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滝の白糸(5) [読書]

■裁判

 強盗殺人現場に残されていた浴衣の片袖と出刃包丁から割り出された犯人は、滝の白糸から金を奪った賊であった。しかし、彼らは、自分たちが金を取ったのは滝の白糸であり、殺人など犯していないと主張した。また、一方、滝の白糸は金など取られていない、と主張した。裁判の争点はここにあった。
 あろうことか、滝の白糸を告発する役目を負ったのは、金沢地方裁判所、新任検事代理、村越欣弥であった。この物語のクライマックスであり、最も重要な場面である。

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 はじめ判事らが出廷せし時、白糸は静かに面を上げて渠らを見やりつつ、憶せる気色もあらざりしが、最後に顕れたりし検事代理を見るや否や、渠は色蒼白めて戦きぬ。この俊爽なる法官は実に渠が三年の間、夢微にも忘れざりし欣様ならずや。渠はその学識とその地位とによりて、かつて御者たりし日の垢塵を洗い去りて、今やその面はいと清らに、その眉はひときわ秀でて、驚くばかりに見違へたれど、紛ふべくもあらず、渠は村越欣弥なり。

 白糸ははじめ不意の面会におどろきたりしが、再び渠を熟視するに及びて己を忘れ、みたび渠を見て、愁然として首をたれたり。白糸は有り得べからざるまでに意外の想を為したりき。渠はこの時まで、一箇の頼もしき馬丁としてその意中に渠を偶せしなり。いまだかくのごとく畏敬すべき者ならむとは知らざりき。或点においては渠を支配し得べしと思ひしなり。されども今この検事代理なる村越欣弥に対しては、その一髪をだに動かす力のわれにあらざるを覚えき。ああ、闊達豪放なる滝の白糸! 渠はこの時まで、己は人に対してかくまで意気地なきものとは想はざりしなり。渠はこの憤りと喜と悲にくじかれて、残柳の露にふしたるごとく、哀に萎れてぞ見えたる。
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 悲しい再会である。。自分が、三年の間、片時も忘れず仕送りをして、仕送りのために殺人を犯してまで「立派な人になって下さい」と念じ続けた人が今、自分の思い通り立派になって、しかもその罪を裁こうとしている。このときの白糸のショックは、察するにあまりある。
 ショックを受けたのは欣弥も同じであった。欣弥の視点から見た白糸の様子がこの後に書かれている。

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 欣弥の眼は、密かに始終恩人の姿に注げり。渠は果たして三年の昔天神橋上月明の下に、肘をとりて壮語し、気を吐くこと虹の如くなりし女丈夫なるか。その面影もあらず、いたくも渠は衰へたるかな。
 恩人の顔は蒼白めたり。その頬は痩けたり。その髪は乱れたり。乱れたる髪! その夕の乱れたる髪は活溌々の鉄找を表せしに、今はその憔悴を増すのみなりけり。

 渠は想へり。闊達豪放の女丈夫。渠は垂死の病辱に横はらむとも、決してかくのごとき衰容を為さざるべきなり。烈々たる渠が心中の活火は既に消えたるか。何ぞ渠のはなはだしく冷灰に似たるや。
 欣弥はこの体を見るより、すずろあわれを催して、胸も張裂くばかりなりき。同時に渠は己の職務に心着きぬ。私をもって公に代へがたしと、渠は拳を握り眼を閉じぬ。
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 三年前の美しかった恩人が被告席につき、顔は青ざめ、頬はこけ、髪は乱れ、すっかりやつれてしまった。自分を助けてくれた恩人に恩返しもできず、その恩人を告発しなければならない、胸も張り裂けんばかりの、このやりきれない気持ちはどんなであったろう。
 予審の時から、裁判長を始めとする誰の尋問にも罪を認めなかった滝の白糸は、欣弥の尋問を受け、ついに罪を自白した。

 次回、最終回。


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