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数学思い出話2(極限とは) [数学]

 高校2年生のとき、友達と熱い議論をしたことがある。数学の授業で積分を習ったときのことだった。授業でこんな話を聞いた。

 xy平面上に直線y=xがある。この直線とx軸で挟まれた領域のうち、x=0~1の間の面積Sを求めよ、と言われたらどうするか。もちろん3角形の面積の公式の、底辺×高さ÷2を計算すれば、小学生でもS=1/2(=0.5)と答えは出てしまうのだが、そこを敢えて、積分法的な考え方をしてみる。

 0から1の間をn等分して、短冊をn個作り、この面積の合計を考える。短冊の上の方がギザギザの階段状になっているから、本来求めたい三角形の面積よりも大きくなる。そこで、この分割数をどんどん大きくしていったらどうなるか。

アニメ.gif

 横幅と高さがともに1/nの三角形の面積は、1/n×1/n×1/2。これがn個あるので、ギザギザの面積合計は、1/2nになる。(これは短冊の面積ではなく、短冊の先端のギザギザの面積)(注4)そうすると、短冊の面積の合計S(図の青い部分)は、S=0.5+1/2n となる。

n=10 なら、S=0.55
n=50 なら、S=0.51
n=100なら、S=0.505
n=10000(1万)ならS=0.50005
n=100000000(1億)ならS=0.500000005

・・・というふうに、どんどん計算値が0.5に近づいていく。だから分割数nをどんどん大きくしていけば面積は1/2と求まるだろう、という理屈である。

 授業が終わったあと、友人のA君が、「nをどんどん大きくしても、結局ギザギザは無くならないんだから面積は1/2にはならないよな」と言った。僕は、「いやギザギザは無くなるだろう。だってギザギザが有るというのは、nが1万とか1億とか、そういう有限の数を考えているからだ。無限大なんだからギザギザは無くなる。だから1/2になる」と、自分の理解した考えを話した。でもA君はやっぱりおかしいと言い、僕の説明に納得しなかった。

 結論が出ないので、じゃあ先生に聞いてみようということになり、担当のW先生のいる職員室に押しかけた。議論を一通り説明し、「どちらの言ってることが正しいのでしょうか」と聞いた。するとW先生は「結論から言うとA君が正しい。ギザギザは無くならない」と答えた。が~~~ん。ものすごいショックだった。「え~~? ホントですか?」と、思わず聞き返した。

 そのときW先生は、だいたい次のような説明をしてくれた。(ちょっと脚色あり)
「Pさんが地面に杭を打ち、その周りに柵を作って誰も杭に近づけないようにする。Qさんがその柵を跳び越えて中に侵入する。Pさんは、杭に近づかれないように、さらに小さな柵を作る。するとQさんはその柵も跳び越えて中に侵入してしまう。Pさんがどんなに小さな柵をつくっても、Qさんはそれを飛び越えて杭にどんどん接近してしまう。極限値とはそういうものだ」(注1)

 当時、普段から数学の成績はA君よりも僕の方が良かったし、議論しているときも、自分が正しいという自信があって、「お前、馬鹿じゃねえの?」ってくらいの勢いでしゃべっていたので、このときはショックでしばらく立ち直れなかった。その後、自分を納得させるためにいろいろ考え、結論めいたものをひねりだすのに、何日かかかったと思う。僕の出した結論は、下記のようなものだった。

「何かの値を求めるときに、四則演算で算出する場合もあるが、極限値として求める場合もある。この三角形の面積の例で言うなら、nを無限大にしたときにSが収束していく目標の値を極限操作によって “知る” ことができ、それが求める値である。目標の値は1/2であるから面積S=1/2」 ・・・この結論を出したあとは(正しいか間違っているかはさておき)頭の中が非常にすっきりした。(注2)

 今思えば、A君の説の問題点は、nを有限の値で四則演算しただけだから1/2には当然ならないのであり(そもそもA君はそこがわからんと言っていたのであり)、僕の説の問題点は、 “無限大” という具体的な数字があるように錯覚し、それを式に代入して無理矢理1/2にしていたということになる。A君の言い分は、正しい論理にあとひと押しが足らないだけだが、僕の言っていることは考え方そのものに根本的な問題があった。W先生が「A君の方が正しい」と言ったのはそういう意味だったのだろう。(注3)

 それにしてもこのことをはっきり覚えているのは、A君と議論して負けたことが、ものすごく悔しくて、何度も思い出したからである。しかし、そもそも議論というのは、正しい結論を導くためにするもので、これを勝ち負けの次元でとらえるのはガキの証拠である。その後、僕は議論するときは、努めて紳士的にするようになった。人間として一皮剥けた出来事だったと思う。


***
(注1)W先生のこの説明が、いわゆるε-δ論法とか、ε-N論法と呼ばれるものだと知ったのは、高校を卒業したあとの話。(専門性が高く高校では教えない)

(注2)僕の個人的な考えだが、A君の考え方は、「積分法による計算は近似値の計算である」と誤解するリスクがあると思う。実際にそういう誤解をしている別の友人がいたので。そういう誤解をすることに比べたら、僕の「ギザギザは無くなる」という認識の方がまだマシだろう。少なくとも真の値であることは理解しているのだから。

