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雲取山(4) [登山]

 今回、奥多摩に初めて行って気づいたことがあるので書いておきたい。登山道にある山小屋のトイレを3か所ほど使ったが、他の山域に比べて、衛生状態が悪い印象を受けた。お食事中の人にご迷惑がかかるので、詳細な描写は控えるが、便壺の中を覗き込むとビックリする。(これ以上はもう書けない)

 山のトイレを維持管理するのは地方自治体や山小屋の経営者の仕事であろうし、我々登山者は彼らの整備した山で遊ばせてもらっているのだと思えば、トイレが悪いから何とかせえ、などと言える立場ではない。しかし、山を観光資源として位置付けている自治体なら、登山者を観光客として考えそこに呼び込もうとする。つまり山をどれほど重要視するかで、登山の環境整備に差が出るのだと思う。その差に興味がある。

 例えば山梨県の南アルプス市である。そもそも市の名前からして、一種の覚悟を感じるではないか。「おらがとこには山しかねえずら」と言ったかどうかは知らないが、地域起こしをやろうと思えば、山に登山客を呼び込むのが一番手っ取り早いことだけは、地図を見れば明らかである。ならば山の環境整備にお金をかけるのは当然であろう。実際、甲斐駒ケ岳や仙丈ケ岳の登山口にあたる北沢峠には、僕は何度も行ったが、インフラは立派なものだと思う。

 それに比べて、東京は山が第一ではないのだろう。まあそりゃそうだ。大都会を抱えていれば、山のトイレを整備するより大事な事案がたくさんあるだろう。それぞれの自治体にそれぞれの財政事情があるから、東京を責めるつもりはない。

***
 我々が雲取山から下山した4月30日、富士山がユネスコの世界文化遺産に登録される見通しであるとのニュースがあった。こうなった場合、観光客(登山客)が大幅に増えることが予想される。過去の例では1993年に屋久島が世界自然遺産に登録されたとき、観光客が大幅に増え、自然破壊が進み、特にトイレのし尿処理の問題が深刻化したという。

 富士山はこれから、入山料を取った方がよいという意見が出ているらしい。基本的に僕も賛成なのだが、その辺の考えをちょっと書いてみたい。

 山に行くと、平地で生活しているときに無意識にしていることが簡単にいかなくなることがあるもので、それは簡単にいうと、ゴミの問題と排泄の問題である。そのうちゴミに関しては持ち帰ればよく、山に慣れていない人でも意識付け一つで比較的簡単に解決する。これに対して排泄の問題は難しい。町で生活しているときは、下水処理のインフラが整っているおかげで、自分の排泄物がどこに行くのかを全く気にする必要がなくなっている。しかし山に行けば、事情は全く異なる。詳しくは「富士山頂トイレ」で検索されたい。

 登山者の排泄物を処理するのにはお金がかかる。お金がなければトイレは荒れる。つまり富士山のトイレを充実させる目的のために、ぜひ入山料をとるべきだと思うのだ。平成24年の夏季に富士山に登った人は30万人だったという。世界遺産に登録されれば、登山者は今より増えるだろう。そうすればトイレの問題はさらに深刻化する。入山料を取ることによって登山者数が増えすぎるのを抑える効果もあると思う。

 では値段はいくらにするか? ざっと考えて5000円~10000円の間ではないだろうか。この価格帯は食事つきの山小屋に一泊する程度の値段なので、そのように割り切れば、さほど抵抗はないと思う。例えば1シーズンで20万人の登山者が5000円ずつ払えば、収入は10億円。毎年これだけの金額が集まれば、トイレの整備はかなり楽になると思う。不満を言う人もいるかも知れないが、そこは世界遺産としての価値を考えて、事情をきちんと説明する。そうすれば、「まあしょうがねえな」と払ってくれると思う。

***
 ということで、奥多摩のトイレ事情を書いたついでに富士山の話に飛んでしまったが、総じて雲取山はいい山だった。奥多摩小屋も面白い小屋で楽しかった。次回は、秋頃、紅葉の頃に行きたい。そのときは今回断念した、飛龍山を回って丹波の温泉に浸かるルートを是非まわりたいと思った。

 下の写真は、下山の途中、後山林道にて。(着ているTシャツと、リュックと、背景の新緑のカラーコーディネートがいいと姉におだてられて1枚撮った)
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雲取山(3) [登山]

