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ひぐらし大旅行(2)鹿児島1 [雑文]

 鹿児島と言えば、島津家の薩摩藩である。まずは島津家の史跡、
■仙巌園
■尚古集成館
を見学した。

 名勝旧跡には必ず歴史がある。いや歴史があるから名勝旧跡になるのだ。最近はインターネットのおかげで、わからないことがあると、即座に調べることができる。観光中、折に触れて歴史を調べたおかげで、薩摩藩の歴史については、前よりも詳しくなった。

 というわけで、ちょっと歴史の予備知識を一席。日本は江戸時代に鎖国をしていた。(実際は長崎の港で、ごく限られた国とだけ貿易をしていた)江戸時代は1603年~1867年である。この間、西欧諸国は、海洋進出を活発化させ、日本が鎖国をしている間に、アジアのあちこちが西欧諸国の植民地になっていた。

 1853年、アメリカのペリー提督が、蒸気船に乗って日本に来て開国を迫った。ここに及んで江戸幕府はようやく、かなりヤバい状況になっていることに気付いたわけである。しかし、もっと前からそのことに気付いていた人はいた。例えばペリー来航の約10年前のアヘン戦争(1840年~1842年)で清がイギリスに負けた事件は、大部分の日本人にとっては遠い異国の話に過ぎなかったが、それを延長すれば日本だって同じ状況に陥ることは、聡明な人には容易に想像できたのである。

 薩摩藩(今の鹿児島県)の藩主、島津斉彬(しまづなりあきら)という人が、まさにその聡明な人たちの中の一人だった。薩摩藩は江戸から遠く離れた九州の南端にあったが、海外の情報が最初に入ってくる土地だった。なぜかと言うと、欧州の船が日本に来る場合は南からアプローチしてくるからである。船が欧州を出てアフリカ大陸の西側を南下し、南端の喜望峰を回り、インド洋を通り、おそらくマラッカ海峡を通って南から日本列島に到達する。

 西洋の船が薩摩まで来なくても、琉球に来れば、それが情報として薩摩に伝わる。(そもそも琉球は薩摩藩が支配していた)そして西洋の進んだ技術を見れば国力がわかる。島津斉彬は、「蘭癖」(らんぺき=西洋かぶれ)と陰口を叩かれたそうだが、それは、単なる西洋マニアではなく、西洋の進んだ技術を学ばなければ、日本が西洋の植民地にされてしまうという危機感から来るものだったということである。(明治維新で薩摩が主導的な役割を果たしたのはこのような事情である)

 島津斉彬は藩主に就任してすぐに集成館事業というのを始めた。集成館とは何かというと、一口で言えば、「当時の日本の最先端の工業地域」である。鉄の溶鉱炉があり、それを使って兵器や船を作り、ガラス産業(薩摩切子)や、紡績産業を興した。その跡が今、「尚古集成館」という博物館として保存されている。
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 残念ながら尚古集成館の内部は撮影禁止。でも、隣接する仙厳園という島津家の庭園に大砲の展示があったので紹介する。
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 この大砲(レプリカ)の前に解説のパネルがあって、そこには、「鉄製150ポンド砲(復元)」と書かれている。重量150ポンド(約68㎏)の丸い砲弾を3㎞飛ばす力があった。かつて鹿児島城下には、これと同じ規模の大砲が2門あり、薩英戦争の時に使われたとのこと。注目すべきは、「鉄製」というところである。なぜわざわざ鉄であることを強調しているのか。現代人の我々の感覚からすれば、大砲を鉄で造るのは当たり前ではないかと思う。

 2008年のNHKの大河ドラマ「篤姫」の中で、島津斉彬が、海防の計画書をジョン万次郎に見せて意見を求めたときに、万次郎は次のように答えた。「これやったら使い物になりません。こちらに参る途中、薩摩の大砲を見ました。すべて青銅でこしらえてありました。今やイギリス、アメリカの大砲はすべて鉄で造られております。鉄の大砲は青銅に比べて倍以上も弾を飛ばす力がありますきに、これやったら遠くの海より直に城下を狙われてしまいます。まずは西洋の船と大砲について知るべきでございましょう」(NHKオンデマンド「篤姫」第5話より)

 奈良の大仏の例でわかるように、日本には銅の鋳造技術が古くからあった。これは大陸からの渡来人によって伝えられたと言われている。では鉄はどうだったかというと、技術は有るには有ったが、大砲を作るほどの技術はなかったらしい。これはおそらく、銅の融点が1084℃であるのに対し、鉄の融点が1538℃と500℃近くも高いため、大量の鉄を溶かすための強力な火力が技術不足で得られなかったためと考えられる。薩摩の集成館では、その技術課題を解決したということになる。

 こういうものを見るとエンジニアの血が騒ぐ。(だから見に来たのだ)

 まあそういうわけで、島津斉彬という人物の偉大さに、改めて感心した次第である。おそらく、当時の政治家として、国防とその技術に関しては、日本一の見識を持っていたであろうことは、想像に難くない。タイムマシンで今の日本に連れてきて、総理大臣か防衛大臣をやって欲しいと思う。

下の写真は、仙巌園から見た桜島。
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