(注3)下記の式は、それぞれの説を数式で表したもの。
(1)・・・極限値を表した式(正しい式)
(2)・・・A君説「分割を1億にしても1/2にならないではないか」
(3)・・・ひぐらし説「1億とかそんな有限の数じゃないよ。∞だよ」
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(注4) 2021年3月14日追記
 この1/2nというのは、ギザギザの所だけの計算になっているが、読んだ人から「短冊の面積として求めないとわかりにくい」という指摘があったので追記する。
短冊は、1番目からn番目まで、全部でn個ある。
全ての短冊は、幅は同じで1/n
高さは、1番目が1/n、2番目が 2/n 、3番目が 3/n ・・・・n番目がn/n(=1)
だから面積は、
追記 短冊の面積.jpg


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にしき堂「新・平家物語」 [雑文]

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 広島の和菓子メーカー、にしき堂の銘菓「新・平家物語」を取り寄せてしまった。なかなか凝った作りになっていて、感心してしまったので、紹介する。

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 バウムクーヘンのロールの真ん中に白小豆と赤小豆の餡がそれぞれ入っている。これは源氏の白、平家の赤を表現しているそうで、これを一個ずつペアで包むことで平和を表現しているのだそうだ。

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 ちなみに味は、バウムクーヘンとあんこの味で、そのまま容易に想像できる味なんだが、いい素材を使っているようで、すごく高級な味がする。僕の馬鹿舌でもそれはわかる。

一緒に買ったもみじ饅頭は、庶民的な味で、ペロリと平らげてしまったが、平家の方はなんか貴重品のような気がして、もったいなくてなかなか食べられない。

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数学思い出話(二次方程式とかラプラス変換とか) [数学]

(リベンジを待つ書物たち)

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***
 平家物語の記事で、余談扱いにしようかと思った話があったのだが、歴史の話から完全に離れてしまうので、独立させた方がいいと思って別記事にした。構造化思考の続きの数学にまつわる思い出話である。コロナ禍で引き籠もり生活をしていると、いろいろなことを考えてしまうもので。

***
 中3のときの数学の授業で二次方程式の解き方を習った。
A)因数分解による解き方
B)平方完成による解き方
C)解の公式による解き方
 3通りの解き方を一通り説明したK先生が、この3つの中でどれが好きか、とクラスのみんなに聞いた。すると解の公式に手を挙げた人が大多数だった。僕は平方完成に手を挙げたが、これに手を挙げたのは僕の他に1人か2人だった。

 二次方程式の解法の理論のベースになっているのは平方完成という式変形の技術であり、解の公式はこの理論の結論として出てくるものである。理論がわかっていれば公式を記憶する必要はないが、記憶すれば時短につながる。それから因数分解による方法は上記2つとは別系統の理論で、綺麗に分解できればそれが一番シンプルだが、そうでなければ使えない。これら3つはそもそも好き嫌いの問題ではなく、状況に応じて臨機応変に使い分けるものである。K先生のあのアンケートの意図はなんだったのだろう。

 僕は公式の丸暗記が論理の空白(ブラックボックス)に見えて気持ち悪かったので、習いたての頃はいちいち平方完成して解いていた。一方、公式が一番人気だったのは、式に係数を当てはめるだけ、という手軽さが受けたのだと思う。この人達は論理のブラックボックス化をこの時すでに受け入れていたことになる。というか数学が苦手な場合はそうせざるを得なかったということもあろう。

 さて、時は流れて・・・。(高校は省略)大学に入って専門科目が忙しくなった3年生の頃の話である。僕の専攻は機械工学で、そのときは、自動制御理論の授業で、微分方程式を解くのに使われる「ラプラス変換」という方法を習っていた。

 これは、微分方程式に ”ある変換” を施して、微分や積分を、掛け算、割り算に変えてしまう方法である。掛け算、割り算の方程式なら簡単に解ける。そうやって解いたら、今度は ”逆変換” してもとに戻す。するとあら不思議、微分方程式が解けている。単なる演算だと割り切れば話は簡単で、先人の知恵とはすごいものだと感心する。

 これはもともと、イギリスのヘビサイドという電気技師が発見した方法(1880年頃)で、最初は「ヘビサイドの演算子法」と呼ばれていたが、なぜそうやると解けるのかを発見者自身がきちんと説明できず、「なんかよくわかんねーけど解けるならいいじゃん」というものだったらしい。

 厳密さを欠くことを指摘されたときのヘビサイドは「私は消化のプロセスを知らないからと言って食事をしないわけではない」と答えたそうだ。(名言だ。かっこいい。)その後、この方法論は研究が進み、ヘビサイドの時代より100年も前にラプラスが書いた論文の研究により厳密に証明され、「ラプラス変換」として広く定着した。(注1)

 かくして消化のプロセスを知らない人でも、食事を安心してできるようになったわけだが、これを数学的に厳密に理解しようとすると、かなり難解な領域に踏み込まなければならなくなる。機械工学科の教育カリキュラムはそこに時間をかけないようになっていた。つまり応用方法は学んだが、数学的な理論を学ぶことはなかった。ちょうど中3のときの授業で、二次方程式の解の公式の結果だけ示し、途中経過の説明を一切省いてしまうことに相当する。

 大学で理工系の学問を専攻しようとする学生は普通、高校までの数学で、ブラックボックスが残っていることはない。残っていたら厳しい受験戦争を戦えない。みんな真面目に勉強して隙を作らないようにする。つまり、”わからないことをわからないままにしておく”という思考方法に慣れていない。

