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源氏物語を読みたい(2) [読書]

 「あさきゆめみし」を読んで気づいた時代のギャップの中で、もっとも重大と思われること、それは、「平安時代は医療が未発達で、人が病気で簡単に死ぬ」という厳しい現実だった。(注1)現代では、病気にかかったときは、病院に行けばお医者さんがいて、いろいろ調べて治療してくれる。しかし平安時代では、病気の治療イコール祈祷であった。僧侶を呼んで御仏に祈ることしか方法がなかったのである。そんなことで病気が治るわけがない。少なくとも現代人の我々はそう承知している。

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 主人公の光源氏を生んだ桐壺の更衣という人は、もともとそんなに健康な人では無かった。そこへ加えて、帝の寵愛を一身にうけたことから、周囲の女御・更衣の反感を買って陰湿なイジメに遭い、ストレスから病気になってしまった。その病名がなんなのかはわからないが、とにかく光源氏が三歳のときに死んでしまった。

 ちなみに女御とか更衣というのは、帝の夜の相手をする女性である。帝のお后候補になる人だから大臣の娘など地位の高い女性達であり、いわゆる市井の娼婦などとは違う。こういう人達を後宮に何人も住まわせて、帝が順番に回って夜の営みをするということが行われていた。なぜこういう制度があったかというと、それは端的に言えば、人が簡単に死ぬからだと言ってよいと思う。

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 こんな時代では、乳幼児の死亡率だって非常に高かったと思う。帝のお后が一人の場合、その人に子供が出来ないかも知れないし、お后が子供を産む前に死んでしまうかも知れない。生んだとしてもその子供がすぐに死んでしまうかもしれない。そうなれば皇統が途絶えてしまう。皇室はこれを恐れ、強大な権力を背景にお后候補(女御・更衣)を何人も持って、子供をたくさん産ませたのだろう。

 言ってみれば、人海戦術によるバックアップ体制を構築(注3)しているわけで、現代の我々の感覚からすれば、考えられないことである。(注2)しかし医療が発達していない時代において皇室がその血を絶やさないためには、とにかく子供の人数を稼ぐしか方法がなかったのだろう。以前の僕は、ただ単に昔の権力者が肉欲丸出しの助平だからこういうことをするのだと思っていた。もちろんそれもあったとは思う。が、そうそう単純ではないことが良くわかった。

(つづく)

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(注1)人生50年、なんて言われていた時代があった。これは40代、50代になると、現代で言うところの成人病(生活習慣病)にかかり、医療が未発達の頃はこれに抗う術がなかったということなのだろう。昔の人が今に比べて早婚だったというのも、これで説明がつく。子供が作れる体になったらさっさと作っておかないと、あっという間に寿命が尽きてしまうのだから。

(注2)現代では医療も避妊の技術も発達して計画的な出産が出来るようになっているし、子供は天からの授かりものだから、という考えが広く定着し、子供のいない夫婦でも円満に生活している。ただし少子高齢化が進行するということも、国家的な問題として浮上している。平安時代と現代を比較することで改めて見えてくることもあって興味深い。

(注3)帝が一人の更衣だけを寵愛することは、この趣旨に鑑みても宜しくないことは明らかである。


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源氏物語を読みたい(1) [読書]

 新型コロナウイルス感染症対策の在宅勤務から、そのまま大型連休に突入した。勤務でも休日でもいずれにしても家にいなければならない。帰省も断念した。だから、普段ではできないようなことにチャレンジしようと思い、源氏物語を読んでみようと思い立った。

 とは言っても古文のまま読むのは敷居が高すぎるし、現代語訳だって十分敷居が高い。昔の話になるが、高校生の頃(1980年頃)行きつけの本屋で円地文子訳の源氏物語を見つけた。新潮社で全十巻。文庫本ではなくハードカバーの立派な本だった。憧れた。欲しいと思っていたが、高校生の小遣いで気軽に買えるようなものではなかった。

 それで、何か別の手段で(図書室で借りるなどして)読み始めたのだが、何が書いてあるのか、さっぱりわからない。だから次に少年少女向けの簡単な本を買ってみて読んでみたのだが、やっぱりわけがわからない。ぜんぜん面白くない。この時点で「源氏物語は自分とは縁のない作品なのだ」と諦めた。(注1)

