、よく考えてみたら「タバコをやめるつもりはない」というのは僕自身が昔からいつも言っていたことだった。

 僕は酒を飲むことは飲むが、毎日晩酌をする習慣はない。酒は「飲まずにいられる」のである。これと同じことがタバコでもできないものかとずっと思っていた。つまり、タバコを吸うまいと思ったら、何日でも吸わずにいることができる。そして酒と同じように、たまに吸う。そういうことが出来たら理想的だと思っていた。実際に出来る人はいるらしい。しかし僕の場合は結局出来なかった。

 「タバコは百害あって一利なし」とよく言われる。そして、その言葉の意味を一番身に染みて感じているのは喫煙者である。タバコを吸いすぎて喉が痛いとか、息が苦しいとか、そういったことを自分の体で実際に感じるのだから、タバコを吸ったことのない人よりもよほどよくわかっているのである。「ならばやめればよいではないか」とタバコを吸わない人は言うだろう。問題は正にここにある。

********

 タバコを吸う人に対して「タバコは体に良くないからやめた方がいいよ」と言うのは、病気で歩けない人に対して「車椅子に乗ってるより、立って歩いた方が速いよ」と言うようなものである。車椅子に乗っている人は、病気、怪我など何かの理由があって、やむを得ずそうしているのだ。本人の好みや意思で乗っているのではない。これと同じようにタバコを吸っている人は、ニコチン中毒という病気のため、吸わずにはいられないから吸っているのである。

 「いやいや、美味しいから吸っているんだよ」という面もあることはある。しかし美味しさ100%で吸うのであれば、過去に僕が思い描いていた理想状態「タバコを吸うまいと思ったら、何日でも吸わずにいることができる」が実現できるはずなので、これはもはや中毒ではなく嗜好である。何も問題はない。

 再度書く。喫煙者は、自分の意志でタバコを吸っているのではなく、禁断症状を抑えるために仕方なしに吸っている。そうしなければならない体になってしまっているのである。タバコを吸わない人は多くの場合それを知らず本人の嗜好だと思っている。だから「やめろ」という言葉が出てくる。また吸う人自身も自分が病気であることを自覚していなかった。今まではそういう時代だったのだ。実際、禁煙外来が健康保険で受診できるようになるまでには、政治家やお役人が、中毒だ、嗜好だ、と随分議論したようだ。

 僕は若い頃からタバコを吸い続けて来たが、健康に悪いことはわかっているし、周囲から「やめたほうがいいよ」「やめなよ」「やめなさい」・・と何度も言われてきたので、それなりに、やめようと努力したことはあった。しかし、そのたびに失敗した。そして失敗の原因が、自分の意思の弱さであると思い込んだ。大の男が「自分は意思の弱い人間なんだ」と認めることは結構辛いものである。だから「そうではない」と周囲にアピールするために「俺はタバコをやめる意思はない」と言うようになったのである。それは自分のプライドを傷つけようとする人(注1)に対する精一杯の抵抗だった。おそらく上記のKさんも同じ気持ちを抱えているのだと思う。

(注1)自分のプライドを傷つけようとする人・・・何度も何度も失敗すると心の中に劣等感が芽生え、たとえ自分の体を気遣ってくれる人でも自分を攻撃する敵に見えてくる。

 喫煙歴が長く、「俺はやめないぞ」と頑固に吸い続ける人は、おそらく、この辺の深層心理に相当複雑なものを抱え込んでいて、一筋縄ではいかないようになっている。「やめろ」と言われて「はい、わかりました」などと素直に言えないのである。(言ったところで、どうせまた失敗して笑われる) でも、喫煙=中毒=病気ということに気づけば、「治療」を受けることには素直に従えるはずだし、周囲の人の言葉も「やめろ」ではなく「いい薬があるよ」とか「あの病院は評判いいよ」となるはずなのである。その言い方なら救いがある。なぜなら、喫煙者が「意志薄弱」の劣等感に苛まれずに済むからである。治療の情報は「禁煙補助剤」「禁煙外来」というキーワードで検索すれば、たくさんヒットする。

●誰かのタバコをやめさせたい方へ
 愛する夫、恋人、息子、誰でもいい、とにかく、その人の健康を心から心配して、タバコをやめて欲しいと思っている方は、治療方法をさりげなく教えてあげることをお勧めする。あくまでもさりげなくである。喫煙者は何度も攻撃に晒されているから、自分を守るための鎧を着込んでいる。だから、それを脱がさないといけないのだ。イソップの「北風と太陽」の寓話がこれほど当てはまる例もめずらしい。「タバコをやめて」などと、何百回言ったところで、この問題は決して解決しない。(これは、おそらく言った本人が一番わかっていると思う)

●自分がタバコをやめたい方へ
 僕の拙い体験談、よかったらお読みください。(下記URLです)

