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紙で作る多面体その2 [数学]

 このブログにたまに登場するIA子という中学生時代の同級生がいる。馬が合うので、今でもたまに連絡を取り合っている。彼女は今の感覚で言えば早婚で、23歳(注1)のときに結婚し、しかもハネムーンベビーができ、第一子を産み、ママになってしまった。妊娠中に、一回クラス会があったのだが、つわりがひどくて出られないらしいという話を聞いたのを覚えている。

 そして月日は流れ、その第一子のU子ちゃんが中学生になった頃の話である。IA子のメールでU子ちゃんの夏休みの宿題の話になった。数学で「球体を作れ」という宿題が出たという。「そんなのどうやって作ればいいんだろう」と相談を受けたので、ちょっと思うところがあって、正20面体と、切頂20面体の模型を作って送ってあげた。

 しかし今思うに、あれは球体というよりも球体に近い「多面体」である。出題は「球体を作れ」であって、これに合致した答えになっていない。あれは当時どう評価されたんだろう。気になってしまって、そのことをいきなりだがIA子に聞いてみた。(ちなみに最近はメールではなくLINE)

 すると「明日娘に会うから聞いてみる」という返事。なんとU子ちゃんの結婚式を翌日に控えていたらしい。コロナのご時世だから、ガーデンパーティー形式でやったそうだ。写真や動画を送ってくれた。親戚の小さな男の子が乾杯の音頭をとるときの挨拶は、大人顔負けのスピーチでかわいいやら感心するやら。ちなみにU子ちゃんには、中学生の頃に一回だけ会ったことがあったがすっかり大人になっていた。(そりゃそうだよね。笑)

 さて、あの多面体の評価は「はっきりした評価はよく覚えていないけれど、教室にずっと飾られていたので良いものだと思っていた」とのことだった。どうやらネガティブな思い出はないらしく、安心した。

 一つ前の記事で、ドーム形の紙工作をやったが、このときにU子ちゃんのこの宿題のいきさつを思い出し、正20面体と切頂20面体をまた作りたくなってしまった。どうもボール紙で立体を作る作業ってのは、快感やら充実感がそこそこあってクセになる。

 まず正20面体。
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次に切頂20面体。
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 正20面体と切頂20面体は一見全然違う形に見えるが、実は関係がある。正20面体の頂点のとんがりを下の写真のような線に沿ってスパッと削ぎ落とすと、そこに5角形が現れ、切頂20面体になる。「頂点を切った20面体」ということで、切頂20面体。(これ、あんまり知られていないような気がするので、ちょっと書いてみた)
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 ちなみに切頂20面体は、元々あった20個の正三角形が正六角形に変わってそのまま20面、それに加えて正五角形が12面増えるので、面の数は全部で32になる。

 球体に近い多面体を考えているときに、正○面体という名前のつくもので一番球に近いのが正20面体である。そして、これを見ていると「角を落としたらもうちょっと球に近づくんじゃないかな・・・」と、誰でも考えるのではないだろうか。実際、切頂20面体はよく転がる。この形を、皮を縫い合わせて作り、中にチューブを入れて空気を入れてパンパンに張ればサッカーボールになる。

 当時、「球体を作れ」という課題を聞いたときに、このサッカーボールの形状の由来から、正20面体と切頂20面体でいいか、と安易に考えてしまったのだ。今、改めて球体を作れと言われたら、もうちょっと違うものを作ると思う。でも今はやめておく。後の楽しみにとっておこう。

(おわり)

***
(注1)この記事を新規投稿したときは20歳と書いたのだが、記事を読んだIA子から連絡が来て、結婚したのは23歳、U子ちゃんを生んだのは24歳のときだった、とのこと。記憶のズレがあった。つまりU子ちゃんの年齢は、僕の勤続年数と同じということになる。
 この年月は人間の年齢として考えると「まだまだ若い」って思うが、勤続年数として考えると定年間際だ。いろんな意味でズッシリと「重さ」を感じる。


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紙で作る多面体その1 [数学]

 今年2021年の2月、お袋がバレンタインデーにチョコレートを送ってくれた。毎年必ず送ってくれるのだが、最近、昨年だか一昨年、来なかったので、心配して電話したら、うっかり忘れていたんだそうだ。だから、チョコレートをもらえる喜びよりも、お袋の頭がまだそこそこ働いていることに安堵する。

 ちょっと高級そうな、一口チョコの詰め合わせが入っていた。その中に一つ、目を引くものがあった。
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 ダイヤモンドとかミラーボールを思わせるような、どこかで見たような形である。食べる前に写真を撮っておいた。模型を作りたくなったのである。

