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ENZO FERRARI (1) テーマ決定 [キット]

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 絵画が趣味だとか、彫刻が趣味だとか、楽器の演奏が趣味だとか、とにかく芸術を趣味としている人の一般的なイメージは、「魅力的な人々」である。ところが、モデルアートという芸術の場合、どうもそうではないようで、「大人のくせに子供の遊びをやる変わり者」だとか、「ヒマ人」だとか思われているフシがある。「大人の作る模型と子供の作る模型はぜんぜん違うんだぞ」と叫んだところで、なかなか理解してもらえない。

 そういう目で見られることが多い中で、ごく稀に、「やっててよかったあ」と無上の喜びを感じる瞬間がある。それは、「これ、作ってくれない?」と、キットを渡されるときなのだ。こういうことが過去に2回あった。先日、大山に登った「山仲間」の一人の若奥様が、幼い自分の息子のために買ったガンプラの「ザク」。それからラジコンカーの組立てキット。どちらも子供向けで、塗装も何もなく単に組むだけのものだった。慣れた僕にとっては朝飯前の作業だったが、それでも、ほとんど自己満足で終わることの多いこの趣味が、たまに人の役に立つことがあると、自分の存在を人に認められたようで嬉しいものである。

 そんな嬉しいことが3たび起ころうとは思いもしなかった。昨年の暮れに、会社の同僚のAさんから依頼された、「エンツォ フェラーリ」というクルマである。キットはタミヤ製。聞いたところでは、彼はこのクルマが大好きで、作って部屋に飾ろうと思って買ってはみたものの、作業場もないし、時間もないしで、なかなか手がつけられず、そのまま眠ってしまったキットなのだそうだ。僕がプラモをやっていることを話したときに、「じゃあ、作ってくださいよ」と言われ、「望むところだ」と製作決定。年末に彼が早速眠っていたキットを会社に持ってきた。(上の写真が箱絵)

 というわけで、2009年の取っ掛かりはこれにする。何しろ、クルマはやったことがない。いや、小学生の頃に作ったことは作ったが、大人になってきちんと取り組むのは初めてなのだ。このクルマのこともほとんど知らない。作りながら少しずつ調べていくつもりである。

 (ちなみにHAWK Ⅲは壮大なテーマなので、他のテーマと並行して少しずつ進む予定。今年一杯かけて完成させるくらいのイメージを抱いている)

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タミヤRG250Γ(6) 完成 [キット]

 小物部品をつけて、デカールを貼って完成。例により、記念撮影。残念だったのは、フロントの透明板を研磨中に、ちょっとヒビが入ってしまったこと。ああ、何て不注意な。

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ガンマ完成4.jpg
ガンマ完成5.jpg

 相変わらずデカールは緊張する。キットが古いせいだろうか、破れやすく、貼り付けに苦労した。
 カウリングの真ん中のSUZUKIのロゴでは、シルバリングを絶対に出したくなかったので、ここだけはマークソフターを使った。しかも普段は、貼った上から塗っていたが、今回は、説明書に書いてある通り、あらかじめモデル側に少量塗って、その上から貼り付け。やはりこの方が、上手くなじむようだ。でも、やっぱりシルバリングはちょっと出ちゃったなあ。

  このとき習得したテクニック。気泡を追い出すときの押さえつけでは、従来、綿棒を転がしていたが、このときに、デカールを歪めてしまうことが多かったので、今回は新しいことを試みた。ティッシュペーパーをかぶせて、その上から水を垂らし、その上から指で押さえ込む。ティッシュペーパーは通常二枚重ねになっているので、指を離すと、下側はモデル側に貼り付き、もう一枚が指にくっついてくる。あとは、モデル側についたティッシュを丁寧に剥がす。この方法で、歪み事故は無くなった。


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バイク思い出話(14)

 XJ400SPには3年ほど乗ったが、かなり重たいバイクだったので、今度は軽快なバイクが欲しくなり、初めてツーストクオーターに挑戦することにした。ヤマハのTZR250 。初めて買った新車である。このバイクは2サイクルエンジンの面白さを十分に楽しませてくれたバイクだった。

 もともと自分は運転の腕が悪かったし、アルミフレームは転んだときに修理代が高いという話も聞いていた。しかも新車だったこともあって、このバイクは非常に丁寧に乗った。結果として飛ばすのは、主として高速道路だった。

