SSブログ

定年で考えたこと [雑文]

 2023年5月末で定年になった。6月からは再雇用して貰って、引き続き同じ会社で働いている。年金が支給されるのは65歳なので、うちの会社では再雇用でプラス5年働く人は多い。よその会社のことは知らないが、たぶん似たようなものなのだろう。

 定年になるとお金のことを考える機会が増える。よく聞く話で、「老後資金は、公的年金の他に2000万円必要です」という説。この説の根拠をあまりよく知らなかったので、いつもお世話になっている生命保険のお姉さんに聞いてみた。

 この話は令和元年6月の金融庁の報告書(注1)が元になっているらしい。内容としては、夫婦二人の世帯で年金暮らしをしたときに毎月5万円の赤字が生じ、これが30年続くと1800万円になる。だから約2000万円用意しておいた方がよい、というものらしい。

 ならば、たとえば赤字が7万円出る人は30年累積すれば2520万円になるわけで、2000万円では足りないということになる。一方65歳から30年たてば95歳だから、そろそろお迎えが来る頃であって「30年」という数字は妥当だと思われる。いずれにせよ自分が年金をいくらもらえるのか、いくらの赤字がでるのか、何歳まで生きるのか、といった数字は個人によってばらつきがでるものなので、そういう見積を一人一人がすべきものなのだ。意味がわかれば漠然とした不安はなくなる。

 さて。少し話は変わるが、電車の中だったかネットの広告だったか忘れたが、「DIE WITH ZERO」(注2)という本があることを知った。このタイトルは日本語にすれば「ゼロで死ね」と言う意味なのだが、読んでみて大変考えさせられ刺激を受けた。一言で言うなら「死ぬまでにお金を計画的に使い切って人生を楽しめ」ということだ。

 で、そのように言われたときにいろいろな疑問がわくもので、まずは「お金をみんな使ってしまって、そのあとで病気になったらどうするんだ、万一のときのために蓄えておかなきゃ駄目だろう」という疑問、あるいは「お金があれば子供のために残しておいてあげられるではないか」という疑問、などなど。この本は、そうした疑問のひとつひとつに丁寧に答えている。要するに漠然と蓄え、漠然と使い、漠然と残すのではなく、これらすべてに計画性を持てということなのだ。従来型の価値観を書き換えるだけの、きちんとした説得力のある考え方だと思った。

 その中でひとつ大いに刺激になったのは、お金を使うタイミングを誤るな、という話。若いときにしか出来ないことというのがある。例えば海外旅行とかスポーツのような体力を使うことは、あまり年をとってしまうと出来なくなってしまう。今60歳で出来ることが、70歳、80歳、90歳になってからはたして出来るのか、という視点が必要になってくる。

 寿命が尽きるときに冥土に持って行けるのは、お金ではなく思い出である。そして思い出は経験をしないと得られない。お金を使えば経験できたはずのことが、お金を大切にし過ぎるとできなくなってしまう。死を迎えるときに、いろいろなことを思い出して、楽しい人生だったと思うのか。お金をたくさん持っているのに、あれをすれば良かった、これをすれば良かったと悔やむのか。

 「人生で一度は富士山に登りたい」とか「一度でいいから国技館に行って相撲を観戦したい」とか「若い頃からの憧れだったハーレーダビッドソンのバイクに乗りたい」とか。身近な人と話をしていれば、こんな話はいくらも出てくるものだ。振り返って自分のことを考えたとき、僕だって定年になったらあれをやりたいこれもやりたいと、考えていたことはたくさんある。でもそこに優先度をつけなければならないことを自覚していなかった。人に言われてみれば「そりゃそうだ」と思うようなことも、いざ自分がその立場に立ってみないと実感できないことがあるものだ。

 さあ、では自分のやりたいことのうちの「どれ」を先ずやるのか。まあ「あのへん」だろうな。なんて定年から8ヶ月を経た今、考えている。・・・と言うか、もう8ヶ月も経ってしまった。ぼやぼやしている場合ではない。時間が経過する速さがどんどん速くなっていく。このスピードは恐ろしいくらいだ。

***
(注1)金融庁 金融審議会 市場ワーキンググループ報告書「高齢社会における資産形成・管理」  この報告書は公表されているので、検索すれば閲覧できる。

(注2)ビル・パーキンス著 小島修訳 「DIE WITH ZERO」 ダイヤモンド社 



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。