■4月30日 奥多摩小屋→雲取山→三条ダルミ→三条の湯→お祭(バス停)→奥多摩駅

 歩きながら、山小屋のお兄さんの噂話をした。昨夜、我々が夕食をとっていたとき、お兄さんはずっとストーブの火の番をしてくれていた。・・・と僕は認識をしていたのだが、女性二人は違っていた。若奥様は、「何かお話がしたいのだ」と思いこみ、姉は「酒の仲間に入りたいのだ」と思いこみ、それぞれに話しかけたりワインをわけたりして気を使っていたという。僕は、どう考えても「火の番」が正解だと思っているが、何しろ寡黙な人なので、こんなふうに解釈が分かれ、たまに誤解されることもありそうだ。街で暮らすより山で暮らすのが似合っている人だと思った。(お兄さん、お世話になりました)

 雲取山の頂上。
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 ここに興味深い記念碑があった。
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雲取山 「原三角測点」
全国に設置されている三角点はわが国の測量の基準として利用されるばかりではなく、地殻変動を知る手がかりとしても重要な役割を果たしています。わが国における本格的な三角測量は明治の初期に当時の内務省地理局によって始められました。この雲取山にある「原三角点」は現在の形の一等三角点が設置される前、明治16年(1883年)に埋設された測量標識で、測量の歴史上貴重なものです。平成10年6月 建設省国土地理院
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 僕は山の上に埋設されている三角点を見ると、新田次郎の「劔岳<点の記>」の映画を思い出す。今では衛生測位システムがあって、宇宙から地上を見下ろして測量するが、昔は地面を実際に歩いて、険しい山に命がけで登り、三角形を書きながら地形を測定したのだ。

 柴崎芳太郎が、剱岳に登頂して三角点を設定したのが明治40年だった。雲取山の原三角点が設定されたのが明治16年ということは、江戸時代の伊能忠敬の後、明治の新体制になってから日本の国土をすべて測量するのに24年の歳月を要したということになろうか。まさに国家プロジェクトである。今、これだけの歳月をかけてやろうとしている国家プロジェクトってあるのだろうか、と考えてみたが、「福島の原発の廃炉に40年かかる」などという夢も希望も無い話しか思い浮かばない。

 雲取山のあと、飛龍山を回って丹波に下山する予定だったが、途中で雪に阻まれた。よってここは潔く諦め、三条ダルミから三条の湯を経由してお祭(バス停)に下山した。昨年の10月に仙丈ケ岳(3000m級)で同じようなことが起こった。今回の事で、もう春、秋の2000m級になったらメンバー全員で申し合わせて無条件にアイゼンを持って行かないとだめだと思った。何度も同じことを繰り返している。いいかげん、学習しないとだめだ、ホント。
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雲取山(2) [登山]

 奥多摩小屋は、素泊まりの小屋であり、予約は要らない。今回の計画を作った姉からそのことを聞いて、僕はちょっと心配になった。なにしろ時期がGWなので、登山客がたくさん押し寄せ、定員の2倍3倍なんてことになったら気を使ってしまって眠れない。念のために寝袋をもっていくことにした。

 奥多摩小屋に着いて中に入ると、若いお兄さんが「お泊りですか」と出迎えてくれた。宿帳を書きながら「GWに入ってから混んでますか」と聞くと、そうでもないという。この日も我々が最初だった。つまり我々の後に誰も来なければ貸切状態ということになる。(この晩は結局我々3人の他に、男性が一人だけだった)GWなのにそんなに空いているのが不思議で、「昨日の混み具合はどうでしたか」と聞くと、数人だったという。しかも「この小屋に泊まる人はあまりいないんです」と恥ずかしそうに言った。こんなことを言う山小屋スタッフは初めてである。全く商売っ気のないこの言葉が、非常に気に入ってしまった。

 この小屋は入口を入ってすぐのところに大部屋がある。素泊まりの小屋なので、食事は出ないが、各々が持参したものをここで食べられる。この日は、意外に寒く、お兄さんは薪ストーブを焚いてくれた。我々はそのストーブを囲んで夕食。ストーブの火をキープしてくれたお兄さんにもワインとつまみをおすそ分けした。築50年だというこの小屋は、古いことは古いが汚くはない。ぐっすりと快適に眠れた。

