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広島の旅(6) エピローグ [雑文]

 中学生の頃の話である。放課後に部活をやっていたときに、体操部の女の子に、「ひぐらし~。お父さんとお母さんが来てるよ~」と呼ばれた。行ってみると親父とお袋が体育館の入口に揃って立っている。両親曰く「雨が降って来たから傘をもってきた」 

 僕は中学生時代に、親というものを自分の幼さの象徴のように思っていた。だから、親に世話されているところを友達には見られたくなかったし、特に女の子には見られたくなかった。

 「雨が降って来たくらいで、いちいち傘なんか持って来んな」と、家で滅茶苦茶な文句を言った。「心配してわざわざ届けてやったのに、なんと無礼なことを」と怒られるところだと思う。でも親父もお袋も黙って笑っていた。思春期特有の心理を理解してくれたのだろう。このことは大人になってから思い出して「悪いことしたなあ」とずっと思っていた。

 親心のわからないガキだって、大人になれば「親孝行がしたいな」と思うものだ。しかし「孝行をしたいときには親はなし」という現実もある。実際、中学、高校の頃に事故や病気で親を亡くした同級生が何人かいた。そのことを想えば、今、自分の両親が健康で、一緒に旅行できることを幸福に思う。

 大学を卒業して神奈川で就職し、千葉の親元から離れて一人暮らしをするようになってから、もう30年近くなる。親と一緒に暮らしていた年数よりも、離れて暮らしている年数の方が長くなってしまった。帰省するのは盆と正月とGWだけである。しかし今回、病気になってから、親と向き合う機会が増えた。親孝行をしているつもりでも、実は親に甘えているのかも知れない。

 このシリーズの最初に書いた通り、両親は年齢のせいか、旅行に消極的になっている。若い頃に子育てに金がかかって、ロクに旅行に行けなかったのだから、行きたいところに連れて行ってあげたいと思う。でも二人ともなかなか乗り気にならない。特にお袋がそうだ。やはり体が弱っているから怖いのだろう。こういう不安を何とかして取り除いてやりたいと思う。ちょっとお袋専用にカスタマイズしたサポート器具を作ってみようかと思っているところ。

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 下の写真は、帰りに広島駅で買った、「しゃもじかきめし」という駅弁。宮島の有名な大しゃもじを象った弁当箱で、かきづくし(かきめし、かきフライ、かき味噌和え、煮かき)である。さすが広島。

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・・・というわけで、全行程を通して、さしたるトラブルもなく(お袋の足のトラブルを除いて)快適な旅行ができた。これにて「広島の旅」のシリーズはおしまいです。ご精読ありがとうございました。


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広島の旅(5) 安芸の宮島 [雑文]

 今回の旅行では、初日と二日目に天気が良くないことが週間予報であらかじめわかっていた。ただ、当初、僕が職場復帰を4月に予定していたため、旅行に行くのであれば3月中に行き、余裕をもって復帰しようと考えて、結果3月18、19、20日になったのだった。最終日3月20日は、予報の通り、雨が上がった。

 行先は、あの有名な安芸の宮島である。安芸(あき)とは言うまでもなく広島県の旧国名。宮島は、もともと厳島(いつくしま)と言う名前だったが、お宮がある島だからということで、江戸時代あたりから宮島とも呼ばれるようになったという。最近では、「厳島」と「宮島」の使い分け方は明確に決まっていないらしい。

 下の写真はJR宮島口駅を降りて、フェリー乗り場に向かう途中である。ラブラブで手をつないでいるように見えるが、実はそうではなくて、お袋が歩くのがしんどいから親父につかまっているのである。僕と歩くときは僕のリュックにつかまったりする。いずれにせよ、適度に休ませてあげれば結構歩けるのだ。
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 さてフェリーに乗って、一路、宮島へ。
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 島でフェリーを降り、厳島神社へはタクシーで行った。歩いても簡単に行ける距離なのだが、これはお袋の足のコンディションを考えた措置。まずはあの有名な大鳥居。
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 島にはあちこちに鹿がいる。ただ、同じ鹿でも奈良公園の鹿は鹿せんべいが欲しいから人間に寄ってくるのに対し、宮島の鹿は人間に全く興味を示さず、目も合わせず、ただ単に人間のもっている荷物にのみ興味を持ち、それを目がけてノッソリノッソリ近づいてくる。神鹿(しんろく)とは言え親しみがわかない。
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 本殿はこんな感じ。「もともと小さな宮しかなかったところ、平清盛が、天皇に嫁いだ娘の徳子に皇子が授かるように祈って立派な宮を建てた。その後、たくさんの人が参拝に訪れるようになった」と「広島昔ばなし」(土産屋で買った小さな本)に書いてあった。歴史の本の中に出てくる平清盛には「平家に非ずんば人に非ず」とか言っちゃって(注1)、結構なワルのイメージがあるが、意外と良いことしているではないか。(笑) 世のため人のためを思ってやったというよりも、どちらかというと自分の家のことだけを考えてやったんじゃないかと思うが、どっちにしても、結果的に多くの人を感動させるものを作ったことは偉大なことだと思う。

