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薬師岳に登る(1) [登山]

 姉の参加している山岳会の定期山行で、北アルプスの薬師岳に行く企画が有ると言う話を聞いた。昨年は剱岳に参加させてもらったが、今年も仲間に入れてもらうことにした。

 7月25日、23:00。東武線坂戸駅(埼玉県)で、メンバー全員4人が合流した。リーダーTさん、Fさん、姉、僕の4人である。関越自動車道から、上信越自動車道を経由して、日本海側へ。(ちなみに僕は20年来のペーパードライバーなので、昨年同様、運転は勘弁してもらった)

途中のパーキングエリアで仮眠をとり、北陸自動車道を立山インターで降りて南下。車の左側に北アルプス(飛騨山脈)の山並が見える。
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 登山口のある折立の駐車場に到着。ものすごく良い天気だ。
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 事前にリーダーのTさんから配られた計画では、
7月26日の早朝に折立を出発し、太郎平小屋で宿泊
7月27日 太郎平小屋→薬師岳→太郎平小屋→折立
・・・となっていた。初日の行程が5時間くらいしかなかったので、姉に、「なんで初日がこんなに短いんだろう」と聞いてみたら、「たぶん、Tさんが夜通し運転するから、体力に余裕を見ているんだと思う」と言っていた。

 しかし、26日の天気は写真の通り快晴。さらに、翌日27日はだいぶ悪そうな予報がでていた。「太郎平小屋まで行き、体力的に無理がなさそうだったら、今日中に薬師岳に登ってしまおう」とTさんから提案があり、全員が同意した。

7:00登山開始。登山口のところに、愛知大学の遭難者の慰霊碑がある。
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 太郎平小屋についたのは、11:00だった。
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 さて、ここで相談。みんなそこそこ体調がよいので、ここで小屋にチェックインし、荷物を一部預けて、今日中に薬師岳に登って降りてこようということになった。
(つづく)

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滝子山に登る(2) [登山]

(つづき)

 人の踏み跡もわからず、道標もほとんどなく、迷いそうで非常に怖かった。しかも雪のせいでかなり寒い。
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 頂上の手前で考えた。「下りも登りと同じように雪道で、道標が少ないかも知れない。そして道に迷い、日没になってしまったら遭難する可能性がある。そうならないように、下山は、いま来た道をそのまま戻った方が良いかもしれない」
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 この山の雪は、足を不用意に踏み込むと30センチくらい沈み込むような、柔らかい雪だった。アイゼンは持って行ったのだが、使う必要がなかった。下の写真は、雪に足が沈み込んだところ。(わかりにくい写真だが、右足の踵が見えている)こういう雪は体力を非常に消耗する。
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 14:15、予定よりも2時間近く遅れて頂上に到着。ついた途端に暖かい風を感じた。そのとき初めて気づいた。登り始めは滝子山の南側からだったが、沢は山の西側にあり、そこから、北側に回って頂上に到達するルートだった。北側だからこんなに雪が多かったのだ。
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 食事をして、下山を開始したのが15:00。南側の斜面は温かく、雪もあまりなく、楽だった。
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 下の写真は、大木が倒れているところ。これも雪崩の影響と思われる。雪の重みとは恐ろしいものだ。
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 麓に降りたのは、17:20。なんとか明るいうちに降りることができた。
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 今回の山行は、雪山の怖さを垣間見た。僕は雪山を本格的にやるつもりはないけれども、おそらくやっている人は、雪のないシーズンにその登山道を何度か通り、熟知してから雪のシーズンを迎えているはずだと思う。一度も通ったことのない道が雪に覆われていたら、危なくて歩けない。1600mの山でこうなのだから、もっと高い山は推して知るべし、である。いい経験になった。
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滝子山に登る(1) [登山]

 2014年3月29日、姉と滝子山(1620m)に登ってきた。朝8:30に中央本線の笹子駅に集合。
コースは、笹子駅→稲村神社→道証地蔵→沢を登る→北側の斜面経由→滝子山頂上→檜平→藤沢子神社→初狩駅。

