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タミヤVF750F(9) ボディ塗装 [キット]

ボディ(タンクとサイドカバーからリア側のカバー)の塗装。この部分は黒、赤、白の3色を使うが、キットでは、白の線のみデカールを使うようになっている。でも、白のデカールの下に赤と黒の境目が透けて見えそうな気がしたので、デカールを使わず、全部塗装することにした。

 まず、白を吹き、ライン部分をマスキングする。極細のマスキングテープとマスキングゾルを併用。
ボディ塗装1.jpg

 次に赤を吹く。
ボディ塗装2.jpg

 赤の部分を練りゴムでマスキングして黒を吹く。
ボディ塗装3.jpg

 マスキングを全て剥がして、コンパウンドで軽く磨いてみたのが下の写真。タンクの白線がちょっと太くなっちゃったけど、わりと綺麗にできた。(^。^)v マスキングを剥がすときは快感だ。
ボディ塗装4.jpg


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バイク思い出話(6)

 僕は就職して以来、ずっと神奈川に住んでいるが、大学時代はずっと千葉に住んでいたから、バイクに乗るのはもっぱら房総半島の、しかも南の方がメインだった。あまり知られていないが、国道409号線という道路があり、ここはほどよいワインディングロードになっていて、コーナーリングを楽しむには、そこそこ楽しい道だった。時間があるときは、よくここに走りに行ったものだった。

 ある日、夜中に突然走りたくなり、家を抜け出して、いつもの409号線に行った。ところが、運悪く霧雨が降り始めた。いつものように飛ばすと、スリップして転倒しそうな雰囲気である。せっかく来たのに残念だが、ここはおとなしく走って帰るしかないと思った。

 ワインディングが終わるところは、右カーブのゆるい下り坂だった。ここでスピードが乗りすぎていることに気づき、軽くブレーキを当てた。その瞬間、前輪がロックした。やはり塗れた路面のせいで滑りやすくなっていたのだった。

 あっという間もなく転倒した。しかも下り坂だから勢いがなかなか収まらない。僕はバイクから落っこちてごろごろと転がり、その横をバイクがガランガランと転がっている。自転車の転倒とはわけが違う、とか、ライトが眩しい、とか、転がりながら、「言葉にならないイメージ」が頭の中を渦巻いた。こういうのを「走馬灯のように」というのだろう。(つづく)

タミヤVF750F(8) リアフェンダー [キット]

 こんな小さな部分にえらい時間がかかってしまった。それは、一重に段取りの悪さ。反射板の下地の銀色、テールライトの内側の銀色、それとセミグロスブラックや、クリアレッド。この塗装手順を事前にきちんと決めておかなかったので、途中までいって逆戻りしたり、やり直したり。塗装にも計画性を持たないと駄目だな。

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バイク思い出話(5)

 高校を卒業後、1年間の浪人生活を経て、ようやく大学進学を果たした。それとほぼ同時に家庭教師のバイトの話が舞い込んだ。家庭教師ってのは昔から学生アルバイトの定番だと思うが、誰でもそう簡単に職が見つかるとは限らないようだ。僕の場合は、地元で口コミで噂が広がり、中学生と高校生の数学と理科の教師を、途切れることなく4年間やり続けることができた。おかげで経済的には潤い、ようやく免許を取り、バイクライフを楽しむだけの余裕ができた。(ただし学費は親頼み)

 さて、バイクは何を買おうか。最初に興味を持ったときから5年の歳月が流れていた。5年も経てば、随分とモデルチェンジも進む。中学生のときに憧れたバイクはすでに過去のものになりつつあった。その頃は、レーザーレプリカ全盛の頃で、バイクにはみんなカウリングがついていた。しかし、昔の憧れとは忘れられないものである。僕にとってはバイクとはカウリングに覆われたものではなく、メカ剥き出しの無骨なものだった。

 結局、Y君に乗せてもらった感動が忘れられず、ホークⅢ(CB400N)を買うことにした。色はシルバー。バイク雑誌の広告を見て、この車種を売っている店を探し、東京の江東区までわざわざ買いに行った。東京のごちゃごちゃした道をおっかなびっくり走りながら千葉の実家までようやくたどりついた。

