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木曽駒ヶ岳~宝剣岳~空木岳に登る(7) [登山]

【エピローグ】

 木曽殿山荘の食堂に、「日本100名山の全山制覇を、空木岳を最後にして達成した人」の写真がいくつか飾ってあった。

 これを見て思った。まず「空木岳って日本100名山だったのか」ということ。(登山地図にもちゃんと書いてあるのに)それから「空木岳を最後に達成するという人がこんなにいるというのはどういうことなのか」ということ。空木岳っていうのは、登りにくい山なのだろうか。登りにくいがゆえに、後回しにされがちなのだろうか、なんて考えてしまった。

 少し話が逸れるが、今回行った木曽駒ケ岳、宝剣岳、それから空木岳の中で、一般的な知名度としては木曽駒ケ岳が圧倒的に高いと思われる。何しろ登山をやらない頃から僕自身も知っていた。旅行会社がツアーを盛んに宣伝するからだろう。つい最近も、通勤の最寄りの駅で、千畳敷カールのお花畑の広告写真を見た。

 残念ながら木曽駒ケ岳は観光地化が進み過ぎたように思う。何というか、山っていうのは俗世間からある程度離れていないと山という感じがしない。「そういうお前もロープウエイを使ったではないか」と言われたらおしまいなのだが、それでも敢えて言うなら、全部の山が高尾山みたいになってしまったら世も末である。(注1)

 金さえかければ登山道はどんどん整備されていく。「最近の槍ヶ岳の頂上にはハシゴが掛けられているんだってよ。アホらしい」と昔、ハシゴのない時代に槍ヶ岳に登った人が言っていた。(注2)本当に木曽駒ケ岳に登山家らしく登ろうとする人なら東西につけられた登山道から頑張って登ると思うが、それでも山頂に着いた途端に人がうじゃうじゃいてズッコケるのではないだろうか。

 ・・・いささか悪口を書きすぎた。まあ、それとは対照的に空木岳は素晴らしかった。やはり登りにくいせいなのか、俗から離れた山らしさ満点である。木曽殿山荘のところから伸びる岩稜はスリル満点で楽しかったし、頂上に着いたときの爽快感や眺望の良さは「素晴らしい」の一言に尽きる。思い出に残る山行になった。

 下の写真は、山小屋で買った記念バッジ。
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*****
(注1)ちょっとだけ視点を変えると、次のように考えることもできる。今回の3日間の行程を考えるとロープウエイ無しではもう1日必要だった。空木岳まで回って帰るためにロープウエイは役立った。ロープウエイのおかげで、登りにくい空木岳が、登りやすくなったということにもなる。でも、それだったら空木岳の方にロープウエイを掛けちまえって? キリがないか。

(注2)昔、播隆上人が槍ヶ岳を開山したときに、すぐに安全のための鎖をつける算段をしたことが、新田次郎の小説「槍ヶ岳開山」に書かれていた。こうしてみると江戸時代から既に登山道の安全整備は意識されていたようだ。でもまあ鎖や梯子をつけるところまではいいとしても、ロープウエイとかケーブルカーのようないわゆる「交通機関」まで導入してしまうと、そこの雰囲気はガラリと変わってしまう。安全や利便と引き換えに失うものがあるということである。

【蛇足】
 富士山の5合目まで富士スバルラインという道路が通っている。この道路のおかげで、誰でも富士山に簡単に登れるようになった。それだったら、あとは山頂までロープウエイやらリフトやらを掛けてしまったらどうなの? という話にもなる。金にものを云わせれば大抵のことはできる。エベレストの頂上にヘリポートを作ってシャトルヘリを飛ばしたらどうだろう。だれでも世界最高峰に手軽に行けるようになる。こうなったら人は考え込むだろう。「人はなぜ山に登るのか」って。


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木曽駒ヶ岳~宝剣岳~空木岳に登る(6) [登山]

【3日目その2】下山

 空木岳を後にして、下山開始。岩稜歩きではなく、平坦で見通しのよい尾根をまっすぐ下る。すぐ近くに駒峰ヒュッテという山小屋がある。山岳会の有志が建てた小屋らしいが、なかなかおしゃれだった。
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 変わった形の岩がたくさんある。
これはモルモットみたいな岩。
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 駒石という名前のついた、一軒の山小屋くらいある巨岩。
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 樹林帯に入ったらカモシカに遭遇した。サルのときもそうだったが、野生動物は、登山者を遠巻きにじっと観察していて、決してこちらに近づいてくることがない。警戒しているのと同時に好奇心をもっているように見える。
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 道端ででっかいキノコを見つけた。かわいい。いつも山道でキノコを見つけると、とって食べたい衝動に駆られる。(食べないけど)
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 空木岳から池山を通って、駒ヶ根に降りる道(池山尾根)には、大地獄、小地獄という名前の、ちょっと険しい道がある。厳しいところはここだけで、あとは比較的平坦な道をひたすら下った。
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 池山小屋の近くの水場。ここの水は大変美味しかった。
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 最後の方で、足がバテて僕がブレーキになってしまい、だいぶ予定よりも遅れたが、16:10に菅の台の駐車場に無事に到着した。