 大体5500rpmあたりからエンジンの音がそれまでの”ビー”という音から”ピーン”という澄んだ音に変わり、それと同時に、急に体が後ろに引っ張られるようなGを感じる。そしてスピードメーターの針がぐんぐん上昇していく。確かメーター読みで160km/hrくらいまで見たような気がする。しかもスピードはまだ伸びている途中だった。しかし怖くてそれ以上は出せず、慌ててアクセルを戻した。

 フルカウリングの効果は抜群で、ホークⅢのときは、これだけスピードを出すと、ごうごうと風を切る音ばかりで、エンジンの音など全く消えてしまっていた。ところが、TZRは、160km/hrを過ぎてもエンジンの音がよく聞こえたし、体に風圧はほとんど感じなかった。

 一旦バイク趣味から遠ざかった後も、この次バイクに乗るときも絶対ツーストクオーターにしようと思っていた。ところが、最近の環境規制のせいで、各社とも、中型では2ストは完全に姿を消してしまったようだ。残念だが、時代の流れだけはどうしようもないのだろうと思う。

下の写真は、1990年に北海道にツーリングに行ったときのもの。

サロベツ原野を横断中。↓
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礼文島のメノウ海岸にて。↓
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タミヤRG250Γ(5) ボディ塗装 [キット]

 ボディとカウリングの模様をデカールで表現するようになっているが、この曲面にこのデカールを上手く貼ることができる人が日本に何人いるんだろう。僕にはとても自信がない。だから塗装することにした。

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 下はそのデカール。こんな複雑怪奇なデカールを、どうやって貼れというのだろう。塗装した方がよほど簡単だ。
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バイク思い出話(13)

 就職してから、バイクを買い換えた。それまで乗っていたホークⅢは、400ccの2気筒だった。2気筒エンジンは、4気筒に比べて振動が多い。やっぱりピストンの往復の慣性が大きいので、これは致し方ない。僕が中学生の頃は400ccの4サイクルは2気筒全盛時代だったが、すでに時代はインライン4(並列4気筒)の時代になっていた。
 もうひとつ。ホークⅢがいわゆるヨーロピアンスタイルだったのに対して、今度はアメリカンに乗ってみたくなった。

 というわけで、選んだのがヤマハのXJ400SP。下の写真は、相模湖まで友人とぶらっと遊びにいったときのもの。
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 インライン4は回転がなめらかで、排気音もなかなか良い音がする。しかし、乗っていて気づいたことがあった。アメリカンというのは、速い話がハーレーダビッドソンのレプリカだから、インライン4は組み合わせが悪い。でっかいVツインエンジンをドコドコと低回転で回して、広い大陸をゆったりとクルージングするのがアメリカンであって、日本のような狭い場所で乗るために作られたものではないのだ。それに、体が直立した姿勢というのは、尻に全ての体重がかかるから、長時間の運転では尻が痛くなってしまう。しかも高速道路では風をまともに受けるので、カウリングがないと耐えられない。
 というわけで、このバイクは、通勤にずっと使っていたが、残念ながら旅の思い出があまりなく、写真も1枚しか残っていなかった。

タミヤRG250Γ(4) チャンバーとホイール [キット]

 チャンバーをつけ、前後のホイールをつけた。2サイクルエンジンの場合、4サイクルと違って、排気管が独特の形をしている。ただ単に排気ガスを導くだけの管ではなく、太く膨らんだ、なにかの機能をもったサツマイモのような形の部屋で、イモの先っちょにサイレンサーがついている。この独特の形状がとってもよく表現されたキットだと思う。溶接部分にちょっとだけ、銀の汚しを入れてみた。

側面.jpg

 このとき、気づいたテクニック。黒地に銀をこすり付けるとき、銀の乾いた皿に綿棒を擦りつけると、銀の粉が綿棒に食い込む。この綿棒を黒地に擦りつけると、銀の粉が刷り込まれる。完全に乾いた塗料を使うところがミソ。これが本当のドライブラシだ。

 それから芸が細かいと思ったのは、バッテリー。デカールに「YUASA」という車に乗る人なら誰でも知っているブランドが書かれている。(写真をクリックすると拡大できるのでご覧あれ)