 しかし、なんだか、わかるような、わからないような・・・。どうなってるんだ、この形は・・・。で、つい出来心で、ネット検索してしまったのだが、この種のドーム形は、分割の仕方によって、どんな形でも作れることがわかってしまい、まあ、そりゃそうか、と納得して、それ以上は見なかった。とにかく今回は、このチョコレートの形の正体を突き止めたいわけで、まじまじと見ていたら、これは、2段階に分けて考えるとよさそうだと気づいた。

■第1ステップ
地球儀の北半球を多面体で近似することを考える。そのとき、赤道を8分割して作る場合と、16分割して作る場合を両方作ってみる。

まずは8分割。
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次に16分割。
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 これを見ると、16分割の方は北極の方が細かすぎて作りにくく、8分割の方は赤道付近が粗すぎて球体からかけ離れていることがわかる。そこで北極付近は8分割、赤道付近は16分割という折衷を作ることを思いつく。


■第2ステップ
16分割の方に、写真の通り、青い線を引いてみる。
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 この線に沿って、出っ張りを削ぎ落とすと、それがつまり、あのチョコレートの形になる。ということで作ってみたのがこれ。
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 面白いじゃないか。プラモが完成したような満足感を味わってしまい、自分の作ったものにしばし見とれてしまった。綺麗な形だ。きっとダイヤモンドのカットの形状なんかも、いかに美しくカットするか、昔からずっと研究されているのだろうと想像する。

(つづく)
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時計のムーブメント交換  [雑文]

 このたび、初めて時計のムーブメントの交換ということを経験した。もしかしたら、この話、お気に入りの時計が壊れて、泣く泣く捨てようとしている人に参考になるかも知れないと思い、記録しておくことした。

 時計というのは、以前もこのブログに書いたことのあるフクロウ形の柱時計で、20年ほど使っている。しかし、ここ1年くらい、だんだんと動きが怪しくなり、電池が完全に消耗してもいないのに、針が止まってしまうようになった。電池を交換すると、動くようになるが、やがてその手も効かなくなり、ついに完全に止まってしまった。これは、つまりムーブメントがいかれてしまったということだろう。原因は不明だが、20年も使っていれば寿命ということもあるのかも知れない。

 ムーブメントというのは要するに、時計の長針短針と、秒針の回転運動を作り出す心臓部をモジュールとしてまとめたもので、最近では一辺55mmの正方形に規格化されているらしい。これがあると素人でも文字盤だけ作ればオリジナルデザインの時計を作ることができる。このフクロウ時計もそういう作りになっている。このモジュールがアマゾンで安価で売られていたので買ってみた。

 さて、交換である。フクロウ時計の正面。
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 同じく背面。中心の正方形の部分がムーブメントである。
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 ガラスを外す。
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 針を外す。
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 中心のナットを外す。
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 ムーブメントを外す。なお、元々ついていたムーブメントにはメロディ機能がついていて、毎正時(長針が12時を指したとき)ごとにメロディが鳴る機能がついていてその信号を出すらしい青いリード線があるのだが、この機能は諦めて切断した。(もともと使ってはいなかったし)
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 これは取り出したムーブメントと針。
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 あとは、新しいのを取り付けて・・・
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 完成。
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 無事に生き返ってくれた。捨てずに済んで良かった。こんなこと今更言うのもなんだが、便利な時代だなあと改めて思った。(^_^;)



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メロディー電卓 [雑文]

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 僕が大学時代(1985年頃)に愛用していたCASIOのML-71という電卓があった。カードサイズで、時計機能、アラーム機能、タイマー機能がついている。普段は、時計になっていて、カバーを閉じた状態でも時刻を確認できるようにカバーに窓がついている。

 しかも、数字のボタンに音が割り付けられていて押すと音が鳴り、簡単な音楽を演奏できる。この時代、電卓戦争が一段落してゲームウオッチなんてものが流行ったりして、電卓も遊びの要素が付加された時代だった。任天堂がファミリーコンピューターを出したのは1983年だったそうな。

 さて大学時代、叔父がたまたますぐ隣に住んでいた。子供が3人いて、一番上の子が、僕と11歳年が離れていた。当時の僕にとっては、可愛くも何ともないうるさいガキである。このガキどもが日曜日になると、僕の部屋にずかずかと入り込んでいろいろなものをいじり回すのが常になっていた。さほど子供受けするような面白いものがあるわけでもないから大した被害には合わなかったが、たまたまこの電卓が見つかってしまい、奴らのオモチャになってしまった。

 アラームの音が、メンデルスゾーンの「春の歌」。タイマーの音が、シューベルトの「楽興の時」になっている。本来なら、アラーム、タイマーそれぞれを使ったときに、これが自動演奏されるのだが、「アラーム」というボタン、「タイマー」というボタンを単に押しただけでも、この曲が流れるようになっている。

 困ったことに、ガキどもがこの機能を学習してしまった。僕の部屋にくるたびに、やたらこのボタンを押すのである。押すと機械がいちいちそれに反応するのが面白いのだろう。飽きることもなく何度も何度も押す。そのたびに同じメロディーが流れる。「うるせえからもうやめろ」と言っても聞かないので閉口した。