 そこへもってきて、ラプラス変換である。教える側は結果だけ使わせようとするが、学生は、高校を卒業するまで上記したように教育されているから、全部クリアにしようとする。僕自身がそうだったし、友人たちもみんな「なんだこれは」と戸惑っていた。僕は一度、独学でここを攻略しようとチャレンジしたこともあったが、前提として知らなければならないことが多すぎて諦めた。とてもやってられない。当時の仲間がこれをやろうとしても、ほとんどが立ち往生して進めなくなっていたのではなかろうか。

 そのときのある先生の指導がかっこよかった。ズバリ「わからないことがあるなら、それを構造化しておきなさい」・・・この一言がすべてを物語っている。普通の人なら「わからないことがあるなら、しっかり勉強しなさい」というだろうが、もはやそういうレベルの話ではないのだ。ただ、この言葉の意味を僕が大学生の頃にきちんと理解していたとは言い難い。「ラプラス変換てわけわかんね~~」とずっとモヤモヤしていた。まあ卒業に必要な単位はなんとか取れたけど。

 先生がもっと直接的に「ラプラス変換は数学的厳密さを求めず結果だけ使え」と言わなかったのは、「勉強するのは自由だから余力があれば勉強してみよ」という含みを残していたのだろう。僕は卒業してから、一度思い出して勉強してみようとしたがやっぱりだめだった。それ以来ずっとブラックボックスのままである。(いや、ここをブラックボックスのままにしておくのは機械系専攻の人間としては普通なんだが)

 コロナ騒動でお盆休みに引きこもり生活をしていたら、かつて挫折したことが懐かしくなってしまい、昔買い集めた文献を書棚から引っ張り出してパラパラとめくってみた。そしたら完全に理解するだけの自信はないが、今度はブラックボックスがどこなのかを特定して、しかもそれをかなり小さくまとめられそうな気がしてきた。

 今は「わけわかんねえ」とか「挫折した」とか、そんな説明しかできないが、今度は「ここがわからないけどそれ以外はわかる」と言えそうな気がする。それができたらそれはすごい進歩だ。またちょっとチャレンジしたいな、なんて思い始めたところである。こういう前向きな考え事が出来るなら、引きこもり生活も悪くはないと思う。

***
(注1)自動車とか家電製品を見ればわかるとおり、我々が仕組みを知らないまま使っているものは山ほどある。だったらラプラス変換だって、仕組みを知らない人が道具として割り切って使ってもおかしいことはない。ただ正体が解明される前に、何の疑いもなく使うっていうのはやはりリスクがあると思う。ヘビサイドはよほど自信があったということなのだろうか。

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平家物語を読みたい(5) ブラックボックスの意義 [読書]

 このシリーズの最初の方に戻るが、姉と平家物語の勉強会を始めたときに、保元の乱、平治の乱がよくわからなかったので、これをとりあえずブラックボックスにして、スタートしたと書いた。このブラックボックスを使った思考方法について、是非とも言及しておきたい。今回、便利さを痛感して、ちょっと見直したので。

 すごく簡単に言ってしまうと、「わからないところは、とりあえずそのままにして先に進め」ということなのだが・・・。わからない=無知、ということにしないのがこの考え方である。例えば、[保元の乱]→[平治の乱]→[平家興隆]→[源平合戦]→[平家滅亡]、という順に事実を認識し(注1)、上流にある二つの項目が自分の中で解明されていないとき、この二つの項目をブラックボックスと位置づけて保留し、先へ進め、というのがこの考え方である。

 「人間はみんな、知らないことをたくさん抱えたまま生活しているのだから、知らないことを知らないままにして先に進むのは普通じゃないのか」という疑問が湧いてくるが、ちょっと違う。単に無知のまま放置するのと、ブラックボックスと位置づけることの、何が違うかというと、その人にとって「興味がなくてどうでもよいこと」なのか、「今後知らなければならないこと」なのか、の違いである。

 専門の研究者の頭の中では、きっとたくさんのブラックボックスがあちこちで整理されて並んでいて、これがある日、あるものがクリアになり、また新しいブラックボックスが生まれ、ということを繰り返しているのではないかと思う。

 こういうのって “論理の構造化” とか “構造化思考” などと呼ばれるものから来ていて、最近ではいろいろな方面で応用されているらしい。つまり “全体” というものが “部分” から構成されていて、各 “部分” が機能をもち、それが有機的につながっていると考える。

 今回の例で言えば上記した、[保元の乱]→[平治の乱]→[平家興隆]→[源平合戦]→[平家滅亡]のような、直列に並んだ情報の集合になるわけで、その一部が未完成(つまりブラックボックス)であっても、ある位置にあって、ある役割を果たすと考えてそのままにする。そうすれば完成や修正を後まわしに、しかも “部分” ごとにできるようになる。

 構造化思考については、思考方法を専門に研究している人がいるようなので、興味のある方は専門書を参照されたい。でも、こういうことをあまり深く考えすぎると、だんだん哲学みたいになってきて、浮世離れしてくるので僕は深入りしないでおく。(笑)

 ・・・そんなわけで、とりとめの無い話になってしまったが、要するに、勉強するときの頭の使い方として、論理の構造化やブラックボックスの概念の大切さ(注2)を、平家物語の勉強会を通じて再認識した、ということを言いたかった。以上で、このシリーズは終わりにしたい。ご精読に感謝。
(おわり)

