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GWを過ごす(5) 昔のネガを見る [雑文]

 ライトボックスを買ってはみたものの、まだポジフィルムの現像が上がってこない。でも使ってみたくて、昔撮った写真のネガを見てみた。ライトボックスでネガを透かして、デジカメのマクロでそれを撮り、フォトショップで階調を反転してみたら・・・・。あらま~~。就職したばかりの痩せていた頃の自分とか、好きだった女の子と一緒にとった写真とか、別れたGFだとか、その他もろもろ出てきてしまって、なんだかタイムスリップしたような気分。

 他の人はどうかはわからないけれども、僕の場合、写真を撮ったとき、プリントを捨てることはあっても、フィルムは基本的には捨てない。プリントは捨ててもフィルムさえ残っていればまたプリントできる。しかし、フィルムを捨ててしまったら、その撮影はなかったことになってしまう。そういう意味では、フィルムというのは、撮影という作業の、最も根本的なアウトプットということになる。そこから先(小さくプリントする、大きく引き伸ばすなど)をやるかやらないかは、自由だ。でも、フィルムがなければ、無である。つまり撮影という行為は、フィルムというハードウエアを作ることに等しい。振り返ってデジタル写真はどうかというと、根本的なアウトプットはデータというソフトウエアである。このデータが元になってプリントをする。

 ハードウエアとソフトウエア。この違いは大きい。ハードは手で触れることのできる、形あるもの。しかしソフトには実体がない。なんだか儚い。こういう儚いものが根本的なアウトプットであるというのは、よく考えるとかなり危ういことなのではないだろうか。

 仕事でパソコンを使って仕事をしていると、データのバックアップを常に行っていないと、事故があったときに膨大なデータを一遍に失う。それと同じことが、写真でも起らないだろうか。そう考えたとき、デジタル写真のデータはバックアップが必須である。このブログを始めてからとった写真データは掲載しなかった駄作を含め2GB近くある。この文を書きながら、あわてて外付けのHDバックアップを取ったりしている。

 フィルムは、現像の手間がかかるが、その後は強い。保管は比較的簡単だ。デジタルのデータは現像の手間など一切かからないが、保管は保存するメディアの信頼性に依存する。結局バックアップという「手間」はかかるのだ。

 比較してみて実感するこの事実。フィルムを使った銀塩写真にも、まだまだ捨てがたい魅力があると発見した次第である。


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ニシムラ薫

読ませていただきました。
仰るとおりだと思います。私も写真や掻き集めた音楽データが膨大でバックアップに気を使います。
フィルムにもまだ魅力があります。LPレコードに郷愁が湧くのと一緒なのでしょうかね。
でわ。突然失礼致しました。
by ニシムラ薫 (2007-04-30 23:49) 

ひぐらし

ニシムラ薫さん、ナイスをありがとうございます。世の中の流れはデジタルですが、この理由は突き詰めて言うと「なにかと便利だから」ということに尽きるのでしょうね。その便利さを犠牲にして、他の「何か」を敢えて取ろうとしたとき、その「何か」の中にとっても面白いものが含まれているような気がするのです。そういう意味でLPレコードも真空管アンプも同じだと思います。
また遊びに来てください。私もたまにお邪魔します。
by ひぐらし (2007-04-30 23:59) 

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