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フクロウ時計の改造(3) [ラヂオ]

 電源ユニットとダミー電池を接続したのが下の写真。
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 これを時計に取り付けたのが下の写真。
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 運転は成功し、フクロウ君は、元の位置で、元気に尻尾を振っている。停電がなければ、時計も尻尾も止まることはない。
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 もっとも最近は、昔と違って自然災害の規模が大きくなってしまって、停電がよく起こる。2011年の東日本大震災のときは計画停電。今年2019年も台風の災害で停電が起こった。

 ただ、停電や電池切れで時計が止まるのは、まあ許せる。時計は他もあるし、時刻を知る手段は他にもあるのだから。でも尻尾の動きが止まってしまったら、この時計の存在意義がなくなるのだ。下らないこだわりかも知れないが、それだけ解決したいがために、今回の改造を行った。長年の懸案が一つ解決してほっとしている。

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フクロウ時計の改造(2) [ラヂオ]

 ROHM(ローム)の電圧レギュレータというのは、形番でいうと「BA15DD0T」というもので、いわゆる三端子レギュレータである。

 なじみのない人のために念のために書いてみると、三端子レギュレータというのは、一定の直流電圧を作り出す機能をもったIC(集積回路)の一種である。電気回路工作をすると、何かとこれを使うのだが、今までこんな1.5Vなどという低い電圧のものを見たことがなかった。使い方は、78系の三端子レギュレータと同じピンアサインになっている。パッケージ正面に向かって左が入力、真ん中がコモン、右側が出力。

 さて、最初、回路を簡単にしようと思って、発振防止用のコンデンサをつけずに電圧を測ってみたのだが、正しい電圧がでなかった。つまりこれは異常発振が起きているのだろう。詳細な調査は省略。
01【5】【参考】失敗、出力電圧.JPG

 それで、僕なりに真面目に組んだ回路が下の写真。あまり部品点数が多くないので、平ラグ板に組んでみた。電圧は正常に1.5V出た。
02【1】減圧部.JPG
03【3】出力電圧.JPG

 次にダミー電池を作る。ネットで調べたら、乾電池アダプターというのが、すごく安く売っていた。単3電池の形のケースの中に単4電池をいれると、単3電池として使えるというもの。(注1)これの電極のところだけを取り出した。(注2)
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 ダミー電池はプラ板を切り出して作る。写真の通り。
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(注1)一体何のためにこういうものが売られているのか、最初は意味がよくわからなかった。でも手持ちの予備の乾電池の種類を減らしたい人には便利なのかも知れない。

(注2)このアダプターがそのままダミー電池に使えると思ったが、だめだった。電極がプラスチックの容器にはめ込んであるだけなので、電池を入れずに電池ホルダーに装着すると、ホルダーのバネ性で、電極が中に押し込まれてしまい、突っ張ってくれないのだ。つまり単4電池を入れないと使えないということ。じゃあ単4電池の形のダミーを入れればいいではないか、とも思ったが、それもちょうど良い物がみつからない。探している間にプラ板で作ってしまった方が手っ取り早い。だから電極だけ流用することにした。


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フクロウ時計の改造(1) [ラヂオ]

 僕の家のリビングにお気に入りの掛時計がある。フクロウの形で、昔の振り子時計のように、尻尾の形の振り子を振る。もう20年以上も前のことになるが、関西の方に旅行に行ったときに、ふと立ち寄ったディスカウントショップで見つけて一目惚れして買ったものである。

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 裏側に電池を入れるホルダーがあって、単3乾電池が2本入っている。(注1)上の電池は時計の針を回すためのもの。下の電池は、尻尾を振るための電池である。普通は振り子というのは、等時性を利用して時間を作るためにあるが、この時計はクオーツ時計であり、振り子は飾りである。

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 振り子と時計が完全に独立していて、しかも振り子の方が電池の消耗が大きい。同時に電池を交換すると、必ず振り子の方が先に止まり、なおかつ時計は動いているという不自然な状況が現れる。別段、それを気にしなければいいのだが、そもそも尻尾がふりふり動いているのが可愛いから買ったのであり、この状況にはずっと不満があった。

 電池駆動でなく、AC駆動にすればこの問題は解決する。この改造をいつかやりたいと思っていたのだが、延び延びになっていた。その理由の一つに「DC1.5Vの電圧レギュレータがみつからない」、というのがあった。しかし最近、ROHMの製品で、まさにこの、1.5Vのレギュレータを見つけてしまった。
(つづく)