 やはり同じ日本人の書いた小説であっても、1000年も時間が経過してしまうと、言葉も文化も違ってしまい、当時書かれた小説は外国の小説と同じになってしまう。それを現代の言葉に翻訳したとしても、文化的、政治的背景が理解できなかったり、訳が自分に合わなかったりすれば、話が頭の中に入ってこない。わけがわからないものになってしまう。

 つまり一人で読めない本というのが確かにあって、そういうときは先生が必要になる。(注2)それで、このたび実際に読んだのは、大和和紀の「あさきゆめみし」という少女漫画である。源氏物語を題材にした漫画はいくつか出ているが、この漫画は、全54帖を比較的正確に満遍なく描いているという評判があったのでこれを選んだ。結果、大変よい先生になってくれたと思う。全貌がつかめたので、次のステップ、現代語訳の小説に取り組むのも、ずいぶん楽になると思われる。

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 現時点での感想。紫式部はよくもまあ、これだけの壮大な小説を書いたものだと感心した。登場人物が非常に多く、それぞれが何らかの親戚関係や利害関係を持ち、その中で恋愛をし、肉体関係を持ち、喜んだり、悲しんだり、人を憎んだり・・・といった、様々な人間模様が描かれる。ストーリーも面白い。ただし現代人の我々がこれを読むことによって人の生き方を学べるような、そういう種類の小説ではない。なにしろ倫理観が現代の我々のそれとはかけ離れている。あくまでも娯楽小説、大衆小説であると見た。まあ小説なんだから面白ければそれで十分だと思う。

 面白ければそれで十分。うん、確かにそうなんだが・・・。そうは言っても、平安時代に書かれた小説が1000年経った今でも愛読され、学術的にも研究されているところを見ると、そんな単純な感想で語りきれない奥深さがあることは想像がつく。それがどんなことなのか今はわからないが、いずれにせよ概要が理解できたので、これから先、いずれ現代の小説家の訳した現代語訳に進んでみようと思っている。今までの自分の人生において、この作品にほとんど触れたことがなかったが、今回触れることが出来て良かったと思う。

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(つづく。他にも考えたことがあるので)

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(注1)少年少女向けの本で挫折した思い出。「夕顔」という女性が死んだ経緯が全く理解できなかったのだが、「あさきゆめみし」を読んでようやくわかった。嫉妬に狂った「六条の御息所」という女性の生き霊に取り憑かれて殺されたのだった。少年少女向けだったからこういうオカルトっぽい内容は曖昧にしたのかもしれないが、そうするとわかりにくくなってしまう。そういうボカした感じの捉え所の無い話が延々と続き、根気が続かなくて読むのをやめてしまったのだった。そもそも成人向けの小説を少年少女に読ませようというのだから、よほど上手く文を書かないと、モザイクだらけのアダルトビデオみたいになってしまって、わけのわからないものになるのは明らかだ。

(注2)昔、僕が20代の頃、ある武道の道場に通っていた。その道場に慶応の哲学科の学生がおり、その人に聞いて印象深かった話。「高校時代にカントとかヘーゲルとかデカルトなどの高名な哲学者の思想に触れて憧れをもつと、そういう人の書いた本をきちんと読みたくなる。しかし難しくて普通は一人では読めない。だから専門の先生について学びたくなり哲学科に入る。そういう学生が多い」とのことだった。


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コンプレッサ用の台 [雑文]

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 写真の黄色いコンプレッサは、1991年に僕がイラストを習っていたとき、絵の具を吹き付けるためのエアブラシに使っていたもので、その後、プラモデルの塗装用になって現在に至っている。(もっとも最近は、プラモの方がご無沙汰になっているが)

 さて最近、新型コロナウイルス対策で、3月の中旬から会社が在宅勤務になり、通勤時間がそっくりそのまま無くなってしまった。そのぶん家にいる時間が増えたことになるので、それまで手をつけられなかったことをいろいろとやっている。

 その一つが今回の、コンプレッサの台。上の写真はコンプレッサをその台に乗せたもの。なぜこんなものを作ったかというと、一言で言うと、使いにくかったから。(注1)