 山小屋の機能を改めて考えた。何を求めるかは、価値観の分かれるところだと思うが、僕は「よく眠れること」が最重要であると思っている。建物は新しいに越したことはないし、食事もおいしいに越したことはないが、ホテルではないのだから、さほど期待していない。しかし眠れない山小屋だけは困る。疲れがとれない状態で翌朝出発すれば事故につながるからである。山小屋では宿泊料を払って安眠・休息を買うのだと考えている。

 さて翌朝、大部屋の壁に、なんと星図が貼られているのに気付いた。
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 さらに書棚に、僕が中学生の頃に持っていた「反射望遠鏡の作り方」という本があった。懐かしい再会である。ついつい手にとって眺めてしまった。凹面鏡の研磨に関する本。憧れたんだよなあ。埃をかぶって、そこだけ時間が止まったような書棚だった。
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 どうやらこの小屋のオーナーは天文ファンらしい。奥多摩小屋のある場所は、七ツ石山と雲取山を結ぶ稜線にあり、視界を遮るものがない開けた場所である。(すぐ近くにヘリポートがあるくらいだ)星を見るのにいい場所だなと思った。

 小屋のある稜線から脇に3分くらい下ったところに水場がある。そこで水を汲み、予定よりも1時間遅れて6時に小屋を出発した。

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雲取山(1) [登山]

 今年のGWは、奥多摩の雲取山に行ってきた。標高は2017m。さほど高くはないが、さりとて低くもない。普通の山である。一体何を基準に低山とか高山とかいうのかと思い、WIKIでの「山地」という項目を調べたところ、高山というのはだいたい2000m以上、低山というのは500m以下、中山というのは1000m程度のことだという。この定義でいうなら雲取山は高山ということになる。

 今年2013年のGWは僕が登山を始めて4周年である。早いものだと思うが、今まで南アルプスと丹沢がメインで、奥多摩には行ったことがなかった。(実は今年の3月に奥多摩の高水三山というところに、姉と姪とハイキングに行ったが、さほど難しい山ではなく、事件も起きなかったので、山行記は省略)

 今回の日程は4月29日~30日、奥多摩小屋というところで一泊する。メンバーは3人。校長先生の若奥様と、僕の姉、それから僕である。最初に言い出したのは若奥様だったが、姉も以前からGWに雲取山に行こうと言っていたのでちょうどタイミングが合った。僕は最近、頭がすっかり天文で占められてしまっていて、山に行きたいとは思うが、山のことを優先的に考えられない状況に陥っている。こういうときは誘ってくれる人がいるのは有り難い。

■4月29日 奥多摩駅→東日原(バス停)→鷹ノ巣山→七ツ石山→奥多摩小屋(一泊)

 奥多摩の駅に朝の8:30に到着、バスで東日原(ひがしにっぱら)というところまでいく。バスを降りて普通に舗装された道路を歩いていくが、脇は沢である。その道路の、ある部分に階段が現れ、そこから沢に降りていく。それが登山口である。こういうのは珍しい。
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 沢をずっと登っていく。
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 何事もなく、鷹ノ巣山の頂上へ。晴れてはいたが、薄雲がかかり、遠くの山は見えなかった。南西の方向に富士山が見えるはずだったが・・・。残念。
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 七ツ石山を経由して、夕方、5時、奥多摩小屋に到着。
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丹沢縦走~原点回帰(5) [登山]

 檜洞丸から西側へ下山する。西の方向には富士山が見えるはずなのだが、残念ながら今回は雲が多くて見えない。しかしそのかわり、この斜面は紅葉がきれいだった。
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 標高が低くなるにつれ、だんだん川のせせらぎが聞こえてくる。
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 車道に出たところで、山道は終わり。
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 さて、この場所に年配の女性がいて、車道側から登山道を覗いている。なんだか挙動がおかしいのでちょっと心配になり、「どうかなさいましたか」と声をかけてみた。すると、「いえ、あの、ちょっと覗いているだけです」という。聞けばこの人は、昔はよくこの辺の山に登りに来ていたのだが、体を壊してしまって山登りができなくなってしまった。でも、時折こうやって散歩に来るのだという。きっと、昔登った檜洞丸が忘れられないのだろう。