 その後、この電卓がどうなったかは記憶がない。結構乱暴に使った(つまり愛用した)ので、たぶん壊れて廃棄したと思う。その後、長いこと忘れていたが、つい最近これと全く同じものがヤフオクに出品されているのを偶然見つけてしまった。新品同様で3800円。これも何かの縁だ。思い出もあったし愛着もあったので、この値段なら惜しくはないと思い、すぐに落札した。

 さてさて。送られてきたものを起動しようとして説明書を読んだときに、ちょっと驚く発見があった。僕は、この時代(1980年代)の機器には、2000年問題があるはずだと思っていて、そこはもう仕方ないと諦めていたのだが、そうではなかった。取説の仕様の欄の、カレンダーのところに「1901~2099年」と書かれている。今年は2021年だ。まだ普通に使えるどころか、あと78年も使える。電卓よりも先に僕がくたばるだろう。これは嬉しい発見だった。(冒頭の写真、21 04 25という表示になっている)

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 CASIOのこの電卓のLSIは、おそらくこの機種のために専用設計したものだろうと思う。しかもカレンダーの幅が200年もある。その条件で1985年に設計するなら「1999年で終わり」なんていう設計にするはずはない。エンジニアの心理として「そりゃそうか」とも思う。

 2000年問題というのは、構築したコンピュータシステムのカレンダー機能の「年」の部分が、メモリーの節約のために2桁で表されていたことによるものだった。つまり「99」という数字は1999年と認識するが、そこに1を足して「00」になったとき、2000年ではなくて、1900年と認識してしまうということだった。各所が念入りに点検をした結果、実際に年が明けてみたら、さほど大きなトラブルは無かったと記憶している。

 それにしても、その程度のメモリーを節約しなければならなかった時代というのは、よほど古い時代だと思う。逆に考えれば、そんな時代(世紀末を現実問題として意識できない時代)からコンピュータが運用されていたわけだから、それはそれですごいことだと思う。

 懐かしい電卓をまた手に入れて、2000年問題などと言う懐かしい話を思い出し、昔の技術に思いを馳せた。やっぱりレトロ趣味は面白い。


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数学思い出話6(忘れられない問題) [数学]

 前の記事で、高校時代の学校指定の問題集の話をしたが、今回は、指定ではなく自主的に買った問題集の思い出である。どういう経緯で買ったのか記憶がないのだが、たぶん入学してすぐに入った運動部(注1)を1学期でやめてしまって時間ができ、そのぶん勉強時間を増やそうとして買ったのではないかと思われる。

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 旺文社の「実力アップ 数学Ⅰ問題」というもの。この中に忘れられない問題があった。いや正確に言うと「答えのグラフの形を覚えていたが、問題の式を思い出せない」という問題。・・・何を言っているのかわからないと思うのでもう少し詳しく書くことにする。

 こんな問題があったのだ。
【問題】次の方程式のグラフを描け。
(xとyの関係式)(←この式が思い出せなかった)

 正解はこんなグラフ。
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 数式の中には絶対値記号が含まれていて、その中が正になるか、負になるかで場合分けして考えるのだが、一部は円になっていて、一部は双曲線になっている。断点で傾きが一致して、滑らかに見えるところが、なんとも不思議な雰囲気を醸し出している。

 ちなみに当時、僕が出した答え(誤答)はこんな形。
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 計算ミスをして、正解にあと少しのところで到達できなかった悔しさはあったもの、絶対値記号を使うとこんな面白いグラフがかけるのかと感動した。悔しいやら感動するやらで、このグラフの形がいつまでも印象に残り、時折思いだしたりするので、記憶に定着してしまった。

 さて月日は流れて、つい先日。「黒大数」をヤフオクで競り落としたとき、この問題集が出品されていたのを見つけた。懐かしい。この問題集の中にあのグラフの問題があった。「どんな式だっけ」と思い、いろいろと試行錯誤して再現を試みたのだが、どうしてもあのグラフにならない。それで買ってしまったというわけである。まあ、そんなに高い買い物ではなかったし。

 さて、その問題を探してみたら、あったあった。これだ。

【問題】次の方程式のグラフを描け。
【図】あのグラフの式2.jpg
 よくこんな式を思いつくな、と当時と同じようにしばし感動。なおこの式は2次式を作るのに、3次式÷1次式の形で作っているが、1次式×1次式で作ることもできる。その場合、上記のグラフの断点が無くなる。出題者はなぜそうしなかったのか・・・。(注2)そんなことをあれこれ考えるのも楽しい。

 数学の問題をおもしろいと思ったり、それをいつまでも覚えていたりするのはある種の感性であって、これを持っている自分は数学やるのに向いているのだと思う。プロの学者になるほどの能力はなかったが、それでもそれなりに楽しめる。