 アルミフレームをモノタロウで切り売りしてくれるので、これをつかった。サイズ(太さ)は20mm角。

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 裏板は3mm厚のアルミ板。これを皿ねじの埋め込みで固定した。
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 スイッチブラケットも金属で手作り。
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 電源配線部分。
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 スイッチ部分。
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 やっとこれで整理がつく。あとは底面に防振のスポンジをつけて出来上がり。

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(注1)扱いにくい理由

1)往復動のコンプレッサなので運転中に振動する。
 床に直接置いて使うと、
  ・床に振動が伝わって騒音がでる。
  ・振動で、少しずつ床を移動する。
この二つを避けるため、使うときは、いつも座布団を敷いて、その上に載せて使っていた。

2)収納しにくい。
 重量物(約10kg)なので、段ボール箱に入れても、重みで箱が壊れてしまう。

3)モーターから出ているケーブルがやたら太い。300W程度のものなのに、直径φ8.5mmもあるキャブタイヤケーブルだった。(なんでこんなケーブルを使っているのか不思議)太いケーブルは変形しにくいので、扱いにくい。

4)電源スイッチが無かったので、外部にフットスイッチをつけていたが、これも使いやすいとは言えなかった。スイッチは手元にあって片手で操作できるものがよい。



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1975年プロ野球ファン手帳 [雑文]

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 僕が小学校6年生のとき、1975年の話である。従姉のCちゃんに野球観戦につれて行ってもらった。その日、お袋がわざわざ小学校の教室まで迎えにきて、早退したのを覚えている。野球を観に行くから早退とは言えなかったので、もっともらしい理由をつけるために、お袋が芝居をしたのだった。千葉県市原市から、水道橋の後楽園球場(現在の東京ドーム)までは、電車で2時間以上かかるから、試合開始から観戦するために、そうしたのだろう。

 Cちゃんは、僕より6つ年上なので、当時高校3年生、大洋ホエールズのファンだった。彼女は昔から、あまり人付き合いをしない性格の人なので、野球観戦も、普段は一人で行っていたのだと思う。僕は巨人ファンだったのだが、実は、さほど熱心に見ていたわけでもない。ただ王さんの一本足打法は大好きだった。ねじりのエネルギーをため込んで一気に放出するようなあの動きにはしびれた。ホームランを打ったときももちろんだったが、空振りしたときでさえかっこよかった。

 どういうわけで、Cちゃんが僕を連れていってくれたのか。いきさつは、よく覚えていない。でも想像するに、親戚が集まったときになんとなく、伯母さん(Cちゃんのお母さん)あたりが、「Cが大洋の○○選手に夢中になっていて、しょっちゅう一人で野球を観に行っているのよ」なんていう話がでて、それを聞いた僕が「いいな~」と羨ましがって、伯母さんが「じゃあCに連れて行ってもらいなさい」などと話が進んだのではないか。そんな気がする。

 これも想像なのだが、球場について、Cちゃんは、試合開始前に、僕になんやかんやと世話を焼いて、飲み物とか食べ物とかいろいろ買ってくれたのだと思う。そのときにCちゃんが僕に「ファン手帳買う?」と聞いたのだった。僕は「いや、いいよ」と断った。理由は、ファン手帳なるものがどんなものなのかもわからなかったし、あまりいろいろと面倒を見てくれるので、ちょっと恐縮してしまっていたのだと思う。

 試合は、残念ながら、僕の大好きな王さんは、怪我のために休場していた。どんな試合だったのかも思い出せない。でも、なぜかずっと記憶に残ったのは、「ファン手帳買う?」というCちゃんのあの言葉だった。ときおり思い出しては、「あのときのファン手帳というのがどういうものだったのだろう」と気になっていた。ただし、だからといってそれをわざわざ調べるほどのことでもなかった。そもそも調べようにも調べる術が無かった。

 それから44年の歳月が過ぎた。世の中は便利になり、インターネットが発達し、オークションサイトなんてものが出来、昔懐かしいものが容易に入手できるようになった。ある日ふと、このファン手帳のことを思い出し、ヤフオクで検索してみたところ、1975年のファン手帳が出品されていた。当時の値段で100円だったが、「4000円即決」で出品されていた。1週間ほどじっくりと、他の出品を比較したりなどして考えた。そしてとうとう落札してしまった。44年前のものにも関わらず保存状態が非常に良く、4000円という価格にもまあ納得した。