 僕がバイクを買ったことに対して、両親は事故を起こしやしないかと非常に心配した。(あとでその心配が現実のものになる)でも、本人にとっては5年越しの夢がようやく叶ったわけで、そんな心配をよそに、以後、このバイクで青春を謳歌することになった。下の写真は買ったばかりの頃。嬉しくて写真を撮りまくった。

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タミヤVF750F(7) フロントホイール [キット]

 フロントホイールを作ってつけてみた。両輪が揃って、だんだんバイクの姿が見えてきた。

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 ところで。メッキ部品の取り扱いにはいつも悩む。プラモデルの部品には樹脂成形に特有のパーティグライン(型の合わせ目にできる線)が必ずつくから、これを除去する処理をしなければならないが、メッキ部品の場合、この処理をするとメッキが剥がれてしまう。そうするとメッキの意味がなくなってしまう。しかも、メッキの表面はつるつるだから、塗料の乗りが非常に悪い。マスキングのためにテープやゾルをつけ、これを剥がすときに、せっかく塗った塗料が剥がれてしまうのだ。今回のフロントフォークがそうだった。いっそのことメッキ部品など無くしてしまえばいいのに、と思う。最近ではクロームシルバーという塗料があって、塗装でも、かなりの光沢が出せるようになっている。

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バイク思い出話(4)

 Y君は小学校時代から家が近くにあり、幼馴染に近い存在だった。中3のときに同じクラスになった。バイク雑誌を夢中で覗き込んだ仲間の一人だった。彼は勉強が苦手で、中学校卒業後は高校には行かなかった。とは言っても、すぐに就職できるような技能もなかったので、手に職をつけるために職業訓練学校に通うことになった。僕は普通科の高校に進学した。

 僕が高校に入学した頃は、ちょうど高校におけるバイクの規制が厳しくなり始めた頃だった。あまりにも高校生の事故が多いことを受け、教育委員会が規制を始めたのだった。乗ることはもちろん、免許をとることもまかりならんという状況になり、また、それ以前に金銭的な問題もあって、高校生でバイクに乗るという僕の夢は絶望的になってしまった。

 ところが、Y君の行った職業訓練学校には、そんな規制はなかった。いろんな年齢層の人がいるわけだから、一概に規制することはできなかったのだろう。Y君は16歳になってすぐに中型免許を取り、ゴルフ場のキャディのアルバイトをして、赤のホークⅢ(CB400N)を購入した。初めて後ろに乗せてもらったときの感動を今でも覚えている。スタートのときの加速感。広い片側三車線の緩いカーブを車体を傾けて駆け抜けていくときに感じたG。その快感はまるでジェットコースターだった。忘れられない思い出になった。

 Y君はその後、順調にバイクライフを楽しみ、免許も中型限定免許から、大型にステップアップし、750ccに乗るようになった。羨ましい限りだった。一方の僕は、と言えば、規制を甘んじて受け入れるしかなく、大学進学を目指して勉学に励む日々を送った。他に選択の余地は無かった。今考えれば、高校時代はこれで良かったのだと思っている。

 ちなみにY君は、その後、地元で運送会社の運転手としてまじめに勤務し、所帯も持って一家の大黒柱として立派に社会的役割を果たしている。当時も今も尊敬できる友人の一人である。

タミヤVF750F(6) ラジエーター [キット]

 エンジン前面のラジエーターをつけた。ここも特に問題はない。あまりにも苦労がなくて、やりがいが無いっちゃあ無いし、楽っちゃあ楽だし・・・・。複雑な心境だ。まあ、仕事の都合でプラモの時間が取りにくい状況のときは、こういう作りやすいキットの方がありがたいと思ったりもする。
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 1つ気づいたこと。普通、黒の反対は白だと言うのが一般的なイメージだが、プラモを作っているときは、黒の反対は「銀」だ。つまり一番反射しない色と一番反射する色。特に銀は、顔料の粒子が荒い。エアブラシで銀を吹いたあとで、黒を吹く場合、ハンドピースをよくよく洗浄しないと、黒の中に残った銀の顔料が入り込んで、一緒に吹きつけられ、黒の中にキラキラと銀が光って見えることがある。しかも反対の色だからよく目立つ。バイクって黒と銀のオンパレードだから、こういうところで気を使う。ただし、このキラキラが、かえってリアリティを演出することもあるかな。