 あともう一箇所。ガンマのタコメータは、3000rpmより下は目盛りが振ってない。つまりそれだけ高回転に味付けされたエンジンということで、これは当時話題になったところだ。これもちゃんと再現されている。下の写真の中央がタコメータ。

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バイク思い出話(12)

 教習所通いをしていたときのこと。最初は125ccで腕慣らし。そして400ccへ。教習車はスズキのGS400とGSX400だった 。初めて跨ったときは、ずいぶんと重たいものだと思い、結構ビビった。教習は順調に進んだ、と書きたいところだが、さにあらず。スラロームと8の字がどうしてもうまくできない。車体を傾斜させるのが怖いのだ。これにはわけがあった。実は一度、スラロームで転倒したのだ。スピードが乗りすぎてブレーキをかけたら前輪がロックした。前輪がロックしたら転倒は避けられない。

 バイクが曲がるときは、車体を傾斜させる。その傾斜角によってハンドルの角度が自然に定まる。これが2輪車の曲がるメカニズムである。自転車だってそうで、慣れた人はみんなそうやって乗っている。しかし、教習中の僕は、スラロームの転倒がトラウマになり、車体を傾斜させるのが怖くてたまらず、ハンドルを手で切って曲がっていた。この癖は卒業検定までとうとう直らなかった。よく合格させてくれたものだと思う。

 ちなみに卒業検定では、一度不合格になっている。なんと、曲がり角でスタートするときにクラッチがつながらず、その場にごろんと転んでしまったのだった。そんなに運動神経が鈍い方でもないと思うのだが、教習所では普通の人よりも苦労したような気がしてならない。

タミヤRG250Γ(3) フレーム [キット]

 夏休みも終わり、プラモ再開。フレームにエンジンを組み付けた。何も問題なし。細かい部品の塗装は大体終わった。

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バイク思い出話(11)

 (つづき)
 聞けば、ローンの返済が滞り、クレジットカードが使用停止になり、返済の督促の電話に追われているという。親にも相談できず、困り果てて僕に相談したのだった。昔から、「友人と金の貸し借りはするな」とよく父に言われていた。しかし事情が事情なだけに、今回はやむを得ないと思い、いくばくかの金を貸し、二人で相談して返済期限を10ヶ月と決めた。

 落ちぶれた友人を見るに忍びなかったし、情けなくもあった。
「どこの会社に行ったって苦労はある。金を稼がなければ生きていけないんだぞ。少しくらい辛いことがあっても歯を喰いしばって働け」
 まるで父親が放蕩息子を諭すような忠告である。しかし、言葉としてはそれしかなかった。いつしか、僕の中に、彼を上から見下ろすような心が芽生えた。そんな心を敏感に感じ取ったのだろう。彼は「やめてくれ。説教はもうたくさんだ」と反発するようになった。

 友人関係というのは、本来、親と子、上司と部下、先生と生徒のような上下関係のないものだと思う。対等な関係がなくなれば友人関係とは言えなくなる。昔、父から言われた言葉の意味がこのときようやくわかった。結局、二人で決めた10ヶ月の返済期限は守られなかった。ヒビの入った友情はこのときを境に崩壊した。その後、貸した金は戻ってきたが、一度壊れた友情はもとには戻らなかった。

 今でもときどき思い出す。彼は今、何をしているのだろう。あのとき、自分には、もっと他の対応の仕方があったのではなかろうかと。10年前の悲しい思い出である。

タミヤRG250Γ(2) エンジン [キット]

 エンジンを作った。一箇所ミスった。エアクリーナーからキャブにつながるダクト、削ってしまった。これは、エアクリーナーの組み付け状態を勘違いし、仮組みでうまく組めなかったため、部品の不良かと思って整形してしまったのだった。まあ小さなことは気にしない、気にしない。

 このエンジンは全く洒落っ気がなく、単に黒いだけで、クランクケースカバーのSUZUKIのロゴも黒いまま。溝に白エナメルを流し込んでみようかと、ちらっと思ったが、やっぱりやめた。銀のドライブラシをかけても見たが、仕上がりが今一つだったので、やり直して、結局、本当に単純なセミグロスブラックのみ。キャブだけは墨入れして陰影をつけた。

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バイク思い出話(10)

 先に、大学時代の八王子の友人の話をしたが、彼とは付き合いが途絶えている。この話はバイクとは少し離れてしまうが、書いておこうと思う。思い出を手繰ると連鎖的にいろいろなことが出てくるものだ。

