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富士山に登る(2) [登山]

(つづき)
 「ドキュメント気象遭難」という本の中で2002年のトムラウシ山で遭難した人の話が載っていることを前の記事で紹介した。このとき生還したある人は、雨に降られてもレインスーツがパーフェクトな性能を発揮したおかげて、中に着ていた衣類がほとんど濡れなかった。この人は山行ごとにレインスーツを換え、帰宅した後には、かならず防水スプレーを吹き付けてアイロンをかけていたという。

 雨具は、ゴアテックスが最高であるというのが定説になっているけれども、古くなって、しかも手入れを怠れば雨が染み込んで来る。これが生死を分けるのだとすれば無神経ではいられない。S君の雨具は、図らずも重要な教訓を与えてくれた。どんなに優れた道具でも、メンテをしなければ人を助けてくれない。

 消灯は19時。タイムリミットまでになんとかレインスーツは乾いた。寝室は50センチごとに枕が並べられた大部屋だった。僕は通路の端の方に陣取った。僕の隣にM君、その隣にS君。S君の隣はよその人だった。結果的に一番いい位置だったのはM君だったと思う。というのは、僕の右は通路で、油断すると冷気が入って来たし、冷たい木材に直接触れる位置だった。S君は、よその人と掛け蒲団が共通だったため、お互いに気を使い合って、よく寝付けなかったという。いずれにせよ、慣れていなければ、なかなか、あの環境で眠れるものではない。なにしろ狭いので、寝返りが打てない。寝ているときに寝返りが打てないなんて拷問に近い。寝ながら座禅をしているようだ。

 山小屋を揺らすような暴風雨の音が一晩中続いた。翌朝、7月26日(日)、雨は止んだが、強風はそのままだった。日の出は4時44分。S君は日の出前に、しばらく僕とM君と一緒に東の空を眺めていたが、気分が優れず山小屋に戻ってしまった。

 御来光は雲に見え隠れしてはいたが、見えたことは見えた。でも、御来光よりも、もっとすごい光景をみた。例の巨大な吊るし雲が、山頂よりも遥か上空に、またあるのだ。しかも今度のは真っ黒で、トドかオットセイを思わせるような形。山頂をかすめて吹き抜ける雲が、この大魔神を隠しているが、雲が切れるたび、ちらっちらっと姿を現す。しかも青空の中に一つ明るい星まで見える。雲が切れるたびに見物人がどよめいた。太陽よりも、雲が主役だったと思う。すごいショーだった。(なお、星は写真の上の方にかすかに写ってます。写真をクリックして拡大すると見えます。写真では、見えにくいですが、実物はかなり明るく光ってました)
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 僕とM君がひとしきり感動して山小屋に戻ると、S君が大変なことになっていた。気分が悪くて、トイレで「戻して」しまったのだという。これは本格的な高山病だ。しかも寒気がひどくて動けず、寝床から出ようとしない。M君と相談し、結局、お鉢巡りは今回は諦めて、できるだけ早く下山することにした。なにしろ風がこう強くては、元気な人間が歩いても転落する可能性がある。しかもS君がこの状態だ。高山病の根本治療は下山しかない。寒がるS君も腹を決めてようやく寝床を出たので、僕のフリースを重ね着させて、6時10分に山小屋を出た。
 
 最初は風が強かったが、幸運なことに、次第に天候が穏やかになり、霧が晴れて、絶景が見え始めた。そして8合目あたりに着いたときは、すっかり晴れ上がった。はるか上空には、うろこ雲や羊雲があって、白さと、青空とのコントラストが芸術的な美しさだった。下を見下ろすと、雲海が広がっている。登りのときに見えなかったぶんを、神様がまとめてみせてくれているようだ。苦労したぶん感動も大きい。S君もM君も 山頂を振り返っては、「あの山に登ったんですねえ」と満足そうだ。S君もすっかり元気になった。
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 下山は東側の須走口五合目を目指す。この下山道は7合目付近から「砂走り」と呼ばれる直滑降があり、蛇行せずに一気に5合目まで下る。スキーでもやっているような面白さがある。しかも雨が降ったせいで地面が湿っていて、砂煙が全くたたず、快適に「駆け下り」を楽しんだ。