タバコをやめてみる(1)
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-09-06

タバコをやめてみる(2)
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-09-07

タバコをやめてみる(3)
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-09-08

タバコをやめてみる(4)
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-09-10

禁煙成功、その後
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-09-15


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祝!尿管結石が出た! [生活と健康]

 10月28日の朝、尿管結石が自然排出された。しかも捕獲に成功!! とりあえず、写真を。(なお、どうやって捕獲したかについては、また例によって、お食事中の人に謝らないといけないような内容になるので、敢えて書かないことにした)

 まずは表(おもて)。スケールを一緒に写し込んだ。1目盛りは1mm。
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 次に裏(うら)。(ちなみに尿管結石の、どっちが表でどっちが裏かは特に決まっていない)
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 諏訪中央病院でX線CTで見たときは、大体2mmくらいだと言われたが、たぶんこれは、断面を見た方向が尿管に垂直だったので、このくらいのサイズに見えたのだと思う。長い方向は5mmくらいある。
 それにしても、このキラキラした結晶の美しさ。好きな女性が出来たら、「ダイヤモンドの原石だよ」とか言ってプレゼントしてみようか。・・・最低な男だね。(笑)

 冗談はさておいて、自分の健康管理のため、ちょっとばかり、前回と比較して考察してみた。

前回2007年の経緯は、
8月25日に発症
8月28日に自然排出(3日後)
サイズは長手方向で約4mm。

今回2011年は
10月10日に発症
10月28日に自然排出(18日後)
サイズは長手方向で約5mm
ただし体積は前回の2倍程度あり。

 4年ぶりに再発し、事態が前回よりも深刻化している。結石のサイズは大きいし、腹痛の回数だって4回もあった。自然排出までの日数も前回よりも余計にかかっている。

 う~~む。これはやっぱり、体質改善に励まないと、次回はもっとすごい、破砕しないと手に負えないような難敵が現れそうな気がする。

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 下記は僕自身のための覚書である。次回に備えて。

2011年
10月○日
 (9日よりもたぶん1週間くらい前)尿管結石らしい腹痛に襲われたが、15分程度で終わった。(気に留めず)

10月9日
 18:00頃。八ヶ岳の赤岳鉱泉でキャンプ。缶チューハイ2本飲んだ。

10月10日
早朝1:00に腹痛始まる。2:00と4:00にバファリン服用、効かず。
      6:00 赤岳鉱泉を出発。徒歩で下山。
      8:00 美濃戸山荘に到着。119番通報
      8:30 救急車到着
      9:00 諏訪中央病院に救急搬送 処置
      11:00 姉、到着
      18:00 自宅に到着
      夜、痛みが再発。ボルタレンサポ(座薬)を1つ使用。効いた。

10月11日 
会社は休みをとって湘南中央病院へ。
      ボルタレンサポの処方 10発
      ブスコパンの処方 2週間分
      この日 別に歯科治療あり。
      帰りに焼き鳥屋で日本酒を飲んだ。

10月12日(水) 
 深夜から早朝にかけて下痢。朝、吐き気あり。前日の飲酒と薬の組み合わせによる副作用か? 吐き気が止まらず会社を休んだ。

10月13日(木)~19日(木)
 この期間、普通に出社、普通に生活。

10月20日(木) 
 夜 ウイスキーの水割り2杯飲んだ。

10月21日(金)
 深夜1:00 痛みあり。膀胱に近い部分。前回よりも中央寄り、下寄り。
 やはり酒を飲むとこの痛みが出るのか?? 
 この病気の最中は酒を飲むとどうもよろしくない。
 ボルタレンサポを使用。痛みは引いたので、出社。

10月22日(土)
 早朝、尿道(注1)にチクチクと痒みあり。結石の出る気配あり。医師の指示により、排尿のたびに、ペットボトルで捕まえようと一日中努力したが、つかまらず。
(注1)自転車の硬いサドルに座ったときに圧迫される、あのへん。

10月23日(日)
 同上。捕獲は半ば諦めた。もう出てしまったのかも。

10月25日(火)
 湘南中央病院へ。医師による問診。自然排出は確認していないが、もう出てしまったのかも知れないと状況説明。医師は、腎盂造影撮影で尿の通りを確認して、今回の診療は終わりにしようとのこと。10月31日に予約。

10月28日(金)
 朝、最初の小用で、ボロっと出た。「太郎くん」の付け根から先端にかけて尿道を内側からガリッと引っかかれるような感覚があり、「うわっ何だ?」 と思ったが、一瞬で終わったので、痛いとは感じなかった。これが1秒以上続いたら、たぶん激痛だったと思う。膀胱を出た位置にあったものが、排尿で一気に押し出されたらしい。結石は捕獲に成功。

10月31日(月)
 石は、出たことは出たが、他にもあると困るので、腎盂造影検査は予定通り行った。

11月8日(火) (追記)
 病院で問診と尿検査。腎盂造影検査でも、CTでも新しい結石は発見されず。ということで、このたびの結石は終息。今後は予防策を少しずつ考えていく必要がある。
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