 さて、これがどんなものだったのか。一言で言うなら、これはデータ集だった。昨シーズンの成績(バッターなら打率とか打点とか、ピッチャーなら完投数とか勝率とか)や、各選手の出身校とか生年月日とか身長体重とか。そんなことがびっしり書いてある。現実問題として、これを当時、小学校6年生のときに買ってもらったところで、猫に小判だったと思う。しかし、今、この歳になって見てみると、いろいろと発見があって面白い。

 まず、表紙、背表紙に、巨人の長嶋監督(当時)、ロッテの金田監督(当時)の写真がある。
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 中のページには、知る人ぞ知る選手達の写真がたくさん写っている。そういえば、ここ2~3年で、往年の名選手が結構、亡くなったな、と思い出し、ネットで調べてみたが、ざっと下記の通りだった。
星野仙一 2018年1月4日逝去
衣笠祥雄 2018年4月23日逝去
金田正一 2019年10月6日逝去
野村克也 2020年2月11日逝去

 僕と同年代の諸兄にとっては、さぞかし懐かしい写真だろうと思うので、いくつかページを見繕って載せておこうと思う。
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 まあとにかく、これで、またひとつ、青春の忘れ物を取り戻した。

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勉強道具 [雑文]

 2020年が明けて1月、「今年は勉強をしっかりやろう」と心に決めた。なんだか中学生や高校生にありがちな、ありふれた目標だけど、そうではない。社会に出て30年を過ぎたおっさんである。そう考えると、わりと立派な目標ではないだろうか。

 「何を勉強するのか」と言われたら、そりゃあいろいろあるのだが、簡単に言えばいくつか資格試験にチャレンジしたいのだ。で、その中に法規を勉強しないといけないものがある。法規ってのは、自然現象と違って人間の決めたものだ。つべこべ言わずに丸覚えをしなければならない。こういうところは自然科学とだいぶ違う。(自然現象なら自然法則に従うから、覚えることはそんなにない。原理原則を知ったらあとは、自分の頭で考えていれば答えはでる。いや出ない場合もあるけど)

 昔から、暗記物の科目は苦手だった。でも、そういうのが得意な人というのは友人の中に確かにいた。僕はこういう人達を見るにつけ、「よくもまあこんなにたくさん記憶できるもんだ」と尊敬していたが、彼らが何をしていたかを想像するに、例えば英単語を覚えるための単語カードを作って、何度も何度もめくって反復記憶するような泥臭い努力を、結局はしていたんじゃないかと思う。

 野球選手が何度も何度も、バットを振ったりゴロを拾ったり、キャッチボールをしたり、地味な努力を延々と繰り返すのと同じなのだ。今更何を、なんて思われるかも知れない。でも自分はそういう努力を今まで怠ってきたと、本当に思う。記憶するための努力が嫌いだったのだ。それを今年は見直したい。

 さて、そんな泥臭い努力をどうやってやるか。それにはやっぱり単語帳モドキを作ろう。でも紙で作るよりも、こんなITの進んだ現代だから、現代的にPCを使ってやろう。どこの職場でも広く普及しているMicrosoftのExcelという表計算ソフトがある。これのマクロコマンド機能(注1)を使って、単語帳みたいな学習ツールを作ろうと思い立った。

 1月の中旬から、友人のN添さんに教わりながら、四苦八苦して約1ヶ月。ようやく原形ができた。

まずはこちら。
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 百人一首の暗記をモデルにしているが、何を覚えるのにもつかえる。問題をたくさん用意しておいて、それを表に記入しておく。問題をシャッフルしてランダムに10題出題。自分で答えて、ボタンを押すと答え合わせができる。フィールドを分けておいて、部分的に覆い隠すことができるから、これを応用していろいろと暗記に使える。

もう一つは図を使ったもの。

この人は誰の写真.jpg

 こちらは絵を見せてこれは何か、これは誰か、を答えるもの。言葉だけで表現できない問題も、これなら勉強できる。

さあ、道具は揃った。しっかり勉強するぞ。

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(注1)マクロコマンド・・・Excelの表を操作するコマンドの集合体。VBA(Visual Basic for Application)という高級言語を使って記述する。