バイク思い出話(3)
(前回より続く)
 行き先として付属病院がよかったのかどうかは、冷静に考えれば、はななだ疑問である。建物に入ってみると、そこで床掃除をしているおじいさんがいたので、その人に聞いてみた。「すみません、ここに死体洗いのバイトがあるって聞いたんですが本当でしょうか」 

 するとその人は、ニコニコ笑って「じゃあ、ちょっと事務所まで行こうか」と言うではないか。「やった!」と思ったと同時に、これからいきなり死体置き場にに連れていかれたらどうしようという緊張感が走った。ところが連れて行かれた場所は・・・・・。床掃除の現場だった。どうも床掃除の業界では、床全面に水と洗剤を撒き、回転ブラシでガーっと掃除をする、あのやり方を「床洗い」というらしい。あのおじいさんは「死体洗い」と「床洗い」を聞き間違えて、「この若い奴は自分の仲間に入りたいのだ」と勘違いをしたらしい。

 なにしろ、現役を引退したようなおじいさん、おばあさんばかりの職場にイキのいい兄ちゃんが働きたいと飛び込んできたのだから、その歓迎ぶりは大層なもので、面接をした人はニコニコしていろいろ説明をしてれる。「僕が洗いたいのは床ではなく死体です」と言える状況ではなかった。あれよあれよという間に話が進み、結局、夏休み中、病院の床掃除のアルバイトをすることになってしまった。

 まあ、時給はそんなに高いわけもなく、最初の目的からだいぶズレてしまったけど、バイトそのものは、良い経験になったと思う。なにしろ、世の中そんなに思い通りには上手くいかないのだ、ということを学んだのが最大の収穫だった。

タミヤVF750F(5) マフラーとメインスタンド [キット]

 マフラーと、メインスタンドをつけてみた。特に大きな問題もなく、製作は、かたつむりのごとく、少しずつ進行している。キットの出来が良いので、修正の必要な場所は今のところ、マフラーの張り合わせのときの段差くらいだ。

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バイク思い出話(2)
 バイクという乗り物に実用性を求めた場合、それは、例えば郵便配達とか、新聞配達とか、そば屋とかピザ屋の出前など、50ccくらいのバイクのもつ軽快さを利用したものになる。宅配で書類のような比較的小さな荷物で緊急性を要するものを長距離で配達するのに、400ccくらいのバイクが使われているが、これはメジャーな領域ではない。

 仕事以外の分野で乗るバイクは、ほとんどが趣味の乗り物で、そこに実用性はなく、バイクそのものの乗り心地を楽しむためにあると思う。移動する手段ではなく、移動プロセスそのものを楽しむ乗り物だ。こういう観点で見るとバイクに乗るというのは、実に贅沢な趣味である。

 実際に僕がバイクを手に入れたのは大学生になってからのことだった。車体を購入するときの代金、強制保険に任意保険、重量税、車検。乗らなくてもこれだけの費用がかかるのに、乗ったら乗ったでガソリン代やら、有料道路代、転んだら転んだで修理代などなど。お小遣いだけの高校生に賄えるような金額ではない。にもかかわらず、当時はバイクに乗っている高校生が結構いた。親のスネをかじる以外に方法がなかったはずである。しかし、高校生時代の僕は現実を知らず、アルバイトをすればなんとかなるのだとタカをくくっていた。

 ある日、友人から「千葉大の医学部で解剖用の死体を洗うバイトがあって、すごい儲かるらしいぞ」という怪しげな噂を聞いた。高校1年生の夏休みに入って、僕は早速、千葉大の医学部に電話をしてみた。「そちらで死体洗いのバイトがあると聞いたんですけど」と言ってみると、女性の事務員の「いいえ、こちらではそういう話は聞いておりませんが」とそっけない返事が返ってきた。う~~む。手ごわい。こうなったら、もう実際に行くしかない。ということで、千葉大医学部の付属病院まで乗り込むことにした。(つづく)
 

タミヤVF750F(4) リアホイール [キット]

前回からだいぶ時間が経ってしまった。

 前回、ホイールの色が本当にこれでいいのか?という疑問が湧いたが、いろいろ考えて、ここは説明書に忠実に行くことにした。実際のものを見たことはあるが、ホイールの色まではちょっと記憶がない。だからタミヤさんがこの色を指定するなら、逆らう理由もない。