 例えて言うなら野球のプレイをかっこいいとか美しいとか楽しいとか思う感性である。そういう感性を持った人は子供の頃から野球が大好きで、たとえプロになれなくても、いつまでも草野球をやっているのではないだろうか。数学でもそういう人がきっといると思う。先日10月の検定会場にいたおじさんおばさんたちは、そういう人達なのかも知れない。(注3)

 ということで検定を受けて以来、頭の中に浮かんだあれこれ、モヤモヤを、とりあえず全部書いて整理がついた。あとは楽しむのみ。


***
(注1)中学校時代に体操部に入っていたが、当時の千葉の県立高校では体操部のある学校がほとんどなかった。この頃の自分は今と違って元気一杯だったので、高校でも運動部に入りたかったが、何をやるかが問題だった。結局、中学校時代の冬の球技大会でサッカーをやっていたのを思い出して、安易な気持ちでサッカー部に入ってしまったが、これが大間違い。自分に全く向いておらず1学期で挫折した。その後2年生になって柔道部に入り、こちらは何とか3年の夏まで続けた。ただ、こちらも自分に向いていたとは言い難い。

(注2)まず、3次式÷1次式の方が、一見難しそうに見える。つまり受験生をビビらせるため。それから、1次式×1次式になると、場合分けが増えて、問題が一段複雑になるので、ちょっと簡単にするため。また分母が0になる場合をきちんと除外できるかを問うため。などなど。まあ勝手な憶測だが。

(注3)筋トレでも脳トレでもなんでもやって自分を鍛える必要があるというのは、年をとるほどに感じるが、同時に何かにつけて、やるのが億劫になってくるのも事実。苦手なことに挑戦しようとしても、モチベーションを保つのが年齢的に大変だと悟った。こうなったらもう、自分に向いていること(昔から好きだったこと)をやった方がいい。世の中には40過ぎてもまだJリーグを目指しているサッカーおじさんもいるそうだ。好きだからこそできるのだろう。



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数学思い出話5(加法定理の語呂) [数学]

(前の記事からの続き)
 N本先生は我々が高2に進級するのと同時に、転勤で他の学校に異動してしまった。そして去り際に、三角関数の加法定理を教えていった。この定理は、少なくとも我々の世代では2年生で習う内容だった。それを敢えて1年生で教えたのは、「転勤したらもうこいつらに教えられないから最期の授業で教えておこう」と思ったのだろう。

【図】加法定理の図2.jpg

 N本先生はこんな語呂合わせを教えてくれた。
1)cosの覚え方は、「コスコス マイナス サインサイン」
2)tanの覚え方は、「イチマイ タンタンぶんの タンプラスタン」
と来て、最期に
3)sinの覚え方は、「しーこ ぷらっと コーシー」
「しーこという女の子がぷらっと喫茶店に入ってコーシーを飲むところを想像しろ」という。これには笑った。普通ならsin、cos、tanの順に説明するのだろうが、あえて一番インパクトの強いsinを最後にもってきて三段落ちを効かせている。これを授業で毎年やってウケていたのだろう。

 2年生になって数学の先生がかわり(注1)、授業で正式にこの定理を習ったとき(注2)、新しい先生は特に記憶方法を教えなかった。しかし、このときクラスのみんながN本先生に教わったこの語呂を思い出したようで、あちこちでクスクスと忍び笑いが聞こえたのを覚えている。

 加法定理のsinは、「咲いたコスモス コスモス咲いた」と覚えるのがどうやら王道らしいと知ったのは、ずっと後の話。こっちの方が洗練されている。でも記憶に残るにはインパクトが必要だ。その点「しーこ ぷらっと コーシー」は十分なインパクトがあった。よくぞ教えてくれたとN本先生には感謝している。僕自身、いまだにこの覚え方で覚えているのだから。

 なおネットで調べると、こういう語呂合わせはいろいろと見つかる。下ネタまであるので、興味のある方は検索されたし。でも当時はインターネットなんか無かったからこんな教科書に載っていないコツのようなことは、先生から教わることがほぼ全てだった。

******
(注1)数学思い出話2(極限とは)に登場した、イプシロンデルタ論法を教えてくれた先生。
https://shonankit.blog.ss-blog.jp/2020-09-05

(注2)角αの回転を表す行列をA、角βの回転を表す行列をBとしたとき、積ABを求めると、ただちにこの定理の形が現れる。技の鮮やかさに感動した。

***
【余談】
 数学ではないが、ついでに思い出したこと。元素の周期表で、原子番号1~20番(水素~カルシウム)の覚え方は、
「水兵リーベ僕の舟、名もあるシップスクラークか」
H He Li Be B C N O F Ne Na Mg Al Si P S Cl Ar K Ca
・・・というのがあって、これは中学生で習うので、割とたくさんの人に馴染みのある語呂だと思う。高3のとき、その先の、21~36(スカンジウム~クリプトン)の覚え方をクラスの誰かがどこかから習ってきて、それが面白くてクラス中に一気に広まったことがあった。