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万能工作機の話(2)電源改良 [雑文]

 emco の万能工作機「unimat 1」の話の続き。製品のコンセプトは非常に気に入っているのだが、実用性に乏しいので改良したいという話を、少し前の記事に書いた。

(参考URL)
https://shonankit.blog.ss-blog.jp/2019-09-28

 それでまず「主軸の回転数が速すぎる」という問題点があって、一番にこれを何とかしないと怖くて使えない。最初に思いついたのはギアで減速したモーターに付け替えることだったが、それを検討している最中、自宅でちょっとした掘り出し物があった。

 市販のACアダプターで電圧の切り替えスイッチの付いた物である。自分がいつか買ったものであることだけは覚えている。しかし、いつ何のために買ったものなのか、思い出せない。でもまあ、とにかく使えそうではないか。(だんだんボケが進んでいるのだろうかと、自分で心配になるが、それはそれとして)
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 もともと、この工作機についていたのがDC12Vモーターである。これに対して発掘したACアダプターは3V、4.5V、6V、7.5V、9V、12Vという6段階に電圧を切り替えられる優れもの。つないで回してみたら、電圧に応じてそれなりに減速しているようだ。

 そんなわけで、安全スイッチもつけて、操作性を良くしたユーザーインターフェースを作ってみた。回路は目新しいものではない。
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 なお、配線はこんな感じ。
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 動作中の動画は下記を参照。


 電源を入れると、まず電源ランプの緑のLEDが点灯する。このマークは、まだモーターに通電していないことも併せて表示している。起動スイッチを押すと、赤のLEDが点灯して、モーターに通電中であることを表示する。停止ボタンを押すと、モーターが停止して、緑のLEDが点灯する。

 このLEDのレイアウトが、取ってつけたような変な場所にあることにお気づきだと思う。最初に作ったとき、このLED表示は無かったのである。しかし、電源が入っているのか入っていないのか、つまり、「今どういう状態なのか」が明確にわからないと、操作ミスにつながる。

 実は、配線が終わって最初に試運転をしたときに、モーターのケーブルの接続を、通電状態でやらかしてしまい、モーターがいきなり最高回転数で回り出して冷や汗をかいた。モーターのケーブルの接続は一度してしまえば、あとは、ほとんどいじることはないはずだが、メンテのときに、これを外せばまた同じことが起こるかも知れない。

 そんなわけでLEDを後付けしたが、結果的にこの位置で良かった。何故かと言うと、高輝度形のLEDを使ったせいで、まともに見つめると光がちょっと眩しい。その光の近くに起動ボタンがあるので、眩しさのせいで、起動ボタンにちょっとした押しにくさが生まれている。押すときにボタンの位置を注視するためにひと呼吸おき、それから押す、といった動作になる。

 安全を考えれば起動ボタンは押しにくい方が良い。図らずも眩しいLEDがこの操作性に役立っている。なお停止ボタンはこの眩しさの影響を受けない。無造作にポンと叩けばモーターは簡単に停止する。

(まだまだ改良は続く)

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おまけの写真。前の記事のダミー電極に半田付け用の穴を開けているところ。
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フクロウ時計の改造(3) [ラヂオ]

 電源ユニットとダミー電池を接続したのが下の写真。
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 これを時計に取り付けたのが下の写真。
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 運転は成功し、フクロウ君は、元の位置で、元気に尻尾を振っている。停電がなければ、時計も尻尾も止まることはない。
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 もっとも最近は、昔と違って自然災害の規模が大きくなってしまって、停電がよく起こる。2011年の東日本大震災のときは計画停電。今年2019年も台風の災害で停電が起こった。

 ただ、停電や電池切れで時計が止まるのは、まあ許せる。時計は他もあるし、時刻を知る手段は他にもあるのだから。でも尻尾の動きが止まってしまったら、この時計の存在意義がなくなるのだ。下らないこだわりかも知れないが、それだけ解決したいがために、今回の改造を行った。長年の懸案が一つ解決してほっとしている。