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木曽駒ヶ岳~宝剣岳~空木岳に登る(5) [登山]

【3日目その1】木曽殿山荘~空木岳

 8月6日、木曽殿山荘を5:30に出発し、空木岳に向かう。
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 例のごとく、空木岳も頂上付近は岩稜になっている。しかも変わった形の岩が多い。
こんなところを通過する。
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 振り返るとこんなところ。
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 西の方には、御嶽山が見える。
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 空木岳の頂上に到着。ここは360°の展望が素晴らしい。
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 御嶽山の北側には乗鞍岳が見える。
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 木曽駒ケ岳、中岳、宝剣岳が並んで見え、その左側の鞍部越しに槍と穂高が見える。
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 ついつい槍をズームイン。地図で見ると、空木~木曽駒~穂高~槍はほぼ一直線に並んでいることが確認できた。こういう地味な発見も結構楽しい。ちなみに鞍部に見える山小屋は玉乃窪山荘らしい。
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木曽駒ヶ岳~宝剣岳~空木岳に登る(4) [登山]

【2日目その2】桧尾岳~木曽殿山荘

 宝剣岳を過ぎて、そのあとは、木曽殿山荘に向かうが、この尾根は、登山地図には、「宝剣岳~檜尾岳~空木岳間は、アップダウンが多く非常に厳しいコース。個人差が大きく出るので時間に余裕を持って計画のこと」と書かれている。実際、どうだったかというと「全くその通り」だった。

 とにかく、アップダウンが激しく、登ったり降りたり登ったり降りたりを延々と繰り返し、かなり体力を消耗する。
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 まずは檜尾岳に到着。
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 振り返ると、今歩いてきた尾根が全部見える。遥か向こうに宝剣岳の岩峰。遠くには雲海まで。絶景なのでPCの大画面でぜひ見ていただきたいと思う。(クリックで拡大する)
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 熊沢岳の直前の岩稜では、サルに遭遇。心が和む。岩の上に2匹写っているのが見えるだろうか。我々登山者を遠巻きにずっと見ていた。
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 サルのアップ。ハイマツの葉を食べているようだ。口が緑色になっている。
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 熊沢岳の頂上。
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 木曽殿山荘についたのは15時50分。10時間以上かかってしまった。なお登山地図の標準タイムは、休憩無しで8時間10分。
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 この尾根は、ひとつひとつのピークに上がる手前に必ず岩稜があって、かなり神経を遣うし体力も使う。登山地図に書いてあったことは、全くその通りだった。それから、目標のピークだと思ったら実はその手前のピークだった、なんてことが結構あって、そういうときは精神的にどっと疲れる。「地図を良く見ろ」と言われればそれまでなのだが、ピークがたくさんあるからこそこんなことも起こる。

 まあ難コースだということはあらかじめわかっていたので、この山行を計画したとき、もしも2日目に雨が降ったら、宝剣岳に登らずロープウエイで下山する予定だった。結果的に晴れたので存分に楽しむことができたが、運悪く雨になってしまったら、潔く諦めた方が良いと思われる。キツイし、眺望もないし、しかも危険が増すというのでは、良いことは何もない。(注1)


******
(注1)この話は、そもそも「登山とは何か」とか「登山に何を求めるか」と言った、根本的なものにつながる話である。僕が登山をやり始めた頃に、あるベテラン(山小屋の主人)から「登山=サバイバルゲーム」という言葉を聞いたことがあった。あれから9年経つが、僕は今だにそのように割り切ることができない。

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木曽駒ヶ岳~宝剣岳~空木岳に登る(3) [登山]

【2日目その1】宝剣岳

 8月5日、日の出の時刻。このときは霧がひどくて、どうなることかと思ったが、登り始めるころには晴れてよかった。
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 5:30に宝剣山荘を出発した。いざ、最初の関門、宝剣岳である。登山地図を見ると、宝剣岳に登るルートに「クサリ場、滑落事故多い」と書いてあり、(危)のマークがついている。で、実際どうだったかというと、地図の記述の通り、結構怖かった。ただ、「登り甲斐」という面でみると、初日の木曽駒に比べたら雲泥の差だった。
 なお、初心者がここに登ったら足がすくんで動けなくなる人もいるかも知れない。地図は万人向けに書いているので、注意書きは適切だと思った。