「スコッチ暴露マン、徹子にどうせ会えんが、ゲルは明日背広着る」
Sc Ti V Cr Mn Fe Co Ni Cu Zn Ga Ge As Se Br Kr
 意味不明だし、リズムもいまいちなんだが、何かユーモラスで記憶の定着がすごくいい。化学から離れてしまった僕が今でも覚えているということは、やはりそれだけ覚えやすい、良い語呂なのだと思う。当時、これを聞いてから、その先を自分で作ってみようかと思ったが、ロクなのができず諦めた。語呂合わせというのは自分で作るより、むしろ他人が作ったクセの強いやつを強烈な印象とともに、できれば笑いとともに覚えた方が効果的だと思う。


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数学思い出話4(夢に出てくる問題集) [数学]

 高校に入学すると当然のことながら、どんな科目でも学校指定の教材を買うわけだが、数学では教科書の他に数研出版の「要点と演習」という問題集が指定された。今回はこの問題集にまつわる思い出である。下の写真は、ヤフオクに出品されていたもの。(数ⅡBと数Ⅲのみゲット)

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 高校に入学して最初の定期テスト(1学期の中間テスト)で、数学の成績がどうだったかというと、自分としては予想していたよりもずっと悪かった。記憶では、7割くらいしかとれていなかったと思う。中学生の頃は9割くらいが普通だったので、これはかなりショックだった。しかもさらにショックだったのは、周囲の友人たちが僕よりもだいぶ良い成績をとっていたことだった。

 この原因は間もなくわかった。指定問題集の「要点と演習」である。これをきちんとやっていたかどうかが明暗を分けた。良い成績をとった友人たちはみんな、完璧にやっていたのに、僕は油断してあんまりやっていなかった。これに載っていた問題が、多少のアレンジはあったと思うが、ほとんどそのまま出ていたのだった。いわゆる実力テストと違って定期テストというものは、だいたいそういうものだと思う。普段の地道な努力が報われるようになっているのである。

 1年生のときの数学の担当のN本先生が授業中によく言っていた。「数学というのは解き方のパターンを覚えるという意味では暗記科目だからね」と。僕はこの言葉を、当時はあまり信用していなかった。数学の苦手な人に自信を持たせるためにそんなことを言っているように見えていたのだった。

 でも今は、この言葉の意味がよくわかる。解き方のパターンを覚えるというのは、武道に例えるなら形稽古である。乱取りや試合をやる前に、形を覚えるというのは、武道の普通の考え方だと思うし、他のスポーツでも、基礎トレーニングで何度も何度も同じ体の動きの訓練を積むものだ。N本先生が、「要点と演習」をしっかり勉強しておけばちゃんと点が取れるような問題を出した理由は、とにかく「基礎訓練を怠るな」ということを生徒の頭の中に刻み込むためだったのだろう。

 昨年、数学検定の2級を受験したときの記事で、受験の動機が、”たまに見る夢” から来たことを書いた。(注1)それがまさにこの「要点と演習」の夢なのだった。この問題集には、編集上の特徴がある。見開きの左側のページに問題が4問載っていて、これが重要例題という位置づけ。右側のページに演習問題がある。

「左側4問は重要例題である」ということを、夢の中できちんと認識している。そして「重要例題なのに、何言ってるのかぜんぜんわからない。しかも入試はもうすぐだ。これはヤバいぞ」と焦っている。そして目を覚まし、受験も大学もみんな終わって社会人になっていることを思い出して安心する。(注2)

 この問題集に対して漠然とした恐れをもっていたことは確かで、だからこそ、これが夢にでる。ならば今から、この問題集を勉強して克服すれば、恐れはなくなるだろう。しかし、そうすると、この問題集の夢をもう見なくなってしまうかもしれない。それはそれで寂しい。(注3) だからこの問題集には当面、手をつけないことにした。(つまり封印)

(なお、N本先生については余談あり。つづく)

***
(注1)昨年の2級受験の記事
「数学検定2級受験体験記」
https://shonankit.blog.ss-blog.jp/2019-11-14

(注2)「何言ってるのかぜんぜんわからない」と書いたが、よく考えると、夢だから視覚情報が曖昧で、つまりはボンヤリして、文字なんか読めないのである。読めない問題なら、そりゃあ、わからないに決まっている。長年気づかなかったこのアホらしい事実に、実物を手にしてようやく気づいた。

(注3)問題集とにらめっこして焦る夢は、一応悪夢ではあるのだが、それなりのスリルもあって満更悪いばかりではない。無くしてしまうのは惜しい気がする。



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数学思い出話3(黒大数) [数学]