***
(注1)○○という順に事実を認識し・・・人により事実の認識とか論理の組み方が変わるかも知れないが、重要なのは自分で論理を組むことであり、教科書の丸暗記と決定的に違うのはここである。自分で組んだ論理に従ってストーリーが進むから自分でいつでも再現できるというわけ。もちろんストーリーは教科書の記述と食い違いがないように注意する必要がある。

(注2)本当に大切なのは論理の構造化であって、ブラックボックス化というのはわからないことも一緒に構造化しているのにすぎない。この記事でブラックボックスをクローズアップしたのは、構造化という言葉が抽象的過ぎてわかりにくいと思ったから。

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平家物語を読みたい(4)保元の乱・平治の乱(パート3) [読書]

写真は2005年放送のNHK大河ドラマ「義経」の解説本(NHK大河ドラマストーリー)より、平治の乱のあと、義経を抱き、清盛の前で命乞いをする常盤御前。(女優は稲森いずみ)このあとエロガッパの餌食となる。
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***
(つづき)(平家物語が始まる前段階の保元の乱、平治の乱について整理中)

 ここまで来て、ようやく保元の乱、平治の乱のあらすじがわかった。というか、ここまで解きほぐさないとわからなかった。では、これだけの内容を高校の日本史の教科書(注1)はどう書いてあるかというと・・・。

(引用ここから)
■「1156年(保元元年)、鳥羽法皇が亡くなると、まもなくかつて皇位継承をめぐって法皇と対立した崇徳上皇が、藤原頼長とむすんで武士を集めた。これに対し、法皇の立場をうけつぐ後白河天皇と近臣藤原道憲(信西)らが、清盛や源義朝らの武士を動員し、上皇方を攻撃してうち破った。これが保元の乱である。」
■「そののち、院政をはじめた後白河上皇の近臣間の対立から1159年(平治元年)には平治の乱がおこった。近臣の一人藤原信頼が源義朝とむすんで兵をあげ、清盛とむすぶ信西を殺して、一時は優勢であったが、かえって清盛に平定されてしまった。」
■「この二つの乱をつうじて、貴族社会内部の争いも武士の実力で解決されることが明らかとなり、武家の棟梁としての清盛の地位と権力は急速に高まった。」
(引用ここまで)

 現実問題として、教科書のこの記述をそのまま理解・記憶しようと思ってもできるわけがない。でも多分、高校時代の中間テストや期末テストの前、僕はこれをそのまま暗記しようとしていたと思う。そもそも理解していないものを記憶できるわけがないし、よしんばできたとしても、試験が終わったらすぐに忘れるに決まっている。それは時間の浪費以外の何者でもない。(僕は日本史で一度赤点を取ったような、赤点でなくてもいつもギリギリだったような記憶がある)

 じゃあ高校時代に僕はどうすべきだったのかと言えば、やっぱり、今回やったように、自分で調べ物をして自力で解きほぐさないといけなかったのだと思う。その際、教科書で学んでいるのだから、教科書の記述と矛盾しないように解きほぐさないといけない。というのは、本によって違うことが書かれていることがあるし、小説やドラマを参考にすると創作が加えられていたり架空の人物が登場したりする。そこは要注意である。(注2)

 今、僕の頭には保元の乱・平治の乱の経緯として(それが学術的に正しいかどうかは別として)少なくとも自分が構築した歴史のプロセスが頭に入っていて、それを説明することができる。「自分の考えを説明すること」と「他人の書いた文を暗記・暗誦すること」を比較すれば、前者の方がはるかに容易かつ有意義である。(注3)

 教科書の作り手の立場としては、「だいたいこんな感じだ。わからなければ各々で研究せよ」という書き方を敢えてしているのではないかと思えてくる。高校で歴史を勉強するとはこういうことなのか、と今更ながら知った。文系に進んだ友人達の顔が何人か浮かんだ。「あいつらきっとこんな勉強してたんだな」と懐かしくなった。

***
(注1)井上、笠原、児玉ほか「詳説日本史」山川出版社1986年版 

(注2)「学生がその解きほぐす手間をかけないように、あらかじめ解きほぐした文を教科書にすればよいではないか」という考えは、おそらく駄目だろうと思う。第一に教科書の厚さが5倍くらいになるだろう。第二に学生はそれだけの量を何も考えずに丸暗記しようとし、そしてすぐに忘れるだろう。自分が頭を使わなければ、教科書が薄かろうと厚かろうと同じことになる。

(注3)高校時代の日本史の授業で唯一覚えていること。ある日「神道について調べてレポートを提出せよ」という課題が出た。「めんどくせえからさっさと終わらせよう」と思い、図書室でそういう本を調べてレポートを書いて提出した。ところがあまりにも提出が早かったので、先生から「まだ時間があるからもう少しよく調べなさい」と言われてしまった。「しまった。ぎりぎりに提出すれば良かった」と後悔した。しょうがないから言われた通り、もう少し丁寧に調べたら、その調べ物が実は、新しい発見があって意外に楽しかったのだ。だからこうやって記憶に残っているのだろう。今思えばあの先生は「歴史の勉強ってのはこうやってやるんだよ」ということを教えたかったのかも知れない。


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平家物語を読みたい(3)保元の乱・平治の乱(パート2) [読書]

