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ひぐらしのルーツ(5) [雑文]

(つづき)
 前の記事に書いた通りの縁で知り合った親父とお袋は、1960年(昭和35年)11月、勤労感謝の日に結婚した。そして最初に住んだ所が、吹上(ふきあげ)という所だった。現在この地名は、住所などに使われる公式な地名としては存在しない。「吹上通り」という「通り」の名前としてかろうじて残っている。
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 JR内房線の五井駅からこの道を北西の方向へ歩くと、15分くらいで養老川につく。ここには、五井大橋という大きな橋が架かっている。この橋の五井駅側の一帯が、かつて「吹上」と呼ばれた地域であり、親父とお袋の当時の家は、ここにあった。
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 1961年(昭和36年)11月に姉が生まれ、その1年半後、1963年(昭和38年)5月、僕が生まれた。昔のアルバムの中には、服装から見てすべて同じ日に撮影したものと思われる一群の写真がある。そのうちの3枚をお見せする。おそらく昭和38年、つまり僕が生まれてすぐの夏と思われる。

↓。姉が昼寝している横に寝かせて撮ったらしい。(子供のこういう姿ってかわいいよね)
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↓。破れ障子がいい味を出している。
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↓。ピンボケなのはお袋が撮っているからと思われる。(当時はオートフォーカスなんか無かったので)
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 さて、吹上に関連して、地元の人しか知らないトリビアを語りたい。五井大橋から川の上流側を眺めると、近くに小さな記念碑が建っている。この記念碑は、昔ここに架かっていた吹上橋(ふきあげばし)という橋の跡に建てられたものである。
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 碑文を全文抜き書きする。

吹上橋記念碑
吹上橋は昭和八年十二月、此処養老川に架設され五井地区の発展に寄与してきた
平成九年四月、養老川の河川改修事業に伴い撤去されることになり
六十三年間の歴史に幕を閉じることとなった
この橋への地域住民の愛着と親しみが、永く後世に伝わることを祈念し此処に標す
平成十一年三月  市原市

 僕は、自分が生まれてすぐに住んだところが吹上橋の近くであったことを、幼い頃に両親から聞かされていた。もちろん、生まれてすぐの記憶など残っていない。それでも、吹上橋を渡るときには、いつも自分の生まれたときのことを、なんとなく想像する癖がついていた。

 僕が吹上橋を一番よく使ったのは中学生の頃だった。もうこの頃は別のところに住んでいたが、成長して活動範囲が広がり、自転車であちこちに出掛けるようになったから、この橋もよく使った。欄干が非常に粗く、端を走ると落ちそうで怖かった。記念碑に書かれているように、幅は3.4メートルしかなく、車一台がすれ違えるかどうかという細さだった。昭和8年と言えば自動車がまだあまり普及していない時代だったと思う。人が歩いて渡ることを前提にした橋だったのかもしれない。

 吹上橋の隣に五井大橋が作られたのは、橋のたもとの銘板によれば1974年(昭和49年)である。この時点で実質的に吹上橋の役割は終わったことになる。しかしその後も撤去されずに残っていたのは、やはり地元の人の愛着ゆえであろう。僕が就職で千葉を離れた1987年(昭和62年)にはまだ架かっていた。撤去されたのは碑文によれば1997年(平成9年)4月である。五井大橋が架かって役割を終えた後も、実に20年以上も存続したというのはすごいことではないだろうか。(注1)

 神奈川に移住してもう30年近くたつ。故郷に帰るたびに、その姿が少しずつ変わっていくことに気付くもので、それは寂しいことだが仕方ない。しかし吹上橋が無くなったことを知ったときは、特別な寂しさを感じた。無くなってしまうと余計に恋しくなる。写真を撮っておけばよかった。自分の頭の中に吹上時代の記憶が全くないにも関わらず、吹上橋が、自分の吹上時代の象徴のように感じていたのだった。
(つづく)

***
(注1)
 五井方面から吹上橋を渡るとその辺一体は玉前(たまさき)という地域になる。お袋の話では、子供の頃(おそらく昭和20年頃)吹上橋は大雨が降ると、川の水の力でほぼ必ず橋桁が壊れたのだという。そうなると橋が傾いてしまって使えなくなる。修復に1週間以上かかるので、玉前に住む人たちは五井の町に出掛けるのに、上流の養老橋まで大きく迂回して川を渡らねばならなかった。もしかしたら設計からしてダメな橋だったのかもしれない。
 僕の記憶の中にある中学生時代の吹上橋も、いかにも弱々しく、しかもだいぶ老朽化していた。それを考えると、1997年まで存続していたとは言え、実際には早くに通行止めになっていたのではないだろうか。事故が起こってからでは遅い。しかし大金をかけてメンテするのであれば、すぐ隣に五井大橋を架けた意味がない。


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IA子

「吹上橋」
正直なところ、名前はよく知っているのに、場所もどんな橋だったのかうろ覚えです。
主人に聞いてみたら、説明してくれましたが、はっきりその橋が思い浮かばないのです。
画像を検索してみましたが、さすがに昔過ぎるのか出てきません。

こうなるとどうしても、橋の写真がみてみたいですね。
実家に行った時に昔の写真をさがしてみます。

by IA子 (2016-07-22 08:39) 

ひぐらし

IA子さん。吹上橋の資料ですが、もしかしたら市原市役所の資料室あたりにあるかもしれません。時間の許すときにでも見に行ってくれることを期待します。まあ無理にとはいいませんが(笑)。旦那さんも地元だと、こういう話のときは心強いです。
by ひぐらし (2016-07-22 12:50) 

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