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 数学検定の準1級合格に向けて、今度こそ心を入れ替えてちゃんと勉強しようと思ったとき、やっぱり高校3年レベルなのだから、自分が高校生の時に使っていた本で勉強したいと思った。ただし、そのためには “あの時代” の参考書をなんとかして調達しなければならない。自分の手元の高校時代の教材は、授業で使っていた教科書がかろうじて残っているだけである。

 そんな話を会社の後輩にしたところ、「今の参考書でもいいんじゃないんですか?だって、昔も今もそんなに内容は変わらないでしょう?」と言われた。その通り。この考え方は全く正しい。ただ僕の場合は普通の人と違って懐古趣味がある。昔の参考書で勉強することにこだわるのは、昔を懐かしむことに大きな楽しみがあるからで、「最近の参考書を使え」となったらこれが無くなる。ここは重要で譲れない線なのだ。

 高校時代に愛用していた数学の参考書で、研文書院の「大学への数学」という本があった。通称「黒大数」と呼ばれていた。(注1)大学受験の合格体験記で評判が良かったので選んだのだが、受験参考書だったこともあり、とにかく問題が難しかった。当時はこれを数Ⅰ、数ⅡB、数Ⅲまで全部やった(と思う)。

 この黒大数をヤフオクで買えないかなと思って検索してみたら、ちょうど僕の高校時代の課程(注2)のものが数Ⅰ~数Ⅲの3冊揃いで出品されていた。しかもかなり程度がいい。早速入札した。ところが入札者が僕の他に二人いて、熾烈な争いが起きた。どんどん値がつり上がり、挫けそうになったが、ここで負けたら次にいつ出品されるかわからない。頑張ってなんとか競り落とした。(注3)

 昔勉強していて難しいと感じた問題を、今解いたらどう感じるのだろうという素朴な疑問があったが、やってみたらやっぱり難しかった。「これ本当に昔やってたのかな」って思うくらい。数学の問題は、「数Ⅰだから簡単で数Ⅲだから難しい」とか、そういうものではない。数Ⅰだろうが、なんだろうが、ひねりようによってはいくらでも難しくなるわけで、その意味ではパズルと同じである。

 数学の勉強をすることで頭脳の老化がちょっとは食い止めることができるかも知れない。毎日1問ずつでもいいから、問題を解くのを習慣にできたらいいなと思う。(でも「言うは易し行うは難し」なんだよね)

***
(注1)東京出版から出ている「大学への数学」という同じタイトルの月刊誌があり、こちらは昔も今も受験生に愛読されている。研文書院の「大学への数学」は東京出版と区別するため、表紙の色の特徴から「黒大数」と呼ばれていた。なお研文書院は2013年に廃業したようで、オークションで値段が高騰したのは、こんな事情もあるのかも知れない。

(注2)僕の高校時代は1979年(昭和54年)4月~1982年(昭和56年)3月の3年間だった。この時代の数学のカリキュラムは1973年に改訂されたものが使われていたようだ。その後、僕が高校を卒業した1982年の新年度から、また新しい内容に変わったらしい。
 カリキュラムはこのようにして、時代により見直され改訂されていくので、学習参考書の中古品を買おうとするときはタイトルだけでなく発行年も気にする必要がある。例えば「数学Ⅰ」というタイトルは、僕らの前の世代(1960年代)からすでにあって、しかも現代(2020年)に至るまでずっと、もう60年近く続いている。しかし内容は時代によって変遷がある。

(注3)あのオークションの値の上がりっぷりを見ると、もしかして世の中には、こういう時代ごとの参考書を蒐集するマニアがいるんじゃないかと思えてきた。少なくとも僕は今、そういう禁断の領域に足を踏み出すのを自制しているところである。そもそも自分には蒐集癖があるので、気をつけないと数学の勉強があらぬ方向に行ってしまうリスクがある。


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数学検定準1級受験体験記 [数学]

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 10月の終わりに数学検定の準1級を受験してきた。結果から言ってしまうと不合格。普通、何か試験を受けても不合格になったときは、あんまりブログに書きたいと思わないのだが、今回はいろいろ感じたところがあるのでネタにすることにした。

 まず1年ほど時を遡る。昨年2級を受けたときのことである。このときはぶっつけ本番で受験した。それでも試験の直後は9割くらい取れたと思い、自信満々だった。結果として合格はしたが、得点の明細が送られてきたとき、実は計算ミスだらけで、ギリギリの合格だったことを知った。これは、準1級を受けるときは、ちょっと勉強しないとまずいかな、と思っていた。実際に受けるかどうかは別として。

 2020年が明けてコロナ騒動が始まり、集会でクラスターが発生したなどというニュースを聞くようになり、あちこちでイベントの中止が相次いだ。数学検定も、もう検定そのものが実施できるかどうかという状況になり、実際、予定されていたいくつかの検定が中止になったり別の日に振り替えられたりと、大変だったようだ。