2012年放送のNHK大河ドラマ「平清盛」の解説本(NHK大河ドラマーストーリー)。
全50回の内、平治の乱が終わるのが第28回。最終回(第50回)では清盛が死に、壇の浦の合戦まで一気に終了。
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(つづき)(平家物語が始まる前段階の保元の乱、平治の乱について整理中)

 さて、可愛くない子供に天皇の位を譲った鳥羽上皇は、璋子(たまこ)の他に、エロくない、ちゃんとした奥さん(得子(なりこ)=美福門院)をもらい、この人が子供を産んだ。当然ながら鳥羽上皇は自分の本当の子供が可愛いから帝にしたい。だから崇徳天皇に譲位を迫った。結果、崇徳天皇は崇徳上皇(院)になり、可愛い子供は近衛天皇として即位した。ところがその後、近衛天皇は眼病が元で早世してしまう。子供がいなかったので、ここで後継者争いが起こった。

 実は皇族の後継者争いだけではなく、摂関家(藤原家)の争いもあってこれが皇族と絡み合っていて、もっともっと複雑である。(藤原忠実+頼長 VS藤原忠通) でも長くなるので、ここでは省略する。(注1)

 さて皇族の争いに戻ると、まず崇徳上皇は自分の子供を帝にしたい。でも鳥羽上皇は崇徳上皇が嫌いだから、そうさせない。鳥羽上皇は近臣らといろいろ画策し、自分の第四皇子の、流行り歌(今様)が大好きで、フラフラ遊んでいたやつをとりあえず即位させた。これが後白河天皇である。(注2)

 結果として、崇徳上皇と後白河天皇の間に対立が起こり、これが周囲の公家や武士を巻き込んでいった。そして1156年、鳥羽上皇が亡くなったときに双方が武力衝突。後白河天皇側の勝ちとなった。1日であっと言う間に終わったというのがすごいところである。負けた崇徳上皇は讃岐に流された。これを保元の乱という。このとき源義朝と平清盛は後白河天皇の側についていた。

 保元の乱の結果、信西(しんぜい)という僧侶が実質的な権力を握った。信西は後白河天皇擁立を裏で画策した人物の一人で、戦後処理だの内裏の新築だのと敏腕を振るった。そうすると今度はそれに割を食う人が出てきて、彼らの恨みを買うようになった。こうして“反信西”の雰囲気が次第に醸成され、やがて信西殺害計画が持ち上がる。

 後白河天皇は、譲位して後白河上皇になった。上皇が重用した公家で藤原信頼(のぶより)という人がいて、この人が1159年、源義朝と組んで兵を挙げ、信西を襲った。信西はこの動きを事前に察知して逃亡したが、結局追い詰められて自害した。

 信西が襲われたとき、平清盛は熊野詣(注3)に出かけていて留守だった。つまり信西殺害は清盛の留守の隙を意図的に突く計画だったということである。清盛は信西側だったから、京に戻ってすぐ反撃にでた。信頼は殺され、源義朝は逃げる途中で殺された。これが平治の乱である。

 結局どちらの乱も武士の力で一気に片付いたというのが重要な所である。ここへきて武士の存在感が一気に高まったと言われている。しかも源義朝の三男の源頼朝、妾の常盤御前、その子供の義経、これらみんな、本来なら殺されるところだったが、清盛が殺さなかった。

 まず頼朝は、清盛の義母の池禅尼(いけのぜんに)が「家盛の幼い頃によく似ている」と言って助命を嘆願。清盛はこれに折れて、頼朝を伊豆に流した。それから常盤御前は美人だった(注4)ので、清盛がエロガッパぶりを遺憾なく発揮して愛人にした。常盤は子供の命を救うためにそうせざるを得なかった。これで義経(当時は乳飲み子)も助かった。

 素人の僕から見て、平治の乱の結果として、武士、特に平家が頭角を現したというのは確かに有ると思うのだが、それに加えて、この源氏の一族の助命という部分もかなり重要であると思われる。何しろ頼朝は成長して平家打倒のリーダーになり、義経は壇ノ浦で平家一門にトドメを刺すことになるのだから。いよいよ平家時代到来というとき、同時に滅亡の布石が打たれている。出来すぎたドラマだ。
(つづく)

******
(注1)興味のある方は「保安元年の政変」で検索されたし。

(注2)後白河天皇・・・この人は最初はアホかと思われていたらしいが、後に源頼朝から「日本一の大天狗」と評されるような策謀家だった。この人をテーマにして小説が一冊書ける(井上靖「後白河院」)くらいだから、そりゃあまあいろいろ有ったということだろう。

(注3)熊野詣(くまのもうで)・・・院政の時代、京の都では熊野信仰が流行ったそうで、都の人々は天皇も公家も武士もみんな参拝に出かけたらしい。紀伊半島の南にあるから都から往復するにはそれなりの日数がかかる。地図上で測ると、京都~熊野は、直線距離にして東京~静岡くらいの距離がある。

(注4)常盤御前(ときわごぜん)・・・もとは九条院(近衛天皇の中宮)に仕える雑仕女(ぞうしめ)だった。九条院が都の中から選んだ千人の美女の中でもっとも美しかったという。現代で言うなら、国民的美少女コンテストでグランプリを取るレベルではないだろうかと想像する。2012年の大河ドラマ「平清盛」で常盤御前を演じた武井咲は、まさにその国民的美少女コンテストの出身だそうだ。でも常盤だけでなく、大河ドラマにでてくる女優ってそのクラスの人ばっかり。