****
(注1)写真に見えている電池の他に、右側に単3乾電池のホルダーが2本分ある。この時計には毎正時ごとにメロディが鳴る機能があって、この電池ホルダーはメロディ用の電源である。最初のうちはこの機能を使っていたのだが、今は使っていない。なぜかと言うと、耳が慣れてしまうとメロディが聞こえなくなるのである。ちゃんと鳴っているのに、鳴っていないのと同じになってしまって、意味がないので、こっちの電池は外している。

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懐かしの電気回路発掘 [ラヂオ]

 千葉の実家に、昔僕が使っていた書棚がある。下の方に、小物を入れる引き出しがあって、これが永い間、「開かずの引き出し」になっていた。あの引き出しには何が入っているんだろう。気になってはいたが、「変なものが出て来たら嫌だな」と思って、なんとなく敬遠し続け、もう30年近く経ってしまった。

 確か一昨年の夏休みだったと思う、帰省したときに、この引き出しを「開けてみよう」と唐突に思い立った。書棚の重みで上の板が少したわんでいて、開けにくくなっていたが、その板を力任せに持ち上げてみたら開いた。引き出しの中から出てきたものは、3枚の電気回路基板だった。
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 懐かしい。大学のときに授業で習った、サイリスタを使った電力制御の回路で、実習で作ったものだった。ひとり1枚しか作らなかったのに自分のところに3枚あったのは、たぶん友達からもらったのだと思う。「何かの役に立つかも」とでも思ったのだろう。
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 よく見ると、3枚ともそれぞれ部品がどこか外れていて、皆そのままでは使えない状態になっている。当時、何かをしようとしていじったのかもしれないのだが全く記憶がない。これをなんとしてもレストアし、ついでに勉強したくなった。こういうときはチャンスである。
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 しかし、一つ問題があった。時代の流れで使われなくなった部品が一つ載っている。名前をユニジャンクショントランジスタ(略称UJT、型番は2SH21)という。サイリスタのゲートにかけるトリガーパルスを作る素子で、今では、この部品は生産されていない。トリガーをかける方式(技術)が30年の間に変わってしまったのである。
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 現在使われていないから、使い方を調べようにも最近の本には載っていない。だから1980年代に発行されたパワーエレクトロニクスの古本をネットで探して買ってみた。そしたら、「どうやらこれだな」という回路が見つかった。3枚の基板をよく観察して、足りない部品を補ったら、だいたいその回路になった。

 UJTについては、いろいろ思うところがあるから、それは別の機会にまた書きたい。とにかく、このたびレストアが完成したのが下の写真。ボリュームを回すと電力を調節できる。負荷には赤い電球をつないでみた。
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↓電力が最大のとき。明るさ最大になる。(カメラが自動で光量を調節してしまうから、なかなかわかりやすい写真が撮れないけど)
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↓電力を絞るとフィラメントの形がかろうじてわかる程度にぎりぎりまで光を絞れる。
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 大学時代に、この回路は理解できなかったが、今なら9割方わかる。残りの1割は何かというとUJTのパルス発振を実験で調べていないこと。これが終わればバッチリである。自分の技術もそれなりに進歩しているんだな、としみじみ感慨に耽ってしまった。

*****
【蛇足】
 すでに書いたように、この回路で使われているUJTと言う部品はもう生産されていない。回路の技術が変遷して別の部品が使われるようになっている。UJTの使い方がわからないからと言って、それを今の時代に改めて調べようという人は少数派だと思う。僕がそれを敢えてやったのは、やっぱりノスタルジアだった。

 ラジオ少年時代に愛読していた月刊誌「模型とラジオ」に初心者向けの電子工作の記事が連載されていた。僕は特に泉弘志さんの「エレクトロニクスバラックシリーズ*」というのが好きで、たまに小遣いで部品を買って組んで遊んだものだった。そのシリーズにUJTがしばしば使われていたのである。

 初心者向けだから部品点数は少ないが、電子回路であることに変わりはない。どの回路にも、重要なエッセンスが含まれている。しかも興味を引きやすく優しい解説である。小中学生のエンジニアの卵のためにこういう記事を書く仕事は、大人のエンジニアのためにセミナーを開くのと同じくらい大切で、大変な仕事だと思う。泉弘志さんの偉大さを改めて思う。若い頃の感動は忘れないのだ。