 まずは林道を通って、道証(みちあかし)地蔵まで。
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 ここから沢に降りた。登山道が沢に沿って作られているが、予想以上に雪が多い。冬の間に降った雪は、春になって溶けて雪崩になって麓へ流れていく。そのとき滑り落ちた雪は沢に溜まっていく。そんなことは今まで考えたことがなかった。でも沢は水が集まる所なのだから、当然雪だって集まる。理屈ではそうだ。でも実際に見たのは初めてだった。しかも今年の冬は例年に比べて雪が多かった。だからなおさら雪が多いのだろう。
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 雪に覆われた沢の水は雪の下を流れている。
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 下の写真は、雪崩で、山の斜面が削れてしまっているところ。
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 生えていた木が根こそぎ削り取られ、禿げ山状態になっている。よく、「登山者が山に入るから山が削れていく。山の保護を考えたら登山者はいない方が良い」なんてことを言う人がたまにいる。僕も時折そんな気がすることもある。しかし人間の力よりはるかに巨大な、風雨の浸食の力によって、山はこうやってどんどん削られていくのだ。登山者が山を登ることなど、山にとってみれば蚊がとまった程度のものだろう。

(つづく)
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剱岳に登る(5) [登山]

 剱岳の頂上は、狭くて、石がごろごろしていて、人が大勢いて混雑している。そこに座ってお弁当を広げて・・・というような快適な場所ではない。しかも次から次へと登山者が来るのだから長居は無用。記念写真を撮ったら早々に下山した方がいい。

 下の写真は、下山ルートのカニのヨコバイの梯子を過ぎたあたり。タテバイよりもヨコバイの方が難しいと言われるようだが、印象はあまり変わらなかった。ただ一つ、最初の一歩の踏み出しの足場が見えないという特徴があって、これは先頭を行くNさんが位置を探り出してくれたので、それを後続へ伝言して行った。
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 映画の中で、長次郎の言うカッコいいセリフがある。「五年前、古田さんが剱岳に登ろうとして登れませんでした。今度もし柴崎さんが登れんでも、またいつか誰かが登ろうとやって来るやろねえ。誰も行かんかったら道はできんちゃ。柴崎さんとわしらが登りゃあ道は出来ます。剱岳はきっといつか誰かが登らにゃあいかん山なんじゃないがでしょうか」

 ~誰かが行かねば、道はできない~   この言葉は映画のキャッチコピーにもなった。この山に登って「本当にそうだよな」と思った。

 昔 “この山に初めて登った人” = “登れるルートを見つけた人” がいた。そして安全用の鎖をつけてくれた人がいた。今、登山ルートや道標を常にメンテしてくれる人がいる。出版社は詳細な登山地図やガイドブックを作ってくれる。山小屋は快適な宿泊設備を提供してくれる。”道ができる”とは、そういうことなのだ。
 それに加えてリュックや登山靴や合羽だって格段に進歩している。そうして今、僕らが剱岳に登れるのである。先駆者や行政や関連産業の仕事に思いを馳せると、頭の下がる思いである。

 剣山荘に下りたのが、12:10。この時点で2時間遅れ。帰り支度をして12:30に室堂ターミナルへ向けて出発。16:30の最終のバスに乗る予定だったが、やはりちょっと予定の立て方に無理があったようで、間に合わなかった。最悪の場合、ターミナルで野宿する覚悟を決めた。

 室堂ターミナルに隣接したホテル立山に行き、「バスに乗り遅れたから4人なんとか泊めてもらえないか」と頼んだところ、幸運にも空き部屋があり、しかも格安で泊めてくれた。やはり立山のホテルだけあって登山者に優しい。緊急避難を理解してくれている。山小屋みたいなホテルだ。
(剣山荘に入ったときは「ホテルみたいな山小屋だ」と思った)(^_^)

 部屋に入って、ホッとする4人。
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 大浴場で汗を流し、ホテルの豪華な夕食を食べ・・・。
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 ・・・柔らかい布団でぐっすり眠った。
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 翌朝7:30にチェックアウト。下の写真はお世話になったホテル立山。
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 あとは立山黒部アルペンルートを通り、扇沢経由で一日かけてゆっくり帰宅。結果2泊3日の山行になった。首都圏からだと、これくらいが無理のない計画だと思われる。

 剱岳に登ることが目的だったので、これが達成できて満足なのは当然としても、その他に立山黒部アルペンルートに初めて乗り、黒四ダムを初めて見たことで、観光としても楽しかった。また宿泊した山小屋「剣山荘」は今まで泊まった山小屋の中でも最高レベルだったと思うし、また困っていたところを助けてくれた「ホテル立山」のサービスにも大満足である。

