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数学思い出話(二次方程式とかラプラス変換とか) [数学]

(リベンジを待つ書物たち)

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 平家物語の記事で、余談扱いにしようかと思った話があったのだが、歴史の話から完全に離れてしまうので、独立させた方がいいと思って別記事にした。構造化思考の続きの数学にまつわる思い出話である。コロナ禍で引き籠もり生活をしていると、いろいろなことを考えてしまうもので。

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 中3のときの数学の授業で二次方程式の解き方を習った。
A)因数分解による解き方
B)平方完成による解き方
C)解の公式による解き方
 3通りの解き方を一通り説明したK先生が、この3つの中でどれが好きか、とクラスのみんなに聞いた。すると解の公式に手を挙げた人が大多数だった。僕は平方完成に手を挙げたが、これに手を挙げたのは僕の他に1人か2人だった。

 二次方程式の解法の理論のベースになっているのは平方完成という式変形の技術であり、解の公式はこの理論の結論として出てくるものである。理論がわかっていれば公式を記憶する必要はないが、記憶すれば時短につながる。それから因数分解による方法は上記2つとは別系統の理論で、綺麗に分解できればそれが一番シンプルだが、そうでなければ使えない。これら3つはそもそも好き嫌いの問題ではなく、状況に応じて臨機応変に使い分けるものである。K先生のあのアンケートの意図はなんだったのだろう。

 僕は公式の丸暗記が論理の空白(ブラックボックス)に見えて気持ち悪かったので、習いたての頃はいちいち平方完成して解いていた。一方、公式が一番人気だったのは、式に係数を当てはめるだけ、という手軽さが受けたのだと思う。この人達は論理のブラックボックス化をこの時すでに受け入れていたことになる。というか数学が苦手な場合はそうせざるを得なかったということもあろう。

 さて、時は流れて・・・。(高校は省略)大学に入って専門科目が忙しくなった3年生の頃の話である。僕の専攻は機械工学で、そのときは、自動制御理論の授業で、微分方程式を解くのに使われる「ラプラス変換」という方法を習っていた。

 これは、微分方程式に ”ある変換” を施して、微分や積分を、掛け算、割り算に変えてしまう方法である。掛け算、割り算の方程式なら簡単に解ける。そうやって解いたら、今度は ”逆変換” してもとに戻す。するとあら不思議、微分方程式が解けている。単なる演算だと割り切れば話は簡単で、先人の知恵とはすごいものだと感心する。

 これはもともと、イギリスのヘビサイドという電気技師が発見した方法(1880年頃)で、最初は「ヘビサイドの演算子法」と呼ばれていたが、なぜそうやると解けるのかを発見者自身がきちんと説明できず、「なんかよくわかんねーけど解けるならいいじゃん」というものだったらしい。

 厳密さを欠くことを指摘されたときのヘビサイドは「私は消化のプロセスを知らないからと言って食事をしないわけではない」と答えたそうだ。(名言だ。かっこいい。)その後、この方法論は研究が進み、ヘビサイドの時代より100年も前にラプラスが書いた論文の研究により厳密に証明され、「ラプラス変換」として広く定着した。(注1)

 かくして消化のプロセスを知らない人でも、食事を安心してできるようになったわけだが、これを数学的に厳密に理解しようとすると、かなり難解な領域に踏み込まなければならなくなる。機械工学科の教育カリキュラムはそこに時間をかけないようになっていた。つまり応用方法は学んだが、数学的な理論を学ぶことはなかった。ちょうど中3のときの授業で、二次方程式の解の公式の結果だけ示し、途中経過の説明を一切省いてしまうことに相当する。

 大学で理工系の学問を専攻しようとする学生は普通、高校までの数学で、ブラックボックスが残っていることはない。残っていたら厳しい受験戦争を戦えない。みんな真面目に勉強して隙を作らないようにする。つまり、”わからないことをわからないままにしておく”という思考方法に慣れていない。

 そこへもってきて、ラプラス変換である。教える側は結果だけ使わせようとするが、学生は、高校を卒業するまで上記したように教育されているから、全部クリアにしようとする。僕自身がそうだったし、友人たちもみんな「なんだこれは」と戸惑っていた。僕は一度、独学でここを攻略しようとチャレンジしたこともあったが、前提として知らなければならないことが多すぎて諦めた。とてもやってられない。当時の仲間がこれをやろうとしても、ほとんどが立ち往生して進めなくなっていたのではなかろうか。

 そのときのある先生の指導がかっこよかった。ズバリ「わからないことがあるなら、それを構造化しておきなさい」・・・この一言がすべてを物語っている。普通の人なら「わからないことがあるなら、しっかり勉強しなさい」というだろうが、もはやそういうレベルの話ではないのだ。ただ、この言葉の意味を僕が大学生の頃にきちんと理解していたとは言い難い。「ラプラス変換てわけわかんね~~」とずっとモヤモヤしていた。まあ卒業に必要な単位はなんとか取れたけど。

 先生がもっと直接的に「ラプラス変換は数学的厳密さを求めず結果だけ使え」と言わなかったのは、「勉強するのは自由だから余力があれば勉強してみよ」という含みを残していたのだろう。僕は卒業してから、一度思い出して勉強してみようとしたがやっぱりだめだった。それ以来ずっとブラックボックスのままである。(いや、ここをブラックボックスのままにしておくのは機械系専攻の人間としては普通なんだが)

 コロナ騒動でお盆休みに引きこもり生活をしていたら、かつて挫折したことが懐かしくなってしまい、昔買い集めた文献を書棚から引っ張り出してパラパラとめくってみた。そしたら完全に理解するだけの自信はないが、今度はブラックボックスがどこなのかを特定して、しかもそれをかなり小さくまとめられそうな気がしてきた。

 今は「わけわかんねえ」とか「挫折した」とか、そんな説明しかできないが、今度は「ここがわからないけどそれ以外はわかる」と言えそうな気がする。それができたらそれはすごい進歩だ。またちょっとチャレンジしたいな、なんて思い始めたところである。こういう前向きな考え事が出来るなら、引きこもり生活も悪くはないと思う。

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(注1)自動車とか家電製品を見ればわかるとおり、我々が仕組みを知らないまま使っているものは山ほどある。だったらラプラス変換だって、仕組みを知らない人が道具として割り切って使ってもおかしいことはない。ただ正体が解明される前に、何の疑いもなく使うっていうのはやはりリスクがあると思う。ヘビサイドはよほど自信があったということなのだろうか。

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