 途中で9:00頃に、食事。登山のときにやろうと思っていて出来なかった「おままごと」をすることにした。雲海を見下ろしながら、のんびりとする食事は格別だった。映画「剣岳<点の記>」の中の、夕日の雲海をバックに食事するシーンを思い出してしまった。
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 須走口の五合目に着いたのが、10時頃。東側から見上げる山頂は、多少の雲はあるものの、よく晴れていた。
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M君の感想 「僕らは、日本一高い山に登ったんですね」
S君の感想  「僕は日本一高い山でゲロ吐いたんですね」
(終)


【参考】
■火について
 山小屋で煙草を吸おうと思って持参したライターで火をつけようとしたが、なかなか着かず、山小屋の人に貸してもらった。なぜ着かなかったか理由はよくわからない。でも平地で暮らしていても、ライターが突然着かなくなることってよくあることだ。煙草を吸わない人には無関係だと思われがちだが、そうでもない。山で火の有無が死活問題になることがある。たとえば、寒いときに、遭難してビバークしたとする。暖をとるためにガスコンロに火をつけようとして、点火器が故障していたら? 実際に同行した人のガスコンロが着火しなかったことはあるのだ。これからはライターの他にマッチも持参しようと思う。

■雨について
 僕が山に行くと雨が降ることが多い。5月の丹沢以来、こんなのばっかりだ。ただ、雨に降られる程度の小さなトラブルならば、むしろできるだけたくさん経験した方がよいのではないかと思う。
 平地で傘を差して受ける雨と、高地でレインウエアで受ける雨は、体温の下がり方が違う。しかも後者は逃げ場がない。本を読んで頭で想像するより「体で感じる」のが一番よい。問題解決の過程で、無い頭をそれなりにフル回転させるし、しかも後でそれを再三思い出すので、経験として身につきやすい。百聞は一見にしかずとはこのことだ。

■S君の高山病、後日談
 登山道では、あちこちに、「ゆっくり歩きましょう」という看板がでている。しかし、その理由が書かれていない。これは「高山病予防のため」という文言を加筆すべきだ。そうしないと、「景観を楽しむために」とか「事故防止のために」とか、意味を都合のよいように解釈されてしまう恐れがある。
 後で聞いた話では、S君は、9合目付近で先頭を歩く僕のペースが遅いと感じて、いらいらしていたのだそうだ。だから、いつの間にか僕を追い抜いていた。ところが山頂に着く直前で座り込んでしまった。このときに症状が出始めたらしい。それまで元気だと思っていても、突然来ることもある。こういうのは、高山病の難しさだと思う。いずれにせよ、一度経験してみないとわからないってことか。

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aosima0714

初めまして!
遊びに来ました!
良かったら私のブログに来てくださいね!
これから、ちょこちょこ遊びにきます!よろしくです<m(__)m>
by aosima0714 (2009-08-01 11:44) 

ぶたりんご

山行に行くたびの荒天で、苦い経験を積み、いろいろな知恵を身につけているようですね。今回は最後の絶景がS君の悪夢を帳消しにしてくれたでしょうか?S君がこれで山嫌いにならないことを祈ります。
by ぶたりんご (2009-08-01 19:27) 

ひぐらし

ぶたりんごさん、同行した2人とも、「来年またリベンジしたい」と言ってます。若いからこれからいくらでも登れるってのが羨ましいです。来年は別の登り方を工夫してみようかな、と思っています。
by ひぐらし (2009-08-02 03:59) 

たけのこ。

楽しく拝見しました!
S君。やっちゃいましたねー。

S君が富士山に登る事は聞いていたので、読みながらたくさん想像出来ました(笑)
低体温で命を落とすか否かの明暗はレインコートの防水機能によってと先日新聞に書かれており、まさに!!でしたね 。

しかしとても勉強になりました。

私も昨年は途中で豪雨で断念したので、リベンジしたいですね。
by たけのこ。 (2009-08-03 13:46) 

ひぐらし

たけのこ。さん、こんにちは。コメントありがとうございました。来年は是非ご一緒に。
by ひぐらし (2009-08-03 19:45) 

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