 彼、A君は、東京の八王子にある法科の名門、C大学の法律学科に通っていた。ところが、大学3年のときに、自分の進路に悩むようになった。どういうわけか「法曹界に見切りをつける」と言ってC大学を中退してしまい、別の大学に入った。

 ところが、この大学も長続きしなかった。僕が大学を4年で卒業し、今の会社に入って間もなく、彼は突然、まるで僕に遅れをとるまいとするかのように、ある小さな会社に就職した。つまり二つ目の大学も中退してしまったのだった。

 就職してからも、なかなか一つの会社に落ち着かなかった。どの会社も2年くらいでやめてしまう。しかも転職するたびに労働条件が悪くなってくる。悪循環に陥ってしまった。そんな状態が10年くらい続いたある日、彼から電話があった。「金を貸してくれ」と言う。(つづく)

タミヤRG250Γ(1) テーマ決定 [キット]

 新しいテーマは、スズキのRG250Γ。このバイクは、僕が大学生の頃に流行ったバイクで、2サイクルの250ccマシン。いわゆるツースト・クオーターと呼ばれるカテゴリー。キットは当時買ったストックだ。
 2サイクルエンジンというのは、低回転域ではおとなしいが、ある回転域から出力が爆発的に増大するという特有の面白さがあって、250ccでも、4サイクルの400ccを凌駕する性能を出せるので、一時期、非常に流行した。実は僕も他の車種ではあるが、ツースト・クオーターに乗っていた。これについては、思い出話で改めてお話したいと思う。

 最近では、環境規制がうるさくて、2サイクルエンジンのバイクは50ccですら、あまりお目にかからなくなってしまった。時代の流れを感じる。

ガンマに決定.jpg

タミヤVF750F(12) 完成 [キット]

 カウリングをつけて、小物をつけて完成! 実は7月21日に完成していたが、夏バテがひどくて、会社から帰るとグッタリしてすぐに寝てしまっていたので、アップが遅れた。

 バイクはメインスタンドで立っているよりも、サイドスタンドで立っていた方が本物っぽいと思うので、記念撮影は、こっちで行った。(ちなみに、サイドスタンドの地面に接する部分にはセメダインスーパーXを塗ってある。これは滑り止め。滑ると、スタンドの根元に曲げの力がかかって折れやすいので)

 一応周囲からぐるっと回って撮影5枚。

完成1.jpg

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 キットの出来が良く、修正の必要もほとんどなかった。夏バテ時期には、こういうキットは有り難い。久しぶりに作るバイクはわりと楽しかったので、もう一台作ろうと思う。

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バイク思い出話(9)

 学生時代、バイクに夢中になるのとほぼ同時に、バイクのプラモにも相当に凝った。当然最初は自分の乗っているバイクを作りたくなる。ホークⅢのキットはアオシマから出ていた。で、作っては見たのだが・・・。これがひどい。自分の愛車だから普段よく見ているぶん、細かいところが気になる、というレベルの話ではない。造形そのものが雑なのだ。完成したのは、ホークⅢのニセモノの模型だった。

 さすがにこれは改造をたくさんやらないと駄目だと思った。いつかは満足のいくものを作ろうと思い、キットを3つ買った。つまり、部品をたくさんキープしたわけだ。そして、そのまま時間が流れてしまい、はや25年。時の流れは早いものだ。というか、時間経ちすぎ。でも、やはり青春時代に遣り残したことは、やろうと思う。まずは楽しみのために、タミヤのキットをもう一台作る予定。それが終わったら、ホークⅢに再チャレンジしたいと思っている。

 ところで、バイクのプラモは、別にホークⅢだけにこだわっていたわけではなく、当時流行っていた機種をいろいろ作った。タミヤの1/12オートバイシリーズは当時から素晴らしいと思っていた。作るよりも買うペースが早くなってしまっていたため、ストックがたくさん溜まり、はや25年。今回作ったVF750Fはその内の一つだった。

 タミヤはカウリングのついたバイクを好んで出す傾向があるようだ。僕が学生の頃のバイクの流行は、レーサーレプリカだったから、この頃走っていた機種は、たくさんモデル化された。最近のバイク事情には、トンとご無沙汰してしまったが、調べてみると、どうやらネイキッドバイクが主流らしい。だから、最近のタミヤの比較的新しいキットは、レース用が多いようで、公道の方の流行は追っていないように見える。

