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雲取山(3) [登山]

■4月30日 奥多摩小屋→雲取山→三条ダルミ→三条の湯→お祭(バス停)→奥多摩駅

 歩きながら、山小屋のお兄さんの噂話をした。昨夜、我々が夕食をとっていたとき、お兄さんはずっとストーブの火の番をしてくれていた。・・・と僕は認識をしていたのだが、女性二人は違っていた。若奥様は、「何かお話がしたいのだ」と思いこみ、姉は「酒の仲間に入りたいのだ」と思いこみ、それぞれに話しかけたりワインをわけたりして気を使っていたという。僕は、どう考えても「火の番」が正解だと思っているが、何しろ寡黙な人なので、こんなふうに解釈が分かれ、たまに誤解されることもありそうだ。街で暮らすより山で暮らすのが似合っている人だと思った。(お兄さん、お世話になりました)

 雲取山の頂上。
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 ここに興味深い記念碑があった。
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雲取山 「原三角測点」
全国に設置されている三角点はわが国の測量の基準として利用されるばかりではなく、地殻変動を知る手がかりとしても重要な役割を果たしています。わが国における本格的な三角測量は明治の初期に当時の内務省地理局によって始められました。この雲取山にある「原三角点」は現在の形の一等三角点が設置される前、明治16年(1883年)に埋設された測量標識で、測量の歴史上貴重なものです。平成10年6月 建設省国土地理院
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 僕は山の上に埋設されている三角点を見ると、新田次郎の「劔岳<点の記>」の映画を思い出す。今では衛生測位システムがあって、宇宙から地上を見下ろして測量するが、昔は地面を実際に歩いて、険しい山に命がけで登り、三角形を書きながら地形を測定したのだ。

 柴崎芳太郎が、剱岳に登頂して三角点を設定したのが明治40年だった。雲取山の原三角点が設定されたのが明治16年ということは、江戸時代の伊能忠敬の後、明治の新体制になってから日本の国土をすべて測量するのに24年の歳月を要したということになろうか。まさに国家プロジェクトである。今、これだけの歳月をかけてやろうとしている国家プロジェクトってあるのだろうか、と考えてみたが、「福島の原発の廃炉に40年かかる」などという夢も希望も無い話しか思い浮かばない。

 雲取山のあと、飛龍山を回って丹波に下山する予定だったが、途中で雪に阻まれた。よってここは潔く諦め、三条ダルミから三条の湯を経由してお祭(バス停)に下山した。昨年の10月に仙丈ケ岳(3000m級)で同じようなことが起こった。今回の事で、もう春、秋の2000m級になったらメンバー全員で申し合わせて無条件にアイゼンを持って行かないとだめだと思った。何度も同じことを繰り返している。いいかげん、学習しないとだめだ、ホント。
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