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ひぐらし大旅行(3)鹿児島2 [雑文]

■知覧特攻平和会館

 鹿児島県南九州市の知覧という町には、かつて帝国陸軍の飛行場があった。もともと、昭和16年に主に見習い飛行士の訓練飛行場としてスタートしたが、戦局の悪化にともない、特攻の出撃基地になった。

 2007年に「俺は、君のためにこそ死ににいく」という、知覧の出撃基地を題材にした映画が公開された。僕はこれを見て、陸軍でも特攻をやっていたのだということを初めて知った。「神風特攻隊」というのは海軍の特攻隊の名前であり、陸軍はそのようには呼ばなかったけれども、いずれにしても、陸軍も海軍と同じように敵の艦艇めがけて体当たり攻撃をしていたのである。ああ。なんたる見識不足。

 この映画をきっかけに、知覧特攻平和会館というものがあることを知り、以来、ずっと行ってみたいと思っていた。鹿児島まで来た最大の目的はこれである。11月17日の朝、JR鹿児島中央駅前からバスにのって一路、知覧へ。
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 バスに揺られること約80分。「特攻観音前」で下車すると、すぐに桜並木が見える。開花のシーズンになるとさぞかし綺麗だろうと思う。
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 会館の前の庭には、陸軍の一式戦闘機「隼」(はやぶさ)が展示されている。映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影のために作られたレプリカで、撮影後にここに展示されたらしい。
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 左翼の下には増槽(補助燃料タンク)、右翼の下には250㎏爆弾がつけられている。上の写真ではわかりにくいので、映画のキャプチャを貼っておく。少なくとも当時の戦術では爆弾を抱えて飛ぶのは爆撃機の仕事であって戦闘機ではない。爆撃機が爆弾を抱えて飛んでいき、敵艦などの標的めがけて急降下しながら落とすのが典型的な爆撃だった。しかし、特攻の場合は戦闘機が爆弾を抱えて敵艦にそのまま突っ込むのである。
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 なぜ、そんなことをする必要があったか。我々が知っている現代のミサイルには照準を定めてこれを追跡するコンピュータ制御の装置がついている。だから命中率は非常に高い。しかし、そういうものが無かった時代には、狙いを定めて爆弾を投げ落とす熟練が要求された。さらに命中率を上げようと思えば、爆弾が目標に着弾するまで人間が操縦するしかなかった。しかしそれをやれば必ず死ぬ。この世に生を受けてわずか20年足らずの若者たちがこれをやったのだ。

 館内には、戦闘機4機(隼、飛燕、疾風、零戦)の他、出撃した特攻隊員の遺書、遺品、遺影等が展示されていた。残念ながら撮影は禁止だったので写真はない。また視聴覚室があって、短編のドキュメンタリー映画が上映されている。涙なくしては見られない。下の写真は、売店で買った冊子と記念品の文鎮。特に冊子の表紙を見ていただきたい。彼らは2時間後に出撃を控えた特攻隊員だそうだ。子犬を見つけて抱き上げてあやす姿が胸を打つ。全員が10代の若者だそうである。
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 下の写真は映画の中の1シーン。終戦後、満開の桜並木の下、生き残った人たちの所に、若者たちの御霊が蛍になって戻ってくるという幻想的なシーンである。(上記の2番目に載せた写真の桜並木で撮影されている)
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「散る桜 残る桜も 散る桜」 合掌。



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