SSブログ

秘密基地とピストル [雑文]

 昔のことを思い出してしまった。みなさんは、子供の頃、「基地」を作って遊んだ覚えがあるだろうか。どうして子供は基地を作りたがるのだろう。最近の言葉では「基地遊び」というらしい。この基地遊びを最近では、おっさんが子供たちに指導しているのだそうだ。なんだそりゃあ。
 
 同年代の友人に聞くと、一番凝った奴の話で「小屋を作った」という話を聞いたことがあるが、僕の場合、穴を掘るのがメインだった。穴を掘って、その上からそこらへんに落ちているトタンを屋根にしてかぶせるのである。(そこらへんにトタンが落ちていること自体、今では考えられない)

 かっこいい言い方をすれば「地下秘密基地」であった。友達のM君の家の近くに基地を作ったときは、結構頑張って穴を掘り、子供が2~3人入れるくらいの基地を作った。そのとき、セミの幼虫が出てきてびっくりした。セミの幼虫なんて抜け殻でしか見たことがなかった。あれが生きてゆっくり動いている様は異様である。しかしセミはもっとびっくりしたに違いない。

 基地を作ったあと、それをどうするのかと言えば、飽きて終わりである。それを利用する気持ちはさらさらない。作るのが面白いのである。作るプロセスでは、できたあとのことはあまり考えていない。結局、実用になるものができるわけもなく、中に入ってみて、ちょっと面白がり、それで終わりである。「こんなでっかい穴堀りやがって」と大人に怒られるのが関の山である。

 M君の思い出では、もっと強烈なものがある。小学校六年生の時、ピストルを作ったのである。M君が鉄パイプの中で爆竹を爆発させ、ビー玉をぶっとばすというアイデアを出して、まず作り、僕が真似をして作ってから、他の連中も真似をし始め、みんなで、こぞってこの火縄銃のようなピストルを作った。

 木を削ってグリップの部分を作る。鉄パイプを金物屋で買ってきて、金鋸で切ってヤスリまでかけて銃身を作り、木のグリップに打ち込む。銃身の中に爆竹とビー玉を入れ、導火線に火を付ける。爆竹が爆発し、ビー玉が飛んでいく。結構すごい飛距離が出た。みんな思い思いのデザインをして製作と射撃を楽しんだ。どこで打っていたか。打つ場所なんていくらでもあった。今、都会で同じようなことをしたら、近所の人がすぐに警察に通報するだろう。

 こういうことを書くと、子供が真似をするからまずいかと思ったが、実際のところ、鉄パイプを削ったり、木を削ったりといった、いわゆるハードウエアを作って遊ぶという習慣が現代の子供の間では無いように思う。しかも、最近は爆竹が手に入らない。(僕の子供の頃は、爆竹は子供のおもちゃとして駄菓子屋で売っていた)ということで、まあいいか。

 U君のデザインは洒落ていた。爆竹を鉄パイプに挿入するのではなく、木の部分に爆竹を置いて、木のふたを蝶番を使ってカチッと止めるものだった。「ほー、こりゃあかっこいい!」とみんな感心したが、実際に撃ってみたら爆圧で木のふたが蝶番ごとぶっ飛んでしまい、一同大爆笑。はらわたが捻れるほど笑った記憶がある。

 M君は、「銃身が長い方が威力が出る」と言い、ライフル銃を作った。こっちは、すごい。爆竹を止める部分を分離ユニットにし、爆竹をそのユニットに詰めてから、銃身に装填するという素晴らしさ。これが小学生のやることか。一升瓶を狙って撃ったとき、我々のピストルでは1mの至近距離で撃っても壊せなかったが、M君のライフルでは、5mくらい離れて撃って、一升瓶は粉々になった。あまりの破壊力にみんな絶句した。あのライフルの殺傷能力はかなり高かったと思う。

 この爆竹をいれる分離ユニットはどっかの自動車のタイヤについているホイールバランサーの鉛の重りをかっぱらってきて、空き缶を火にかけてその中で溶かし、それをヤスリで削って整形するという凝ったもの。どっからそんな知恵を仕入れてくるのか不思議だった。ちなみに、M君は大学を卒業して証券マンになったようだが、職人気質の彼がそういう仕事をするとはなかなかイメージがわかない。

 それにしても危ない遊びをしていたものである。しかし、やっている我々には、その遊びが危険だとか、悪いとかそういう考えはなかった。ただ、作ることと、自分の作ったもので遊ぶことが楽しくて夢中になって作っていたのである。ただし、大人に知れたら怒られるだろうということは、何となくわかっており、大人には秘密で作っていた。

 作る喜びとは、もっと大げさに言うなら、労働の喜びである。苦労して自分の手で作り、完成したときの喜び。それがたとえ束の間の喜びであっても喜びは喜びである。プラモデルであろうと、ラジオであろうと、みんなこれだと思う。外国の子供たちがこういう遊びをするのかどうかは知らない。しかし、少なくとも、僕の知る限り、日本の昔の子供達はみな、何かを作って遊んでいた。大和民族は、もともとそういう性質が強いのかも知れない。そういう職人気質が技術立国日本を作ったのかも知れない。

 現代では、基地を作ったり、ピストルを作って遊べるようなスペースもない。代わりにあるのは、ゲーム機のような完成度の高い玩具である。技術者の作った完成度の高い玩具で子供が遊び、結果として創意工夫のない子供が増え、技術立国が崩壊するとしたら、これは大いなるジレンマである。

 ちなみに当時、お袋は、僕がこういう遊びをするもんだから、将来を本気で心配していた。「僕は将来大学に行って東京に下宿する」と言うと「お前はコツコツと爆弾を作りそうだからだめだ」と言っていた。その当時、連合赤軍のあさま山荘事件なんかの、左翼運動が盛んに起っていた。親が心配するのも仕方ないような世相だったのだ。

 以前、群馬の方の中学生の爆弾マニアが、どっかの駅に手製の爆弾を仕掛けて、捕まった。作ることを楽しむ子供がいること自体は喜ぶべきことであるが、「将来が楽しみだ」とは言い難い。何かが歪んでいるなあと思った。もっとも僕のお袋も同じ心境だったのかも知れない。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。