タミヤVF750F(11) カウリング [キット]

 フロントカウルの製作。メーターの部分は、デカールの上から、セメダインスーパーXの透明タイプを薄く塗り、、ガラスを表現してみたが、どうも丸みを帯びてしまって実物っぽくは見えない。
 ウインカーを含め、透明部品の接着は、セメダインスーパーXを多用した。。通常のプラモデル用セメダインは浸透力が強すぎて、部品を駄目にしてしまうようだ。
カウリングメーター側.jpg
カウリング正面.jpg 
 さあ、あとはラストスパート。

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バイク思い出話(8)

  当時、東京の八王子にある大学に入った高校時代の友人A君がいた。彼は大学の近くにアパートを借りて住むことになり、僕は、千葉の実家から、新宿区にある大学まで通っていた。バイクを買ってからは、千葉の実家から八王子の友人宅まで走るのが、楽しみの一つになった。

 東関東自動車道から、首都高速湾岸線。見通しのよい直線が長く続いて、走っていて大変気持ちよく、ここでよく最高速トライアルをやって一人悦に入った。ホークⅢでは、メーター読みで時速155km程度が限度だった。カウリングのないバイクでは、このスピードになると風を切る音しか聞こえなくなる。おまわりさんに見つかったら、免停必至である。無謀なことやったものだと思う。若気の至りってやつかな。

 それから新宿線から中央自動車道へ。その後は八王子まで一直線。「国立府中」、「調布」、なんていうインターの表示を見ると、ついつい松任谷由美の「中央フリーウエイ」を口づさんでしまう。

中央フリーウエイ
調布基地を追い越し
山に向かって行けば
黄昏がフロントグラスを染めて広がる・・・・

 走ることが目的だから、友人宅に着いたところで何かするわけでもない。単に話をして帰るだけである。でもそれが無性に楽しかった。

タミヤVF750F(10) ボディの取り付け [キット]

 タンクにデカールを貼ったときに、げ~~~、ミスった~~~~。タンクにつけるHONDAのマーク。台紙から剥がすときに、誤って爪で引っかいてしまい、HONDAのHの字が切れてしまった。しかも、小さいもんだから、拾い上げるのが大変。やっと拾ってはみたものの、正しい位置に移動してくれない。移動させようとして、水をつけると、今度は動きすぎて、遠くに行ってしまう。大パニック。あたふたしているうちに、動かなくなってしまって、落ち着いた先はちょっとズレた位置。痛恨のエラー。一番目立つところなのに。_| ̄|○
デカール失敗.jpg

というわけで、全体写真はミスのない方で。(^^;
ボディの組み付け.jpg

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バイク思い出話(7)

(つづき)
 やっと転がるのが収まったとき、僕は路面にうずくまり、バイクは横倒しになって、アイドリングをしていた。しばらくしてエンジンが止まった。初めての転倒だった。く~~。やっちまった。

 硬い路面を転がったせいで、体中が痛い。痛みをこらえてバイクを起こした。フロントフォークが少し曲がってしまい、前輪が正面を向いているのに、ハンドルが20度くらい傾いている。あ~あ。こりゃ修理に金がかかるぞ。落ち込んだ。しかもエンジンをかけようとしたが、セルをいくら回してもかからない。これではバッテリーが上がってしまう。家まで押して帰る覚悟をした。さらに落ち込んだ。

 30分くらい押したところで、もう一度スターターボタンを押してみた。そしたら、なんとエンジンがかかったではないか。どうやら転倒のせいで、キャブレターから燃料が一時的に抜けていたらしい。起こして引いているうちに燃料が戻ったようだ。痛みをこらえて慎重に運転して帰宅した。幸いにして怪我は軽い打撲で済んだ。

 それから数か月後、またこの道で転んだ。反対車線の車が前の車に追い越しをかけて、こちらの車線にはみ出してきたので、急ブレーキをかけたら、また前輪がロックしてしまったのだ。アホか俺は。このときは、自走不可能な状態になり、バイクはレッカー車で運んでもらった。僕も腰と頭を強打して病院に行った。このバイクを見たとき、父は、僕が死んだかと思ったそうである。両親は「こいつがバイク事故で死んだら寿命だと思うことにしよう」と覚悟を決めていたそうだ。

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