 ということで、リアホイールをつけてみたのが下の写真。チェーンには気持ちだけ墨入れしてみた。その他の部分は、あまり汚すつもりは今回はなし。

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■バイク思い出話(その1)
 僕がオートバイに興味を持ったのは、ちょうど30年前、僕が中学3年生、15歳のときだった。バイクの何がよかったかと言えば、剥き出しのメカ。これに尽きる。自動車にない魅力だった。まあ、そうでなくても中学3年生といえば、そういう年頃だ。ちょっと不良がかったバイク好きな友達と一緒になって、夢中になってバイク雑誌を見ていた。

 たまたま、技術科の教科書に4サイクルエンジンと2サイクルエンジンの仕組みが乗っていた。2サイクルはピストンが上に行くたびに爆発が起こるのに対して、4サイクルは2回に一回しか爆発が起こらない。だから、同じ排気量なら2サイクルの方がパワーは大きくなる、という説明が書いてあった。納得のいく話である。ところが・・・。

 当時全盛だった、ホンダのホークⅡ(CB400T)は4サイクルで、最高出力40馬力。カワサキのKH400は2サイクルで最高出力38馬力。4サイクルのホークⅡの方が上ではないか。どうしてなんだろう。悩んでしまった。当時は結局、「ホンダはすごいんだ」と無理矢理納得するしかなかった。実は、これは吸排気のチューニングの問題で、2サイクルは高回転域でパワーが出るように設計すると、低回転域でトルクが落ちてしまう性質がある。レースと違って町で乗る場合は、あらゆる回転域のことを考えて設計しなければならないので、高回転の特性を犠牲にしているのだ。これを知ったのはずっと後の話。(つづく)

タミヤVF750F(3) フレーム [キット]

 エンジンをフレームに組み込んでみた。
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 それから、ホイールの塗装指示がメッキ部品の表面にクリアーオレンジってなってる。ホントにこんな色だったのかなあ。

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 メッキ表面ってのはツルツルしていて、塗装が食いつかない。油断すると剥がれてしまう。幸い、クリアー系は銀と違って、樹脂そのものみたいな色だから、塗膜はそこそこ強い。

タミヤVF750F(2) エンジン [キット]

 オートバイモデルのエンジンは、ちょうど飛行機モデルの操縦席のように、構造の中心に有り、まず取り掛かりとして重要な部分らしい。内側から外側に組立てを進めていく、その一番最初の核になる部分なのだ。

 さて、久しぶりにオートバイを作ったら、やっぱり色は黒と銀のオンパレードだった。まずはエンジン。右側のクランクケースのカバー(HONDAのロゴがついている部分)の銀色は、デカールを貼ることになっているが、ここは塗装の方がいい。
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 塗装中に銀の難しさを学んでしまった。銀を吹き付けたあとで、ロゴマークにエナメルで墨入れしたときに、銀のラッカーの塗膜が剥がれてしまい、周囲の黒に散らばった。ラッカーはエナメルでは溶けないはずなのに・・・。これは推定だが、銀の顔料の粒子は、他の色に比べて大きいのではないだろうか。だから、吹き付けたときに顔料が樹脂の中に完全に埋没せず、表面に露出している。そこを擦ったら、樹脂が溶けなくても、顔料が脱落してしまう、ということなのかもしれない。・・・と考えて、銀の上からクリアーを吹いてから墨入れした。そしたらうまくいった。
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 それからメッキ部品は、キラキラ光りすぎていて、陰影がわかりにくいので、ここも適当に墨入れした。

 分野が変わると新しいことを学べる。たまには分野を変えてみるのもいいことだ。

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タミヤVF750F(1) テーマ決定 [キット]

 さんざん迷った挙句、新しいテーマはバイクにすることにした。25年前に買ったストックの中から選んだのは、ホンダのVF750F。このキットは絶版にはなっていないようだが、オートバイの機種としては、古いことは間違いない。25年前のバイクだ。今はまず見かけることはない。

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 25年前、僕は大学生で、オートバイに夢中だった。乗る方も夢中だったがプラモを作る方も夢中で、かなりの台数を作った覚えがある。そのほとんどがタミヤのキットだった。大変作りやすかったし、忠実度も満足していた。まあ塗装はほとんど刷毛塗りで、一部は缶スプレーを使っていただけだったから、小技は効かなかった。