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フクロウ時計の改造(2) [ラヂオ]

 ROHM(ローム)の電圧レギュレータというのは、形番でいうと「BA15DD0T」というもので、いわゆる三端子レギュレータである。

 なじみのない人のために念のために書いてみると、三端子レギュレータというのは、一定の直流電圧を作り出す機能をもったIC(集積回路)の一種である。電気回路工作をすると、何かとこれを使うのだが、今までこんな1.5Vなどという低い電圧のものを見たことがなかった。使い方は、78系の三端子レギュレータと同じピンアサインになっている。パッケージ正面に向かって左が入力、真ん中がコモン、右側が出力。

 さて、最初、回路を簡単にしようと思って、発振防止用のコンデンサをつけずに電圧を測ってみたのだが、正しい電圧がでなかった。つまりこれは異常発振が起きているのだろう。詳細な調査は省略。
01【5】【参考】失敗、出力電圧.JPG

 それで、僕なりに真面目に組んだ回路が下の写真。あまり部品点数が多くないので、平ラグ板に組んでみた。電圧は正常に1.5V出た。
02【1】減圧部.JPG
03【3】出力電圧.JPG

 次にダミー電池を作る。ネットで調べたら、乾電池アダプターというのが、すごく安く売っていた。単3電池の形のケースの中に単4電池をいれると、単3電池として使えるというもの。(注1)これの電極のところだけを取り出した。(注2)
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 ダミー電池はプラ板を切り出して作る。写真の通り。
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(注1)一体何のためにこういうものが売られているのか、最初は意味がよくわからなかった。でも手持ちの予備の乾電池の種類を減らしたい人には便利なのかも知れない。

(注2)このアダプターがそのままダミー電池に使えると思ったが、だめだった。電極がプラスチックの容器にはめ込んであるだけなので、電池を入れずに電池ホルダーに装着すると、ホルダーのバネ性で、電極が中に押し込まれてしまい、突っ張ってくれないのだ。つまり単4電池を入れないと使えないということ。じゃあ単4電池の形のダミーを入れればいいではないか、とも思ったが、それもちょうど良い物がみつからない。探している間にプラ板で作ってしまった方が手っ取り早い。だから電極だけ流用することにした。


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フクロウ時計の改造(1) [ラヂオ]

 僕の家のリビングにお気に入りの掛時計がある。フクロウの形で、昔の振り子時計のように、尻尾の形の振り子を振る。もう20年以上も前のことになるが、関西の方に旅行に行ったときに、ふと立ち寄ったディスカウントショップで見つけて一目惚れして買ったものである。

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 裏側に電池を入れるホルダーがあって、単3乾電池が2本入っている。(注1)上の電池は時計の針を回すためのもの。下の電池は、尻尾を振るための電池である。普通は振り子というのは、等時性を利用して時間を作るためにあるが、この時計はクオーツ時計であり、振り子は飾りである。

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 振り子と時計が完全に独立していて、しかも振り子の方が電池の消耗が大きい。同時に電池を交換すると、必ず振り子の方が先に止まり、なおかつ時計は動いているという不自然な状況が現れる。別段、それを気にしなければいいのだが、そもそも尻尾がふりふり動いているのが可愛いから買ったのであり、この状況にはずっと不満があった。

 電池駆動でなく、AC駆動にすればこの問題は解決する。この改造をいつかやりたいと思っていたのだが、延び延びになっていた。その理由の一つに「DC1.5Vの電圧レギュレータがみつからない」、というのがあった。しかし最近、ROHMの製品で、まさにこの、1.5Vのレギュレータを見つけてしまった。
(つづく)


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(注1)写真に見えている電池の他に、右側に単3乾電池のホルダーが2本分ある。この時計には毎正時ごとにメロディが鳴る機能があって、この電池ホルダーはメロディ用の電源である。最初のうちはこの機能を使っていたのだが、今は使っていない。なぜかと言うと、耳が慣れてしまうとメロディが聞こえなくなるのである。ちゃんと鳴っているのに、鳴っていないのと同じになってしまって、意味がないので、こっちの電池は外している。

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数学検定2級受験体験記 [雑文]