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昼食はカキフライ定食。
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午前中はやや曇っていたが、午後はよく晴れた。遠くに見えるのはフェリー乗り場。
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(注1)2020年7月1日追記(訂正)・・・この言葉は平清盛ではなく、平時忠の言葉。「此一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし」(平家物語 第一巻 「禿髪」より)

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広島の旅(4) てつのくじら館 [雑文]

 「大和ミュージアム」のすぐ隣に、「てつのくじら館」という海上自衛隊の博物館がある。正式には「海上自衛隊呉資料館」という。展示は、特に掃海活動(機雷を除去する活動)と、潜水艦による監視活動に重点が置かれている。「てつのくじら」とは、つまり潜水艦のこと。海上自衛隊でかつて運用されていた潜水艦「あきしお」の実物がある。
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 「あきしお」の中に入って初めて知った。潜水艦の内部とは、これほど狭いものなのか。中には、装備がぎっしり詰まっていて、乗組員の居住性は犠牲にされている。快適な乗り物ではない。「兵器なんだから快適なわけない」と言えばそれまでなのだが、それにしても、僕がこれに乗ってずっと海に潜っていたら、閉所恐怖症になってしまいそうな気がする。強靭な精神力がなければ国防の仕事は務まらない。
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 下の写真は、潜水艦の中のベッド。「試しに寝てみて下さい」と書いてあったので、チャレンジしたが、本当にギリギリの広さしかない。丸い壁がすぐ目の前にある。訓練しなければ眠れないだろう。僕なんか寝相が悪いから、寝ている間に確実に落ちる。
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 下の写真は操縦席。緑色の椅子が二つ並んでいる。前には窓がない。計器類のみがある。外が見えるのは浮上して潜望鏡を使うときのみ。まあこれだって、「潜水艦なのだから当たり前だ」と言えばそれまでなのだが、こんな不安なことってあるだろうか。例えば飛行機や宇宙船は計器だけで飛行をすることはあるが、それにしても窓くらいはついている。しかし潜水艦には超高圧がかかるからガラス窓をつければ漏水の原因になるし、そもそも海の底には光がないから窓などつけるだけ無駄なのだろう。そういう意味では宇宙より怖い。
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 ホテルに戻ると、お袋は一日休んですっかり元気になっていた。夕食は、ホテルの近くの焼鳥屋で乾杯。親父もお袋も満足してくれた。なお、あとで知ったがこの店「やきとり大吉」は全国チェーンの店だった。このとき以来、親父もお袋も焼鳥にハマってしまい、自宅近くのショッピングモールで旨い焼鳥屋を見つけ、ときどき買って食べているようだ。
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広島の旅(3) 大和ミュージアム [雑文]

 さて、二日目の目的地は、呉の「大和ミュージアム」と、「てつのくじら館」。ただし、お袋は筋肉痛で動けずホテルで待機。親父と僕の2人で行くことにした。まあ、お袋にとってはさほど興味のない分野なので、別に残念そうでもなかった。天気は朝から雨。

 JR呉駅から歩いてすぐのところに「大和ミュージアム」がある。正式には、「呉市海事歴史科学館」という。呉は昔から造船の街だった。呉市の産業の歴史=造船の歴史といっても過言ではなく、ほとんどの展示が船に関することになっている。中でも目玉は呉で建造された、旧帝国海軍の戦艦「大和」の1/10模型で、「大和ミュージアム」という愛称はこれに由来する。