 模型としてのオートバイを構成している要素ってのは、おおまかに言えばエンジンとフレームと車輪とタンクとカウリングだと思う。しかも塗装はタンクとカウリング以外は、ほとんどが黒と銀である。そういう点では単純だ。ところがタンクやカウリングは曲面でできていて、しかもペイントのデザインが結構凝ったものになっていることがめずらしくない。複雑なペイントの場合は、これをデカールで再現したりするが、曲面に平面のデカールを貼るのが結構難しかったりする。悔しいことに、そのせいで、完成できなかったキットが一つあったのだった。

 新しいテーマを選ぶに当たって、自分のストックを眺めていたときに、この屈辱を思い出した。今の腕で取り組んだら、どうなるんだろうと考えたら、ちょっとワクワクしてきた。さあ、チャレンジだ。

「紫電」タミヤVSハセガワの研究(30) 総括 [キット]

タミヤとハセガワを作り比べて見て、わかったことを最後にまとめて、このテーマを終わりにしようと思う。

 一言で表現すると、組織力のタミヤに、個人技のハセガワ。(なんかサッカーでこんな話を聞いたことがあるな)

 タミヤのキットを作っていて、感じたのは会社としての総合力だ。ランナー上にレイアウトされた部品の効率のよさ、形状のアレンジなどから想像すると、商品企画、設計、生産技術、製造などの各分野の人たちがそれぞれの立場で、いろいろと意見を出し合って、商品としての完成度を高める努力をした後がみられる。だから、タミヤの場合は、どんな製品を買っても、品質が一定のレベルに安定しているのだろうな、という安心感がある。

 これに対してハセガワの方から感じるのは、設計者の「剥き出しのこだわり」である。ややもすると、この会社には、「設計」と「製造」以外の部署がないのではないか、と思えるくらいである。この形状でなければ絶対にだめなんだ、というこだわりが常に優先されるため、樹脂成形に不利な場合もあるのだろう。余計なランナーを増やすなどの調整をした後が散見され、挙句のはてに、部品が箱にきれいに収まらずに膨らんでしまっていた。こういう会社の場合、キットによっては出来栄えにバラつきがあるのではないかという不安が若干残る。

 さあ、タミヤとハセガワどっちがいいの? って話に当然なってくると思うのだが、判定の基準をどこに置くかで、優劣やら勝敗はどっちにでもできる。でも、少なくとも、「僕個人の好み」を言わせてもらうなら、ハセガワに軍配を上げる。なぜか。それは、まず第一に模型としての形状に妥協があまり見られず、できるだけ再現してやろうという設計者の執念を感じること、そして第二に設計者のそういう剥き出しのこだわりと対話するのが面白いのだ。タミヤのキットは総合的によく検討されているから、そういう、いわゆる「個性」というか「カド」がとれて、良くも悪くも「丸く」なってしまっている印象を受ける。

 その結果として、タミヤよりもハセガワの方が、組み立てに器用さが要求される。特にこれを感じたのは、主脚のカバーを駆動するリンク機構の形状だった。ハセガワの場合、この部分の組立ては子供では無理だと思う。(記事(25)を参照) 思い起こせば、F-14 (ハセガワ)のエアブレーキの部分で同じ難しさを感じた。こういうところを、タミヤの方は形状をアレンジして作りやすくしているようだ。

 実物に忠実にモデル化しようとすると、作りにくい部分が出てくる。これをできるだけ忠実にキット化し、あとはモデラーの腕に任せようとするのがハセガワの方針であり、形状に多少の妥協を加えてでも作りやすさを同時に追求しようとするのがタミヤの方針なのだろう。

 これから先、同じスケールの飛行機を作ろうとした場合、両方に同じ機種のキットがあれば、僕はハセガワを選ぶと思う。でも、自分のよく知らない、つまり飛行機以外の分野に挑戦しようと思ったときは、タミヤをまず検討すると思う。そういう意味でタミヤは安心できるメーカーだ。

 (以上でこのテーマは終わりにします。ご愛読ありがとうございました。次のテーマも良かったらご覧下さい)

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