 斜面に取りついたところ。
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 クサリはきちんとついている。
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 ここは頂上付近。写真を撮っている余裕がほとんどなく、頂上が狭く、しかも他の登山者が何人かいたので、早々に下山体制に移った。
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 垂直の壁。空に月が写っているのがわかるだろうか。
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 三ノ沢分岐でようやく一息ついた。向こうに見えているのが宝剣岳。
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【特記事項】
 宝剣山荘を早朝(今回の場合5:30)に出発して宝剣岳を北から南へ進むのは、すれ違いが無くて非常に歩きやすい。理由はまず南側の直近に山小屋がない。またロープウエイ経由で極楽平に上がれば南から北へ向かうことはできるが、そんなに早朝からロープウエイが営業していない。

 今回の山行を企画していたときに、クラブの先輩の経験談を聞いた。昔、日中に宝剣岳に登ろうとしたところ、ここに初心者(推定)がたくさん来てしまい、大渋滞が起こって動かなくなり、にっちもさっちも行かなくなって引き返したのだそうだ。大渋滞プラスすれ違いがあったのだろう。その人には「宝剣山荘はできるだけ早く出発せよ」と強く勧められた。

 こんな場所で大渋滞が起きたら、それは苦行以外の何物でもない。楽しいはずの登山が台無しになるだろうな、と思う。



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木曽駒ヶ岳~宝剣岳~空木岳に登る(2) [登山]

【初日】千畳敷~木曽駒ケ岳

 8月4日早朝、八王子に集合し、中央高速で駒ヶ根まで。高速を降りてすぐに菅の台バスセンターの駐車場がある。

 駐車場に車を止め、バスでしらび平まで。そこからロープウエイにのって千畳敷まで。バスもロープウエイも混雑がほとんどなく順調だった。
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千畳敷カールから、北側を見上げる。
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ロープウエイの千畳敷駅が、下の方に見える。
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乗越浄土というところに到着。千畳敷カールの急傾斜が終わり、ひと息つく。
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中岳から木曽駒ケ岳の頂上を望む。
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木曽駒ケ岳の頂上にて。
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頂上のお宮。
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初日に泊まる、宝剣山荘の前でビールで乾杯。
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こちらは翌日登る宝剣岳。
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 木曽駒ケ岳は、乗越浄土まで上がってしまえば、あとはさほど苦しいところはない。ロープウエイがあるので、登山の準備なしで(普通のスニーカーかつ軽装で)登っている人もかなりいた。あまり簡単に登れてしまうとありがたみがない、というのが正直な感想である。・・・ということで初日は平凡に終了した。


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木曽駒ヶ岳~宝剣岳~空木岳に登る(1) [登山]

【プロローグ】

 8月の山行は、ここ5年連続で北アルプスが続いており(注1)、たまには別のところにしようということで、6月頃からなんとなく中央アルプスに決まっていた。まずは、ガイドブックに載っていたモデルコースを共同幹事のNさんに提案したら、木曽駒、宝剣を登り、そのまま空木岳まで足を延ばすコースを逆提案され、結果、そのコースで行くことになった。

 僕は山登りを2009年に始めて、もう9年になる。それなのに、空木岳という山を知らなかった。もちろん日本100名山の一つだということも知らなかった。今まで、中央アルプスに全く興味を持っていなかったのだった。(いや~お恥ずかしい)

 メンバーは昨年の奥穂に行ったときのNさん、Iさん、僕、そして今年は会長のAさんを加えて4人になった。

 計画は下記の通り。
8月4日 八王子→菅の台バスセンタP→ロープウエイ→木曽駒→宝剣山荘
8月5日 宝剣山荘→宝剣岳→木曽殿山荘
8月6日 木曽殿山荘→空木岳→菅の台バスセンターP→八王子


*************
(注1)下記、一応参考まで。8月の山行は下記の通り、5年連続で北アルプスだった。
2013年 剱岳
https://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2013-08-28
2014年 薬師岳
https://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2014-08-04
2015年 槍ケ岳
https://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2015-12-31
2016年 笠ヶ岳
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2016-09-11
2017年 奥穂高岳
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2017-08-28



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2018丹沢で霧氷を見る [登山]