* エレクトロニクスバラックシリーズ: かまぼこ板の上に回路を組むバラック建てのような電子工作。子供のお小遣いでも楽しめるようによく考えられた工作シリーズだった。

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ラジオ音響技能検定試験の話(3) [ラヂオ]

(下の写真は、今回の検定試験で、回答にちょっと迷った問題を抜粋してみたもの。読者の方で覚えのある方、考えてみて下さい。一瞬、あれ?って迷いませんか? 回答は文末で。)

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***
(つづき)
 さて、「カッコイイ技術者のライセンス、技能検定資格も取れるゾ!!」の、技能検定資格というのが、他ならぬ「ラジオ音響技能検定試験(文部省認定)」だった。つまりラジオ工学講座を修了してこの検定試験に合格すれば、その人が技術を持っていることの証明になる。ちょうど飲食店が調理師免許、床屋さんが理髪師免許を店頭に掲げるように、昔のラジオ屋さんも、「ラジオ音響技能検定○級」の証書を店頭に掲げていたのかも知れない。

 僕は当時、アマチュア無線の免許をとろうとは思わなかったが、ラジオ音響技能検定試験の方は、非常に興味をそそられていた。しかし、やはり縁がなく、受験しないまま時間が過ぎてしまった。

 このブログを始めて以来、昔できなかったラジオのリベンジをやったりしているうちに、この検定試験のことを思い出した。これも青春の忘れ物である。ネットで調べてみると、「文部省認定」ではなく、「文部科学省後援」という位置付けになり、検定も「国際文化カレッジ」という法人が主催している。やはり時代が変わっている。この検定試験もいずれ無くなってしまいそうだと思い、今のうちに受験しておこうと思い立った。

 4級から1級まである。1年に一回、1つの級を受ければ、4年楽しめる。ということで今年はまず4級を受けてみることにした。試験日は、2014年11月18日。場所は蒲田の日本工学院という専門学校。級からして、もしかしたら子供ばかりなんじゃないだろうかと思ったが、実際は大人ばかりで安心した。

 4級だけあって問題は簡単。レベルとしては、たぶんアマチュア無線技士の4級くらいなのではないだろうか。(受けたことはないけど)11月13日に回答発表があり、自己採点で全問正解だったから名前の書き忘れがなければ合格だろう。

 正解発表と同時にショッキングなニュースがあった。この検定は、平成27年(来年)で休止になるという。休止とは事実上の廃止だろう。あるうちに受験しておいてよかったと思う。そして残るチャンスは来年1回しかなくなった。真面目に勉強しておこう。
(おわり)

***
(参考)
問題の解答
(5)正解は2番。(左手の法則は、磁場の中で電流が流れたときに電流が受ける力の向き。右手の法則は磁場の中で電線が動いたときの起電力の向き)
(9)正解は3番。(電池が消耗すると内部抵抗が増大して電圧が落ちる。電流を流した状態でないとこれがわからない)
(12)正解は5番。((ウ)は「一時停止」のマークが横倒しになったもの。(オ)は「取り出し」のマークがさかさまになったもの)



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ラジオ音響技能検定試験の話(2) [ラヂオ]

(つづき)
 下の写真は、当時僕が愛読していた「模型とラジオ」という雑誌である。これはずっと保管していたものではなく、古書店で入手したもの。こういう雑誌もだんだん入手しにくくなっているが、探せばあるものだ。
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 写真に写っているのは1975年8月号と1976年1月号で、後者は記事に記憶がある。なつかしい。ただ記事の話はさておき、今お見せしたいのは、1975年当時のラジオ教育研究所の広告である。この当時、ラジオ工学講座、オーディオ講座、アマチュア無線講座、という3つの通信講座があったようだ。
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 少年の心をくすぐるような文が書いてある。

「今やエレクトロニクスの時代。このエレクトロニクスの基礎がラジオ技術だ。ラ研の「ラジオ工学講座」ならわかりやすい教材と、一流の先生方の指導で、初心者のキミでも、短期間にラジオの基礎から、組立、修理技術まで、確実にマスターでき、自作もできます。カッコイイ技術者の「ライセンス」技能検定資格も取れるゾ!!」