 入口を入るといきなり、大和がどど~~んと現れる。1/10模型でもすごい迫力である。入ってすぐの位置では、模型の大きさに比べて距離が近すぎ、全体を写真に納めるのが難しい。2階から見てようやく全貌が写る。
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 僕はもちろん親父も、夢中で写真を撮りまくっていた。僕は自分がこういうものが大好きなマニアックな人間であることを自覚しているが、親父までもがこんなに夢中になって写真を撮るとは思わなかった。連れてきてよかった。
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 なお、上の写真で、僕の顔の横幅が以前と違うので、写真の縦横比が狂っているのではないかと不審に思った方がいるかも知れないが、そうではない。これは僕が太ってしまったからである。
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広島の旅(2) お好み焼きと平和記念公園 [雑文]

 広島駅にはアッセという駅ビルがあり、ここの食堂街の中に、お好み焼きの店が集まったエリアがある。広島に来たら、まずこれを食べなくちゃ。数件ある店は、昼時だったのでけっこう混んでいたが、そのうちの一つに、なんとか待たずに入ることが出来た。お店の人にお勧めを聞いてみると、カキ入りのお好み焼きがお勧めだというので、3人でそれを注文。

 カウンターの前に鉄板があって、店の人が目の前で焼いていて、それを見ながら食べるという雰囲気がよい。旨かった。上品な料理ではなく、どちらかというと荒っぽい料理で、焦げた具や、はみ出たキャベツを、ヘラでかき集めて中に押し込んだりしている。それでも、この雰囲気が旨さを倍増させる。バーベキューの旨さといったらわかりやすいか。
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 昼食のあと、原爆ドームへ。ここは、僕は前年の旅行で行ったところだったが、両親は広島が初めてなので、案内することにした。天気は雨。しかも原爆ドームは健全度調査(定期点検?)の最中で、建設工事用の足場に覆われていた。
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 相生橋を通って平和記念公園へ。この橋はB29が原爆を投下したときに目印にした橋で、両親を案内するときには、是非ここを見せたいと思っていた。でも見せたはいいが、ちょっと距離が長かったので、お袋の足が限界になってしまった。デブなので、長い距離を歩けない。ただし短距離なら歩ける。それは何となくわかっていたが、どのくらいで限界がくるのかがわからなかった。
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 平和記念公園には、ベンチが至る所にあるが、雨が降っていたせいで、お袋が座るのを嫌がり、これも無理に拍車をかけた。平和記念資料館についたときにはヘトヘトになってしまい、受付で借りた車椅子に倒れ込むように座った。下は車椅子に乗って展示を見るお袋。
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 今回の旅行の宿泊は2泊とも、東横イン(広島駅前大橋南)に泊まった。ここは基本的にはビジネスホテルで、朝食のサービスはあるが夕食はない。初日の夕食は、本当ならどこかのレストランで旨いものを食べる予定だったが、お袋が疲れて外出不能になったので、コンビニで弁当を買って済ませた。

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広島の旅(1) プロローグ [雑文]

 今年2015年の3月中旬、北陸新幹線が開通して、長野~金沢の間が繋がった。このニュースを見て、お袋が電話をかけてきた。「もしもし、ひぐちゃん、北陸新幹線が開通したって知ってる? 金沢の方に旅行に行こうよ。病気のリハビリにもいいと思うよ。お父さんもその気になってる」

 北陸新幹線が開通したばかりとなると、同じことを考える人が多いだろうから、さぞかし混んでいるだろうと思った。しかし、よくよく聞いて見ると、お袋は、なんでもいいから新幹線に乗りたいだけらしい。乗って遠くに行って、そのまま帰ってくるだけでもいいという。まるで昭和40年代の子供みたいだ。

 新幹線に乗りたいだけなら、広島あたりはどうだろうと思った。というのは、1年前の秋の「ひぐらし大旅行」で広島に行ったときに「大和ミュージアム」に行けなかったのが心残りで、これは日を改めて行くつもりだったのだ。僕の病気のリハビリもさることながら、両親は最近、年のせいか旅行に対して消極的になっている。やる気を出した今こそ、外に連れ出す良い機会だと思った。

 というわけで、広島行き決定。日程は、3月18、19、20日。2泊3日の旅である。ホテルや新幹線の切符の予約も、割とスムーズにできた。12月頃の何も出来なかった時期に比べたら、旅行の計画を立てられるなんてすごい進歩だと、ささやかな喜びに浸った。