 もう一つ。今回の山行は、姉の所属する山岳会の定例山行のメンバーに加えてもらったわけだが、Iさんの他の登山者に対する配慮とか、Nさんのリーダーシップに触れ、大変勉強になった。自分は今回の山行で、武道に例えるなら、ようやく入門期を脱して初段レベルになったような気がしているが、Nさん、Iさんは、五段くらいで弟子がいっぱいいそうな気がする。(仲間に入れてくれてありがとうございました)

 いい旅だった。下は剣山荘で買った記念バッジ。
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*****
【メモ】
 今回の記事を書いている過程で、「つるぎ」を表す漢字には、異体字がいくつかあって、それぞれの人がこだわりを持って「これ」と決めた字体を使っていることがわかった。興味深いのでメモとして書いておく。このブログの記事はこだわりを尊重して使いわけている。
■剱・・・正式な地名。「剱岳」「剱御前」「前剱」「剱沢」など。
■劒・・・小説のタイトル「劒岳<点の記>」。
■劔・・・映画のタイトル「劔岳<点の記>」。
■剣・・・(常用漢字)山小屋の名前「剣山荘」。
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剱岳に登る(4) [登山]

 2日目、8月17日、早朝5:20に剣山荘を出発した。頭にはヘルメット(全員)。腰にはビレイ用のベルトとカラビナ(姉と僕)である。怖い山だと聞いていたから、そこそこの装備はして行こうといろいろと考えて、落ち着いた結論がこの装備だった。なおヘルメットは剣山荘のレンタル品である。
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 ベルトとカラビナを付けた関係で、普段着ているチョッキを着られなくなった。結果、普段はチョッキの胸のポケットにいれているカメラはリュックの中に入れるしかなくなり、ここから先は写真が少なくなっている。幸いにしてNさんがたくさん撮ってくれたので助かった。6:50前剱に到着。下の写真は前剱からみた剱岳の頂上付近。赤い丸を付けたあたりに、今回のルートの最大の難所であるカニのタテバイ、カニのヨコバイがある。
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 さて、前剱~平蔵の頭~平蔵のコル~剱岳頂上の区間は、別山尾根の核心部で、険しいアップダウンの連続である。下の地図は、あるガイドブックの抜粋。赤い点線が登りで、緑の点線が下りである。登りと下りが完全に分離している。これはありがたい。登山道を整備した富山県に感謝したい。滑落事故防止に真剣に取り組んでいることが伺える。すれ違いは難しいのだ。
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 下の写真は平蔵の頭のあたりの下り。
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 少し話が反れるが、2009年6月の映画「劔岳<点の記>」が公開されたとき、これに合わせてヤマケイが剱岳の特集を組んだ。当時初心者だった僕は、この特集の中のカニのタテバイの写真を見て、心底ビビった。一体なんちゅうところを登っているのだ、と思った。下はその雑誌の写真。映画の中で長次郎が柴崎に「柴崎さん、あれが2つ目の剱御前から前剱を通っていく道です。頂上の手前はほぼ垂直の壁ですちゃ」というセリフがあるが「垂直の壁」とはまさしくここらへんのことであろう。
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 さて下の写真は、実際のカニのタテバイを下から見上げたもの。実際に現場に来てみたら、ちゃんと杭が打たれて、鎖もあり、足場も掴む所もちゃんとある。技術的に難しい場所ではなかった。あとは恐怖感さえ克服すればよいことになるが、ここまでの道があまりにも険しかったので、ここに来た時点でもう恐怖感がすっかり麻痺していたような気もする。
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 こちらは、タテバイを登り切ったところ。この岩壁は50mほどの高さがあるそうだが、必死だったので、そのような距離感は記憶にない。(もっとも、どこからどこまでが50mなのかわからないけど)
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 ということで8:50 に頂上に到着。 やったぜ!! みんなで握手した。
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剱岳に登る(3) [登山]