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平家物語を読みたい(2)保元の乱・平治の乱(パート1) [読書]

 写真は2005年放送のNHK大河ドラマ「義経」の解説本(NHK大河ドラマストーリー)。「義経」というタイトルどおり義経の生きた時代の範囲が描かれている。第1回は平治の乱の終わりの源義朝が敗走する場面から始まる。義経は平治の乱のとき、乳飲み子だった。
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***
(つづき)
 小学館の日本古典文学全集の平家物語をテキストに使っていると書いたが、読み始めた最初の頃は、ずいぶんと読みにくい本だと思った。古文だからという意味ではない。古文に並べて現代文の訳が書いてあるので、現代文メインで読むことだってできる。しかし現代文は、現代的な言い回しではなく、古文からの直訳になっている。現代の小説を読むのと事情がだいぶ違う。だから読みにくい。

 これは意訳が入ると原文の意味を損なうリスクがあるからだと思われる。「あくまでも古典は古文のまま読むのが正統な学び方なのだ」という編者(=学者)の姿勢がわかる。まあ慣れてくると、だんだん中身の方に惹かれて、面白くなってくるもので、そこはさすがに古典として千年近く残っているだけのことはあると思う。

 それと同時にひとつ気づいてしまった。「保元のあの事件のときは○○○だった・・・」とか「平治のあのときは△△してあげたのに・・・」などという言葉が時折出てくるのである。つまり平家物語は保元の乱・平治の乱の後の話であり、なおかつ、この2つの事件について経緯の説明が全くない。そこには「読者はそれを知っているはずだ」という前提がある。

 それでとりあえず、この二つの事件についてはブラックボックスにしておこうと思ったのだが、物語が面白くなってくると、これをわからないまま放置しておけなくなってしまった。

 保元の乱・平治の乱というのは、中学、高校の歴史の授業で習うから、名前だけは覚えていた。友人の何人かに聞いてみたが、だいたい印象は僕と同じだった。「名前は覚えているが、どんな出来事だったのか、よく覚えていない」そこで、なにはともあれ高校時代の日本史の教科書を調べてみたが、それぞれが数行の簡単な説明で、読んでもほとんど内容がわからない。(これは後述する)

 そういうわけで、よい機会なのでちょっと勉強してみることにした。最初は例によってWikipedia。でも難しい。解説が細かすぎて、どこが要点なのかわからないのだ。次に、この時代専門の研究者が書いた本を読みかけたが、Wikiよりももっと専門的ですぐに挫折した。それで、あてずっぽうで井上靖の「後白河院」という小説(新潮文庫)を取り寄せてみたのだが、結局これが大当たりだった。最初の60ページくらいの量で、保元の乱、平治の乱を非常にわかりやすく語っていた。これでだいぶ助かった。

 ということで、せっかくなので、僕の勉強した成果を書いておきたくなった。あくまでも僕が咀嚼して飲み込んだものを自分の言葉として話すので、正確な情報が必要な人(受験生など)にはお勧めも保証もできない。でも僕個人の感想としては、結構面白い話だと思ったもので・・・。

 保元の乱は1156年、平治の乱は1159年。これを理解しようとすると、そこから40年ほど時を遡る必要があるようだ。そもそもの事の起こりは白河法皇という人だった。この人が院政という悪い習慣を始めた最初の人だったという。しかもエロエロのエロガッパだった。

 白河法皇には璋子(たまこ=待賢門院)という養女がいた。白河法皇は、この養女を自分の孫(鳥羽天皇)に嫁がせた。ところが白河法皇は、なんと璋子と密通関係にあったという。白河法皇がエロガッパであるのはまあいいとして、璋子にも奔放なところがあったらしい。つまりエロい女である。これは噂であって立証のしようのないことだ。でも火のないところに煙はたたないということもある。

 1119年(ちょうど平治の乱の40年前)、璋子は子供を産んだ。ところが鳥羽天皇は、この子供が白河法皇のタネだからといって、全く可愛がらなかったという。密通が事実ならその子は鳥羽天皇からみたら叔父にあたる。そして、この「可愛くない子供」が5歳で即位して崇徳天皇になった。同時に鳥羽天皇は上皇になった。さて、この愛憎劇がどんな結果を生むのか。
(つづく)


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平家物語を読みたい(1)事の起こり [読書]

 少し前、5月に「源氏物語を読みたい」という記事を書いた。その後、それを読んだ姉から連絡が来て、「平家物語の勉強会をやらないか」と誘われた。話を聞くと、姉はもともとこの時代の歴史が好きで、小学館の日本古典文学全集の「平家物語」(原文と現代語が併記されている、専門の研究者が書いたすごい本)を買って、途中読みかけにしていたところで、僕の記事を読んだらしい。

 面白そうなので、誘いに乗ることにした。平家物語は全12巻構成になっていて、大まかな計画では、1巻に1ヶ月かけて読めば、大体1年で終わる。今、3ヶ月経って、3巻が終わるところだからまあまあのペースである。このままいけば、最初の予定の通り1年くらいで制覇できるだろうと思われる。