 3月17日、18日と二日間かけて、山岳会の仲間と丹沢山に登ってきた。コースは、ヤビツ峠⇒二ノ塔⇒三ノ塔⇒行者ケ岳⇒新大日⇒塔ノ岳⇒丹沢山(みやま山荘で一泊)⇒蛭ケ岳⇒臼ケ岳⇒檜洞丸⇒西丹沢ビジターセンター。

 二の塔から見た富士山。
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 このコースは過去に2回歩いている。最初は2009年の春。2回目が2012年の秋。だからコースについて新たに書くことはあまりない。行者ケ岳のあたりでちょっと崩落が進んだかな、という程度。みやま山荘の夕食は、相変わらず美味しかった。まるで温泉旅館の夕食である。
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 今回は初めて見たものがあって、それを書きたかった。それは霧氷というもの。簡単に言うと、霧に含まれている水分が、風で小枝にあたって氷結し、それが成長していくもの。(詳しいことはネットにたくさん情報があるので、興味のある方は参照されたし)

 みやま山荘を出発したときに見たもの。木の枝の片側、つまり風が吹きつける方向に氷が鳥の羽のように成長している。
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 丹沢山から蛭ケ岳に向かう途中。山の木々がみな霧氷で覆われて、桜が満開になっているように錯覚する。
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 蛭ケ岳の山頂にて。
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 蛭ケ岳から、臼ケ岳に向かう途中。
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 下の写真は、気温が上がって風で霧氷が剥がれ落ちて桜の花びらが散るように見えている。写真には良く写らなかった。残念。
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 真冬の乾燥していた季節から、春になって、大気中の湿り気が増えてくるとこういう現象がみられるらしい。とは言っても、いつでも見られるものでもないらしい。今回我々はラッキーだったようだ。この年になってもまだ、こんな美しいものを生まれて初めて見る機会に恵まれることがあるのだ。感動。

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武甲山に登る [登山]

 秩父に武甲山という山がある。この山の存在を、実は最近知った。知ったきっかけは、NHKの「ブラタモリ」という番組だった。(注1)7月15日の放送(第79回)で「秩父」が取り上げられたのだった。この山から採掘される石灰岩がセメントの原料になり、日本の高度経済成長を支えた。特に都心の近くに武甲山があったというのは、輸送面で大変幸運なことであったという。

「そう言えば『秩父セメント』って会社があったな。つまりそういうことか」なんて思いだした。(注2)そんな有名な山を今まで知らなかったのは、不思議でもあり、ちょっと恥ずかしくもあった。それ以来、ずっとこの山に登ってみたいと思っていたところ、9月(9日)の定例山行で、この山に登る機会に恵まれた。

 下の写真は、武甲山を北側から見たもの。近くから撮った写真なので、ちょっと見にくいが、石灰岩の採掘で、段々畑のような模様がついた、異様な姿である。こんな姿の山は初めて見た。
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***(以下はブラタモリの受け売り)
 武甲山というのは、北側半分が石灰岩、南側半分が玄武岩でできている。石灰岩はサンゴ礁が変化したもの、玄武岩は火山が噴火したときにマグマが冷えたものであり、そういう地質は、活火山のない埼玉県には本来有り得ないものである。
 実はこの山はもともと、太平洋の真ん中にあった海底火山であって、噴火が終わったあとで、そこにサンゴ礁が発達し、それがやがて石灰岩に変わった。その山が太平洋プレートの移動により日本列島に顔を出した。かかった時間がなんと2億年。
 武甲山で石灰岩の採掘が本格的に始まったのは大正時代になってからで、それ以来現在に至るまで、5億トンの石灰岩が採掘されている
***(受け売りここまで)

 頂上の展望台からは北側を見下ろすことができるようになっているが、安全のためフェンスで仕切られていて、山肌の採掘現場はよく見えなかった。
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 下の写真は武甲山を南側から見たもの。こちらから見ると、緑の残る形の非常に良い山だった。
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 武甲山の石灰岩はまだ枯渇する様子がない。自然の巨大さには驚くばかりであるが、それでもやがては枯渇するときがくるだろう。そのとき、武甲山は北側半分がなくなってしまうわけである。それでいいのだろうか・・・。武甲山の山肌を削るのは、自然破壊であることに間違いはないのだけど、破壊という言葉にはネガティブなイメージがある。やってはいけないことをやっているのか・・・。 ・・・なんて考え始めると、天然資源と人間の関係という、実に深いテーマになる。

