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燕岳・槍ヶ岳(その4) [登山]

7月22日
 話は少し戻るが、燕岳の近くにある燕山荘という山小屋は、登山愛好家の中でもトップクラスの人気を誇る山小屋だそうで、ある雑誌のアンケートでは「また行きたい山小屋」で1位になったという。我々が今回通ってきたコースにあった山小屋群(合戦小屋、燕山荘、大天荘、ヒュッテ大槍)はすべて燕山荘のグループなのだそうだ。山小屋もだんだんホテルのチェーンみたいな経営になってきているらしい。それもサービスが向上するなら大いにアリだと思う。

 これは僕の勝手な想像だが、もともと山小屋なんてものは、猟師のようなプロが使う小屋から始まっていると思う。つまり、むき出しの大自然の中に、人工物たる小屋を一つ作っておくだけで、天候の急変のときに避難場所として使えたり、あるいは小屋を拠点にして2日、3日の狩猟を計画したりできるようになるわけだ。庶民がさほど裕福でなかった時代、道楽で厳しい自然の中に身を投じる人などいなかったと考えるのが自然である。だからおそらく、登山の黎明期の山小屋は、基本は無人だったと思う。後に、登山が行楽とかスポーツとして定着したとき、そこに主がいて食事を出してくれたり布団で眠れたりするようになるわけだが、これはありがたいことだと言わなければならない。

 それがさらに進化して、燕山荘みたいな人気No.1の山小屋は、ホテルみたいなもてなしをしてくれる。昔を知っている登山家はきっと、最近の登山家は贅沢だ、なんて嘆いているのではないだろうか。今後はトイレのし尿処理技術が進んで、より快適になっていくと思う。ただし入浴だけは、なかなか難しいだろうなと想像する。

 下はヒュッテ大槍の朝食。ホテルの朝食と同じくらいおいしかった。(ちなみに2009年5月に泊まった丹沢山の「みやま山荘」の食事も、あの記事には書かなかったが相当おいしかったよ)
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 ヒュッテ大槍を出発したのは、7:00。上高地に向けて槍沢経由で下山する。天気予報は前日と全く同じだった。雪渓を下る。高度が下がるにしたがって雲を抜けるから視界は良くなるが、雨は降りっぱなしだし、山はずっと雲を被ったままである。
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 上高地の「明神館」(民宿)についたのは15:00過ぎ。すぐに風呂に入った。気持ち良かった~~。
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 夕方、母に電話して下山を伝えた。このとき母から聞いた。我々が下山したこの日、穂高で滑落事故があったそうだ。帰宅してからネットで調べてみた。22日の8:30頃、(つまり我々が下山開始して間もない頃)、北穂高岳の標高2800m地点で、東京の68歳の女性が170m下まで滑落。翌日23日にヘリで収容されたが死亡が確認された。死因は脳挫傷。あの岩場で170mも滑落すれば、どんな鉄人でも助かるまい。断崖の上から下を見下ろせばわかる。踏み外して落ちたときに、停止する場所が見えないのだ。果てしなく落ちて行きそうである。

 穂高は槍のすぐ隣にある。天気は槍と同じだったろう。この女性は同じ年代の女性3人でパーティを組み、最後尾を歩いていたらしい。同行の二人のペースに合わせようとして足元の注意がおろそかになったのだろうか。体調が悪かったのだろうか。状況の詳細は不明だが、気の毒なことだ。いや。でもその年齢で、しかもそんなに山が好きだったなら、山で死ねて本望だったのかも知れない、なんて思ったりもする。

(つづく)

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くるみ

同じく、北穂高のニュースを見つけた瞬間、ぞっとしました><

私自身、命を脅かす物質が飛散しまくっている現実を想うと
好きなことをして生きなきゃなぁ~
(いろいろな意味で)もたもたしていられないなぁ~
と、自身の根源みたいな部分(?)でそんな風に観じます。

何をしているときに死ねたらいいな、と想うのだろう。。
そうして思い浮かぶことが
自分自身にとってのhappyなのかもしれませんね。

なにはともあれ、ご無事でよかったです。
by くるみ (2012-08-05 19:59) 

ひぐらし

くるみさん。こんにちは。心配してくれてありがとうございます。
 「畳の上で死ぬ」なんていう慣用句がありますよね。むちゃなことをする人を指して「あいつはたぶん畳の上では死ねないよ」なんて言ったりします。つまり「事故死」ではなく、「大往生」が幸せだという価値観です。でも最近は、医学や医療技術が発達して「人間として機能していないのに命だけはある状態」というのが実現してしまっています。この状態だけは嫌だなあと思います。(重い話になってしまいました)
何をしているときに死ねたらいいと想うか。こういうことをみつけるのは、我々の年齢では、さほど簡単ではないのかも知れません。少なくとも僕はまだ、「山で死ねたら」とは思えません。まだ登りたいですから。ただ70歳近くなったら、そのような心境になれるかも知れません。「もう十分に生きた」と思えるような生き方をしたいですね。
by ひぐらし (2012-08-07 06:00) 

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