 なんだか、今回は、みやま山荘のあの人といい、この女性といい、シビアな話が多い(笑)。今、山歩きができていることを幸せに思わないといけないな、と思った。

 西丹沢自然教室についたのは、ちょうど14時。みやま山荘を1時間早く出発した分、ちょうど1時間早くついた。これにて原点回帰の旅は終了。前回は大雨のせいで、慎重に歩いたため、西丹沢自然教室についたのが5時くらいになったが、今回は順調。次回は冬、空気が澄みきった頃にでも、また歩きたい。
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丹沢縦走~原点回帰(4) [登山]

 塔ノ岳~丹沢山~蛭が岳~黍殻山~焼山と南北方向に連なる尾根を、「丹沢主脈」といい、蛭ケ岳~檜洞丸~大室山~菰釣山と西の方にのびた尾根を「丹沢主稜」という。蛭ケ岳は、「主脈」から「主稜」が分岐する位置にある。しかも丹沢山地の中で一番高い。そういう意味で丹沢山地の主峰は蛭ケ岳と言ってもおかしくはない。どうしてこの峰に丹沢山という名前がつかなかったんだろう。素朴な疑問である。
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 調べてみたら、明治時代の測量時代(つまり新田次郎の「劒岳<点の記>」の時代)、たまたま、現在の丹沢山に一等三角点が設置されて、とりあえず仮称として丹沢山と名付けられた。その時の呼び名がそのまま残っているのだという。つまり地元で自然に発生した名前ではないのだ。山の名前なんていいかげんなもんだと思った。(笑)

 蛭ケ岳を西方向に降りるとき、警告の看板を二つも見た。地図にも危険を表す「危」のマークがついている。実際のところ一回滑った。さほど危ないとも思えない場所なのだが、30°位の急勾配がかなり長く続くので、注意力が散漫になり、忘れた頃にズルっと足を滑らせてしまうのだ。「危」のマークがついているのは、たぶん感覚的につけているのではなく、ここで事故がたくさん起こっているという意味なのだろう。特に真冬は危なそうだ。
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 下は、臼ケ岳から振り返ってみた蛭ケ岳。この写真の左側に見える尾根(目測でだいたい30°の勾配)が、上記の「危」の尾根と思われる。
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 檜洞丸に登る直前で、登山道の保守工事をみた。急勾配の部分にかけた階段を修理している。
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 前の記事で書いたが、人間が放っておいたとしても、自然は自分自身の巨大な力でどんどん変化していく。人間はこの巨大なエネルギーに逆らうことはできない。ただし人間が自らのために作った登山道を維持管理することは可能であるし、実際やらなければならないものである。我々登山者は、急勾配にかけられた梯子やクサリをなんの疑問ももたずに使わせてもらっているが、裏方さんの努力があることを忘れてはならないと思った。(この件については、このシリーズの最後の方でもう一度、話題に取り上げたい)

 檜洞丸の頂上で昼食。今回はチキンラーメン。
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 お隣さんも、なにか麺を茹でている。ボンベのすぐ近くに○○ラーメンと書かれた袋が写っている。これはどんなラーメンだったんだろう。今になって急に気になってきた。聞いておけばよかった。(笑)
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丹沢縦走~原点回帰(3) [登山]

 みやま山荘では食堂の隣に、宿泊客がテレビを見たり本を読んだりできる小さなサロンがある。そこで出会った人から興味深い話を聞いた。63歳だというその男性は、10年前に奥さんに先立たれてしまい、一人になってから登山を始めたのだそうだ。しかも数年前に癌の診断を受け、一旦は治癒したが現在経過観察中。その人が言った。「人間は年をとったら癌で死ぬのが一番幸せだ。自分の死期が自分でわかるから」

 深い話である。今までそんなことを考えたことはなかった。しかし意味はよくわかる。「余命何か月」と医師が宣告するのはたいてい癌だ。それ以外の病気ではそういう話は聞かない。つまり死期が明確にわかるのは、死亡率の高い癌という病気の、ひとつの特徴である。この特徴は、若い人にとってはつらいが、死を覚悟した人の立場から見れば、これによって計画的な死に方ができることを意味する。

 常に死と向き合っている人だからこそ、このような境地に到達でき、しかも自信をもって人に語れるのだろう。いい話を聞いた。この話は若い頃に聞いたら、心に響かなかったと思う。要するに僕もそういうことを考える年齢になったということである。

 翌日。下の写真は朝食の炊き込みご飯。これも旨かった。
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 計画では7時に出発する予定だったが、朝食も早く済んだので、1時間繰り上げて6時に出発した。