 そんな感じだったので、今年の受験はやめた方がいいかなと思っていた。しかし、それでもやっぱり気にはなっていて、9月のはじめくらいだったか、ちょうど第2波が収束してきたのを見て、申し込みのギリギリになって受験を決意。10月に入ってから、ようやく準1級の問題集(過去問)を買ってきて解き始めた。

 そこで初めて気づいた。「あれ?なんだか様子がおかしいぞ」 問題のレベルが2級のときよりも明らかに高い。普通に考えれば当たり前なんだが、僕は「高2レベルと高3レベル、出題分野がちょっと違うだけで、問題の難易度はさほど変わらない」と勝手に思い込んでいた。これはヤバいと思ったが時すでに遅し。絶望的な状態で本番を迎えることになった。

 会場の準1級の教室にはざっと70人くらいの受験生がいたが、若い人がほとんどだった。しかも男女比は半々くらい。僕を含めて5人くらいのおじさんおばさんが混ざっている。若者が受験するのは、ごく自然なこととして理解できる。力試しもあろうし、大学受験絡みもあろう。でも僕以外のおじさん、おばさんの目的は何なんだろう。(ただしインタビューするほどのことでもない)

 本番は、なんとか答案を作ったが「これじゃあ、たぶんだめだろう」というのが率直な感想。2級のときのあの自信満々な気分とはえらい違いである。3週間後にネットで速報があって結果は案の定不合格。高校卒業後40年のブランクがあって、勉強せずになんとか合格できたのは2級までだったということである。そこから先は、もう力がなくなっているんだ、やっぱりちゃんと勉強しないとだめだったんだと、しみじみ思った。まあ勉強不足だというなら勉強すればいいわけで、まだ救いはある。

 ちなみに、過去問の問題集をやった、なんていうのは勉強した内に入らない。ああいうのは既に十分に訓練を積んでいる人が出題傾向を知ろうとして仕上げにやるものだ。僕みたいな何もやっていない人があれをやっても、せいぜい問題の難しさにびっくりして終わりである。そこで実力アップするってものではない。

 それから、これは去年も感じたことだが、こういう試験を受けるときは、手書きに慣れていないと駄目である。我々が仕事で文書を作るときは、PCのキーボードのタイピングがメインになる。図面を書くのも、マウスの操作がほとんどだ。そういう人が手書きをたまにやろうとすると、力加減がわからず、やたらと力が入ってしまって手が動かない。結局手書きで問題演習をするしかない。現役の高校生は、もちろん手書きで答案を作る訓練を積んでいる。でも社会人にとっては盲点だ。

 後日、採点の明細が送られてきた。合格点に達してはいないが、平均点は取れていた。「なんだ、あの若者の中に混じって平均点がとれているなら、自分もまだ捨てたもんじゃないな」なんて思ってしまった。不合格がショックだったので、ちょっとでも慰めになるネタを欲しがっている。いやいや平均点を取るのが目的ではないのだよ。検定協会が設定した合格ラインを越えないといけないのだ。

 さあ今度こそ、心を入れ替えよう。これからどうやって勉強するか。それは別の記事に改めて書くことにしたい。

***


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平家物語を読みたい(9)頼朝の挙兵 [読書]

(勉強会も半分が終わり、今、前半の振り返りを書いています)

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 このシリーズの最初の頃に、1159年の平治の乱で源義朝が負けて討たれ、三男の頼朝が伊豆に流された話を書いた。(注1)その頼朝は伊豆で何をしていたかというと、地元の有力者北条氏(流刑先の監視役)の娘の政子と恋仲になって結婚し、平穏無事に暮らしていたらしい。

 頼朝と同じように都を追われて伊豆に流されていた文覚(もんがく)という上人がいた。この人が頼朝に挙兵を促すが、頼朝は「自分は命を助けてくれた池禅尼の恩に報いるために読経三昧の日々を送るだけだ」と一旦は断っている。しかし結局、歴史の大きなうねりには逆らえず、担ぎ出されるような形で挙兵を決意。1180年、これを実行に移した。

 他の歴史書はいざ知らず、平家物語に描かれている頼朝の挙兵の様子は、第5巻の「早馬」という章に書かれている内容がすべてのようだ。相模の大庭景親が京に早馬を飛ばし、報告した内容は下記の通りだった。原文の情報不足のアピールのため、あえて原文をそのまま記載する。(注2)文中の(1)~(4)は僕が便宜的につけた見出しである。