 さて、この勉強会を始めるにあたり、まず姉のもっているのと同じ本を買わないといけない。全く同じのは、びっくりするほど高かったが、ネットの古書店で探したところ、版が古い1970年代に発売されたものが、全二巻セット1900円で売られていたので、これを買った。古い本だがほとんど新品のような綺麗さだった。50年も書架に眠っていた本を今自分が有効活用しているのだという変な満足感がある。

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 それから副読本。20年ほど前に四国に旅行に行った折に、「高松平家物語歴史館」という博物館(注1)に立ち寄った。そのとき館内のミュージアムショップで買った平家物語の絵本。和綴じにされた、いかにもお土産って感じの本だが、内容は要点が押さえられていて、わかりやすい。

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 これも副読本で、子供向けの平家物語。ライトノベルを読むくらいの年齢層をターゲットにしていると思われる。導入用としてわかりやすく、なかなかの良書だ。

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 こちらは角川ソフィア文庫の平家物語。これは、構成(巻や章)が原文の通りに省略なく正確に並んでいて、その並びを残したまま、要約したり現代語訳をしたり、名場面を選んで原文を残したりなど、いろいろと工夫されている。角川ソフィア文庫は、他にも古典をたくさん出していて、一般大衆の教養アップに貢献している。こういう商品企画は好感が持てる。

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 平家物語は、今さら僕が言うまでもないような有名な軍記物の古典で、人気があるから、解説本もたくさんあるし、子供向けの本だって結構あるし、それをベースにした小説やドラマもたくさん作られている。源氏物語のときに書いたことと重複するが、とっつきにくい古典であっても、先生の代わりになってくれる解説本があると全貌をつかみやすい。
(つづく)

***
(注1)香川県高松市の屋島というところは、平家滅亡寸前の”屋島の戦い”の舞台。ここに平家物語をテーマにした博物館があった。ただ残念なことに、この博物館は今は閉館している。
 有名なシーンを蝋人形で再現した展示物がメインになっていた。特に壇ノ浦の戦いのシーンはすごいリアルで迫力があったのを覚えている。撮影禁止だったので、写真が残っていない。これも残念。



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忍者チビッコ道場 [読書]

 小学生の頃の愛読書で「忍者チビッコ道場」という本があった。忍者の歴史とか、どんな仕事をしていたとか、どんな武器を使っていたとか、忍者に関するあれこれを小学生向けに解説した本だった。今はもう実家にもない。成長するにつれて処分したのだろう。

 さて、ヤフオクで懐かしいものをいろいろ買うようになって以来、この本が時折出品されることに気づいていた。ただ意外に高い。「この本をこの値段で買うか?」と、ちょっと考え込んでしまう。さりとて無理な値段でもない。そんな微妙に高い値段がつく。しばらく考え込んでいるうちに売れてしまい、忘れた頃にまた出品される。どうやらレア本というほどでもなく、中古市場には結構あるらしい。当時の人気を物語っている。結局なんだかんだ考えて、その微妙な値段でとうとう落札してしまった。
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 内容の方は、当時何度も繰り返し読んでいたのでほとんど覚えていたのだが、その中で、特にひとつ気になる記事があったのを思い出した。「時計と太陽を利用して方位を知る方法」というもので、時計の短針を太陽に向けると、短針と12時の方向のちょうど真ん中が南になる、と言う。
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 そう、これこれ。なぜそうなるのか、子供の頃はまるでわからなかった。本文に「この位置が必ず南だから不思議です」なんて書いてある。そもそも書いている人が、理由がわからず不思議がっているというのが可笑しい。

 さて今、大人になって久々にこの本をまた読んで、図を描きながら、よく考えてみたら意味がわかった。「なるほどそういうことか」と感動したので、このブログに載せてみたくなった。しかし言葉や式や絵で説明しようとしても、何だかとてもわかりにくい説明になってしまう。そこでこのたび新しいチャレンジ。GIFアニメを作ってみようと思い立った。今ではネットのあちこちに、この方法の丁寧な説明があるようだが、まあそれはそれとして・・・

1)地球の自転周期は24時間である。だから地上から見ると太陽は、24時間で我々の周りを一周する。(注1)
2)太陽は朝6時に真東にある。その6時間後の正午に南中する。さらにその後18時に真西に来る。(注1)
3)時計の短針は、12時間で一回転、つまり日周運動よりも2倍速いスピードで回転する。

 これをアニメにすると下のようになる。6時の時点をスタート地点に定め、そこから時間が経過していくと、太陽と時計の短針がそれぞれ回転するが、時計の針が太陽の2倍のスピードで回転し、差がついていくのが容易に確認できる。後の理解の助けのため、文字盤の12時方向と短針で作る扇形に色をつけた。
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 次に時計をちょっと回して、短針が太陽の方向を常に向くようにする。速く回りすぎた分を戻してやらないといけないので、時計全体を左に回すことになる。結果として、文字盤の12時方向と短針で作る扇形は、南北の方向を軸にして線対称になる。これは文字盤の12時方向と短針の真ん中が南になることを意味している。
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 原理はアニメを見れば一目瞭然だ。45年前の疑問が氷解して満足満足。なお普通の時計は12時間で一回転するが、仮に24時間で一回転する時計を作って、短針を太陽に向ければ、文字盤の12時の方向が常に南になる。つまり話はもっと単純になる。