「★手作りラジオは、ガールフレンドへのプレゼントになったり、キミの部屋を飾るアクセサリーになったり、ワイドに活躍してくれます。サァ、キミもさっそく作れ!!」

・・・まあガールフレンドへのプレゼントにはなるかも知れないが、あんまり喜びそうもないし、ラジオがインテリアになるとしたら骨董品であろう。なんでもかんでも少年の心を引こうとする必死さが面白い。

 この広告の見開きの上のノドの部分には、案内書の申し込みハガキがついていたはずだが、切り取られている。つまりこの本の前のオーナーの少年が案内書を請求したということである。そんな事が読み取れるのも古書の面白さである。僕も当時、このハガキを使って案内書を請求した。ラジオ工学講座の受講料は、当時のお金で21000円だった。

 受講したかったのだが、そういう金額が、そう簡単に出てくる家庭ではなかった。ねだったところで出してもらえるわけがないと思い、言い出さないまま受講はあきらめた。(同じ頃に同じ値段の天体望遠鏡を買ってもらったばかりだったし)ちなみにこの金額を覚えているのは、その案内書を何度も取り出して眺めていたからである。

 案内書には、受講終了生の声として「小さな電気店を開業。アフターサービス万全と、結構繁盛しています」などと書かれてあった。当時は、このことに何の疑問も持たなかったが、歴史を知った今なら、この案内書の意味するところがわかる。この通信講座ができた終戦直後の時代背景がそこに残っていたのである。(この案内書、捨ててしまったけど、とっておけばよかった)

 実際のところ、終戦の1945年と、そこから30年も経った1975年では状況が異なっていた。終戦直後、生きることに必死だった人々は、ラジオの販売や修理を生活の手段にしようとした。しかし1975年頃は、生活は豊かになり、技術も真空管の時代からトランジスタの時代へ移行した。電子機器の故障はほとんど起こらなくなり、ラジオの修理が儲かるビジネスだった時代はすでに過去のものになっていた。

 ラジオ作りが「生活の手段」から、「技術的な趣味」になったことは、別段悲しむべきことではない。むしろ、そこから入門して日本の電子産業に貢献する技術者がたくさん育ったことは喜ばしいことである。ただ、ラジオ教育研究所が設立された経緯や、その時代と自分が興味をもった時代とのズレを知ってしまい、今、何とも言えない感慨を覚えている。

 僕は1975年当時、電気店を開業する夢をもっていたわけではない。純粋に技術的な好奇心で勉強したいと思っていた。特に魅力的に感じていたのが、上の広告の中の、「カッコイイ技術者のライセンス、技能検定資格も取れるゾ!!」というところだった。
(つづく)

***
(参考) ラジオ教育研究所は、現在「ユーキャン」として、幅広く通信教育ビジネスを続けている。(沿革に興味のある方はWIKIを参照) ユーキャンのサイトで、現在の電気関係の通信教育を調べてみたところ、電験三種が69000円、第二種電気工事士が63000円。1975年当時のラジオ技術講座も今の時代の金額にしたら、このくらいの値段だったのかな、と思ったりする。


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ラジオ音響技能検定試験の話(1) [ラヂオ]

 先日11月9日に、ラジオ音響技能検定試験というのを受けてきた。「そもそも、これがどんな試験なのか」とか、「なぜ受験したか」を書こうと思ったのだが、そのための調べものをしていたら、面白い発見があったので、それを合わせて書いてみたいと思う。

 まずは歴史から。1926年に元号が昭和に変わった。その直前、1923年(大正12年)には関東大震災が起こったし、直後の1929年には世界恐慌が始まった。1931年に満州事変、1937年に盧溝橋事件から日中戦争、1941年の真珠湾攻撃から太平洋戦争が始り1945年(昭和20年)に終戦。昭和の始めの頃は、不幸な出来事が立て続けに起こった、暗い時代だった。

 日本でラジオ放送が始まったのは1925年(大正14年)だった。しかし「ぜいたくは敵だ」とか「欲しがりません 勝つまでは」などと言っていた時代にあっては、一般家庭の中にラジオが浸透する状況ではなかったのではないだろうか。

 ラジオの受信機が日本で急速に普及し始めたのは、終戦後だったようだ。娯楽番組やニュースはもちろん、尋ね人のコーナーなんかもあったという。つまり出征したまま戻って来ない兵士や、戻って来たのに家族が焼け出されて見つからない人など、戦後の混乱の中でたくさんいたと思う。そうした行方不明者へ向けて、ラジオを使ってメッセージを送りたい人がたくさんいたのだろう。