 下の写真は棚沢の頭付近から振り返って見た丹沢山。登山道の通った尾根のあたりはクマザサにきれいに覆われているが、急斜面の部分は崩落した跡がある。山はこのようないわゆる浸食によって少しずつ形を変えていくものなのだ。山に人間が入り込むことによる自然破壊がよく言われるが、仮に人間が放っておいたとしても、自然は自分自身の巨大な力で姿を変えていく。そういえば昔、ギリシャのヘラクレイトスという人が「万物は流転する」と言ったそうな。
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 前の方の蛭ケ岳の山頂は雲をかぶってしまっている。
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 北東の方向には宮ケ瀬湖が見える。
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 蛭ケ岳の山頂に到着。本来、眺望がすばらしいはずなのだが、前回も今回も何も見えなかった。残念だ。
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丹沢縦走~原点回帰(2) [登山]

 三ノ塔から北西の方向を望む。先の記事に、今回のコースは2009年5月に行ったコースと同じと書いた。実はヤビツ峠から塔ノ岳に登ったあと、大倉尾根を通って下山するコースであれば日帰りができるので、その後何回か通っている。そのたびに、この三ノ塔から塔ノ岳につづく尾根筋の景色を見てきた。今ではこの景色は、僕の心の原風景のようになっている。ああ好きだなあ。
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 書策小屋跡のテーブルで昼食。向こうに見えているのは、秦野方面。
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 今回は白粥にしてみた。なんでまた白粥なのかというと、東日本大震災のあと、日本中で防災意識が高まり、アルファ米の在庫が底をついたことがあったのである。登山用品のお店でもほとんどなかった。ただ白粥の在庫だけはあったので、それを買っておいたのだった。食べないままでおいておくのもなんだから今回、食べてみた。しかし、残念なことにあんまりおいしくない。やっぱり普通のアルファ米の方がいいや。となりのお兄さんは、なんと冷凍食品のピラフをフライパンに開けて、それを炒めている。おお。これはうまそーだ。(隣の家の食卓は気になるもの)
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 塔ノ岳まではいつもの通り。さあここから3年ぶりに丹沢山への道を歩く。
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 塔ノ岳から丹沢山までは1時間強の道のりである。この道は、クマザサ(隈笹)が多く、そのせいで丹沢山を遠目で見ると、山肌が黄緑色でなめらかで、とても上品である。
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 丹沢山の山頂に到着。みやま山荘にチェックインした。その日は平日だというのに布団2つに3人の割合とのことだった。3年前を思い出した。あのときはひどい大雨で、泊まり客は僕と、あと茨城から来たというSさんという人、たった2人だけだった。
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 みやま山荘は建物が新しく、しかも食事がおいしいと評判の山小屋である。下の写真は夕食。普通のホテルのような食事が出る。しかも、ご飯と味噌汁のおかわりは自由にできる。
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丹沢縦走~原点回帰(1) [登山]

 3年前の2009年5月に、ヤビツ峠→塔ノ岳→丹沢山→蛭ケ岳→檜洞丸→西丹沢自然教室のコースを縦走した。初めて自分でタイムテーブルを作って計画したコースであり、初めての単独行であり、しかも、初めて大雨の中を強引に歩き、初めて自然を怖いものと感じたのだった。それ以来、このときの山行を、自分にとっての登山の原点であると位置づけている。

 仙丈ケ岳リベンジに失敗して1週間後の11月2日~3日に、天候と相談し、この原点に回帰すべく、再び全く同じコースを歩いてみようと思い立った。

 このコースは全行程で2日かかるコースである。途中で山小屋に一泊する必要がある。(テント泊の選択肢はない。丹沢は幕営禁止)前回と同様に丹沢山の山頂にある「みやま山荘」を予約した。季節がいいので混むと思い、平日(金~土)で計画した。

 11月2日(当日)、小田原から秦野に向かう途中の小田急線の車窓から富士山がよく見える。
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 秦野駅のバス乗り場。平日だというのに登山者の長蛇の列ができている。さすがに行楽シーズンである。
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 ヤビツ峠に付きすぐにスタート。二ノ塔に行く途中で見える大山。
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 さて、二ノ塔に行く途中で、前の方で、初老の男性と女性が話をしながら登っていた。二人とも、たまたま出会った単独行者らしい。男の方がやたら話好きのようで、女の方が、つかまって話相手にさせられている。成り行きで近づいて話が聞こえてきたが、丹沢に関するウンチクを垂れ続けている。僕の嫌いなタイプである。聞き役にされたその人は、「お詳しいんですねえ。ガイドにでもなったらいかがですか」と皮肉めいたことを言っているが、男はそんなことにはおかまいなしに、なお、喋り続けている。