 室堂ターミナルからは、剱御前を通って、山小屋の剣山荘を目指す。下は室堂のミクリガ池。
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 雷鳥沢キャンプ場。夏休みシーズンだけあって中学生、高校生くらいの若い人がたくさんキャンプを張っていた。
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 キャンプ場を過ぎて別山乗越を目指して登る。
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 別山乗越の剱御前小屋を過ぎたところで、いよいよ剱岳が見えてきた。クリックすると拡大できるので是非拡大してみていただきたい。この岩肌のトゲトゲしさは、普通の山とは明らかに違う。遠くから見ても何か恐ろしげな、人を容易に寄せ付けない厳しさを感じるではないか。昔の人が立山信仰でこの山を「針の山」と位置付けたのは、まさにこのイメージなのだと思う。左下の茶色の屋根が我々の泊まる剣山荘である。
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 剱澤小屋から剣山荘に行く途中。雪渓を渡る。
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 高山植物が一面に咲いている。普段植物にあまり興味がない方だが、これだけ咲いているとさすがにきれいで、感動する。
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 剣山荘に到着。山小屋とは思えない。ホテルみたいに快適だった。夕食もおいしかった。
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剱岳に登る(2) [登山]

 初日8月16日の早朝、車で中央高速を通って長野県扇沢まで。ここから立山黒部アルペンルートに乗る。このルートはトロリーバスやケーブルカーやロープウエイといった複数の交通機関から成り、飛騨山脈を貫通して長野と富山を結ぶ唯一の道になっている。長野の扇沢から黒部ダムまでの経路は、黒四ダムの建設資材を運ぶルートだったものを、工事終了後に民間に開放したもの。黒部湖から立山までは、山岳観光や登山のために作ったものだそうだ。

 「黒部ダム」という駅から「黒部湖」という駅までは徒歩になるが、この区間がまさに、黒四ダムの縁を歩くコースになっている。
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 左からIさん、Nさん、姉。
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 ケーブルカー。立山黒部貫光(株)という字が見えるだろうか。これが立山黒部アルペンルートを運営する会社の名前である。「観光」ではなく「貫光」と書くあたり、いかにも「トンネルを掘りました」って感じのネーミングだ。
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 それからロープウエイ。このロープウエイは景観保護のため支柱が全くない。これは素晴らしいことだと思う。写真でみるとわかるがロープだけならさほど目立たないものだ。
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 そう考えると丹沢の大山は、送電線の鉄塔だらけだ。生活のために必要なものであっても、山にああいう人工物が何の遠慮も無しにたくさん立っていると山の景観という観点でみれば台無しである。

 室堂ターミナルに到着。
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 向こうに見えているのは立山の主峰。ターミナルは登山者と一般観光客で大変賑わっている。
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(つづく)
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剱岳に登る(1) [登山]

 2009年6月、新田次郎の「劒岳<点の記>」という小説が映画化された。僕はこれを見て大変感動し、いつかこの山に登ってみたいと思った。ただ、「日本で一般人が登る山の中では危険度は最高レベル」と言われる山だから、そう簡単に行けるものではないだろうなとも思っていた。
(参考)過去記事のURL
「劔岳<点の記>」を観た
http://shonankit.blog.so-net.ne.jp/2009-07-20

 それから4年が過ぎ、今年の始めに、姉の所属する山岳会の定例山行の行先が剱岳に決まったと聞いた。これはチャンスだと思ったので、会員ではないが特例で是非参加させて欲しいと頼んでおいた。4年も経験を積んだのだから、もうそろそろ行ってもいい頃かなと思ったのだ。山行は8月に決まった。メンバーはNさん、Iさん、姉、僕の4名である。

 剱岳のことを知らない人のために、ちょっとだけ解説。この山は、日本地図の最後の空白点、つまり前人未踏の地として、最後まで残った場所だった。これには山自体が険しくて容易に登れないという物理的な理由のほかに、宗教的な理由があった。つまり立山信仰で剱岳は死の山(針の山)であって、人間が登ってはいけない山であると位置づけられていたのである。

 小説「劒岳<点の記>」によると、明治40年、帝国陸軍の陸地測量部が剱岳に公式に初登頂に成功した。この時期、つまり日露戦争直後のタイミングで登頂したのは、表向きには国防上の理由だったが、裏には、同時期に設立された日本山岳会との競争があった。遊びで山登りをやっている連中に帝国陸軍が遅れをとってはならないという、いわば軍人のメンツを保つために、陸地測量部が使われたということである。

 ただしこの小説は、創作と事実の乖離が大きいようだ。小説では、日本山岳会の登頂は、陸地測量部にわずかに遅れ、陸地測量部が勝利したということになっている。しかし実際に日本山岳会が登頂したのは、陸地測量部が登った2年後であったという。つまり小説の中に描かれている先陣争いは、物語を面白くするための脚色らしい。