初日の東京駅。
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新幹線から見た富士山。お袋はこれだけで大興奮である。窓側の席を取ってよかった。
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新幹線の中で食べた牛すき重弁当。旨かった。
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広島に到着したのは13:00頃。
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姉の愛犬の話(3) [雑文]

 ルナが2月10日に死んだあと、姉は2月22日に新しい犬を買った。「ルナはもう帰ってこないけど、ルナの魂がまだ近くをさまよっているうちに、それを引き継ぐものが欲しくなった」とは姉の弁。 ・・・なるほど確かに、そういう心境なら、それは急いだ方がいい。

 「ルナの魂が別の犬に乗り移ろうとする場合、その犬が元々持っていた魂と、どのように折り合いをつけるのか」などと思ってしまったが、この際、そういう細かい突っ込みはやめておこう。身内を亡くした人は、心にぽっかりと空いた穴を埋めるために、いろいろ考えるものなのだ。

 というわけで、千葉に東京湾観音を見に行ったついでに、姉の家に遊びに行き、早速新しい子犬に会ってきた。名前は「ナナ」。下の写真は、ペットショップにいたときの写真。小っちゃくて可愛い~~~。
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 姉の家に行ったのは3月7日。このときは、まだ散歩に連れ出そうと思っても、おびえてしまって、地面に立たせても、全然動こうとしない。そのおびえ方がまた可愛い。(その後幾日か経って歩けるようになったとのこと)
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 散歩はアベルも一緒に行くので、アベルは僕が持ち、ナナは姉が抱っこして散歩した。アベルは、散歩中はずっと小走りなのでシャッターチャンスを捉えるのが難しい。
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 しかし、それにしても・・・。なんて可愛いんだろう。
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 もうメロメロである。
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 この日は姉の家に泊めてもらった。下の写真は翌朝、おはようを言いに階段を上って来たアベル。
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観音崎と東京湾観音 [雑文]

 内房の佐貫町というところに、東京湾観音という大きな観音様が立っている。東京湾に沿って車で南の方へ走れば見える。僕は千葉県市原市の出身で、子供の頃から遠足やドライブのときに、何度か姿を目にする機会はあったが、実際にそこを訪れたことが一度も無かった。リハビリの機会なので、牛久大仏に続いて、ここに行ってみることにした。

 グーグルの地図で場所を確認していてふと思った。東京湾観音のある佐貫町というところは対岸の三浦半島の東端、観音崎(横須賀市)とかなり接近している。浦賀水道をはさんで5kmくらいしか離れていない。ならば、観音崎から東京湾観音が見えるのではなかろうか。
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 というわけで、まずは三浦半島の観音崎から東を眺めてみることにした。3月4日、京浜急行浦賀線の馬堀海岸駅で降りて、片道約1時間。海岸沿いを歩き、観音崎灯台に到着。ここから東を見てみた。肉眼で微かに東京湾観音が見える。やっぱりね。自分の予想が当たると結構楽しかったりする。
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 ズームで拡大するとこんな感じ。観音様は南を向いて立っているようだ。
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 翌日3月5日。横浜からアクアラインバスに乗って木更津へ行き、そこから内房線に乗って佐貫町で下車。片道約30分で東京湾観音へ。国道465号線から分岐して東京湾観音に行くためだけの道がある。
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 1961年に東京の材木商、宇佐美政衛が建立した。高さは56mある。
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 胎内は螺旋階段になっていて、上の方の展望台に登れるようになっている。ただ展望は別として胎内の雰囲気は、階段が延々と続いていて、意外と殺風景だった。入口近くの壁に、建立の趣意を彫った碑が埋め込んである。
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観世音像建立趣意

天下景勝地の埋れ居るを惜しみ 是れを開き
観世音像を建立し 全世界の戦死戦災死者の霊を祭り
平和の女神として 信仰と観光に寄与し
国運の進展と 精神文化向上に貢献せんとす

昭和三十六年八月
建立者 東京都江東区冬木町
宇佐美政衛

 東京湾観音が南を向いて立っているのは、太平洋戦争のときに南方の戦線で戦死した兵士の鎮魂のためではないだろうか。それが書かれている資料が見つからなかったが、少なくとも僕はそのように解釈した。


【蛇足】
 横須賀の「観音崎」という地名と「東京湾観音」には関連性がない。念のため。

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東京スカイツリー [雑文]