 言うまでもないが、テレビやインターネットは、この当時は無く、電波を使ったマスメディアはラジオだけだった。だから人々はみんなラジオを欲しがった。現代人がスマホを欲しがるのよりも、もっとずっと切実な需要だったのではないかと思う。しかしメーカーが作るラジオは高価だったし、当時は真空管式だったから故障も多かった。

 その結果、自分で部品を買って、ラジオを組み立てて、それを売ったり修理したりするラジオアマチュアがたくさん現れた。それがこの時代のニーズだった。アマチュアからプロの電気屋(ラジオ屋)になった人もたくさんいただろう。(僕はこの時代に生きていたら、きっとこの仕事をしていたと思う)

 そして、ラジオの部品の供給基地が秋葉原だったわけである。最初は露天商の集まりだったが、やがて今でもあるラジオセンター、ラジオガァデン、ラジオデパートといった商店街に整理されていった。もうそのネーミングからして、全くそのまんまである。つまりそこを端から端まで歩けば、ラジオをつくるための部品が一式手に入ったのである。

 このような時代背景があって、終戦から2年経った1947年、ラジオ教育研究所という法人が設立された。そしてアマチュアのラジオ技術者を養成する通信講座を開講した。この講座は1948年の認定以来、長年にわたって、ラジオ技術の唯一の文部省(当時)認定通信教育であり、毎年数千人が学んでいたという。

 僕が小学校6年生のとき(1975年)に雑誌の広告で知った、ラジオ教育研究所の通信講座がまさにこれだった。(つづく)

***
(参考文献)
この時代のラジオの歴史は、下記に詳しい。
・「ラジオの歴史 ~工作の文化と電子工業のあゆみ~」高橋雄造 法政大学出版局
・「エレクトロニクスの100年」下村隆一 誠文堂新光社 
・「秋葉原、内田ラジオでございます」内田久子 廣済堂出版

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ゲルマラジオ・リベンジ(其の弐) [ラヂオ]

 7月15日(海の日)当日。11時にJR川崎駅に到着。駅を出てすぐに、6石スーパーのスイッチを入れRFラジオ日本に合わせてみたら、ものすごい大きな音がする。もちろんこれは、自宅での聞こえ方との比較である。自宅では音量をほぼ最大まで回して聞いていた。川崎に来たら、ほぼ最小でガンガン聞こえる。さすが御膝元である。

 西口から府中街道に出て、多摩川沿いに歩く。遠くに送信アンテナが見えてきた。
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 目的地に接近するにつれて、6石スーパーは、少々音がおかしくなってきた。なにやら音が割れるようなノイズが聴こえる。電波が強すぎる影響か。これはもうスイッチを切った。

 30分ほど歩いて現地に到着。巨大なアンテナが垂直に立っている。写真で見たことはあったが、実物を間近で見たのは初めてだった。
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 ゲルマラジオをカバンの中から取り出した。「RFラジオ日本の放送は、ここが源流であり、この場所よりも電波の強い場所はない」ということを肝に銘じてスイッチオン。いやいや、ゲルマラジオは電池を使わないラジオなのだからスイッチなんかあるわけがない。イヤホンを耳に当てるだけである。

 まずは、2号機(バーアンテナ)から。おおおおおおおお!!! 聴こえる!
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 つづいて1号機(スパイダーコイル)。をををををををを!! こっちも聴こえる! しかもループアンテナ無しで!
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 どちらも実用に足る十分な音量がある。ループアンテナの効果はというと、1号機は明らかに音が大きくなったが、2号機には効果なし。ただし回路が少し違うので単純比較はできない。

 1号機の方が2号機に比べて、なぜか音がいい。音楽の重低音が強く聴こえる。回路も部品も違うので、もちろん差は有るはずだが、何がどのように効いているのかは不明である。技術的な気付きはいくつかあって、次の実験で試してみたい内容もあるのだが、今は省略する。そんなことよりも、ただただ、ゲルマラジオが鳴ったという事実が嬉しい。

 あとはどのくらいの距離までもつのかを試してみるため、ループアンテナに1号機をつないだままリュックに入れて、JR川崎駅まで歩いてみたが、ずっと実用的な音量で鳴り続けていた。本日のテストはこれにて終了。