 映画の中のセリフで、案内人の宇治長次郎は、陸地測量部の柴崎芳太郎に、剱岳に登頂する経路は次の3通りが考えられると話している。これらは現代でも、登山者が使う経路になっている。
1)西側へ伸びた長い尾根に取り付いて登る道(早月尾根ルート)
2)剱御前から尾根伝いに剱岳を目指す道(別山尾根ルート)
3)剱沢へ降りて東面から取り付く道(長次郎谷ルート)
 
 映画では、3)の経路で登った。今回我々は2)の別山尾根を通って登る。

(つづく)
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八ヶ岳 再び(2) [登山]

 硫黄岳から横岳へ。下の写真は、横岳を過ぎたところから見た赤岳。この写真は、久々の傑作だと思う。
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 途中に見える山小屋は、赤岳展望荘。初日はここに一泊する。到着してみたら、ものすごい混み方だった。こんなところで一晩過ごさないといけないのか。どうしてこの混雑の中で、みんな楽しそうな顔をしているのか不思議だった。寝床には50㎝間隔で枕が並んでおり、もう目の前が真っ暗になった。こんなところで眠れるわけがない。人が来る前に少しでも眠っておこうと思い、まだ日があるうちにすぐに寝床に入ってしまった。

 ただ、幸いにして、僕の左隣には人が結局来なかった。満室ではなかったらしい。しかし姉の右側の男は、イビキがうるさく、しかもワキガのにおいが酷かったそうである。姉は「あんな臭くてうるさいやつに、結婚相手なんか見つかるもんか」と怒っていた。山小屋でイビキのうるさい人は珍しくないが、ワキガの臭い人の話は初めて聞いた。

 翌朝、山小屋の窓から見上げた赤岳と、遠くに見えた富士山。
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 山小屋を出発し、急勾配を登る。急ではあるけれども単調であり、さほど難しくはない。間もなく頂上に到着。
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 赤岳の頂上からは、南アルプスがよく見えた。2年前に来たときは、登った途端に頂上が雲に覆われてしまい、遠くが全く見えなくなった。やはり遠景を見たいのであれば、雲が麓に沈んでいる午前中がいい。昼を過ぎると、どうしても雲が上がってきて視界が悪くなる。(写真は次の阿弥陀岳から撮ったものの方が良いのが撮れた)

 赤岳を降りて中岳に向かう。下は中岳からみた阿弥陀岳。この景色の中に、梯子が見えるだろうか。前の記事に書いた通り、2年前は足が限界に達したときに、この梯子とそこから上に続く急勾配を見て、心が折れてしまったのだった。しかし今年は元気いっぱいである。さあ行くぞ。
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 中岳のコルに降りてみたら、何やらみんなリュックを下ろしてそこに置いている。どうやら、登ってから同じコースを降りてくる人が多いようだ。勾配が急なので、たしかに身軽になった方がよさそうだ。我々も、そのやり方を真似ることにした。阿弥陀岳は急ではあったが、登りも下りも特別に危険だとは感じなかった。また赤岳に比べて適度な難しさがあって、それが結構楽しかった。

 下は頂上からみた南アルプス。鳳凰三山の地蔵岳のオベリスク、北岳、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳が見える。
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 赤岳の頂上と阿弥陀岳の頂上は位置が近いので見える遠景も似ている。ただ赤岳の頂上は尖っていてあまり動きがとれないのに対し、阿弥陀岳の頂上には自由に動ける広さがあって、解放感がある。

 阿弥陀岳から中岳のコルまで下りて置いたリュックを拾い、行者小屋経由で美濃戸に下山した。

 そんなわけで、2年前に登り残した阿弥陀岳のリベンジは、今回は大成功だった。以下はこれから登る人へお勧めポイント(まとめ)である。

1)美濃戸から入山して硫黄岳から赤岳展望荘に泊まったのは体力的にちょうどよかった。
2)阿弥陀岳は登るのも下るのも適度な難しさがあって楽しい山だった。
3)登った時間帯が午前中で雲がなく眺望が非常に良かった。(我々が行者小屋に降りた頃には頂上は雲に覆われていた)
4)阿弥陀岳に登るときはリュックを中岳のコルに置いた方がいいが、喉が渇くので水は持って行った方がいい。

