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平家物語を読みたい(5) ブラックボックスの意義 [読書]

 このシリーズの最初の方に戻るが、姉と平家物語の勉強会を始めたときに、保元の乱、平治の乱がよくわからなかったので、これをとりあえずブラックボックスにして、スタートしたと書いた。このブラックボックスを使った思考方法について、是非とも言及しておきたい。今回、便利さを痛感して、ちょっと見直したので。

 すごく簡単に言ってしまうと、「わからないところは、とりあえずそのままにして先に進め」ということなのだが・・・。わからない=無知、ということにしないのがこの考え方である。例えば、[保元の乱]→[平治の乱]→[平家興隆]→[源平合戦]→[平家滅亡]、という順に事実を認識し(注1)、上流にある二つの項目が自分の中で解明されていないとき、この二つの項目をブラックボックスと位置づけて保留し、先へ進め、というのがこの考え方である。

 「人間はみんな、知らないことをたくさん抱えたまま生活しているのだから、知らないことを知らないままにして先に進むのは普通じゃないのか」という疑問が湧いてくるが、ちょっと違う。単に無知のまま放置するのと、ブラックボックスと位置づけることの、何が違うかというと、その人にとって「興味がなくてどうでもよいこと」なのか、「今後知らなければならないこと」なのか、の違いである。

 専門の研究者の頭の中では、きっとたくさんのブラックボックスがあちこちで整理されて並んでいて、これがある日、あるものがクリアになり、また新しいブラックボックスが生まれ、ということを繰り返しているのではないかと思う。

 こういうのって “論理の構造化” とか “構造化思考” などと呼ばれるものから来ていて、最近ではいろいろな方面で応用されているらしい。つまり “全体” というものが “部分” から構成されていて、各 “部分” が機能をもち、それが有機的につながっていると考える。

 今回の例で言えば上記した、[保元の乱]→[平治の乱]→[平家興隆]→[源平合戦]→[平家滅亡]のような、直列に並んだ情報の集合になるわけで、その一部が未完成(つまりブラックボックス)であっても、ある位置にあって、ある役割を果たすと考えてそのままにする。そうすれば完成や修正を後まわしに、しかも “部分” ごとにできるようになる。

 構造化思考については、思考方法を専門に研究している人がいるようなので、興味のある方は専門書を参照されたい。でも、こういうことをあまり深く考えすぎると、だんだん哲学みたいになってきて、浮世離れしてくるので僕は深入りしないでおく。(笑)

 ・・・そんなわけで、とりとめの無い話になってしまったが、要するに、勉強するときの頭の使い方として、論理の構造化やブラックボックスの概念の大切さ(注2)を、平家物語の勉強会を通じて再認識した、ということを言いたかった。以上で、このシリーズは終わりにしたい。ご精読に感謝。
(おわり)

***
(注1)○○という順に事実を認識し・・・人により事実の認識とか論理の組み方が変わるかも知れないが、重要なのは自分で論理を組むことであり、教科書の丸暗記と決定的に違うのはここである。自分で組んだ論理に従ってストーリーが進むから自分でいつでも再現できるというわけ。もちろんストーリーは教科書の記述と食い違いがないように注意する必要がある。

(注2)本当に大切なのは論理の構造化であって、ブラックボックス化というのはわからないことも一緒に構造化しているのにすぎない。この記事でブラックボックスをクローズアップしたのは、構造化という言葉が抽象的過ぎてわかりにくいと思ったから。

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