 東京スカイツリーが開業したのは2012年5月だった。僕は開業の2か月前に行って下から眺めたことがあるが、それっきり行っていなかったので、今回リハビリにかこつけて行ってみることにした。

 3月3日。とりあえず浅草の浅草寺へお参り。仲見世通りは平日だと言うのに、大変な賑いである。よくみると外国人観光客(特にアジア系)が大半のようだ。
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 東京スカイツリーへ電車で行くには、浅草から東武線に乗って、ひと駅目の「とうきょうスカイツリー」という駅で降りればよい。ただし今回はウォーキングが目的だったので、浅草から歩くことにした。まあ大した距離ではない。
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 展望台は2か所ある。350m部分には「展望デッキ」、450m部分には「展望回廊」という名前がついている。まず350mの所まで2060円払ってエレベーターに乗る。
うわ~~~高い!
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さらに1030円はらって450mの展望回廊へ。
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 窓の外に窓掃除のゴンドラがぶら下がって掃除をしているのを見てビックリ。あの細いワイヤーで大丈夫なのかと心配になる。女の子たちがキャーキャー言っていた。まるでスターだ。(下の写真、わかりにくいが、窓の外に青いヘルメットをかぶった掃除のお兄さんがいる)
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 展望は350m付近よりも高いことは高いのだが、写真ではこの差があまり伝わらない。
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 なお、展望デッキは一部がガラス張りの床(下が丸見え)になっていて、そこに乗ることができる。しかし、ここには恐ろしくて乗れなかった。なんだか踏んだ途端にガラスがバリッと割れそうな気がする。意外にいくじなしな自分にがっかり。次回来たときはリベンジしたい。

 下の写真はおみやげ屋で買ったキーホルダー。
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それから冷たくなると色が変わるグラス。
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牛久大仏 [雑文]

 茨城県の牛久に大仏があることは、以前から知っていて、いつか行ってみたいと思っていた。病気療養で衰えた体力を回復するため、2月の初めからあちこちウォーキングをしているが、この機会に牛久大仏にも行ってみることにした。

 2月25日。上野から常磐線に乗り、「ひたち野うしく」という駅で降りて、片道で徒歩2時間の道のりである。
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 歩いて行くと、畑の真ん中に巨大な仏像が見えてくる。基本的に交通の便の良いところではない。車を使っていく場所だと思うが、今回はウォーキングが目的であり、2時間の距離はちょうど良い。

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 牛久大仏は寺院ではなく、浄土真宗東本願寺派の「牛久浄苑」という霊園の中に作られた阿弥陀如来である。パンチパーマの一粒(螺髪という)がなんと直径1メートル。重さが200㎏、個数が480個。
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 正面からみた姿。
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 間近から見上げると、また一段と迫力がある。
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 大仏の胎内に入れるようになっていて、中には、永代供養の部屋とか写経の部屋があったり、釈尊の生涯や工事の記録などの展示室があったりする。中でも一番目を引いたのは、この仏像の工法の説明展示だった。カーテンウォール工法という技術が使われている。これは、鉄骨の骨組ですべての荷重を支える方法。つまり外壁には建物の荷重をかけない構造になっていて、高層建築に適した工法なのだそうだ。興味のある方は「カーテンウォール」で検索されたし。

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 昔からある巨大な仏像、例えば奈良の大仏は、外壁に少しずつ銅を流し込んで鋳造し、外壁そのものが全体の重さを支える構造体になっている。しかし牛久大仏は立像であって、高さが120mもある。奈良の大仏と同じ工法を使うと、かなりの重量になって、不安定になって倒れてしまうかも知れないし、必要な銅の量もかなり多くなりそうだ。カーテンウォール工法を使ったこの大仏では、外壁(つまり大仏の姿そのものの部分)の厚さはわずか6㎜だそうだ。仮に100分の1に縮小したとすれば、背の高さは、1.2m、外壁の厚さは0.06㎜になる。つまり牛久大仏は、アルミホイルで作った仏像を巨大化させたような作りになっているのだ。

 なるほど、この方法であれば、高層ビルの耐震のノウハウを使って背の高い仏像も作れるわけだ。奈良時代に東大寺の大仏を作った技術も大したものだと思うが、こちらもすごい。現代には現代のやり方があるのだな、と感心した。


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