 下の写真は、美濃戸で買った記念バッジ。
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(おわり)
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八ヶ岳 再び(1) [登山]

 最近は、興味がラジオや天文にシフトしていて、登山のことが考えられない。興味を失ったわけではなく、行きたい山はたくさんあるのだが、僕の頭の容量の問題で、同時に処理できるテーマがさほど多くはないということである。そういうわけなので今年の登山は姉に誘われるままである。先日、7月20日~21日で八ヶ岳に行ってきた。

 実は八ヶ岳は、2年前に単独行で行ってきたが、計画を完全にこなせなかった。赤岳鉱泉にキャンプを張り、硫黄岳、横岳、赤岳、中岳、阿弥陀岳と回り、赤岳鉱泉に戻る予定を組んだが、阿弥陀岳に昇る手前で、足に限界が来てしまった。やむなくここで下山し、赤岳鉱泉のキャンプに戻った。しかもその夜、尿管結石の腹痛に襲われ、翌朝、ほうほうのていで下山し、しかも姉に諏訪まで向かえに来てもらったと言う情けない結果に終わってしまった。

 阿弥陀岳が残ってしまったので、今年はリベンジしようと思っていた。姉の方はというと、山岳会に入って活動している割には、今までなぜか八ヶ岳には縁がなかった。相談した結果、コースは僕が2年前に登ったコースに非常に近いものになった。ただしキャンプを張るのはやめ、山小屋に泊まることにした。具体的には下記の通り。

1日目 車で美濃戸まで⇒赤岳鉱泉⇒硫黄岳⇒横岳⇒赤岳展望荘
2日目 赤岳⇒中岳⇒阿弥陀岳⇒行者小屋⇒美濃戸

 前日、千葉の姉の家に泊まり、当日の早朝4時に出発。首都高速を通って中央高速経由で諏訪まで。美濃戸の「やまのこ村」に着いたのは、7時。たったの3時間で着いてしまった。速い。さて登山開始。

 美濃戸から赤岳鉱泉に至るまでの道は、険しくはないけれど、2年前のあの日、腹痛をこらえながら下山したことを思い出し、よく2時間も歩いたものだと感慨を新たにした。ここは沢歩きで、本来なら川のせせらぎが耳に心地良いはずなのだが、腹痛のためにただの騒音にしか聞こえなかったのを覚えている。自然の中に一人だけ取り残される恐怖も感じた。登山というレジャーはお手軽ではあるが、他と違って、トラブルが起こったときに途中でやめるということができない。そういう意味では過酷である。

 赤岳鉱泉を通過して硫黄岳に向かう。下の写真は、途中の「赤岩の頭」から見た北アルプス。僕は目が悪くて、肉眼では見えないが、ズームで撮るとちゃんと槍が写っている。
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 硫黄岳の山頂から、赤岳、中岳、阿弥陀岳の並びがよく見える。
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 この写真で、阿弥陀岳の斜面に赤いマークを付けてみた。だいたい45°くらいの斜度がある。このブログの読者には山登りをやらない人もいるので、その人たち向けの説明になるが、45°の傾斜とはどんな傾斜かを説明しておこうと思う。以前書いたような気もするが念のため。

 誰でも日常生活で、普通に階段の上り下りをしているが、現代の建築物で通常の階段は、僕が見たところ、だいたい30°~35°くらいの角度に作られているようだ。ごく稀に45°くらいの階段があるが、これはおそらく安全基準が定まっていない古い時代に作られたものだと思う。古いお寺や神社の階段にはこういうのが結構ある。45°の階段の上り下りは、手すりがなければ怖くてできない。上から下を見下ろせば、断崖絶壁みたいで、転げ落ちそうな気がするし、実際に転げ落ちたらタダでは済まないだろう。

 階段と違って、山の斜面が平均45°に見えるということは45°よりも傾斜の緩やかな場所もあるし、急な所もあるわけで、そうして平均45°に見える。逆に言えば遠くからみて45°に見えるなら、それだけで、そこは相当に険しい場所だということがわかる。つまり「限界まで疲れているときに、間近でこの傾斜を見たら、とても登れる気がしない」ということが言いたかった。2年前に断念したのはまさにそれが理由だった。

(つづく)
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