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ひぐらしの中学生日記(3) [雑文]

【エピソード3】 名古屋文通事件

 前の記事で、「部活動が終わってからは、同じクラスの友人と楽しく遊ぶ日々に突入した」と書いた。その遊び仲間で一番付き合いが濃かったのが、Y田とH野だった。Y田は小学校の頃からずっと知っている友達で、家がすぐ近くだったので、もともと親しかった。しかしH野とは元々さほど親しいわけではなかった。ただY田とH野が親しかったので、自然と3人で集まるようになった。学校が終わると、大体Y田の家にダベりに行った。このとき、この二人に一つ悪いことを教わった。タバコである。JUSTという当時一番軽かった煙草を吸ったとき、くら~~っと眩暈がしたのを覚えている。

 Y田とH野と一緒に遊んでいて楽しかったのは、彼ら二人が僕の知らない世界を実に良く知っているということだった。それまでクソ真面目に勉強と部活ばかりしていて、それ以外の世界を知らなかった僕にとって、勉強も部活もやらないが、そのぶん僕の知らない世界をたくさん知っている二人と話をするのが無性に楽しかった。

 例えばH野は、なんと中3で新聞配達のアルバイトをしていた。そして貯めたお金で一眼レフカメラを買った。当時のお金で、ボディと標準レンズで15万円くらいしたと思う。もうこれだけで宝物をもっている友人である。ところが、そのうち他に欲しいものができると、そのカメラを質に入れてお金に換えてしまった。やることなすことがみんな僕には考えつかないようなことばかりだった。

 H野は自動車にも詳しかった。当時、マツダのサバンナRX-7という車が発売されて、デザインの斬新さに度肝を抜かれてマツダファンになっていた僕は、彼から昔のマツダ車の歴史を聞くのが楽しかった。彼は中3の段階で自動車の運転がある程度できたようで、親に車庫入れをやらされる話(中学生にやらせる親も親だが)なんかを、驚きと尊敬のまなざしで聞いていたものだ。

 さて本題。これは確か中3の秋頃のことだったと思う。H野は当時人気のあった石○真○というアイドル歌手のファンクラブに入っていて、その会報の文通コーナー(注1)に載っていた名古屋の女の子と文通を始めた。しばらくするとY田が影響を受けて、H野の相手の友達と文通を始めた。僕はこの二人の文通熱を、少し距離を置いて眺めていた。

 文通というのは相手の姿が見えない。でも、やり取りをしているうちに姿が見たくなるのは自然な感情だと思われる。特にY田が熱心だった。彼は自分の写真を相手に送り、相手の女の子にも「写真を送って下さい」と頼んだ。しかし、いくら待っても相手は写真を送って来なかった。

 しばらくするとH野が「向こうの友達で、もう一人文通したがってる子がいるらしいから、お前もやれ」と僕を引き込もうとした。僕が面倒だと言って断ると、「もう向こうにお前の住所を教えてしまった。そのうち向こうから手紙が来るはずだ」という。なんちゅう乱暴な奴だ。仕方がないので、丁重なお断りの手紙を用意して、向こうから手紙が来るのに備えておいた。

 さて一方、Y田の方には、ようやく向こうから写真が送られて来た。教室で「今日見せるから、うちに来い」という。興味津々でY田の家に行って見せてもらった。すると・・・。「うっ。こ、これは・・・」絶句してしまった。要するに速い話が・・・いや、あからさまに言うのはやめておこう。

 Y田はよほど期待していたのだろう。「ふざけるんじゃねえよ」と怒っていた。相手が自分の容姿を保証していたわけではないのに、一人で期待を膨らませておいて、その期待が外れたからと言って怒るなんて無茶苦茶である。しかも家の近くで、ちょうどゴミを燃やしている人がいたので、Y田はその写真をゴミの中にくべて燃やしてしまった。そこまでするか? 相手の女の子が哀れだったが、Y田の行動があまりにも突飛で、はらわたがちぎれるほど笑った。

 Y田の相手からは、その後、何通か手紙が来たらしいが、Y田はその後、一切、その子に手紙を出さなくなった。Y田がそんな状況になってしまったので、H野の方も気まずくなり、それっきりになってしまったようだ。もちろん僕の文通が始まることも無かった。

 僕はY田にひどい仕打ちを受けた女の子が気の毒でならず、しばらく経ったある日、H野に「あの子たち、今頃どうしてるかな」と聞いてみた。すると、「ああ、心配することねえよ。あの子は、また例の文通コーナーに『文通希望』の記事を載せてたぞ」と言う。突然、有無を言わせずに付き合いを一方的に切る男もひどいと思うが、切られたら切られたで、すかさず別の相手を捜そうとする女の子の方も相当なタフである。どちらの神経も当時の僕の理解を超越していた。


(注1)文通コーナーについて
 同好の友達を求める人が雑誌に自分の住所を公開する。その記事を見て興味を持った人がその人に手紙を出す。当時はITが発達していなかったから、住所を公開したところで、それを悪用するだけの環境がなかった。そもそも個人情報の保護などという概念が無かった。おおらかな時代だった。その後の文通コーナーは、住所は公開せず雑誌の編集部が仲介することになったようだ。今は電子メールの時代だから、だいぶ事情も変わっているのだろうが、最近の事情はよく知らない。

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