***
(注1)ここに書いた天体の運行は単純化したものであって、厳密にはそんなわかり易いものではない。このイラスト(アニメ)は、観測者が北極付近にいて、太陽が地平線ぎりぎりを運行している絵である。しかし日本は北緯35°付近にあるので、太陽は斜めに昇り、斜めに沈む。太陽が単位時間に動く角度を大地に投影すれば、地平線付近よりも子午線通過付近の方が大きくなるはずである。その意味で、このイラストは正確ではない。しかし、そんな精密な考察が必要な内容ではない。南はだいたいどっちか、という話である。


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源氏物語を読みたい(3) [読書]

(引き続き、「あさきゆめみし」を読んで考えたこと。前の記事からのつづき)

 さて、そのバックアップ体制が充実して皇子がたくさん生まれ、その中から、一人が後を継いで次の帝になったとする。そうすると、それ以外の子供は当然帝にはなれない。そういう人は「○○の宮」として、皇室に残る場合もあるが、皇室から離れて臣下に下る場合もあって、そのときは「氏(うじ)」(今日的な意味での苗字)をもらう。それが「源(みなもと)」であったり、「平(たいら)」であったりしたのだという。桐壺の更衣が男の子を生んだとき、帝にはすでに第一皇子がいた。だからここで後継者争いが起こらないよう、帝はこの子が元服したときに「源」の氏を与えて臣下に下ろした。これを臣籍降下という。(ここ重要)

 少し話がそれるが、ちょっと源氏物語の中の人物の呼び方について考えてみたい。この物語の読みにくさを作っている原因のひとつに、人の呼び方があると思うからである。ある人物をどのように呼ぶか、というと、現代人の我々は、その人の名前で呼ぶのが当たり前だと思っている。日常生活でも小説でももちろんそうだ。しかし源氏物語の場合、必ずしもそうではないことに気づかされた。

 平安時代の戸籍の制度は、今のように厳密に管理されていたとは思えない。だから、自分で好きなように名乗ることができたはずである。また宮中では固有名詞よりも役職(地位)の方が大切であったようだ。左大臣、右大臣、大将、中将、女御、更衣、などなど。他に一の宮、二の宮、三の宮などと、生まれた順番だけで呼ばれる人もいる。源氏物語の登場人物は、おしなべてそういう呼び方になっている。はっきり言ってしまえば、人の呼び方なんかどうでもいいような印象を受けるのである。

 さてここから本題。呼び方と言えば僕は昔から「光源氏(ひかるげんじ)という呼び方はどこが「姓」でどこが「名」なんだ?」と気になってしょうがなかった。日本では人の名前は姓、名の順に構成されるものである。だから源光(みなもとのひかる)と言うなら納得がいく。それなのに光源氏とはこれ如何に? 「山田太郎」さんに対して、「太郎山田氏」と言っているようなものではないか。こんなキテレツな名前があろうか。しかも、名、姓の順に並べるのは欧米の習慣ではないか。

 そんな話を姉にしてみたら、姉が知り合いの、元高校の国語の先生という人に聞いてくれた。その人によると源氏物語の人物はみなニックネームで、しかもその名前は必ずしも作中で使われているとは限らず、後世の読者や学者が勝手につけてそれが通称になってしまったものもあるのだそうだ。原作(原文)の中では光源氏という呼称は出てこない。原文では「光る君」と呼ばれている。「光る○○」というのはあの時代に美しさを形容するときの最上級だったのだそうで、「最高の美男子」という意味になるらしい。

 その他に「源氏の君」という呼び方もある。少なくとも第一帖の「桐壺」にはその呼び方がいくつか出てくる(注1)。これは僕の考えだが、「帝の子供でありながら、源(みなもと)という氏(うじ)を賜って臣下に降りた、かっこいい人」という意味で「源氏の君」という呼称が生まれたのではなかろうか。源氏の姓をもらったばかりの時期に、彼の周囲にいた人たち、特に女性がキャーキャー言いながらそのように呼びたくなるのは自然である。「キャ~源氏の君~~」って。

 そうすると「光る君」「源氏の君」「光る源氏の君」から変化して「光源氏」というニックネームが生まれ、それが後世の読者や研究者の間で自然に定着したとしても不思議ではない。長年の疑問がようやく解けた。

*     *     *

 というわけで、今年の大型連休は家に籠もりきりではあったが、それなりに充実していた。(一つ仕事を成し遂げたような気がする 笑)なお今回は「あさきゆめみし」をメインにしたが、他にも読んだものがあるのでこれを付記して終わろうと思う。

 江川達也という漫画家が書いた源氏物語。これは青年雑誌に連載されたものだけあって性描写のビジュアルが露骨である。男性の目から見ると大歓迎なのだが(女性が見たら別のことを言うだろうが)、その反面、熟読するとかなりアカデミックな側面を持っている。というのは原文(古文)がコマの中に(おそらく)全部書いてあってそれを逐一現代語に訳しているからである。

 注釈も大変充実している。僕の場合、この年になって古文を復習するだけの情熱はないが、高校生ならば、これを丁寧に読み込むとかなり勉強になるのではないだろうか。(絵が邪魔して勉強にならないか)

 全七巻で一巻が一帖に当てられている。第一巻が「桐壺」、第二巻が「箒木」、・・・、第七巻が「紅葉賀」。つまり全54帖のうちの最初の7帖しかないわけだが、原文を丁寧に説明していることを考慮すればこれだけでも偉業だと思う。

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(注1)江川達也の源氏物語に記載されていた原文で確認した結果

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