僕が天文少年だった頃(5) [天文]
【月刊「天文ガイド」】 ~自作望遠鏡への憧れ~
次は月刊「天文ガイド」。この本にも思い出があるのだが、昔買ったものは手元には一冊も残っていないのでネットで検索したところ、埼玉のある店で古いものの在庫が1972年くらいから揃っていることがわかった。そこで1975年12冊、1976年12冊、1977年12冊の順に買って、その思い出を探すことにした。
1976年の6月号。これが初めて買った号だった。覚えているのはこの年の3月にウエスト彗星が地球に接近し、6月号で「ウエスト彗星特集」という特集記事を組んでいたのである。読者の天体写真の力作がたくさん掲載されていて、すごいなあと感心し、暇さえあればこの6月号を眺めていた。
1977年9月号。今の天文ガイドの事情は不明だが、当時は「天体望遠鏡自作相談室」というコーナーがあった。自分の望遠鏡に不足を感じていたし、だからといって市販品を買う経済力も無く、親にねだっても無理だとわかっていた。そんな事情から自作の道に興味を覚え、構想を練った。そのときに沸いた疑問を投稿してみたら、これが1977年の9月号に採用された。下の写真がそれである。
今思えば恥ずかしい質問をしている。回答者がちょっと冷たいのも理解できる。ただ、まあ、この当時は疑問が解決したことよりも、掲載されたことに喜びを感じていた。
さて実際に自作をしたかというと現実には無理だった。第一に、自作とは言え天体望遠鏡である。小学生の夏休みの工作とは違うのだ。ちゃんとしたものを作ろうと思えば、それなりにお金がかかる。第二に、当時住んでいたアパートは狭くて、そんな工作の作業はできないし、たとえ出来たとしても2台目の望遠鏡をおけるようなスペースはなかった。どうにもならなかったのである。(今だったらできるじゃないか!)
昔の天文ガイドを読んで気づくのは、ところどころに記憶のある記事があって、そのほとんどが読者の投稿だということである。まあそうだろう。天文現象の専門的な解説記事は有益ではあっても、特定の記事が30年も人の記憶に残るようなことは少ないと思う。一方、読者の投稿には人間的な表情があり温かみがあった。覚えているのはそういう理由だろうと思う。
あの当時は、文通を希望する人が多く、自分の住所や電話番号といった個人情報を雑誌に公開することが普通に行われていた。今ではこんなことは考えられない。昔はITが発達していなかったからこれを悪用する環境がなかったのである。そういう意味でいい時代だった。
僕も「私の愛機」というコーナーに自作機を発表していた人のうちの、興味をもった人に手紙を出し、自作の様子を聞いた。丁寧な返事をもらって非常に嬉しかったのを覚えている。自分の周囲に、同好の仲間がいなかったので、雑誌を媒体にして仲間を求めていたのだと思う。
(つづく)
次は月刊「天文ガイド」。この本にも思い出があるのだが、昔買ったものは手元には一冊も残っていないのでネットで検索したところ、埼玉のある店で古いものの在庫が1972年くらいから揃っていることがわかった。そこで1975年12冊、1976年12冊、1977年12冊の順に買って、その思い出を探すことにした。
1976年の6月号。これが初めて買った号だった。覚えているのはこの年の3月にウエスト彗星が地球に接近し、6月号で「ウエスト彗星特集」という特集記事を組んでいたのである。読者の天体写真の力作がたくさん掲載されていて、すごいなあと感心し、暇さえあればこの6月号を眺めていた。
1977年9月号。今の天文ガイドの事情は不明だが、当時は「天体望遠鏡自作相談室」というコーナーがあった。自分の望遠鏡に不足を感じていたし、だからといって市販品を買う経済力も無く、親にねだっても無理だとわかっていた。そんな事情から自作の道に興味を覚え、構想を練った。そのときに沸いた疑問を投稿してみたら、これが1977年の9月号に採用された。下の写真がそれである。
今思えば恥ずかしい質問をしている。回答者がちょっと冷たいのも理解できる。ただ、まあ、この当時は疑問が解決したことよりも、掲載されたことに喜びを感じていた。
さて実際に自作をしたかというと現実には無理だった。第一に、自作とは言え天体望遠鏡である。小学生の夏休みの工作とは違うのだ。ちゃんとしたものを作ろうと思えば、それなりにお金がかかる。第二に、当時住んでいたアパートは狭くて、そんな工作の作業はできないし、たとえ出来たとしても2台目の望遠鏡をおけるようなスペースはなかった。どうにもならなかったのである。(今だったらできるじゃないか!)
昔の天文ガイドを読んで気づくのは、ところどころに記憶のある記事があって、そのほとんどが読者の投稿だということである。まあそうだろう。天文現象の専門的な解説記事は有益ではあっても、特定の記事が30年も人の記憶に残るようなことは少ないと思う。一方、読者の投稿には人間的な表情があり温かみがあった。覚えているのはそういう理由だろうと思う。
あの当時は、文通を希望する人が多く、自分の住所や電話番号といった個人情報を雑誌に公開することが普通に行われていた。今ではこんなことは考えられない。昔はITが発達していなかったからこれを悪用する環境がなかったのである。そういう意味でいい時代だった。
僕も「私の愛機」というコーナーに自作機を発表していた人のうちの、興味をもった人に手紙を出し、自作の様子を聞いた。丁寧な返事をもらって非常に嬉しかったのを覚えている。自分の周囲に、同好の仲間がいなかったので、雑誌を媒体にして仲間を求めていたのだと思う。
(つづく)
私も、むかしむかし、天文少年でした。
実家の整理をしていたら少年時代に購読した「天文ガイド」が
創刊号(1965年7月号)から3(1995年12月号)まで、
30年分ほど出てきました。(数冊欠)(詳細:添付EXCELご参照)
ゴミとして処分することもできますが、
幼少のころの思い入れもあり、
誰か読んでくれる人がいたら・・・と思っているところで、あなたのブログを見つけました。
もし、興味をもって頂き、引き取っていただけるなら、
送料をご負担いただければ、差し上げます。
私の自宅は、東横線の綱島ですが、湘南にお住まいでしょうか?
車をお持ちでしたら、休日に、どこかで落ち合うという方法もあるかと思います。
ご連絡いただければと思います。
by 福ちゃん (2013-04-29 01:27)
福ちゃんさん。大変ありがたいお話です。5月1日の8:00にメールを送らせていただきました。ご確認をお願いします。
by ひぐらし (2013-05-01 09:01)