1)挙兵
 去んぬる、八月十七日、伊豆の国の流人、右兵衛佐頼朝、しうと北条四郎時政をつかはして、伊豆の目代、和泉判官兼高を、やまきが館で夜うちにうち候ひぬ。
2)石橋山の合戦
 其後、土肥、土屋、岡崎をはじめとして三百余騎、石橋山に立て籠もって候ところに、景親、御方に心ざしを存ずる者ども、一千騎を引率して、おし寄せせめ候程に、兵衛佐七八騎にうちなされ、大童にたたかひなって、土肥の椙山へにげこもり候ひぬ。
3)由比ヶ浜の合戦
 其後、畠山五百余騎して御方を仕る。三浦大介義明が子供、三百余騎で源氏方をして、湯井戸、小坪の浦でたたかふに、畠山いくさにまけて、武蔵の国へひきしりぞく。
4)衣笠城の合戦
 その後、畠山が一族、川越、稲毛、小山田、江戸、笠井、惣じて其外、七党の兵ども、三千騎を相具して、三浦衣笠の城に押し寄せてせめたたかふ。大介義明うたれ候ひぬ。子供はくり浜の浦より舟に乗り、安房上総へわたり候ひぬ

 この記述からは「頼朝が挙兵して、伊豆の国の目代、山木兼隆を討ったあと、石橋山の戦いで負け戦になり、土肥の椙山に逃げ込んだ」、というところまで読み取れるのだが、それ以外は頼朝の情報がない。つまり平家物語では頼朝が挙兵したときの戦の情報はほぼ無いに等しくて、しかもその後はもう、いきなり富士川の合戦になってしまう。このままでは途中に何があったのか全然わからないので、ここは結構なリサーチ(主にネット情報)をせざるを得なかった。(注3)

 現代文にしてわかりやすい内容に書き換えると次のようになる。
1)挙兵
 当時、伊豆の国の目代、山木兼隆は平家方だった。頼朝は自分の舅の北条時政と、自分に味方する地元の武将とともに伊豆で挙兵し、まずは山木を討った。
2)石橋山の合戦
 その後、三浦一族の応援と合流するために、伊豆半島の東岸を北上したが、石橋山(現在の東海道線の早川~根府川付近)で相模の大庭景親の軍勢(平家方)の攻撃を受けて破れ、土肥の椙山に隠れ、かろうじて難を逃れた。その後、真鶴から舟で脱出し、安房上総方面に渡った。
3)由比ヶ浜の合戦
 頼朝の敗戦を合流前に知らされた三浦軍は、やむなく兵を引き上げたが、その途中で、武蔵の畠山重忠の軍(平家方)と、鎌倉の由比ヶ浜で鉢合わせした。小競り合いがあったが停戦が成立。
4)衣笠城の合戦
 その後、畠山の一族は、再び三浦の衣笠城を攻めた。三浦一族は抗しきれず、城を捨てて脱出。久里浜の港から舟で安房上総方面へ渡った。

 そして安房上総に渡った頼朝は三浦一族と合流し、安房、上総の武将達を味方につけ、巨大勢力を形成しながら、東京湾をぐるっと回って、古くからの源氏ゆかりの地、鎌倉に入った、ということらしい。

 この部分は、原文があまりにも簡単に書かれていたので、緊迫感は無かったが、情報不足が逆に幸いして調べ物の楽しさを味わえた。また、僕の出身地の千葉県、今住んでいる神奈川県に、頼朝の挙兵に関する旧跡がいろいろあることを知ったので、これから少しずつ観に行って見ようと思っている。(注4)そんな楽しみも増えた。

 年明けから後半に入る。


***
(注1)平家物語を読みたい(3)保元の乱・平治の乱(パート2)
https://shonankit.blog.ss-blog.jp/2020-08-12

(注2)わかりにくいが悪しからず。読者を煙に巻こうと思っているわけではない。

(注3)今の時代なら、誰でも同じことを考えているとは思うが・・・。ネットで調べ物をするとき、その情報が信頼できるかどうかは、ある程度慎重に考える必要がある。複数の人の利害が絡むような話とか、政治的な内容などでは、世論を誘導する目的に使えるわけで、そういう内容のときは、そのまま信じるわけにはいかない。
 しかし平安時代の歴史の記述で、そのような事がおこるとはまず考えられない。これで人を騙しても得になることはないだろうし、研究者の間で見解の相違が起こることはあるかも知れないが、それはもはや素人レベルを遙かに超えた話になるだろう。よって記載内容はおおむね信用できると考えている。ネット情報のおかげで、昔と違って今は勉強がしやすい環境が整っている。

(注4)とりあえず特記したいのは、石橋山で頼朝をボコボコにし、京に早馬を飛ばして関東の動向を知らせた、相模の大庭景親である。この人の城が有った場所は現在、大庭城址公園として整備されているが、これがなんと僕の家のすぐ近く、散歩に行ける距離にある。ちょっと感動してしまい、よく知りもしないのに大庭景親のファンになってしまった。しかも近所の和菓子屋さんでは銘菓「大庭城最中」が売られている。



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