 つまり、石灰石を武甲山から採掘するのが「悪い」となったとしても、ビルを建てるにはセメントが必要なわけで、では原料をどこから持ってくればいいのか。よその国から輸入するとしても、その国は自分の国の山を削ることになる。「秩父の自然を破壊するのは駄目だが、よそなら破壊して構わない」と言うのは、ずいぶんと身勝手な話である。「だったら武甲山を削れ」ということになるだろう。

 天然資源というのは、多かれ少なかれそんな問題を抱えている。大自然をそのままに保とうとすれば人間は「人間として」生活できない。どんな未開な民族であってもそれなりに、自分の都合にあわせて自然を作り変えるものである。山を切り開いて平地を作り、村を作ったり、田や畑を作ったりする。その延長線上に、現代の都市開発や資源の採掘がある。

 適度なら自然の利用。やりすぎたら自然の破壊。このバランスをとるのが実に難しい。しかも時代によって人間の価値観が変化する。今、この時代に行政が「これから武甲山の山肌を削りますよ」と計画を出せば、地元住民が断固反対を叫ぶだろう。しかし実際に採掘が始まった大正時代、おそらく地元の人達は、そこで仕事にありつけて収入が増えて、生活が豊かになることを喜んだであろうことは明らかで、武甲山がどんな姿になるかなんて考えていなかったと思う。あるいは考えた人がいたとしても、その時代を支配する「空気」があって、口に出せる状況ではなかっただろう。

 そのうちセメントの代替材料の研究が進んで、武甲山から石灰岩を採掘する必要がなくなるときがくるのかもしれない。僕としてはそうなることを望む。武甲山を掘り尽くせば他の山を掘らねばならなくなるのだから。人間の英知による科学技術の進歩に期待しよう。

 なお、YouTubeに武甲山の全景がわかる動画があったのでリンクする。この動画がいつまであるか保証はないが参考まで。



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(注1)「ブラタモリ」製作チームは、地質学の社会への普及に貢献した業績が認められて、2017年に日本地質学会から表彰されたそうである。

(注2)セメント業界は、いろいろな会社が、合併統合を繰り返して社名が目まぐるしく変わっているようだ。僕が過去に聞いた「秩父セメント」という会社は、現在は「太平洋セメント」という会社になっているらしい。


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奥穂高岳に登る(7)【エピローグ】 [登山]

 今回の山行は、変な台風のせいで、ずいぶんと天気を気にした。雨の中の岩稜歩きは、滑りやすくて危険なので避けたいと思っていたが、その反面、ここまで来て撤退するのはもったいないという気持ちも、ちょっとは頭の中にあった。やっぱり憧れの山を目前にして、登頂を諦めるというのは、非常に辛いものがある。楽で安全な方向に転換するのだから、労力の面から見たら本来簡単なはずなのだが、もともと登るために来ているわけだから気持ちがついていかないというのが普通の人の感覚だろう。
 
 でも、自分にはこういうときに割り切れるだけの強烈な経験がある。今から5年前、2012年のことだった。姉と燕岳から表銀座を経由して槍ヶ岳に登る計画を立てた。しかしこのときは雨や落雷がひどく、槍の穂先に登るのを諦めて下山したのだった。我々が下山したまさにその日、滑落事故があった。落ちたのは東京から来て北穂高岳に登っていた68歳の女性。同年代の女性3人のパーティで、この人は最後尾を歩いていた。170ⅿ下まで滑落し脳挫傷で死亡。

これを聞いて、いろんなことを考えた。
・槍と穂高は隣同士だ。きっと同じような天気だったろう。
・我々は撤退したが彼女たちはしなかった。我々だって強行していたら、同じように事故を起こしたかもしれない。
・彼女たちだって葛藤があったはずだ。「行くか。退くか。宿でもう一泊して様子をみるか」
・「今年登らなければ、また来年だ。年齢を考えるとやっぱり今年中に・・交通費もかかるし・・」
・最後尾を歩いていた女性は、前の二人の動きに気をとられて、手元や足元への注意力が散漫になっていたのではないか。

・・・同じ日に同じように迷ったであろう人たちである。他人事に思えなかった。自分の経験ではないけれども、自分が経験したのと同じくらい強いショックを受けた。だからこそ雨の予報が出たら、潔く撤退しようと思ったし、経験豊富な二人の先輩も同意してくれた。結局今回は、最後にちょっと降られたものの、かなり低いところまで降りていたから大きな問題はなかったし、一番晴れて欲しかった8月7日の午前中は最高の好天に恵まれた。成功だったと思う。楽しかった。

下の写真は、穂高岳山荘で買った手ぬぐい。
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同じく穂高岳山荘で買った、奥穂のバッジ。
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こちらは岳沢小屋で買った前穂のバッジ。
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(おわり)

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