 先日10月27日(注1)、数学検定というのを受けてきた。英語検定に比べて、数学検定というのはあまりメジャーではないようで、知らない人も多い。だからちょっと受験体験記を語ってみる。

 一番上の級は1級で、レベルは大学程度と位置づけられている。そこから準1級(高校3年生程度)、2級(高校2年生程度)、準2級(高校1年生程度)と順次水準が下がっていき、この下に中学生程度の級があり、さらに小学生が受ける算数検定というのもある。今回僕が受けたのは、2級(高校2年生程度)である。1次試験として「計算技能検定」というのが60分、2次試験として「数理技能検定」というのが90分ある。

 問題の難易度としては、教科書の章末にのっている基礎問題くらいだと思う。つまり普段から真面目に勉強している現役高校生だったら普通にすらすら解けるような問題ばかりということである。ただ、やっぱり自分が高校生とか受験生だった頃(バリバリに訓練積んでいた頃)に比べれば、久しぶりだったし、普段やらないことになってしまっているので、ものすごいスリルを感じた。こういう慣れないこと、久しぶりなことを逆手にとった楽しみ方ってあるんだなあ、と変な感動をしてしまった。感触としては大体9割ほど取れたので、合格ラインに達した手応えはあった。11月14日、WEBで合格を知った。

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 大学を卒業して会社に就職して、もう30年以上の歳月が流れたが、僕は今でも大学受験の夢を見る。試験の日がどんどん近づいてくるのに、数学の勉強が一向に進まずに焦っている夢である。その夢には高校時代に使っていた数研出版の問題集が必ず出てくる。その問題が全く解けない。そもそも問題の意味がわからない。これはヤバいと焦っているうちに目が覚める。そして自分が受験も大学も全部終わっていることを思い出し、ほっとする。

 自分の深層心理の中に刻み込まれた恐怖感とかストレスとか言ったものが、ときどき疼いてこんな悪夢を見るのかも知れない。さほど深刻なものではないのだが、学校を卒業して30年も経っているのにいまだにこういう夢を見るとなると、逆にだんだん興味が出てきてしまう。自分の心の中に、どんな恐怖心、緊張感があってこんな夢を見させるのだろうか。正体は一体何なのだろう。数学のテストを受けたら、それがわかるかも知れない。今回数学検定を受検した動機は、この謎解きである。

 試験を受けてみて、ひとつわかった。会社に入ってからも技術系の仕事をしていると微積分や線形代数に触れる機会は比較的ある。これは文献を調べているときにそういう記述に出会うからである。ところが、順列、組み合わせのような数え上げの問題とか、整数論なんかは、ほとんど縁がなくなる。しかもこの二つの分野は、学生時代に数学の中でも苦手な分野だったのだ。

 今回の検定のときも、この苦手分野が出題され、考えてはみたものの、ほとんど何も書けなかった。実際に試験会場で答案用紙に向かい、答えを書けずにじっと白紙の答案を睨んだまま、時間がどんどん過ぎていく。この緊張感は、実際に試験を受けてみないとわからない。ものすごいストレスだ。

 なんでまた好き好んでそんなストレスに自分をさらすのか、という人がいるかも知れない。それは遊園地のジェットコースターに乗る人の気持ちを想像すればわかるだろう。人間とは、自分を無用なストレスにさらすことで、逆に快感を得ようとする不思議な生き物なのだと思う。他の生き物だったらこんなことはあり得ない。

 その苦手分野の問題は幸いにして選択問題になっていたので、回答せずに済んだ。結果として、自分の感覚としては9割ほど取れたわけだが、これが選択になっていなかったら、そっくりそのまま白紙になっていたことになる。この苦手分野は自分の弱点であり、無防備な部分であり、ここを攻撃されたら為す術がない。この恐怖感が心理的なストレスになって、あのような悪夢を見るのでないだろうか。

 2級を受けたのだから今後はその先の級も受けたいと漠然と思っているが、そのためには、こういう苦手分野を克服しないといけないと思う。しかし、克服してしまうと、あの悪夢をみることがなくなるかもしれない。そうなると、それはそれで寂しいような気がする。謎が解けた今、そんな変な迷いが生じている。

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(注1) 於:明治大学 生田キャンパス 中央校舎



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