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ひぐらしのルーツ(2) [雑文]

(つづき)
 1950年(昭和25年)の国土総合開発法から、時代を下ること10年、1960年(昭和35年)12月、池田勇人内閣が国民所得倍増計画という政策を打ち出した。この時代、日本は高度経済成長期に入っている。つまり映画「Always 三丁目の夕日」の時代である。

 この政策の中に、当時の既存の四大工業地帯(京浜、中京、阪神、北九州)の中間の地域で新たな工業地帯を形成し、太平洋側に帯状に配置しようとする構想があった。これを太平洋ベルト地帯構想という。

 少し話がそれるが、小学生時代、社会見学の授業で、京葉工業地帯にあった極東石油(現在の東燃ゼネラル石油)の工場見学に行った。そのとき担任のN先生が事前の授業で力説していた言葉が忘れられない。「太平洋ベルト地帯という言葉はおかしいんだ。ベルトというのは帯という意味だろう。ベルト地帯ってなんだよ。こういう言葉を使う奴の教養を疑う」 ・・・N先生はいいこと言ったと思う。(笑)

 さて実際に所得倍増計画の中で、政府がこの構想を具体的に推進したことはなかったらしい。しかし現在、工業地帯は現実に太平洋側に帯状に並んでいる。政府が国家プロジェクトとして積極的に推進しなくても、最初の方針を示しただけで、成るべくして成った姿のようだ。特に京葉工業地帯の開発のいきさつは2013年の「はまぐりの碑」の記事に詳しく書いておいたのでしつこいようだが、下記URLを参照されたし。
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2013-05-17

 京葉地域は、京浜地域とは対照的に、昔はのどかな漁村であった。これが昭和30年代、高度経済成長期に工業化に向かって大転換をしたのである。京浜工業地帯が電気・機械系の工場が多いのに比べ、京葉工業地帯は石油・化学系の工場が圧倒的に多い。こうした産業には広い敷地が必要になるから、国や県などの政府の介入がどうしても必要になる。その点をみても京浜と京葉の両工業地帯は、成立の仕方が根本的に違うことがわかるのである。

 さて、この京葉臨海工業地帯で、ひぐらしの父と母はどういう縁で結ばれ、結果、姉と僕が生まれたか。それを次回以降にお話しする。
(つづく)
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