 その女性は僕が近づいたのを幸いに、僕に道を譲った。僕はその男のすぐ後ろを、しばらく歩くことになったが、聞き役が入れ替わっているのを知らずに「若い頃はもっと早く登れたんですが、今はすっかり年を取って遅くなってしまいました」とかなんとか。僕はどうでもいいので黙っていた。相手の返事が聞こえもしないのに、滔々と喋り続ける。これは相手などどうでもよい証拠である。とにかく一方的に自分のことを喋りたいだけなのだ。どうせ会話にならないのだから相手をする必要はない。

 やがて僕は、その男を追い越した。二ノ塔に着いて、しばらく休憩していると、その男が遅れてやってきた。そして、そこで休憩している人たちに向かって、誰にともなく「あと10分で三ノ塔です」などと言い、新しい犠牲者を物色している。「別に聞いてねえよ」と心の中で思った。(笑)

 下の写真は二ノ塔からみた富士山。小田急線からみたときよりも雲が出てしまった。
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仙丈ケ岳リベンジ(2) [登山]

 翌日、6:30に起床。テントに霜が降りている。
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 天気は晴れているが、小仙丈ケ岳を見上げると、昨日よりも雲が多くなっている。とにかく出発した。
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 大滝の頭(標高2500m程度のところ)についたのが、9:00。ここで登山道が分岐する。写真撮影のために左側(南側)のルートをとる。しかし、この場所から、なんと雪が現れた。これは予想外だった。今年は例年に比べて台風が多く、10月に入ってからもこの傾向が続いていた。ということは、平地では雨が多く、3000m級の山では、雪が降っていたということなのだろう。
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 姉は雪が苦手で、すぐに転ぶので、常に軽アイゼン(4本爪)をもっている。しかし僕はこのくらいの季節なら大丈夫とタカをくくり、持ってこなかった。(一応6本爪を持ってはいるのだが)

 姉がアイゼンをつけているときに、雪のある坂を試しに少し登って、降りてみた。すると、登りよりも下りの方が怖いことがわかった。下りはブレーキを掛けながら下りるものだがブレーキが効かない。脇に生えている木を手すり代わりにして降りた。

 これはまずいと思ったが、迷いながらも少し進んでみた。しかし、下山してくる人が何人もいる。聞いてみると、「もう無理だから諦めて降りてきた」とみんな言う。そうか。そうだろうな。うすうす感づいていたことである。この雪ではアイゼンなしでは到底無理なんだ。
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 「撤退」という2文字を認めたくなかったから、ずるずるとなんとなく進んでいたが、先に進んだ人が諦めてみんな帰ってくるのだから、我々が進んでも同じ結果になることは明らかである。「よし。仕方ない。下りよう!」
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 つらい決断だったが、北沢峠に降りて、その辺をぶらぶらと散歩した。夕方は駒仙小屋でおでんを買って、少し早いが姉の誕生日を祝って乾杯した。(もう一泊キャンプして翌日帰宅)
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 というわけである。リベンジは完璧に失敗だった。しかし、その代わり今までにない知見が得られた。日本アルプスに10月以降に行くなら、雪の可能性が否定できない。だからアイゼンを持参すべきだということ。(まあ、そうでもないという人もいるかも知れないが・・・)

 今回初めて味わった。険しい斜面で雪に遭遇したら、アイゼン無しでは、人間は完全にお手上げであるという厳しい現実。山行計画全体の成否を左右するほどの問題になる。しかも、パーティを組んでいて、ある人は持っている、ある人は持っていないという状況がある場合、持っている人は登れるのに、持っていない人は下山しなければならなくなる。ときには他の人を巻き込んで下山しなければならない。満足に歩けないけが人が発生したのと似た状況が生まれるわけである。こうなると持っていない人は完全にお荷物となる。

 来シーズンは10本爪アイゼンを購入することにしよう。(雪山に積極的に入山するつもりはないけど、万一の装備は必要だ) なお、姉の4本爪アイゼンは今回の雪には役に立たなかった。
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