 RFラジオ日本の電波強度は、JR川崎駅周辺ではゲルマラジオで聞けるほど強く、僕の自宅の湘南では6石スーパーでどうにか受信できる程度に弱い、ということになる。場所がどこであってもアンテナをきちんと立てればゲルマラジオは聞こえるんだという無意識な思い込みがあったが、そうではない。この認識は改めないといけない。(注1)

 小学校のとき以来、未解決だった問題が解決した。電波の強いところに行けば、ちゃんと鳴るのだ。タイムマシンで小学校時代に戻って、当時の自分に「こうすれば聞こえるよ」と教えてあげたい気分である。ああ感動。

(おわり)

(注1)
「アンテナをきちんと立てればゲルマラジオは聞こえる」というのは理論的に間違っているわけではない。ただ、それが現実的なやり方かどうかという問題なのだ。例えば、今回の実験では50kWの送信アンテナから2km離れたところで直径30cmのループアンテナを使って十分な音量が得られた。それならば、距離を少しずつ遠くしていったらどうなるのだろうか。今、仮に(よく知らないけど)電波の強さが光の強さと同じように距離の2乗に反比例して減衰していくとすると、200km離れたら、電波の強さは10000分の1になってしまう。とすると、ループアンテナの面積を10000倍、つまり直径を100倍の30mにしなければならなくなる。こんな巨大なアンテナを建設しようと思ったら、土地を購入するところから考えないといけない。ゲルマラジオを楽しむにしても限度があるという話である。
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ゲルマラジオ・リベンジ(其の壱) [ラヂオ]

 過去の記事で一度書いたことだが、僕は小学校6年生のとき、初めての電子工作でゲルマラジオを作り、失敗して挫折した経験を持つ。ゲルマラジオは回路が単純だから初心者向けだと思われがちだが、僕はそうは思わない。回路が単純であることは技術的に簡単であるということではないのだ。
ラジオにまつわる思い出話(2)を参照。下記URL。
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2011-04-10

 ゲルマラジオにはもう一つ苦い思い出がある。このブログを始めるよりもずっと前のことになるが、誠文堂新光社からオーディオクラフトマガジンというシリーズもののムックが発売され、それの第1号にゲルマラジオの特集が組まれた。このときの記事に触発され、小学生の頃のリベンジをしようかと思って科学教材社のゲルマラジオのキットを買って組んでみた。でもやっぱり駄目だった。小学生の頃と同じ挫折感を味わっただけだった。

 なぜ鳴ってくれないんだろう。参考書を読んでアンテナを工夫したり、回路に手を加えたり、いろいろやってみたが、どうにもこうにも鳴ってくれない。折に触れていろいろと自問自答した。そして最近、ふと、ある結論に辿りついた。僕はいままで、ゲルマラジオが鳴らないのはアンテナに不備があるからだとずっと思い込んでいたのだが、もっと本質的なことに思い当たった。それは、

■「ラジオの電波の強さは場所によって変わるもので、その強さに見合った感度のラジオを使えば放送は聞こえる。電波の強さに対して感度が不足していれば放送は聞こえない」■ 

・・・ということ。例えば、僕の家に到達する電波は、放送局の送信アンテナからの距離とか、途中の地形とか建物に邪魔されて減衰した結果、ある強さ(弱さ)になったものである。そして、その強さの電波は、6石スーパーの感度なら聞こえるが、ゲルマラジオの感度では聞こえない。そういう強さの電波なのだということである。

 ・・・そりゃそうだ、そんなの当たり前じゃないか、と言われそうだ。そう。当たり前なのである。なんでこんな当たり前のことに、今まで気付かなかったのだろう・・・・。

 さて、本質的事実がわかったら、次の一手が決まった。電波が減衰するものであるなら、減衰していない場所に自分が行ってしまえばいい。どこかと言うと、放送局の送信設備の直近である。これより電波の強い場所はない。言い方を変えると「電波だけは何も問題のない場所」である。だから、ここで聞こえないとしたら、原因は電波以外のところにあることがはっきりする。実際、今の状況では、電波が悪いのかラジオが悪いのか、はっきりわかっていないのである。(何しろ一度も鳴ったことがないのだから)

 というわけで、関東のAM6局(NHK第1、NHK第2、TBS、文化放送、ニッポン放送、RFラジオ日本)の送信局の位置をネットで調べたところ、僕の家から一番近いのはRFラジオ日本の川崎であることがわかった。地図で調べると、JR川崎駅から直線距離で2km程度のところにある。駅から歩いていけそうだ。

 前日7月14日に準備をした。持って行くものは、下記の通りである。

1)ゲルマラジオ1号
 上述した科学教材社のキットを組んだもの。試行錯誤で回路に少し手を加えてある。スパイダーコイルのタイプ。
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2)ゲルマラジオ2号
 前日に手持ちの部品で急遽組み立てたもの。バーアンテナ使用。スパイダーコイルのタイプと感度に差が出るか興味があったので。
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3)ループアンテナ
 A4くらいのサイズの段ボール箱(リュックに入るサイズ)にビニール被覆線を適当に10回くらい巻きつけたもの。
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4)愛用の6石スーパー
 僕の自宅では、RFラジオ日本の放送は、他の局よりも明らかに音が小さいことがわかっている。これが送信アンテナの近くまで行ったときにどうなるか興味があったため。(写真省略)


(つづく)
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SONY スカイセンサー [ラヂオ]

 6月28日(金)に仕事で東京に外出し、帰りに久しぶりに秋葉原に寄った。しょっちゅう行く所ではないけれども、たまに行くと掘り出し物が見つかるので楽しいのだ。不定期のパトロールみたいに、ざっとお店をスキャンする。行く場所は、だいたい決まっている。ガード下のラジオセンター、ラジオストア、少し離れたラジオガァデン、ラジオデパート、それから国際ラジオである。で、掘り出しものを見つけてしまった。SONYのスカイセンサーというラジオ。往年の銘機である。

 昔、僕がラジオ少年だった頃、BCLというのが流行っていた。Broadcasting Listening/Listenerの略で、簡単に言うと、海外の短波放送を聞いて楽しむ趣味である。受信レポートを放送局に送るとその御礼に放送局からべリカードという記念カードが送られてくるので、これを収集するのもBCLの楽しみだったようだ。

 ちなみに僕がこれをやっていたかというと、非常に興味はあったけれども、地球の裏側の電波を拾えるような高感度な短波ラジオなど買ってもらえるわけもなく、さりとて自分で受信機を作る技術もお金もなく、完全に蚊帳の外だった。

 当時、BCLのラジオで、一番有名だったと僕が認識しているのがSONYの「スカイセンサー」というシリーズである。結構マニアックな製品だと思うが、それでもテレビでCMをやっていた。YouTubeで音源を探したら、これがちゃんとあった。下記の動画の1:00くらいのところに、当時、テレビで流れていたスカイセンサーのコマーシャルが入っている。



 ラジオオーストラリアの日本語放送で、放送開始のときにワライカワセミの鳴き声を流すというもの。これ覚えている。「いい音で知る、広い世界」というキャッチコピーには夢がある。いかにも少年の心をくすぐるような言葉ではないか。欲しかったんだよなー。このラジオ・・・・。金曜の夜から一晩考えた。そして出た結論。ここはひとつボーナスも出たことだし奮発しよう。いずれこの銘機も時間が経つにしたがって、だんだん入手困難になっていくに違いない。

 翌日の土曜日、善は急げということで、再び秋葉原に出掛けた。ラジオセンターの2階にある山本無線という店である。一応スイッチを入れてもらい、音がでることを確認して購入した。ICF-5900というタイプで28000円だった。この店は秋葉原にいくつか店舗があるが、ラジオセンターの2階のE-BOX店は、昭和レトロな電化製品を専門に扱う、委託販売の店である。品揃えは、まるで僕を喜ばせるために集めたみたいである。

 この店は以前も来たことがあった。(というより、ここは不定期パトロールで巡るコースである) そのとき、「カシオミニ」(当時のカシオ計算機が1972年に日本で最初に発売した電卓)が3万円くらいで売られていた。非常に気になったのだが、一週間迷って翌週来たら売れて無くなっていた。こういうのはきっと縁なのだと思う。

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 さて、家で試運転。短波の方は後回しにして、まずはAM放送を聞いてみた。いや驚いた。ものすごい感度である。僕が以前キットを組み立てて作った6石スーパーは、窓際から1m離れると全く聞こえなくなる。マンションというのはそういうものなのだと思っていた。だからループアンテナをバルコニーに置いて、そこから電波を引っ張っている。しかしスカイセンサーは同じ場所でアンテナ無しで平気で鳴っている。もうこの事実だけで感動的である。しかも音質は相当いい。

 ああ、また楽しみが増えてしまった。
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